修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

幸せな人と、不幸な人は考え方が違うだけのような気がする・・

長年、相談ボランティアをしていると
自分が不幸だと思っている人と
幸せだと思っている人は
出来事に対しての考え方が全く違う・・
そう感じています。

ひょっとしたら
その考え方を改善すれば
どんな人も幸せになれるのでは?
なんて思ったりもしています。


実際、相談者に
考え方を変えてみる事をおすすめすると
ちょっとした思考の改善で
目前の現実が大きく変わるケースが
ちょくちょくあるのです。


自分の感情を制御するのはなかなか大変ですが
考え方を変えるのはそんなに難しくないんですよね~

ちょっとした事で
幸せに近づけるのなら
試してみるのもアリかも?しれません。










自分が不幸だと思っている人は
特に嫌な出来事に対しての考え方が
幸せな人と正反対だったりします。


不幸な人は、利己的な言動が多く
幸せな人は、利他的な言動が多い

不幸な人は、否定批判が多く
幸せな人は、肯定が多い

不幸な人は、自分以外を変えようとし
幸せな人は、まず自分が変わろうとする


幸せな人は、善意が多く、常に謙虚で
努力を惜しまず、多くに尽くす為に過ごしている。

常々感謝し、その感謝に報いるために日々を過ごしているわけです。




私自身、過去を振り返ると
常に自分以外を変えようとしていましたね~
自分以外を変える事ばかり考えていました。

自らが変わろうとしないので
当然、否定批判や不平不満が絶えませんでしたね~w

そして、全く感謝できませんでした。
本来、感謝しないといけない出来事が
自分の中では当たり前の事なので
人や社会に報いたいなどと思う事が全くできないのです。
社会に報いるどころかどうして自分は報われないんだろ?
くらいに思ってました。w

毎日がしんどいので
もっと楽をしたいと常にそう思っていました。
何かに向かって努力するわけでもなく
ただただ、惰性で日々を生きていました。


周りに対して、善意を向けるより
悪意を向ける方が多かったです。
常に求めているので
自分の思い通りにならない物事に対して
誰か何か自分自身を責め続けていましたね~
自分が常に『悪』を生み出していたのですが
全くその自覚はありませんでしたけどね。w

10人10色人それぞれ考え方が違うのを知っているのに
自分と価値観の違う相手にイラつき
ただの違いなのに
批判されたと勘違いして攻撃したり・・w
ゆるす心が、欠如していました。

ゆるせない事が多かったので
理不尽なゆるせない出来事ばかりを突きつけられました。
まぁ~慈愛の精神に反した行為なので
そうなるのは、必然なんですけど・・w



やっぱ一番の原因は感謝できないから?かな?
誰しも自分に色々尽くしてくれた人には
そのお礼をして報いたいと思うものですよね。
それは、その人に感謝しているから
そう思えるわけです。

なので世の中に対して感謝していれば
誰だって社会に貢献したい!と思えるわけです。
両親や身内、知人や友人に対してもそうですし
そもそも、感謝していないから
利己的な考え方に終始してしまう・・


自分は不幸だと思う人の殆どが・・
(いや?100%かな?)
利己的な物事の考え方をしているので
幸せを掴む為には、どうしても利他的な想いが必要になる。

とは言え、そう思えない以上、言動が伴うわけもなく
思えないまま、利他的な言動を繰り返せば
とってもストレスになるわけです。w

利他的な想いは、感謝できないと
生まれないような気がするので
はやり、感謝する事から始めた方がいいのかも?しれません。


私自身も感謝するようになってから
社会に貢献しないといけない!と焦るようになり^^;)
そんな事ばかりを考えるようになりました。

また、『与えたい!』と思うようになると
我欲を求める事が減ってくるので
自然に不平不満や否定批判もなくなってくる。
イラつく事やムカつく事もなくなってきます。
悪意を生み出さなくなるわけです。
悪意を生み出さないので悪意を向けられる事もなくなり
穏やかな日々が増え始める・・

否定批判や不平不満が多いと
嫌だ出来事ばかり続くようになるのですが
色々と奉仕活動を続けていると
色々な人から尽くされるようになります。
感謝すればするほど、感謝する出来事が増えるわけです。


私が体験した理不尽な辛く苦しい出来事も
今思えば、その体験があったからこそ今の自分が在るとそう思うわけです。
辛く苦しい現実も、考え方次第で感謝できる。
松下幸之助さんが、貧乏だったから、ありとらやゆる仕事に感謝できた!と
おっしゃったように、辛く苦しい現実ほどありがたい事だと思えるようになるのです。


なんだかんだと、考え方ひとつで
どんな人も幸せになれるのかも?しれません
結局は己を見つめ、自分の中にある幸せに気づくか?否か?なんでしょうね。

『バカと言う人の方がバカ』の意味を知る

子供の頃
『バカと言う人の方がバカ』と教えられ
自分をバカにする相手に向かって
『バカという方がバカなんだよ!や~い!や~い!』
なんて言っている姿をよく目にしたものです。

当時は『なぜ?そうなるんだ?』と
良く思ったものです。w






粛々と修行を重ね、いいおっさんになると
その意味がとてもよく解るようになりました。
今更?と思うかもしれませんがw
私なりの解釈を記してみます。











ここ最近、見栄により
自身の人生を壊し続けている人の相談を
続けて受けました。

他人から認められたい!という欲望が
ついついイイカッコをし過ぎて
後の祭り・・となるわけです。

度が過ぎると、周りを巻き込んで
絶望の淵に落ちてしまう事もあるでしょう。


私自身も驕りや慢心、見栄などで
痛い思いをした経験があるので
そんな煩悩が自分自身を見えなくする事を
良く理解しています。

なんだかんだと周りを見下し
優越感に浸ってしまうわけです。
自分の下を見続けて、安心したい自分に
全く気づけないわけです。w
優越感に浸りたい、尊敬されたいとう願望・・
恐るべし!ですね。w


そして自信と驕りを履き違えて
何でも自分都合で解釈する。w

全く馬鹿馬鹿しい行為なのですが
その事に気づけないので
痛い思いという現実を
大自然が突きつけ気付かせてくれるわけです。


流されて生きると
痛い思いをしなければ気づけない・・
全く愚かな事です。




とは言え、自分で自分を知る事は
なかなか出来ないものです。

私の場合、周りを理解しようと努力する事で
ダメダメな自分を知る事が出来ました。


きっかけは、私の敏感な体質です。

恐らく、私は周りの人が観ている世界とは
全く違う世界を見ているのだろう~
と、仮定して、この感覚がない人は
何をどう感じて物事をどう判断しているのだろうか?と
考えるようにしてみたのです。

すると、私の意見と食い違う事が多いのは
当然だ!と、知る事ができました。
見えているモノ、感じているモノが
全く違うわけですからね~

なんだか心が軽くなった経験をしました。

自分を理解してもらうより
相手を理解した方が、毎日が過ごし易くなる事を知ったのです。

そんな経験をしたので
もっともっと色んな人を深く理解しようと思いました。

人それぞれ経験値が違う為
同じ出来事でも感じ方捉え方が違う事にも気づけました。

自分を理解して貰おうなどと
いくら思った所で、経験値が違えば無理なわけです。


こんな事を繰り返していると
ムカつく相手の発言は
必ず、自己改善する為の強いメッセージだと
言う仕組みが存在していると思うようになったのです。


私の場合、否定批判、不定不満だらけだったのでw
自分がダメダメだと気づく事ができましたね~


自分を知れば知るほど
ダメな自分に気づけるんだな~
なんて、思うようになったわけです。


当然、ダメな自分をたくさん知るので
謙虚になってきます。

私の場合、若干の謙虚ですがw










私は会社を経営しているのですが
何か特別な才能があるわけではない事も知りました。

よくよく自分を振り返ると大企業に勤めるだけの
才能がないので、会社を経営しているわけです。

誰でも知っているような上場企業での
打ち合わせなんかに行くと
私なんかより頭脳明晰な方々がたくさんいます。

サラリーマンより自由になるお金があっても
借金があるので、収支計算すればマイナスです。
決算書が黒字でも、借金があれば
サラリーマンの方々より、お金がないのが真実です。

銀行から借りたお金で会社を経営し
お金があると勘違いしたまま
『社長!』なんて呼ばれて
調子こいているわけです。w


冷静に考えると
一般サラリーマン以下の存在なんですよね~w



学生時代の成績を振り返っても
平均的な所だったし
何か特別長けたものがあるわけではない・・

異質な感覚のせいで、社会的不適合者ですし・・^^;)



そうやって、自分より上を見るようにしながら
自分を振り返ると
もっと努力せにゃあかん!!と言う事がわかるわけです。w


はぁ~(〃´o`)=3
と、ため息もでるわけですw




ですが、そんな気持ちのまま居られるわけもなく
プラス思考に変換し
ダメな自分に気づけて良かった!
まだまだ、たくさんの可能性がある!

と、努力するようになるったのです。
色々と、努力してみると
毎日毎日、流されて生きてきた自分に気づけましたね~


ダメな自分に気づけて、本当に良かったです。
いや~本当に、驕りや慢心は自分をダメにしますね!





これらが、周りを見下しバカにすると言う事は
全く自分が見えていない証だ!と知った経験です。


ようするに常に己を見つめて努力している人は
自分自身の愚かさを知っているわけで
誰かをバカにする事なんて出来ないわけです。


人をバカにして得られるものは
優越感なわけですから
そんな感情に浸りたい自分を知る事ができない状態です。

それを知っている人は、人をバカにする事はしない。
というか、出来ないですね~

即ち、『バカと言う人の方がバカ』なわけです。w


まぁ~人をバカにする動機を
しっかり見れば解る事なんですけどね・・



とは言え、昔の人たちは、しっかりと
自分を見つめる事ができていたんでしょう。

いくら頭で理解していても、血肉に刻まれた経験値には逆らえない

至らない自分を見つけて改善する事を続けると
どんどんと成長している自分がよくわかります。

しかし、頭で理解していても
なかなか言動を変えられないのも人の性でしょう。


常に温和でいなければならない・・と
いくらそう思っていても
他人から嫌な言葉を向けられて
ムカっとしたり、イラっとしたり
してしまうものです。


どんな人も血の仕組みのは逆らえないんでしょうね。




過去私は、色々なカウンセリングを受けた事があります。

自分の状態を知り改善する事が目的だったのですが
解っていても出来ないものは出来ないわけです。w

ダメな自分、ダメな相手・・諸々を
全てゆるしましょう~!
などといくら言われても

そもそも世の中自体を憎んでいた私が
簡単にゆるせるわけはないのです。w

また、どんな状態が『ゆるす』事なのか?を
理解していないので、上辺だけゆるした気持ちになってしまう・・

自分は全てをゆるしているはずなのに
他人から嫌な言葉を向けられるとムカついてしまう。
そして、その度にゆるせていない自分に気づくので
自分の感情を押し殺すようになる・・



何度も繰り返し自分の本心を押し殺し
気付けば、自分の意識の中で
しっかり出来ている自分を作り上げ
何も問題はないと思い込んでしまうわけです。w

単に自分の感情を押し殺しているだけなので
何一つゆるせていないのに
感情を押し殺す=ゆるしている、と
勘違いしているわけです。

この思い込みは、自分を強烈に壊して行きましたね~w
地に足がついていない状態なんですが
どんどんフワフワと浮いていくんです。

周りの人から見て、一人だけ浮いている感じ?
他人とコミュニケーションが取れなくなっているのに
その事すらも気づけなくなるわけです。

それもそのはず・・
すでに私と言う自分が消滅しているんです。w


本心を押し殺す事により
偽装された幸せを創り出し
自分は大丈夫だと思い込むわけです。

辛く苦しい現実から目を反らす事ができれば
一時的に幸せを感じる事ができるのですが
本来の自分という存在にも蓋をしてしまうわけです。

そんな人がまともに他人とコミュニケーションが
とれるわけもないんですよね~


これは、私に限らず
スピ系の事柄にハマっている人に多いですね~








なんでこんな事になるか?と申しますと
思考でいくら意識したところで・・
頭でいくら考えた所で・・
意識のみで・・・
肉体は制御できないのだと私はそう思っています。


どんな人も脳から受ける信号で肉体は制御されていますが
脳自体も肉体から経験値の信号を受けているんです。

誰でも意識とは別に肉体が記憶している諸々を
体験した事があると思います。

朝起きて、目が覚めていないまま
トイレに行って、歯を磨き
顔を洗って初めて、思考が動き出す・・
反復された動作は、血肉に刻まれており
思考が正常に作動していなくても
肉体の記憶が、ちゃんと身体を動かしてくれるわけです。

ひどい火傷をした経験があれば
炎を見るだけで頭で考える前に拒絶してしまう。


無意識に人を傷つける言動をし続けた人は
いくら言葉や行動に気を付けていても
同じ事を繰り返してしまうわけです。


何度言っても解ってくれない!
と、いくら相手を責めた所で
言葉のみで理解できる事など限られているわけです。
肉体が言語を理解してくれませんからね~



ようするに、いくら自分を知り自己改善しようとしても
実際の言動が伴わなければ自分の全てを改善する事は不可能なんです。


いくら至らない自分に気づいた所で何も行動していなければ
時間と共に、血肉の経験値に支配されたまま
何も変わらない・・
そのうち、その気付きさえ忘れてしまうでしょう。



肉体の経験値は血により子々孫々と受け継がれてゆきます。
両親や両親の先祖から受け継がれた経験値も含まれるので
自己改善は、ちょっとした気づきだけで
簡単にできるモノではありません。





ならば、どうしたら良いのか?
と言う事になりますが
新たなる言動により経験値を上書きすれば良いわけです。

自己を苦しめる血肉の記憶は
必ず慈愛の精神に反した動機での言動の記憶です。

従って、慈愛の精神に基づいた言動を繰り返し
その経験値を血肉に刻み続ければいいわけです。

これが、『徳を積む』という事になります。


今、目前の現実が辛く苦しいものであるなら
それは、慈愛の精神に反した言動を繰り返した結果なので
その経験値は、すでに自らの血肉に刻まれているでしょう。
改善するには、なかなか大変な事だと思います。








私自身も、どうしても心から感謝できない自分に
うんざりした事があります。
感謝できないので、常に不平不満を口にして
自分の思うようにならない現実を否定批判していました。

事業に成功している人や
毎日豊かに過ごしている人を見ると
100%多くに感謝しながら過ごしているので
自分も感謝できるようになりたい!
と、常々そう思っていました。

当たり前の事なのですが
心から多くに感謝している人は不平不満がないのです。
常々自分を省みる事を繰り返し
変えるべきは自分自身と言う事を良く理解しているわけです。


しかし、私の場合
言葉や態度で感謝を示す事はいくらでも出来るのですが
心深く感謝しているか?と問えば・・
100%感謝していないと言い切れるわけです。

なぜならば、ちょっと気に入らない事があれば
ムカついていたからです。w

頭では感謝できても言動が伴わないのです。
私の感謝は、全て上辺だけのものだったのです。


感謝できるようになりたい!という思いから
疑似感謝を繰り返すようにしました。w

まずは、当たり前に感謝する事から始めたのです。

蛇口をひねれば、水が出る・・
水道工事に関わる方々へ感謝

夜、部屋の電気をつけると明るくなる・・
電気工事に関わる方々へ感謝

日本神道は感謝に始まると言ってもいいくらいなので
この辺は非常に助かりました。
日本と言う国が発展し続けたのは
皆が皆、常に感謝してきたからなのだと
私はそう思っています。

毎日唱える祝詞は、感謝を捧げるものばかりですしね~

毎日、神棚に向かい
不自由なく生活できる事に感謝を捧げる・・

食前、食後の感謝・・

『食前感謝』
たなつもの 百(もも)の木草(きぐさ)も 天照(あまてら)す 日の大神の めぐみえてこそ
『食後感謝』
朝よひに 物くふごとに 豊受の 神のめぐみを 思へ世の人

こんな歌まであります。^^)


私の場合、感謝できていない自分を良く知っていたので
毎日毎日、結構しんどかったですね~
感謝しているふりをするわけですから・・w



ただ、この疑似感謝を毎日毎日何年も続ける事で
少しずつ感謝できるようになってきたのです。
どうしても出来なかった事が、出来るようになってきたわけです。

感謝しようと努力する経験値が
血肉に刻まれ続けたのだと、私はそう思っています。



まだまだ、全然足りていないとは思うものの
昔に比べれば、雲泥の差の感謝を捧げる事が出来るようになりました。


心から感謝できるだけで、どんな人も幸せになれると
今では、そう思うようになりましたしね。








どんな現実が目の前にあろうが
今幸せだと思う事が出来れば幸せなのですが
なかなかそうは思えないのが人なんでしょう。


辛く苦しいと思う感情は
多くの快楽を求めているから生まれるもので
それを止めれば、どんな苦悩からも解放される。


苦悩をなくしたいのであれば感謝すればいい~


今目の前にある出来事ひとつ一つに
深く感謝できれば、快楽を求める思い以上に
多くに貢献したいと思えるようになる。
気付けば快楽を求める事を止めてしまい
目の前にあった苦悩さえも同時になくなっているでしょう。





この感覚を手に入れる為には
煩悩に逆らった経験を繰り返すしかないので
なかなか、大変な事なんですが
どの道、快楽を求めて生きて行っても
同じようにしんどい思いをするんですよね~w


そう考えると、どう生きても
人生はしんどいわけなんです。w

どうせ生きるなら、楽しく苦しんだ方がいいですよね?w



という訳で
私は、日々『我に戒めを!』と
祈願するようになってしまったわけです。w