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修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

この世には善も悪もないとは?

昔、私が激しく修行に励んでいた頃
『この世には善も悪もない!』
そう言われても、なんのこっちゃ?
と、思うくらいで
全くその意味が解りませんでした。

ですが、善悪の判断に囚われてしまうだけで
人は、辛く苦しい人生を歩む事になるのだと
そう思うようになり
なかなかどおして、この世の仕組みは
奥が深いモノだとそう感じております。

実際、辛く苦しい現実に悩んでいる方々の
殆どが、自分自身で『悪』を生み出していますね~


ここに何度も記しているように
往々にして、良い事とは
ただ単に自分にとって都合の良い事なんだと
つくづくそう思ったりもします。






良い事、悪い事
正しい事、間違った事・・
と言った判断は
我々の社会で秩序を保つためには
必要不可欠な判断基準だと思います。

ただ、大自然の仕組みの中では
そんな判断とは無関係に
様々な出来事が起きていると言う事です。

この世の中に善悪など存在していない中で
我々の過ごす、社会のルールとして存在しているに過ぎない。
と、言う事です。

いくら社会のルール上で正しい事、良い事をし続けたとしても
幸せになれるわけでもないのが、この世なんでしょう。








物事を深く深く理解しようとすると
この『善も悪もない』という事が良く理解できるのですが
上辺だけの出来事のみで、判断して過ごしていると
善悪の判断に囚われて、辛く苦しい出来事ばかり起きるはずです。

なぜならば、我々は慈愛の心を育む仕組みの中で
生活しているからです。

自らの正しさをただ主張して他人に向ける事は
自分以外を理解し、尽くす事に反しているので
慈愛の心を育む行為を怠っていると
大自然に判断されてしまうわけです。

大自然にNGを出されてしまうと
辛く苦しい出来事が起きる・・

人の思考は、苦悩から逃れようとするように創られており
苦しめば、苦しむほど、その原因を追究しようとします。
その行為の繰り返しの中で、どんな人も成長できるのでしょうね。


また、出来事は人が生み出すエネルギーの影響を
強く受けながら起きているので
自分自身の思いや言動の動機によって
未来は大きく変わります。

常日頃から、何をどう思い生活しているか?
朝起きてから寝るまでの生活態度が
自分自身の未来を創り上げているわけです。


すなわち善悪に囚われ過ぎて
正しい事に気を取られると
『悪』とされる出来事をただただ排除しようとする
だけで、終わってしまいます。

『悪』=排除という思考が
自分に都合の悪い事が『悪』という事実に蓋をしてしまうわけです。
そして、自分で生み出した『悪』に対するエネルギーは
自らをどんどんと苦しめて行きます。


なかなか、自分や他人の言動の動機など
考えない人が多いですが
ここに着目するだけで普段の生活が大きく楽になるんですよね~









例えば、困っている人に手を差し伸べる行為は
一般的には、『良い事』とされています。
それは、『愛だ!』なんて言う人もいるのですが
私からすれば、その行為に対しての動機がどこにあるのか?
が、最も重要なわけです。

困っている人に対して
何も考えずに手を差し伸べる事は
私は、ただの驕りだとそう考えます。
『自分は良い事をした!』と、そう思いたい場合が殆どでしょう。

本当に、相手の事を思いやる心があるのであれば
なぜ困っているのか?が気になるはずですし
そのなかで、何を手助けをする事が
本人にとって本当に重要なのか?を考える必要があります。

逆に突き放す事で、本人が自分の過ちに気づく事が出来れば
その人にとっては、素晴らしい未来を迎える事が出来るでしょう。

困っている人をつき放つ事が『幸せに近づく』となる出来事に対して
手を差し伸べてしまえば、その行為は
『不幸を繰り返す』事になってしまうわけです。

自分自身が出来事をどう解釈するか?で
善悪など、いくらでもひっくり返るわけで
それが、この世の仕組みであり
善悪など存在していないと言う事です。


なので、悪をただ排除するだけで
その意味を深く理解しようとしない行為は
自らの成長の妨げとなり
自らの精神を常に成長させようとする
大自然の法則からすれば
NG的行為となるわけです。



『悪霊』『因縁』『障り』『祟り』
と言うような、如何わしい出来事も同じです。
『神』と『悪魔』という存在も同じです。

私自身、悪霊こそ神の使いであり
神こそが、悪魔そのものだ!と
まずは、そう思うようにしています。w

自らを苦しめる存在こそが
自らを鍛え上げてくれる師であり
最も大切にするべき存在だと思う事で
実際に自分が成長できた経験をしてますし
その方が、楽しく生きられるんで・・w

実際にそう考えながら日々を過ごすだけで
私自身の至らない所をたくさん見つける事ができましたし
自らの至らなさを見つける事で
目前の現実は大きく改善されて行きました。


この経験から
『この世には善も悪もないのだ!』と
気付く事ができたのですが
一般的な『悪』から学ぶ姿勢がなければ
そうは、思えないでしょうね。


従って・・
『善も悪もないなどと思えない』=『出来事から学ぶ姿勢がない』
と言う事になり
目前の現実は、嫌な出来事ばかりとなるはずです。


逆を言えば
『悪』とされる事から学ぶ事さえ出来れば
辛く苦しい出来事から解放される事になるわけです。



結局は、どこまで深く理解しようとする姿勢があるか?
だけの事なんですけど
多くを求めながら過ごしている以上
そう思える事などないでしょう~ね~

求めながら過ごしていると
自分にメリットのあるモノだけしか
理解しようとしないので
与えようとしない限りは
ほんの少ししか理解できないはずです。


正しさが『悪』を生み
『悪』が、正しさを生む・・
突き詰めれば、この世の中は
善も悪もないという所に
行きつくようになっているのでしょう。

自分の中で『悪』さえ生み出さなければ
日々の生活が穏やかになるのも
『ゆるす事』は、人生の中で学ぶべき大きなものなんだと
そう感じたりします。


至らない己を知れば知るほど
ゆるす心は広がり続け
たった、それだけの事だけで
深い幸せを感じるものです。


私は、善悪の判断に囚われている以上
快楽を満たす事は出来ても
幸せになる事など出来ないのだとそう思っています。


目前に起きる出来事は
全て自己の成長の為にある!
そう思う事が出来れば
善も悪も自分の目の前から消えてなくなるんですよね~

(^^)

ビジネスは社会貢献であり、貢献量が収益となる。

色々な方の相談を受けていると
経営者の方から経営について相談される事が多々あります。

私は、大企業に勤めた経験もありませんし
大したお力にはなれないのですが
ただ、この世界には大自然のルールというものがあり
人間が作った人間ルールで物事は進まないので
その辺に関してだけ、少し尽力できるわけです。

犯罪を犯して法に触れる事で救われる人もいれば
法を正しく守る事で、不幸になる人もいるのがこの世であり
私に出来るのは、そんなお話くらいなものですが
何だかんだと、現在、相談役になっている企業が
現在4社ほどあります。






長年、こんな事をしていると
自然の法則に従った経営をする事で
業績が伸びると言う体験をさせて頂いています。

『損して徳を取る』
『お金は後からついてくる』
という事です。


今の日本の社会では
利益を伸ばしている会社が優良企業とされていますが
大自然からすれば、それだけでは良い企業と言えないわけなんです。
『お金は後からついてくる』ので、結果だけみれば
そう思おうかもしれませんが・・

1年間で1000万円の純利益を計上した中小企業が
震災の支援に2000万使って、1000万の赤字を出したら
それは、ダメな企業なのでしょうか?
と言う事です。

人間社会での決算書の数値だけ見れば
経営能力のない社長が運営する会社となりますが
大自然からすれば、社会に貢献している優良企業として
扱われるわけです。


そして、『お金が後からついてくる』のです。
(↑マジです!)




現実は、言動の動機によって創られているので
タナボタを期待した上での社会貢献じゃダメなんですけどね~w

ただ、すでに大自然に認められた会社の社長は
みなさん自分のお金なんて欲しいと思っていないのが
面白いんですよね~




私は、社長が『社会に貢献したい!』と
強い志を抱き、それに向けての行動する事で
売上が伸びている会社を、数社見てきたので
この法則が、間違いなく存在するとそう思っています。



とは言え、月末の資金繰りをどうしようか?と
悩んでいる社長に対して
社会貢献しろといくら言ってもピンとこないのが現実ですが・・^^;)





















我々は、人が創った社会の枠組みの中で
便利に不自由なく生活させて頂いているので
誰しも、社会に貢献しなければならないわけです。
そうしないとエネルギー的なバランスが保てないんですよね~


誰しも、多くの人たちが創った存在の恩恵を受けながら
常々過ごしているので
当然、企業と言う組織単位でも同じです。


頂くばかりで、与えないと、搾取し続ける事になり
生きる事さえままならなくなる・・
会社も同じで、経営を維持できなくなる・・


従って、お金儲けの為だけのビジネスは
初めから、成り立たない仕組みが存在していると
私は、そう思っているわけです。





窃盗や強盗でお金を稼げば、しばらく豪遊できますが
いずれは、逮捕される・・
法律に触れていなくても、搾取し続ければ
経営は維持できない・・
数年は、羽振りよく過ごせるかもしれませんが・・
いつまでも、そんな状態が続くわけもない・・

創業者が徳を積みながら築き上げた会社の後を継いでも
その徳は、4代目までは続かないので
2代目3代目が社会貢献しなければ、3代目で倒産となる。




経営がピンチになって相談にみえる方の殆どが
ビジネス=お金儲けという視点でしか
物事を捉える事が出来ず
どうやったら儲かるか?しか考えていない人が殆どです。

そして、それは当然の事であり
自分は何も間違っていないと思ってします。
正しい事をしているのに
どうしてうまく行かないのか?とさえ思ってしまうわけです。




いっその事、徳を積まない事、感謝できない事
を犯罪としてしまえば、いいのではないだろうか?
と、さえ思ってしまいます。w




昔、金儲け一筋で大金を手にした社長さんが
『金儲けは搾取なんだ!』
って、おっしゃっていました。w
そして、その方は至る所に寄付をしていたので
「そんなお金があるなら仕事をくれ~」と言ったら
『お金での奉仕は、俺の贖罪だ!お前に仕事を与えても贖罪にならん!』
と・・・そんな事を言われのを記憶しています。
『金を手に入れても幸せにはなれんなぁ~』
と、ぼやいていましたよ。

その会社とは、数年の付き合いでしたが
結果、倒産しましたね~
でも、10年くらいは超羽振りが良かったです。






お金儲けのビジネスが続けられないのは
社内の人間関係にも影響するからだと思っています。

社長が金儲けの事だけを考えていると言う事は
自分の快楽を求めて起業している事になり
当然、そこに集まる社員も
自分の快楽を求めてしまうわけです。

別に自分の快楽を求める事は
全く構いませんし
快楽無くしては人は生きて行けないでしょう。
ただ、会社の存在意義をそこに置いてしまうと
継続できなくなるのが大自然の法則なんです。

組織と言っても
それぞれが、自分の快楽を求めていれば
社員一人一人が、それぞれのベクトルで動き出すので
最後は、崩壊するわけです。


ようするに社長は山に上りたいのに
海に行きたい人や、温泉に行きたい人が
集まっていれば、いくら議論した所で
社員の不満は絶え間なく続くと言う事です。




なので、どんな会社も企業理念を掲げるのですが
実際に理念に忠実に経営している会社は少ないですね~
ただただ、利益追求している会社が殆どで
理念はただ掲げているだけ・・

まぁ~食べて行かなければ
会社が存続できないですしね~

皮肉なことに、与えなければ手に入らないのが
自然の法則なので、ただ求めているだけでは
土に帰ってやり直すしかなくなってしまいます。








もう一つ・・
誰か何かの為に本気で尽くそうとすると
経営のアイディアが次々浮かんでくるし
世界がよく見えるようになります。

あと、自分の脳が進化するんです。
今まで自分で気付けなかった才能が芽生えたりします。


逆を言えば、自己の快楽を求める生き方は
とても狭い世界で生きる事になるわけです。
経営のアイディアも浮かばないし
誰かが考えたアイディアを真似をするしかない・・
尚且つ、自分の本来もつ才能も活かせなくなります。

経営が行き詰ると
社員のせいにしたり
取引先のせいにしたり
運が悪かったと思うだけで
至らない自分に全く気づけない社長になり
至らぬ己に気づけないので、挙句の果てに
先祖の因縁のせいにしたり
スピリチュアルな世界に頼ったりするわけです。w

まぁ~狭い世界しか見えていないので
仕方ない事なんですねどね~


仮に、360度の世界にいるとすれば
自己の快楽を求めた生き方は
2~3度の角度でしか見えていないでしょうね。

恐ろしいのは、本人にとっては
それが、全ての世界だと思い込んでしまう所です。

私のように霊感が強いと
目に見えない世界=広い世界と
勘違いしてしまいますし・・w


求める生き方は
『損得勘定』の世界でしか見ようとしないので
狭い世界しか見えないのは、当たり前なんですが
これも、『損して徳を積む』経験がなければ
この世界が広く素晴らしい事に
一生気づけないとも思います。




まぁ~ほかにも
『縁』の法則や
『エネルギーのバランス』の法則
などなど・・
自然の法則は経営に直結しているわけですが
書き出すときりがないので、この辺にしておきます。^^)









最近、労働時間が社会問題になり
報道なんかで、プレミアムフライデーなんかを
取り上げていますが
ゆとり教育が、そのまま
ゆとり経営に移り変わって行くように見えます。w
おそらくゆとり教育と同じ結果が導きだされるでしょうね~


皆さんも経験があると思いますが
自己の成長がなければ、何度も同じ痛みが繰り返されるのが
この世の仕組みなんです。

私個人の見解としては
快楽を幸せと勘違いして、社会が回っている以上
これらの問題は、永遠に解決できないでしょうね~



まぁ~人は、もがき苦しみながら
本当の幸せを手にするので
それはそれで、いいのでしょう~けど・・

いい加減、国をあげて
世界に貢献したいものです・・^^)

そもそも簡単に手に入るモノで自分に価値のあるモノなど存在していないのである。

人の価値観は、その人の経験値で異なるモノなのですが
多くの人が、自分の価値観を他人にもそのまま向けて
良い・悪い、正しい・間違い・・などと争ったりするものです。

その争いの中で多くを学ぶのも自然の法則なんでしょうね。



私は、長年相談ボランティアをしているのですが
心が病んできいる人の多くは
欲しいモノが手に入らなくて苦しんでいます。

人それぞれ手に入れたいものが違うわけですが
往々にして心を壊す原因は、他人に求めて手に入らないケースが多いです。

他人から否定されたり、拒否されたりする事で
心に傷を負ってしまうのですが
すなわち『認められたい』『優しくされたい』という事を求めています。

他人から認められたいのであれば
多くの人を認めればいいわけで
他人から優しくされたいのであれば
多くの人に優しくすればいいだけなのですが
善悪の判断に囚われてしまうと
他人を認め優しくする事より
正しくある事を優先してしまい
こんな簡単な事に気づけないものです。

そもそも、その正しさでさえ自分自身の価値観であり
一方通行なモノなんですけどね~


人の煩悩とは、この素晴らしい世界では
必要不可欠なものなんですが
どんな人も、この煩悩によって、もがき苦しむように創られています。


誰しも苦労などしたくないものですし
楽をして、お金が欲しいし
いい家に住みたい・・
美味しいモノを食べたい・・
いい服を着たい・・
いい車に乗りたい・・
贅沢をいたい・・
周りに認められたいし
優しくされたいと願い
それを手にする事が幸せであり
無意識にそこに向かって生きてしまうわけです。


しかしながら
楽をして手に入れたものほど
自分に価値がないのです。

パチンコや競馬で儲けたお金が
湯水のごとく消えて行くのは、自分に価値がないお金だからだと
そう思うわけです。

一日、楽しみながら稼いだ10万円と
日当1万円の土木作業で稼いだ10万円では
自分にとっての価値は全く違うでしょう。

同じ10万円なのに、自分にとっての価値が違うのは
簡単に手に入ったか?苦労して手に入れたか?の違いのはずです。


ようするに、自分自身に価値のあるモノは
最初から簡単には手に入らないのですが
面白い事に、人は楽をしたがるわけです。

苦労せず、何でも手に入るようになった
今の日本社会では、自分に価値のあるモノを
手に入れる事が難しくなっているのかも?しれません。


便利になり、苦労しなくても生きて行ける環境があるので
更なる『楽』を求めてしまう人が増え続け
自分に価値のあるモノどころか
自分自身さえも見失ってしまうわけです。


自分に価値のあるモノがなくなってしまえば
生きる意味さえ、解らなくなるはずです。



精神が病んでいる人の多くは
自分が生きる意味を見失っているのですが
残念ながら『楽をする』という呪縛から逃れられないでいます。

楽をしている以上、自分に価値のあるモノなど
見つかる訳もないのですが、どうしても苦労するのは嫌なようです。w


逆を言えば、『楽をする』事を選択しているので
精神が病んでしまうのかも?しれません。

自分に価値のあるモノを見つけるだけで
人は幸せになれるので苦労すればいいんです。

苦労が嫌だと、無意意識に煩悩が反応しますが
苦労こそが幸せなのが、この世の仕組みののようです。w






農家の方々からすれば
農作物はとても価値のあるモノでしょう。
しかし、スーパーで野菜を購入する方々にとっては
そこまでの思い入れはないわけです。
農作業に関わった事がなければ当然ですよね~


スーパーで並ぶ野菜に自分自身の価値を吹き込む為には
自分で野菜を作ってみれば言いわけです!^^)

私自身、畑を始めた事でスーパーに並ぶ野菜たちが
かわいく見えるようになりました!(←マジです!)
野菜を育てる苦労を体験させて頂いたので
私の中での野菜に対する価値観がアップしたわけです。

たったこれだけの事で、幸せな気持ちになるんですよね~
私の場合、農家の方々の苦労がそれなりに解るようになったので
形のイイ綺麗な野菜がたくさん並んでいるのを見ているだけで
『苦労して作ったんだろうな~ありがたいなぁ~』
なんて思えるようになったわけです。

感謝できるだけで誰でも幸せになれるのですが
『楽をする』生き方を選択している以上
どんどん幸せは、遠くなっていくんでしょう~ね~・・・


ようするに『幸せ』と『苦労』は同義語なんでしょう~(^^)