修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

クンダリーニ症候群の治し方(霊障として解釈してみる。)

巷では、ヨガスタジオなるものを
頻繁に見かけるようになり・・・
それに伴って、クンダリーニ症候群の相談が増えてきましたので
それについて記しておきます。

まず先立って、私はヨガの素人と言う事をご理解下さい。w
プロの方々からすれば、『コイツ何言ってんだ!怒!』
と、なる内容のような気がしています・^^;)
でも、ヨガの素人の私に、ヨガの先生からも相談があるで
私個人の視点で記したいと思います。
ご容赦下さい~







私も昔、ヨガを学んだ事はあるんですけどね~

私の場合、実際にエネルギーを感じる取る事ができるので
(ヨガを学んでいる過程で)チャクラの説明を受けた内容と
実際に見て感じ取れるエネルギーと
辻褄が合わないので、なかなか納得できませんでした。
(私個人の問題なんですけど・・^^;)

例えば『第1チャクラのクンダリーニは生命エネルギーです。』
と、説明を受けても
何をもって生命エネルギーとするのか?
と、思ってしまいますし
体内どころか、身外の周りにも感じるし
もっと言えば、道端やそこら中に同質のエネルギーを感じるんです。
確かに性器のあたりは濃度が濃いですが
ただ、それだけに過ぎない・・・
別にその場所を元にしているようには感じない・・
私にっとっては、当り前のように何処にでも
存在するエネルギーを覚醒させるって何よ??
って、なってしまうわけです。
ただ単に、生命エネルギーをキャッチできていないだけ?
とも思ってしばらく続けてみたのですが
ダメでしたね~^^;)


怪しいカウンセリングボランティアなどを
長年していると、ヨガ教室の先生と言われる方からも相談もあります。
ヨガマスターと呼ばれて、弟子がたくさん居る方から
難病の相談を受けたり
インド政府認定のヨガマスターを取得している有名な先生から
癌の相談を受けた事もあります。
そんな体験を経て、私が求めているヨガとは違うのでは?
と思うようになり続きませんでした。^^;)


私の場合、性格が屈折しているせいか?
陰陽五行でさえ、納得できないので
何をやってもこうなってしまい
結果として、ひとりで修行し続けているわけです。^^;)
で、瞑想も結局は我流で続けています。


私は身体が固いのでヨガのポーズは上手くできませんが^^;)
瞑想も長年やっていると
大自然と一体感を得られるようになりました。
その体験から自分自身の心の成長がなければ
深い瞑想は出来ないのだと思うようになったのです。

私が一体感を得られるようになったのは
『ゆるす心』を学んでからです。
仮に、私の大切な家族を惨殺されたとします。
私は、その犯人をゆるす事ができます。
ゆるせる理由は、そんな事件が起きる仕組みを知ったからです。
嫌な事、辛く苦しい事、それらが起きる仕組みを知れば
だれでも、わたしと同じように思えるはずです。

瞑想による大宇宙との一体感というのも
心の成長と共に、得られるモノのはずで
それこそ『愛と慈悲』をどこまで深く理解できるか?
によるものなので、心の成長を伴わない修行で
身に付くものだとは思えませんし
心の成長は、修行より普段の生活態度の方が重要だと思います。
修行はあくまでも、至らない己を知る為に行うものなのでしょうね。

そんな大自然の法則があるのだと
私は身をもって体験する事で、そう思うようになりました。



私が勝手にそう思っているだけですが
怒りや否定批判の感情が日々生み出されている以上
自分自身を覚醒させる事などありえない・・
いや、そんな事が起きる仕組みなどこの世にない・・
と、そう思っています。


前回のエントリーにも記しましたが
結局は、私たち人間の基本概念に囚われている以上
自らを覚醒させるなんて所詮は無理なのでしょう。



私はエネルギーフェチなので
長年、色々なエネルギーを観察し続けてきました。
結局は、この世に存在しているモノは全て繋がっているようなので
どれだけ広い視野で物事を解釈できるか?だけのような気がしてます。

ただ、自分の身近な生活に一番大きな影響を与えているのは
自分の感情が生み出すエネルギーで
目前の現実をどう受け止め、どう感じているかで
誰しも、未来はとても大きく変わると思います。







で、前置きが長くなりましたが
クンダリーニ症候群・・・

まず、一般に言われているクンダリーニ症候群ですが
相談者を霊視すると、ただの霊障としか思えませんでした。
まぁ~私がクンダリーニ症候群というモノを良く知らないというか
クンダリーニって何?って感じなんでね~^^;)

なので、ここでは
クンダリーニ症候群=ただの霊障として説明してみます。





この症状は、普段から怒りや、否定批判
不平不満の感情が多い人に限って起こります。

また、ヨガもそうですがヒーリングやレイキや気功などを
スピ系の行為をしていても起きやすい現象だと思います。


原理は、誰でも五感以外の感覚を使い続けると
五感で感じられない存在と繋がりやすくなり
何処にでも存在する負のエネルギーと同調し
体内に取り込んでしまう為
体内のエネルギーバランスを崩してしまう状態です。

その結果、体内や頭の中をぐちゃぐちゃにされた感覚になったり
嘔吐、頭痛、痺れ、高温の発熱、神経の痛みなどの体調不良を引き起こします。
幻覚や幻聴もあるでしょうし、眠る事もままならない・・

高熱を出して神様を見た!という人もいたり
神々しい世界を見せられる人もいるのではないでしょうか?

病院に行けば、原因不明と言われるので
摩訶不思議な現象だと思いがちですが
ただの霊障なので、不思議な力に目覚める前触れだ!
なんて思わない方が良いでしょう。
ただ単に、自分の不徳が多いのだと思った方が
この先の未来の人生は明るいモノになると思います。


これと同じ現象は、滝行でもよく起きます。
しっかりとした先達エネルギーコントロールをしてもらわずに
いきなり滝に打たれれば、似たような体験をする人もいるでしょう。
まぁ~不徳が多く業が深い人は、先達しても無理なので
似たような体験をした事がある人もいるのではないでしょうか?



ヨガの場合は、クンダリーニを覚醒しようと
股関節辺りに、集中しながら、視覚や聴覚を遮断するので
股間あたりに霊の通り道を作ってしまう事があります。
思う、考える、イメージする・・
これらの行為は、強いエネルギーを創り出しており
意識を向けている場所に放出し強い影響を与えています。
思いのエネルギーは呪術などにも利用されていますし
宗教的な祈りという行為にも利用されています。
生霊と呼ばれる存在も同じ仕組みで生まれます。


人体は、常に大地とエネルギー交換(呼吸)をしています。
座る行為は、股間を大地に向けているので
股間の辺りは特に霊道が作りやすい場所です。
体内のエネルギーを体外に放出する排泄も
股間あたりからするので、外部のエネルギーを取り込みやすい場所なんです。
実際に封魔という術式をかける場合は
魔が入り込まないように肛門にぎゅっと力を入れてから行います。
それくらい股間は、霊的影響を受けやすい場所なのです。
肛門→脳→全身、という流れの気の道もありますし
肛門や性器近辺にはツボもいっぱいあります。
まぁ~大地と接する場所なんで、当然なんですが。


また、背骨は神経が集中している場所で
人の脳と太く繋がっているので、股間から入り込む邪気は
一気に脳まで届きます。
どちらかと言えば、気の道とでも言うのでしょうか?
経絡とか腺とか呼ばれているようなモノが太く繋がっているので
(この辺は、説明すると長くなるので、神経と言う表現にしておきます。)
そこを伝って上がってくるわけです。

負の感情が生み出す邪気や穢れは蛇の姿になりやすいので
蛇が背骨を伝って上がってくる感覚になる人もいるでしょうね。
脳に邪気が入り込むと、なんとも表現しがたい頭痛に襲われますし
脳波が乱れれば、人体はまともに動かないのは当たり前ですし
神経が集中している背骨は全身に強い影響を与えるはずです。

毎日、目隠しと耳栓をして、第一チャクラと呼ばれている場所に
集中しながら1時間くらい過ごす事を続ければ
怒りや否定批判の感情の多い人は、だれでも体験できると思います。
自分は気が短いほうだと思う人は、簡単に体験できると思います。


おそらく、自分自身の過去の言動に伴って
人それぞれ起きる現象が若干違うと思うのです。
持っているエネルギーは人それぞれ違うので
苦痛の種類も人それぞれのはずです。

正直、自分自身で引き起こす霊障
パターンを調査したみたいんですよね~
どんな感情の蓄積がどんなタイプの霊障を引き起こすのか?
興味津々です!(☆_-)







で、クンダリーニ症候群の治し方は
霊障の治し方と同じなので
こちらをご覧ください。

自分で除霊する方法(霊的苦痛を根本から解決する!) - 修行バカの懺悔道


実際にこの方法で、良くなってきたという
おっしゃっている方もいるので
試してみる価値はあるのではないでしょうか?


相談を頂いた方の中には
『”クンダリーニ症候群は、クンダリーニが覚醒しようとしているので
しばらくは辛抱しなさい”と、言われたのですが、どうしてもそうは思えないのです。』
と言われる方もいましたので
そう思えない方の為に、私の持論をば記しておきます。



まず最初に、私はクンダリニーにの覚醒なるものを
よく理解していない事を前置きしておきます。w
その上で、お読みください。





強烈な霊障をいきなり引き起こすと
2~3ヶ月、普通に生活する事ができなくなる事があります。
いきなり厳しい修行をすると
同じような状態になる人が稀にいるので
私は、ヨガに限っての現象ではないと思っています。

また、一度その状態になると
ちょっとした事で体調不良を引き起こしてしまう
体質になる事が多々あります。
病院に行っても治らないので
摩訶不思議な現象だと思ってしまいがちですが
ただ単に、現代医学には
感情や心が生み出すエネルギーを
測定する手段がないだけなので
摩訶不思議でも、神秘的な現象でもないと思います。


強烈な霊的苦痛が一度起きると
人体の何処かに霊道を作っているので
その為、強烈な霊的苦痛が治まっても
霊感なるものが身に付いてしまうでしょう。

霊感が鋭くなると
人の感情を読み取る感覚が身に付いてしまいますが
他人の感情と同調しやすくもなります。

辛く悲しい思いをしている人と同調すれば下痢になったり
怒っている人と同調すれば、頭痛がしたり
と、頻繁に体調不良を引き起こす原因にもなります。


そして、同調自体は、
自分自身が持っているエネルギーと同調しているので
同じ一面を自分が持っている事を理解し
その部分を省みると良いでしょう。

例えば、だれかを憎んでいれば
恨みを持つ霊体と同調し、高熱に魘されたりするので
人を憎んでいないか?を振り返り
ゆるす事を学ぶ必要があると教えてもらっていると言う事です。

幻覚や幻聴に悩まされる人もしますし
神々しく表れて神を名乗る存在から
言葉を告げられる事もあると思います。

自分がそんな体験に憧れていれば
そんなエネルギーを放出しているので
自分のエネルギーがそんな存在を生み出してしまう事もあるでしょう。
ファンタジーな世界が大好きな人に
起きやすい現象なので、ご注意を。


自分自身を省みる事を怠ると
憑依現象に悩まされる事になります。
何かに憑依されて自殺してしまうって事も
無きにしも非ずです。






霊感が強くなると
摩訶不思議現象と思ってしまう出来事が多々起こるでしょう。
すごい!神秘的現象!と自分は覚醒したんだ!己惚れると
後々痛い思いをしまいすし
家族や知人に多大なる迷惑をかけるので
特に快楽が満たされるような出来事は疑うべきだと思います。
どんな出来事が起きても
全てをゆるせるようになるまで、自重する事です。

大自然は、慈愛の心を学ばせようと出来事を引き起こすので
全てをゆるせるようになるまで
そうそう神がかった事は起きないと思っています。

私自身、大金が舞い込んでくるような事が多々ありましたが
その代償は、半端ないものでした・・・^^;)

また、常に自分のエネルギーは
全方向に放っているので
自分だけの世界しか観えていない事を理解する事が大切だと思います。
自分の価値観を他人に当てはめて判断している間は
嘘偽りを沢山魅せられます。
まぁ~魅せられると言うよりは
自分で創り出しているんですけどね。w



あとは、霊感が強いと言う事は
多くの人に常日頃から迷惑をかけてしまう事を自負してください。

ぞろぞろと霊体を連れてきやすくなりますしね~
他人の感情と同調しやすくなると言う事は
霊的存在と同調しやすくなると言う事なので
そんな存在を身に纏いやすくなるのです。
また、自分自身のエネルギーは常に
全方向に放出されているので
自分で自分を知る事がなかなかできない為
その事実にも簡単に気づけない事を
自覚していた方が良いでしょう。


人ゴミにいれば、しんどいし
邪気や穢れの多い場所に行けば
具合が悪くなるので、集団行動すれば
間違いなく、周りに迷惑をかけてしまうのです。

まぁ~往々にして
私のように自分勝手な人が霊感が強いのでw
他人に迷惑をかけている事すら自覚なく
『具合悪いんだから仕方ないじゃん!』
くらいに思って終わりなのですが
そもそも、他人の気持ちを理解しようとしないから
具合が悪くなっているので
それで終わらせてしまうのは本末転倒な事なんです。

霊感が強いまま何年も過ごすと解ると思うのですが
徳の高い人の近くにいるだけで
癒されますし、自分が纏う邪気が離れて行きます。

ただ、残念ながら
自分の邪気が多い間は
同等の人たちとの縁が多く
人間関係に悩まされたりします。


己を磨く事を怠ると
同じ類の人たちと傷を舐め合うか
人恋しいのに、孤独を楽しむしかなくなるでしょうね。
霊感のない人たちを理解する事をせず
自分の体質を理解して欲しいという
身勝手な思いが、そうさせてしまう事もあるでしょう。


霊感を無くす方法は
霊的感覚を無視し続け
五感のみで生活する事を心がければ
次第に治まる事もあります。
また、スピリチュアル的な事以外で
何か楽しみを見つけ
その事に集中するようにするのも良いでしょう。

五感の世界でしっかり過ごすようにすれば
自然に治まる事もあると思います。

逆に、霊感をもっともっと発達させたいと
思ってスピリチュアル行為にどっぷりハマれば
元に戻す事ができなくなります。
私のように霊感を無くす為に修行を積んでも
全身が霊道のようになってしまうので、ご注意ください。^^;)


ただ、霊障はある意味
心を磨く基準となりますので
しんどいですが、役に立つとは思います。
まぁ~そんなモノに頼らず徳を積めるようになるのが
理想ですけどね~w


霊的苦痛は、自分の心が幼い状態のみ起こるので
霊感がいくら強くても
己を磨き続ければ、霊的苦痛は消えてなくなります。

霊感が強いから、辛く苦しいのではなく
己の心が幼いから、霊的苦痛があると
そう思っていれば、間違いいなく自己の成長に役立つと思います。



この世に悪は存在せず
悪は自分が創り出す物なので
クンダリニーに症候群と言われる苦痛も
己を磨くために起きていると
捉えてみれば、自分に活かせると思います。

個人的には、自己の覚醒の前触れとして
終われせているよりは、良いと思っています。

まぁ~病気もそうですし
どんな苦悩も同じなんですけどね。



ではでは~

そもそも、私たちの世界は、私たちの概念で回っていると勘違いするから、色々と空回りするのではないだろうか?

私たちは、知らず知らずのうちに
固定概念のようなモノを植え付けられていて
知らず知らずのうちに、その概念に基づいて
物事を判断しているような・・・・
そんな気がしています。



私は、長年カウンセリング(という名の心霊相談)の
ボランティアをしているのですが
はじめた当初は、どうしても私の話がオカルトチックになりがちで
なかなか話が通じず、悩んだ時期がありました。

誰しも思考と心はまったく別もので
自分の本心を伏せているので
心を観て話しても、伝わらない事が多いのです。
伝わらないと言うか、認めたくないんでしょうけどね。
私もそんな時期がありましたし
まだまだ、そんな気持ちもどこかにあるはずなので
その事については、とてもよく理解できます。

とは言え、どんな現実も
心が生み出すエネルギーが創り出しているので
自己の心を直視しなければ
目前の現実は改善されないので
ほとほと困り果ててしまい
心理学の本を読み漁ったりしましたね~
セミナーや勉強会に参加した事もありました。

それらは色々と勉強にはなりましたし
学んでみて良かったとも思います。

ただ、私が求めていたモノとは
ちょっと違いましたけど。^^;)

まぁ~私がおかしいのは自覚しているので
仕方ないんですけどね。w







勉強をして行く上でちょっと自己嫌悪に陥った事があります。w

よく自己啓発などのセミナーで行われているようですが
他人と自分の違いを理解する為に行う手法を学んでいた時の事です。

「あなたの大切にしている思いを3つ選んでください」
と用紙を渡され、それを見て、自分に合った内容を3つ選択して
他人と比較し、自分とに違いをディスカッションンするというものです。
やった事がある人も多いのではないでしょうか?

書いてある内容は
正直
思いやり
楽しみ
親切
勇気
努力
共感
お金
行動力
自信


などなど
ずらっと150くらいの単語が記されていました。


当時の私は、自分が選択する言葉が一つもなかった事に愕然としました。
かなりショックを受けましたね~^^;)

自分の感覚は一般とズレズレなんだと
認識し、そこから改善しなければ!
くらいに思ったのですが
よくよく考えれば
「人の苦悩がない事は良い事」という
大前提の中で、誰しもが物事を捉えている事に気づいたのです。


占星術などを学んだ時もそう思いました。
苦悩が無くなる事が良い事とする大前提で占い
占星術や風水なども
良い事=煩悩を満たす事
悪い事=苦悩・苦痛
とした上での話ばかりなのです。


当然、何を学んでもしっくりくるわけもなく
殆どが、中途半端に学んで終わりでした。
とは言え、学んだ事が無駄だとは思ってませんし
とても、勉強になったとも思っています。


ただ、私の思考がちょっとズレているんでしょう。^^)
ちなみに、私が150の言葉から選びたかったのは
「苦悩」「絶望」「堕落」というような言葉です。
「怒り」「憎しみ」とかでもいいですけどね。

なぜ?これらの思いや感情を大切にしているか?というと
それらを直視し、深く理解しようと努力した結果
私の場合、人生でかけがえのないモノを学ぶ事が出来たからです。


私たちは、自然界に生を受け
自然界の中で日々を過ごしているわけです。
そして、人の苦悩も自然現象の一つであれば
その意味を知る事ができなければ
自然界で生活する上で、どうしても物事が空回りするはずなんです。

苦悩を無くしたいのであれば
その意味を知る事が大切なのですが
我々の社会では苦悩=悪い事とし
排除の対象となっているので
永遠に苦悩の呪縛から逃れられないわけです。





占術を学んでいる時に思ったのですが
「来年は、禍が多い年なので、東北の吉報に出向くようにしなさい」
なんて言われたとします。
仮に、東北の吉報に出向くようにして
何事もなく一年を過ごす事が出来れば
それはそれで良い事・・とするのが、一般的でしょう。

私の場合、何故?禍が多いのか?
そして、その禍から何を学ぶ必要があるのか?の方が気になるわけです。
禍を人為的に排除してしまえば
更なる大きな、禍を引き起こしてしまうのが大自然の法則だと
そう思っていますし、それは、それで嫌なんです。w

自分自身の不徳の致す所で、降りかかる苦悩は
仕方がないと思うのですが
禍から逃げた結果、更に苦しむなんて最低だ!と
そう思ってしまうわけです。

そもそも、苦悩がなければ我々は進化成長できないので
それを排除する事は、自らの成長を止めている事になる・・・
私にとっては、そんな人生は、最悪なんです。

では、毎月絶望を感じるような出来事が起きてもいいのか!
くらいに、言われるのですがw
仮に、そんな出来事が起きるのであれば
かなりの不徳を積んだ事になりますし
そこまで、不徳を積める人もいないと思うのです。
その現象に、ちょっと興味ありますけどねw

誰しも、一度でも絶望を味わえば
それなりに成長できるものなんです。
ちなみに、私の場合、2度ほど絶望を経験しているので
おかげさまで、結構タフな精神をしていると自負しております。w

まぁ~絶望と一緒に朽ち果てる人もいますけどね~
冷たいようですが、それはそれで、その人の選択であり
私自身が嫌だと感じるからと言うエゴで
その行為を否定するつもりはありません。


誰しも、辛くしんどいのは嫌ですよね~
私も、嫌は嫌なんですが、適度に嫌な事が起きないと不安になります。w
なんだかんだと順調に物事が進んでいる時に
自分自身を振り返ると、全く成長していない自分に気づけますしね~
もっともっと自分を高めて行きたい!と
そう思っているので、苦悩は必須なんです。w





「そんな風に思えない!辛いのは嫌だ!」
と、殆どの人にそんな事を言われるのですがw
私自身も、社会の常識で物事を判断している時はそう思っていました。

私の場合、社会の常識から脱することで
苦悩から解放されましたし
また、苦悩の意味を知ろうとする事で
大きく成長できたので
それらの体験・経験が今の価値観を創り出したのだと思います。


なので、似たような体験をしない限り
私と同じような考えにはならない事をよく理解しています。


でも、今目前の現実が空回りしているのであれば
我々の社会は、我々が物質的に満たされる為の仕組みばかりであり
我々の心が成長する事で満たされる仕組みで、創られては、いないと言う事です。
大自然は、我々の心を成長させようと、出来事を引き起こしているのにです。
しかも!我々は、大自然の法則の中で生活しているにのです。

私に言わせれば、心の病が蔓延するのも当然の事です。
ただ、そんな苦悩にも、色々な意味があるのでしょう。



昔、何かの経営セミナーに出席した時に
広い視野で物事を見なさい!という言葉を耳にした事があります。

当時は『広い視野ね~』くらいに思っていたのですが
自分の心の成長と共にどんどんと視野が広くなる
体験をして、広い視野ってこういう事かぁ~と思うようになり
今では、人の身勝手な常識という枠の中で回っているのが
人間社会というモノなんだ!と、思うようになったわけです。

お陰様で、色々と物事の捉え方が変わり
毎日を楽しく過ごせるようになりました。

逆を言えば、視野が狭いと、結構しんどい毎日になるんだな~
という事もよくわかりました。






何度も私のブログに記してきた事ですが
大自然の法則を、学べば色々と心が軽くなります。

だって、私たちの社会は、自然界の中にあるにもかかわらず
社会のルールは、自然界のルールを無視していますからね~

私たちの社会のルールはとても大切ですが
所詮は、我々のエゴで創らたルールなので
それはそれで踏まえた上で、大自然のルールを大切にしなければならない。
そうする事で目前の苦悩は、次第に消えてなくなって行くと
私は、そう確信しています。

そもそも、私たちが生活する世界は
人間社会を創り出す前から存在しており
その仕組みは、私たち社会のルールなど無関係で
私たちに働きかけているわけです。

そんな視点で物事を感じ取って行くと
理不尽な出来事など、どこにも存在せず
全ては、完璧な循環で回っているのだと
そう思えてならないのです。



時に、物事を見る視点を変えてみると
意外な発見があるかもしれません。^^)

善悪の決めつけを止めると自分の視野がかなり広くなり、毎日が楽しくなったりする・・

私たちは義務教育を経て
正しい事、間違った事を学びます。

ルールを設けて
そのルールを守る事を
正しい事としなければ
集団生活の社会の秩序が保てないし
社会も発展して行かないからでしょう。

ルールを守らない人ばかりだと
メチャクチャな社会になりますしね~

では、人が創ったそのルールは
本当に正しいのだろうか?
そもそも、正しいとは何だろうか?
何に対して正しいとするのか?を
よくよく考えると
自分達に都合の良い事のみが正しい事
もっと言えば
自分達が満たされる事が正しい事
そして、自分が辛く苦しい事は悪い事
ではないのだろうか?

煩悩が人の苦悩を生み出すのならば
煩悩に忠実な、その正しさにこだわると
どんな人も苦悩を招いてしまうのでは?

実際に私の所に相談に来る方々の多くは
この善悪呪縛が原因で苦しんでいます。

ようするに自分からの視点のみで
物事を判断し、自分が辛く苦しいと感じれば
その苦悩を与えた相手は、全て「悪」にしてしまうのです。
とても愚かで、自分勝手な解釈をしているのですが
誰しも無意識に自分は正しい前提で物事を
捉えようとしうるので
そんな事すら全く気づけないのです。

誰しも自分が間違っていると
常々思いたくはないですからね~

私自身も自分の中にある
自分勝手で身勝手で利己的な思考が
多くの悪を作り出し、自らの心身を崩壊させましたね~
自分が悪と認定したものとはとことん戦い
結果として、理不尽な苦悩をたくさん体験しました。
自分に厳しいから、周りにも厳しんだと
そんな風に思っていたのですが
実際は、ただゆるす心が欠如していた
だけだったのです。

まわりの人より
ゆるす事が出来なかった為
自分が生みだした悪と戦った・・w
悪自体を自分が生み出している事にも
全く気づく事が出来ず・・
気付けば自分の周りは悪だらけとなり・・
なんて最低な世の中なんだ!
くらいに思っていましたね~ww

当時と同じ現実を見て感じて体験しているのに
今の私は、この世の中は素晴らしい!と
そう思っているのです。w

いや~結局は自分次第という事を
長い時間をかけて学びましたね。w

悪をゆるせず、人を恨んだり、自分を責めたり・・
幼い頃からの洗脳が私にはピッタリはまり
自分の心を壊してしまったわけです。


自然界のルールからすれば
ゆるす事が正しい事なんですが
なんでもゆるせば、社会の秩序が保てないほど
人間と言う生き物は愚かなんでしょう。

そして、幼い頃からの洗脳が
ゆるす事をできなくさせてしまっているわけです。

まぁ~私たちは社会の一員であり
社会のルールの中で過ごしているので
そんな事を考える機会もないですしね。

ただ、その仕組みがあるおかげで
私たちはゆるす事を学ぶ事が出来る
ゆるせない出来事があるおかげで
ゆるす事を学べるのでしょう。



しかしながら、これだけ心を壊す人が増えると
そろそろ自分の価値観を変えてみた方がいいのでは?
と、そう思ったりするわけです。
自分以外の事を深く思いやり
その思いを言動に移すだけで
簡単に苦悩から解放される自然の法則がありますしね~







私自身、善悪の判断を止めてしまった事で
かなり自分の視野が広くなった経験をしました。


例えば、他人を傷付ける事は
本当にいけない事なのか?
私は、愛を持って他人を傷つける事は
とても素晴らしい事だと思っています。
自分の心にダメージを受ける事で
心が強くなって行きますしね~
怒ると叱るの違いです。


そもそも、他人に傷つけられるのは
それまでの自分の言動が原因なので
簡単に人を傷つける行為を悪としてしまえば
自分自身の成長の妨げになり
更に辛く苦しい現実を
大自然に突きつけられてしまいます。

現代社会ちょっとした一言で
自殺してしまう心の弱い人もいますが
ひょっとしたら人を傷つけてはいけないという常識がある為
どんどん人の心を弱体化させてしまったのかもしれません。


とは言え、人を傷つける行為が無くならないのは
私たちの心の成長に必要不可欠な行為であり
それが、自然界のルールなので
何をどう足掻いても、人間ごときの身勝手なルールでは
どうしようもないんでしょう~


本当に笑っちゃうのですが
「あなたの〇〇という言葉で傷ついた!」
と、怒る人が、結構いるのですが
それを言われた方は
「あなたの〇〇という言葉に傷ついた!」
という言葉に傷つくわけです。w
自分の事しか考えていないので
それを言われた側の気持ちを考える事などせず
自分が傷ついた!という主張しかできないのです。

こんな事を言うと「最初に傷つけた方が悪い!」
くらいの事を言う人までいますしね~w

一方通行な視点で物事をみていると
常に悪を生み出してしまうので
しんどい人生になってしまうのですが
自分の視点のみという狭い視野が
その事さえ気づけなくなるわけです。


自然界の法則からすれば
常日頃から相手の事を理解しようとしていなければ
自分が傷つく言葉をたくさんの人に向けられるのは当然なのですが
善悪の決めつけが、その事に気づかなくさせてしまうのだと
私は、そう思っています。

人が傷つく言葉は「悪」というルールが
自分が傷ついた→傷つけた相手が悪い、としてしまい
相手を理解するという思考を停止させてしまうのです。



言動には動機があるので
なぜ、そんな言葉を自分に向けたのか?
また、なぜ?自分はその言葉に傷ついたのか?
どんな言葉を向けられたかったのか?
その為にはどうすれば良かったのか?
自分は周りの人を理解しようとしていたか?
などと、考える事を繰り返すと
どんどんと自分は成長して行くものです。
他人の言葉に傷つく人は
ほぼ100%他人を理解しようとせず
自分の気持ちばかりを優先しているからですし
それに気づかせる為の苦悩なんですよね~

ひとつひとつの苦悩を悪とせず
善としてとらえると、同時に視野が広くなって行き
毎日が楽しくなったりもします。

結果として、自分を傷つけた相手に感謝できるのです。
自分を傷つけた相手がいたおかげで色々と気づく事ができたのですしね~
コレ本当にマジです!(-_☆)

まぁ~善悪に囚われている以上
自己の成長もなく、辛く苦しい事ばかり起きるでしょうし
気付けば、自分の周りに「悪」を探すようになり
常に、誰か何かを否定批判していないと自我を保てなくなる・・
そして、その事実に全く気づけないまま
心を壊すが、重い病気を患う事になるわけです。




また、不倫などもそうでしょう~ね。
『不倫はいけない事』とするだけでは
不倫した人は、いけない人・・で終わらせてしまいます。
なぜ不倫はいけない事なのか?と問えば
妻を傷つけてしまうから
夫を傷つけてしまうから
子供が悲しむから、両親が悲しむから
と、答えるのが一般的でしょうし
それ以上深く考えたりする事もなくなってしまいます。
だって、それが社会の常識ですからね~
常識に囚われた狭い視野しか持てなくなってしまうわけです。
本当に妻や夫が傷ついているのか?
本当に両親や子供が悲しんでいるのか?
そう考える人と
不倫にも色々なケースがあり
一言で不倫は悪い事としてしまうのは
とても浅はかな考え方でしょう。



例えば、夫が不倫をした事で
夫の大切さを再認識できた。
また、夫に毎日ガミガミ言っていた事を反省し
以前より、優しく接するようになり
穏やかな夫婦生活を過ごせるようになった。

父親の不倫により両親が離婚し
毎日の夫婦喧嘩がなくなって
子供の非行がおさまった・・
とか・・?w

出来事に対して自分が何にどうフォーカスしているかで
自分の心のありかたが全く違うものになったりするわけです。




人に優しくする事が良い事・・・
人を傷つける事は悪い事・・・

私に言わせれば、常識ってのは
社会の秩序を保つための一般論であり
自分たちの煩悩を満たす為に最低限必要な
人の意識に過ぎないんじゃないの?って感じです。w
そんなモノに拘ったら、みんな不幸になる!
と、思ってしまうわけです。
現に精神を患う人たちが増えていますし
実際に善悪の判断を止める事で心の病が
治ったりする人もいます。

善悪の判断を洗脳されている私たちは
なかなかその洗脳を解呪できないのかも?しれませんが
時に自分がフォーカスしている所を
変えてみるのもいいかもしれません。






重い病気になった、大きな怪我をした・・
というのも全く同じで
病気になったり、怪我をしたりする事で
気付ける事は沢山あります。
例えば、利き腕をケガをする時は
身近な人に感謝が足らない時ですし
足を怪我すれば、立ち止まって自分を省みる時だと
私はそう思っています。

病気になって、普段の生活に支障が出る時も
同じように、感謝が足らない時だったりします。
ただひたすら我欲を満たす事ばかりで
家族や友人、社会の為に尽くそうとしなければ
100%どんな人も病気になるのが自然の法則です。

ちょとした頭痛や腹痛、風邪をひくのも
至らない自分に対してのメッセージなのですが
病気や怪我=「悪」としていると
その事に、全く気づけないわけです。

病気になったお陰で、気付ける事は山ほどある。
私自身、ちょっとした嫌な事、辛い事のおかげで
日々、成長できているので
辛く苦しい事がない世界なんて真っ平ゴメンです。

そもそも、辛く苦し出来事の全てが
自己の成長の為にあるので
その辛く苦しい出来事を「悪」としつづければ
自らの成長はストップしたままであり
大自然は、成長を促す為に
更なる苦悩を与えて来るわけです。

そして自分は不幸な星の下に生まれたのだと
勘違いし、自分の不幸を嘆き続ける・・

この呪縛は善悪の決めつけを止める事で
いとも簡単に解呪できるのですが
幼い頃からの洗脳が、邪魔をするんですよね~



なので、私は「悪」こそが神だ!とマジでそう思っているんです。
悪を拒絶する事は、神を拒絶する事となり
幸せを拒絶している事に等しいので
幸せになれるはずがないのです。

しかし、「悪」は神からのメッセージと受け止めれば
自分自身はどんどんと成長できる
辛く苦しい現実を乗り越える事で
とても大きく成長できた自分に感激し
「悪」というメッセージに心深く感謝できるわけです。


嫌な事、辛い事、苦しい事が続くのは
それらの出来事を「悪」として排除しようとしているだけだからでしょう。
重く自分にのしかかる苦悩は
今までちょっとした苦悩と向き合う事をしなかった・・
ただ、それだけの事なんでしょう。

幸せのきっかけを自ら排除していれば
幸せになれるわけもありません。

ならば、たった今より善悪の判断を止め
目前の出来事から多くを学び自らを成長させる努力をすれば
同じ現実でも、毎日が楽しくなるのではないだろうか?



善悪の判断を止めるのは、悪を善として考えてみると
そんなに難しい事ではないのですが
そう簡単に、出来ない!なんて言われる事が多々あります。^^;)

出来ないのであれば、自分の言動の動機を見つめてみるといいと思うのです。
往々にして、煩悩を満たそうとするから嫌な事が起きますしね~
とは言え、これも煩悩の何が悪い!となってしまうのです。w

でも実際問題、自分が何処にフォーカスいるか?だけなんですよね~
言動の動機が放つエネルギーが目前の現実を創り出しているので
そこに着目し直い限り、目前の現実は好転しませんしね~


ホリエモンが寿司職人の修行に10年もかかるのはバカだ!と
そんなネット記事を読んだことがあるのですが
お金儲け、生産性、これらにフォーカスすると
おっしゃる通り、馬鹿げた事ですよね~
冷凍寿司だって、びっくりするほど旨いですしね。w

ただ、心の成長という視点で考えてみるとどうだろう?
10年間、面白みのない作業を延々と繰り返す作業はかなり苦痛なので
私なら、同じ作業の中で、色々と模索すると思うのです。
時間を無駄にしたくないですしね~
普通に過ごしていれば、全く気づけない事にも着目できるようになりますし
それはそれで、自分の人生でかけがえのないものになるような気がするんです。
まぁ~何年も修行して、体験したから、そう言うんですけどね。

何が言いたいかと申しますと
結局は、自分が何を求めているか?次第で
善悪などどうにでも移り変わると言う事です。


辛く苦しい現実も、結局は
自分が何を求めているか?よって
善にも悪にもなるわけで
早い話、悪にしなければ、毎日を楽しく過ごせるわけです。

苦悩から多くを学ぶと言う体験が出来れば
自分の中で、苦悩=悪という思考が薄れて行きます。

また、辛く苦しい出来事を楽しむ事も出来たりします。

人生で最も大切なのは『悪』を生み出さない事でしょうね。
まぁ~これも持論ですけどね。w