修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

今、求めているモノを変えてみるだけで、幸せになれるかも?しれない。

『どうしたら私は幸せになれるのでしょうか?』
と先日、そんな相談をいただいたのですが
幸せとは、自分が何をもって自分が幸せだ!とするか?
にもよるので、今現在を幸せだと思えるようになれれば
その瞬間、幸せになれる。と、そう伝えたら
『???』って感じでした。w

本人にとっての幸せは
苦悩のない人生と言う事らしいのですが
そんな人生を送る人など
世界中探してもいるはずはないので
初めから、手に入れる事ができないモノを
求めて生きている事になります。


手に入らないモノを望んで人生を過ごせば
幸せを掴めないのは
至極当然の事なのですがなかなかどおして
人の性がそうさせてくれないわけです。

不幸とは100%
自分自身で不幸になる道を選択しているのですが
なかなかそれに気づく事など出来ないものなんでしょう。

要するに快楽のみを追い求めれば
誰しも不幸になるのですが
快楽以外を強く求めた経験がないので
自分の世界の中だけで過ごしてしまうわけです。w

快楽以外を求めて行動する経験を積めばいいだけなのですが
誰しも快楽で満たされたいので、そんな行動をしない・・・
経験がないので、苦悩の道を選択をし続けてしまう。

ん~人生とは難解ですね~





この世界では自分の心が生み出したエネルギーが
自分の目の前にある現実を創っているので
私は、精神論はとても大切だとは思っています。
ですが、自分の積み重ねた経験や
先祖から受け継いだ経験値が生み出し続けた
エネルギーの蓄積は、そう簡単には
変わるものではないと思ってもいます。

背の低い人が精神論で
背が伸びるわけがないですからね~

欲深く生き続けたなら
多くを失うのは必然であり
他人を傷つけてしまったのなら
自分が傷つくのは必然である。
精神論で、『失わないようにする事』
『傷つかないようにする事』など、できないわけです。


とは言え、精神を鍛えなければ
幸せを掴む事ができないのが、この世の仕組みであり
また、心を鍛える事が人生そのものなのだとそう思うわけですが
心を鍛える為には、それなりの苦悩を
経験体験する事が必要が不可欠だとも思うのです。

ようするに
他人を傷つける事、自分が傷つく事を【悪】とし
排除している以上、とても苦しい人生となるのは
当り前の世界で我々は過ごしているんでしょう。

苦悩がなければ心が成長できないので
多くを恐れるようになり
何も成し遂げられず、ただ不平不満を
言い続ける人生となるでしょう。

まぁ~今の社会
そんな兆候が見え始めていますけど・・^^;)


他人に親切にしなさい・・
と、いくらそんなルールを作ろうが
自分勝手な人は、いなくなる事などなく
他人を迫害する人は、必ず存在する。
過去の歴史を振り返っても必ず存在しているのは
この世界に必要不可欠な事なんでしょう。

恐らく、自然界にとって
他人に親切にする事より
他人をゆるす事の方が重要なんでしょうね。
なので、ゆるせない出来事はなくならない・・

私は、他人に親切にする事より
ゆるす心を学んだ方が世の中は過ごしやすくなると
そう思っています。

だって、人の心は傷ついて強くなりますからね~
傷つく事を避ければ避けるほど人の心は弱くなるでしょうし
弱くなった心は、自分自身の進化成長を止めてしまう。

なので、愛を持って、不親切になり
愛を持って人を傷つけ
愛を持って人を攻撃し
愛を持って人を突き落とす
そんな事が
今の時代、必要不可欠なんだとそう思ったりもします。w
怒ると叱るの違いとでも言えば良いでしょうか?

叱る事もゆるされない今の社会は
大自然にとっては、NGなので
私たちの社会に大きく干渉してくるのも
い方のない事でしょう。

大自然は、人の心を鍛えようと仕向けてくるので
この先の未来は、人の心が傷つくような出来事が
どんどん増えてくる・・・
大自然は、愛をもって人を苦悩に陥れ
愛をもって、天災を引き起こしてくるわけです。

その愛に気づけなければ絶望するし
気付く事ができれば、感謝する。

まぁ~結局は
自分が何を求めるか?次第というわけです。






よく失敗を恐れて何もしない人や
自己の過ちに気づき、絶望を感じたりする人がいますが
私に言わせれば、どんな人も失敗を繰り返すように
創られた状態で生まれてきているので
何でも初めからうまく行く事などありえないと思うわけです。

ありえない事をいくら追い求めても
辛く苦しい人生が待ち受けているのは当然です。
初めから辛く苦しい人生しかない事を知り
いかにそれを乗り越えるか?を考えながら
行動に移して過ごす方が楽しい人生となるわけです。


往々にして、自分が不幸だと思っている人は
辛く苦しい現実を乗り越える努力をせず拒絶し
幸せだと思っている人は
辛く苦しい現実を乗り越え、その苦悩に感謝している。

同じ出来事なので
否定する人と感謝する人では
その未来は大きく違ってきますよね~

なので、人生において
何を求めるか?によって
幸、不幸が左右されるのだと私はそう思っています。

何度もこのブログに記して来ましたが
いくら快楽を求めても幸せになれない世界の中で
私たちは過ごしていると言う事です。


ネットにスティーブン・ジョブズの最後の言葉が
拡散されていますが、真偽は別として
富や名誉をいくら手に入れても
幸せにはなれないというような
内容が記されていました。


まぁ~この世の仕組みがそうなっているので
その世界で過ごしている以上、当り前の事なのですが
欲深く生きる性を背負っている私たちは
なかなかその事に気づけないわけです。



誰しも多くを求めて生きて行くものですが
私の場合は、その求めるもモノを変える事で
多くを学び、幸せに過ごす事が
出来るようになったような気がします。

昔の私は、霊的苦悩からの解放を
強く求めてきたのですが
それを求めれば求めるほど
どんどん苦しくなっていました。w

当然、苦悩と人生はセットのようなものなので
かなり不毛な事を繰り返してきたわけです。w
もちろん、その苦悩と向き合ってきましたし
霊的な事を学ばなければ、そこから解放されないと
そう思っていました。

まぁ~解放されなくても
幸せになる事は出来たのですが
苦悩は排除すべきという固定観念
歪んだ方向に人生を進めてしまったわけです。
当時の私は、苦悩からの解放=幸せ
だと思い込んでいましたしね~w

今だに私は社会的不適合者ですが
その事実を拒絶する事を止めたので
なかなか楽しい毎日を過しています。^^)



自分自身が今何を求めて日々を過ごしているのか?を
自分自身で知り得る事が、幸せを掴む近道なのかも?しれません。
その求めているモノが快楽であれば
どんな人も、辛く苦しい現実が待ち受けていると思った方が良いでしょう。

美味しいモノが食べたい!
もっとたくさんお金が欲しい!
高級車に乗りたい!
立派な家が欲しい!
沢山の人に認められたい!
誰しもそんな欲望はあるものです。
人であれば当たり前の欲望ですよね。

ただ、それのみを追い求めている以上
不幸になるのが、自然の法則と言う事なんです。

とは言え、これらの欲求を放棄する事など
なかなかできないのも人と言う生き物なので
これら以外の欲求を強く抱く事で
少しずつ人生が移り変わって行くと思います。


私たちは、そんな世界で過ごしているのではないでしょうか?
あくまでも、私自身の体験での話ですけどね~



今一度、自分が何を求めて過ごしているのか?を
振り返ってみるのもいいかもしれません。

『私は何も求めてはいない。
ただ普通に暮らしてゆきたいだけなんです。』

なんて言う人もいますが
自分にとっての普通とはなんでしょう?
周りの人たちと大差なく何不自由なく暮らす事?

何不自由なく暮らす事を求めているのであれば
その為に、自分は何か行動をしているのでしょうか?



何不自由なく暮らす為には
そんな社会を創る必要があり
その為に行動する必要があるわけです。

何も行動しない人に限って
思い通りにならない事に不平不満の感情を抱き
負のエネルギーを蓄積続けてしまう・・
その結果、蓄積された負のエネルギーが
自分自身を蝕んで行く・・・
ただ、求めているだけなので
感謝される事もなく、感謝する事もできない。

ちゃんと行動をしている人は、どうすれば良いのか?
自分に何ができるのか?と常々考えているので
不平不満を抱く事が少ないのです。
常に社会に尽力しているので
感謝される事も多く、感謝される事に感謝しますしね。


何一つ行動を起こしていない人が求めているものは
『社会の為に何もしないで、何不自由なく暮らして行きたい!』
と、そんな超~贅沢を求めているわけです。w
これを快楽と言わずになんと言うのでしょう?

そんな生き方をしていると
様々な苦悩と向き合う事になるのは当然であり
自分自身で、その道を選択している事になります。



まぁ~私の持論ですが・・・

社会の常識は、自然界にとっては非常識だったりする。

この社会は、間違っている!
この社会は、断じておかしい!
なんだ!この世界は!?
どうして、こんな社会なんだ!
・・・
・・
などなど、そんな事を感じてしまう人も
結構いるんじゃないでしょうか?
私もそんな一人でした。w

この豊かな社会で普通に生きていれば
だれでも一度はそう思う事もあるはずであり
そして、それは人として正常な思考だと
私は、そう思っています。



なぜならば、人間社会のルールを
いくら正しく守った所で幸せになれる事などないからです。


自然界のルールは、人間社会のルールとは全く別モノです。
人間社会の常識は、自然界にとっては非常識だと言う事を
私たちは知るべきなのかも?しれない・・

要するに、人間社会は、人間に都合よくつくられている為
自然界は、そんなもの完全に無視して
私たちに働きかけていると言う事です。



例えば・・・

                                                                                                            • -

【人間社会】
苦悩のない社会が良い社会。
辛く苦しい出来事などない方が良いので
それを無くす事が、良い事としています。

【自然界】
苦悩から多くを学ぶ事が良い事であり
苦悩の意味を知り、そこから学ぶ事が出来るまで
何度も、繰り返し同じような苦悩を与えられる。

                                                                                                            • -

【人間社会】
幸せとは自らの欲望を満たす事。

【自然界】
幸せとは、人生の中で学ぶべき課題である。
欲望を満たす事は、快楽を得るだけの行為となり
快楽を求め続ければ、誰しも苦悩に直面する。

                                                                                                            • -

【人間社会】
自分のモノ、他人のモノ、自国のモノ、他国のモノと
区別するルールがあり、他のモノを奪う行為は、罪とする。

【自然界】
そもそも、全ての存在は、自然界のモノであり
人類のモノなど何処にも存在しない。
全ては、大自然より与えられたものに過ぎない。
自分のモノなどあるわけもなく、
全ては平等でなくてはならず、貧富の差などありえない。
従って富を得た者は、周りに施さなければ
辛く苦しい人生となる。

                                                                                                            • -

【人間社会】
人は、社会のルールを守りながら
努力次第で正しく得る事ができる。

【自然界】
いくら社会のルールを守った所で、与え尽くす事をしなければ
手に入れたモノは搾取に過ぎず、いずれ失う事になる。

                                                                                                            • -

【人間社会】
自分を傷つける人は悪であり、排除しなければならない。

【自然界】
どんな人も、常に多くの命を搾取しなければ、生きて行けない為
無意識に多くを傷つけている。その為、
周りに、尽くし、施しを与える事でバランスを保つ事ができる。
その行為が足らなければ
自分が傷つけた分、必ず自分以外から傷つけられる。

                                                                                                            • -

【人間社会】
病は、治療しなくす事が良い事。

【自然界】
病から多くを学ぶ事が良い事。
病は、人の感情が生み出した穢れが原因で生み出される為
いくら物理的な治療をした所で
自分が生み出した穢れを無くさなければ新な病に蝕まれる。

                                                                                                            • -

【人間社会】
悪とは、排除すべき対象である。

【自然界】
悪とは、ゆるすべき対象であり
ゆるす心を育む為に必要不可欠なものである。
悪とは、ゆるす事を学ぶまで
目前に現れ続けるモノである。
悪とは、自分自身が生み出す物であり
生み出し続ければ、自滅する。

                                                                                                            • -

【人間社会】
優れた技術を身に付ける事が良い事。

【自然界】
どれだけ優れた技術を身に付けたとしても
人として心の成長が伴わなければ
その技術は、使い物にならない。

                                                                                                            • -

【人間社会】
嘆き、苦しみ、悲しむ事を、少しでもなくす事が良い事。

【自然界】
嘆き、苦しみ、悲しむ事を無くす行為は
人として生きる事を止めたと同義である。

                                                                                                            • -

【人間社会】
生きる上で、理不尽な出来事は起きるものである。

【自然界】
この世界に理不尽な出来事など存在しておらず
自分を知る事ができないから理不尽だと感じてしまう。

                                                                                                            • -

【人間社会】
嫌な事をする相手を変えなければならない。

【自然界】
嫌な事をする相手は、自己への学びであり
自分が変わらなければ、その相手は変わらない。

                                                                                                            • -

ん~・・・
まだだま、沢山あるのですが
とりあえず、この辺にしておきます。

そのうちまとめてHPにでもUPします。




時に、常識=非常識という視点で
物事を考えてみるのもいいんじゃないでしょうか?ね?^^)

怒りや憎しみの感情を無くしてゆく方法

負の感情は、どうしても自分自身を蝕んで行きます。

どれだけ自分が正しくても
怒りや憎しみ、不平不満、否定批判の感情は
自分自身の未来を重く苦しいものにしてしまいます。

なぜならば、正しさとは自分に
都合の良いものに過ぎず
大自然は我々に、自分以外の視点で
物事を考えさせようとしているからです。

例え自分の肉親を殺した相手でも
恨みや憎しみを向け続ければ
自らの人生は、辛く苦しいものになる・・・



残念ながら、我々の社会のルールとは
全く関係のない所に自然界のルールが存在している為
この仕組みはなんともならないものだと思っています。


このブログには、何度も記して来ましたが
人の負の感情が生み出すエネルギーが
自らのみならず、自分の周りをも蝕んで行くわけです。

とは言え、人は誰でも怒るし、不平不満を抱くでしょう。
これは、仕方のない事だとも思います。


従って、負の感情が生み出すエネルギーを
相殺する、感謝の思いや、尽くす心、ゆるす心が必要になるわけです。

少女殺害事件に続き新幹線殺傷事件と
とんでもない時代になってしまった!なんてよく耳にしますが
負の感情が生み出すエネルギーが増え続ければ
今以上に恐ろしい時代になってゆくでしょうね~

森友問題、加計問題にしても『悪』を生み出しているだけで
なぜ?こんな問題が起きたのか?
どうしたらこう言った問題はなくなるのか?
という、話題あまりクローズアップされない・・
維新の会が提唱しているように
政治献金を禁止してしまえばとも思いますが
煩悩がそうさせないのも人の性なんでしょうね。w


世の中、負の感情の連鎖が始ってるような気もします。
要するに、徳を積もうとする人がなくなったわけです。


車のクラクションをビービー鳴らされると
自分が無関係でも不快に感じるように
負の感情のエネルギーは
まわりに悪影響を与えてしまいます。

私の所に相談にくる方々も
自分の周りに『悪』がないといられなくなっている方が増えてきました。
自身では、全く気づいていないようなので、深刻な問題かもしれません。

要するに、自分の思い通りにならない出来事が増え続け
そのストレスの捌け口を常に探している状態です。
『悪』の対象を見つけて、否定批判する事で
溜め込んだ負のエネルギーを吐き出し
自分自身を保っているわけです。

自らが生み出して溜め込んだ
負のエネルギーは、溜め続けると自分が壊れてしまう為
どこかに吐き出さなくては、ならないのです。
従って、無意識に負の感情を向ける対象を探し続けているわけです。



ニュースや雑誌などで
〇〇は、こんなに悪いやつだ!という報道に
感化されやすい人は要注意ですね。w

そんな人は、ただ単に自分に徳がないだけだと
自分を戒めるといいでしょう~w




そうは言っても、自分の感情など
簡単にコントロールできるモノではありません。

頭で理解していても、怒りの感情はフツフツと湧き上がってきます。
新幹線殺傷事件の犯人も、恐らくこんな事をしたらダメだと
頭では理解していたと思うのです。

ただ、日々の生活の中で負のエネルギーを生み出す事が止められず
自分自身で溜めに溜めた負のエネルギーにより
世の中自体を『悪』としてしまったのでしょう。

そう考えると、負の感情を抱かないようにする
訓練が必要な時代なのかも?しれません。

で、タイトルにある
『怒りや憎しみの感情を無くしてゆく方法』ですが
その感情をただ抑え込んでいるだけでは
自分を蝕む結果は変わらないので無くしてゆく方法としました。


誰しも、苦悩から解放されたいと思うはずで
苦悩に直面すると自らを振り返るものです。
自らを省みる事を怠り
『悪』を生み出し、その相手を責め続けると
どんどん辛く苦しい人生になるのは
自らを省みるべし!と、大自然が教えてくれているからでしょう。

従って、負の感情は人にとって必要不可欠なものであり
その感情があるおかげで、私たちは成長する事が出来る。

短気な人、怒りっぽい人は、成長が止まっている状態で
精神年齢といいますか、魂の年齢とでもいいますか
要するに、心の成長が足らず、心が幼いと言う事になります。



私自身も心が幼過ぎて
霊的苦痛に苦しんできたわけですが
負の感情の存在する意味を紐解いて行く事で
なんだかんだとありがたい体験をさせてもらったと
そう思うようになりました。

ここに記す内容は、あくまでも私の体験談ですが
何かのお役に立てれば幸いに思います。

(前置き長すぎましたね。^^;)












私の場合、怒りの感情のシステムを知る事で
どんどんと負の感情がなくなっていったのですが
その方法とは、自らを省みる事でした。
怒りの感情を抱く度に、自らを省みる癖を付ける事で
次第に、その感情は薄れて行き
同時に、自分の心が成長して行く事を実感できたのです。

Pointは、怒りや否定批判の感情を『悪』としない事です。
まぁ~負のエネルギーが自らを蝕む原因なのですが
なくなってしまえば、全くつまらない人生になりそうだし
思うに、その状態は悟りを開いた状態でしょうから
生きる意味さえなくなってしまいそうなので
少しづつ無くして行き、人生を楽しむくらいの
つもりが良いのではないでしょうか?





私が取り組んできた具体的な方法ですが
ムカつく度に、まず・・・

①自分は何にムカついているのか?
②どうなっていればムカつかなかったのか?

を、考えてみる。

例えば、車の運転中、他車の危険な運転で
事故を起こしそうになり、ムカついたとします。
『なんて危ない運転するんだ!怒!』
と、なった状態なのですがw

①交通ルールを守らない相手にムカついている。
②ただ、安心して運転していたかった。

という事になります。
この考え方は、ただ単に相手の立場になって
物事を考える思考が欠如しているだけなんですがw
私の場合『交通ルールを守らない』=『悪』とする思考に
自分自身が囚われている為、その事に全く気づけませんでした。^^;)

何事にも常に感謝し、ルールに囚われず
相手の立場で物事を考える事が出来る人は
①事故にならなくて良かったな。
と、事故にならなかった事に感謝します。
②危険な運転をして、事故をして怪我でもしなければいいな。

と、危険な運転をしていた人の身を案じるわけです。

そんな聖人君子のようになれるわけがない!
と思うのが普通でしょうか?
この境地に辿り着くまではなかなか大変だと思います。

とは言え、大自然からすれば、そう思うようになれる事が正解のようで
そこに辿り着くまで、嫌な出来事を仕向けてきます。w

なので、残念ながら出来ない!で、終わらせる事は不可能なのです。w
試しにやってみるもの一興ですかね~
何事も経験ですから・・w
慈愛の境地を拒絶した時に何が起きるか?
是非試して欲しい所です!
私自身はしっかり体験したので
同じ体験をして、傷を舐め合いたいものです。w






次に
③なぜ、そんな事をするのか?
④どうすれば良いのか?
⑤その為に自分は何ができるか?

と、考えてみる。

③危険な運転をしてしまう原因はなんだろう?
普段からストレスが溜っているのだろうか?
どんな生活をしているのだろう?

などなど、色々と妄想してみるのです。
これを繰り返して行くと、自分以外の人の事を理解すようとする癖がつき
色々と自分の至らない所を知る事が出来ました。


④危険な目に合わない為に
もう少し注意深く運転した方が良かったのか?
ストレスが原因ならストレスを無くす社会が必要なのか?

などと、自分の妄想に対して、解決策を考えてみるのです。
正解を探すのではなく、正解に近づくまで
色々と仮説を立てて行動にうつしてみるわけです。


⑤これから、もう少し注意深く運転するように
今以上に安全運転を心がけよう!
ストレスが原因なら社会のストレスを無くす為に
自分に何が出来る事はないか?を探してみよう!

と、こんな感じで考え、行動に移します。

この癖がついてくると
少しずつ目前の現実が変わって行くのを感じると思います。
今まで、嫌味ばかり言ってきた人が急に優しくなったり
コンビニのくじが、よく当たる様になったりw
あれ?何か変わったかも???
なんて体験が出来るはずです。



ただ、これだけでは中々未来は明るくなりません。w
一時的にちょっと良い事が続いたな♪くらいです。
私たちは、常に成長し続ける事を課せられているので
更なる成長をさせる為に、更なる苦悩という出来事の中で
次なる課題を押し付けられるわけです。w


だた怒っているだけでは、何も生まれないどころか
自分自身が蝕まれる事を
負の感情を減らした体験と共に学ぶ事で
自分が抱く負の感情を利用して
ここぞとばかりに、自分を高めて行くわけです。

しかし!そうは言っても、人間なので
やっぱり、腹立つ時は腹立つんです!w




で、次なるステージは

⑥ムカつく出来事が起きたら
自分の過去を振り返ってみる

要するに因果応報の仕組みを学んでみるのです。


例えば、仕事で理不尽な言いがかりで
責められてムカついたとします。
『なんだよ!そんな細かい事でいちいち怒るなよ!怒!』
となったとします。


ムカつくって事は、自分視点でしか物事を見ていない証なので
自分に都合よく物事を解釈しています。w
そして、誰しも目先の出来事だけを見て判断します。
更に、自分を正当化します!w

しかし、人と人との縁は、自分のエネルギーが創り出しており
自分自身の過去からの経験値、即ち
自分が今まで抱いた感情や言動が
目前の現実を生み出しています。

従って、その理不尽な言いがかりは
自分自身の過去からの生活態度が起因となります。

なので、ムカつくのは仕方ないにしろ
ムカついた瞬間から、過去に遡って
自分が抱いた感情や言動を振り返ってみればいいのです。

『俺って、昨日何かしたかな??
あ!かみさんに嫌味言ったわ・・^^;)・・・』
とか・・・
思い当たらなければ
相手の何が嫌なのか?を箇条書きにして
自分に当てはめてみると、明確になります。
大小問わず、似たような事を必ず自分もしていますからね~w

目前にある現実が、自分の生き様の結果として
受け止めるといいと思います。
嫌な出来事は、自己改善させる為に起きるので
負の感情を抱く度に、自分を振り返ると良いでしょう~
自己改善する事が出来れば、未来が変わります。
出来なければ、更に嫌な出来事が起きます。

私の場合、これを繰り返す事で
色々と至らない部分に気づき
自分の愚かさに愕然としましたね~
最低で最悪じゃん!・・と・・w

そんな体験をしたので
怒りっぽい人は、ただ単に自分が見えていないだけだと
そう思うようになりました。
なので、ムカつくような相手も一瞬ムカつくだけで
何だかんだと、子供を見るような感情に変わるようになりましたね。









⑧怒りの感情は相手を思いやる心が欠如していると知る

私の場合、上記の事を繰り返しているうちに
怒りの感情は、ただ自分の思い通りにならないが為に
込み上げてきているだけなのか?と思うようになりました。

ムカつく度に自分を振り返る習慣がつくので
よくよく自分の感情の根源をみつめると、自分主体の思考が
そう言った感情を生み出しているに過ぎないという所に辿り着くわけです。

要するに、怒りを向ける相手の事なんて何も考えておらず
ただただ、自己主張を強烈にしまくっている。w

・・・私は、なんと愚かな人間なんだ・・・
と、つくづくそう思いましたね~~(*´Д`)=3
やっている事が、幼稚すぎです。w

密教を修行している頃
まず懺悔から始まる意味がこの時に理解できました。
ブログのタイトルの懺悔道も
今までの生き様がいかに愚かだったのかを
知ってしまったが為の故です。^^;)

ただ、そこに幸せがある事を後々学んだんですけどね~
まぁ~これは、体験しないと意味不明でしょうか?ね?














⑨価値観は人それぞれ違う事を受け入れる

怒りの感情は、自分本位な思考が生み出している事を知ると
なんだかんだと、他人を理解しようと思うようになります。

他人を理解する事は、簡単な事ではないのですが
いざやってみると、今まで他人を
理解しようとしていなかった事に気づけます。w

この人は、どうしてこう思うのか?
と、いちいち自分との違いの原因を模索すと
色々と学ぶ事がたくさんあります。

言動には必ず動機があり
他人のそれを観察する事で、自分の至らぬ動機にも
たくさん気づけました。

無意識な言い訳ばかりの自分に嫌気がさしましたが・・^^;)


同時に、他人を理解しようとする思考が
皆無状態だった事にも気づけました・・w
理解しているつもりだったのです。
しかも、自分都合で理解していましたし・・・

私は、肉類を身体が拒絶するので
美味しい肉と言われても良くわからないのですが
嫌いだと言っている肉料理を
しつこく美味いから食べてみろ!とすすめる人に
よくムカつきましたね~w
相手の価値観など考えずに
『嫌いだって言ってんだろ!ウザイんだよ!怒!』
と、キレたりするわけです。w
相手の『美味しいと思って欲しい』という気持ちなど
完全に無視ですね。
無視と言うより、そこまで考えられないほど思考が幼いわけです。

『ごめんなさい。肉を食べると具合悪くなるので勘弁してください。』
くらい言えなかったものか・・と、今になって思うのです。^^;)



どんな人も過去からの経験に基づいての
価値観があるわけですから
その価値観が人それぞれ違うのは当たり前の事なんです。

自分がされて嫌だと感じる事を
嬉しいと感じる人もいるわけなのに
嫌な事をする相手に対して、ただひたすらムカついていた
自分が情けなくなりましたね~


色々な人の価値観を受け入れるようになると
ただ、珍しい価値観を持っている人に対して
興味がわくようにもなりました。w
どんな経験から、こんな考え方になるんだ?・・と
そう思うようになるわけです。

自分のした事のない経験をしている人なんて
数えきれないですしね~
私の場合、普通と言われる経験があまりないのでw
普通の人と区分けされる人を良く観察しました。

そして、気付いたのです!
私と見えてるモノが、みんな違うんだ!と言う事に!w

それ以来、私のこの感覚をなくすと、どう見えるのか?
と、考えるようになり、私の感覚を無くした状態を
理解するように努力するようになりました。
100%は無理でも、想像くらいはできますし。

かなり大変な事で、めっちゃ面倒なんですが
やってみると、愕然とする事実に突き当たりましたね~
自分自身が社会的不適合者だという結論に至ったわけです。w

小学生の頃から
『どうしてお前は、枠からはみ出すんだ!』
と、叱られてきましたが
そもそも、その枠が見えないんだ!と
納得したわけです。w

まぁ~でも、社会の枠組みを見ようとする努力で
かなり過ごしやすくなりましたね~
やはり、『理解する』と言う事が足らないだけで
毎日が、しんどくなるんでしょう~


私のように、極端に感覚の鋭い人は
自分が社会的不適合者だと受け入れれば
かなり楽に過ごせると思いますヨ。w













⑩人の性格は、過去からの経験値が創り上げている。


私の場合、人が持つエネルギーを感じ取り
それなりに読み取る事ができるので
普通の人より、他人を良く理解できるのかも?しれません。
過去から繰り返してきた感情が生み出すエネルギーは
本人から強烈に感じるので
常に不幸を招いている人は、名前だけで明確にわかります。


以前、免疫学の医学博士の先生から
病気は遺伝しないという話をお伺いしました。
性格が遺伝するので、生活態度が同じになり
同じ病気になるそうです。
まぁ~何を遺伝とするのか?という定義が
私にはわかってないんですけど・・

でも、この話を聞いた時
血が穢れるという昔ながらの話に合致して
深く納得した事を記憶しています。


要するに自分の経験値が自己の性格を創るのですが
生まれた時点で、先祖からの経験値を受け継いできているのだと
そう思うようになったわけです。


ならば!
迷惑を省みない人、性格の屈折した人、凶悪な犯罪を起こす人
みな、先祖からの経験値に基づいてそうなっているわけです。
もちろん!自分の性格も先祖からの経験値を受け継いで出来ているわけです。

自分の子供がどうしてこんなに自分に似ているんだ!とか
お前は、父親そっくりだな!とか、言われた事はありませんか?

自分の価値観は先祖から受け継いだ状態で始まり
自己の経験で上書きされ、子孫に受け継いでゆくわけです。

先祖から受け継いだ経験値が原因で
ちょっぴり歪んだ性格を持ったために、負の感情が多くなり
嫌な出来事が増え続ける・・・・
この仕組みが、俗にいう先祖からの因縁ってやつなんでしょう~ね。
いくら因縁消滅の写経をした所で
新なる経験を積み重ねない以上、嫌な出来事はなくならないでしょう~w



話がそれましたが・・
自分の性格は先祖から受け継いだものなので
ムカつく相手の、ムカつく性格も先祖から受け継いだものに過ぎないわけです。


と言う事は?ですよ。
もし、自分がムカつく相手の先祖をもって生まれてきたら
同じ事を自分もしているわけなんです!

ひよっとしたら、自分もそうなっていたかも?とか
思うと、ムカつく相手と同じ両親じゃなくて良かった~と、なりませんか?

どんな歪んだ性格の持ち主も
先祖から受け継いだ結果だと、そう思うと
なんだかんだと、ゆるす事が出来るものなんです。







まだまだ色々ありますが・・・
かなり長文になってしまったので
とりあえず、この辺にしておきます。^^;)






怒りや憎しみの感情を無くして行くには
この込み上げる負の感情を楽しむ事が秘訣だと思ってます。

この負の感情を楽しむ事で
負の感情に飲まれなくなりますし
負の感情があるおかげで、自分が成長できるんだと
感謝できるようになります。

そう思えるようになると
他人から向けられる負の感情に感化されにくくなりますし
また、それを受け入れる冷静さを身に付ける事が出来ます。

感謝のエネルギーは、負の感情のエネルギーを相殺しますしね。



私のようにちょっとした事で
フツフツと血が沸騰した感覚になり
ブチ切れる人もいると思います。

そんな人は、その感情を無理やり抑えつけるのは悪手だと思います。
溜め込み過ぎると、精神が壊れ
凶悪犯罪者になりかねませんからね~


しっかり、爆発して、しっかり反省しましょう!w
そして、多くに感謝するように心がけて、負のエネルギーを相殺するといいでしょうね。

あとは、徳を積む事でしょうか?
新なる経験値が血を上書きするので、徳を積み続ければ
自分の性格も温和になってきます。





さ~皆さん!この先の未来に起こりうる
沢山の不幸を、しっかり楽しんで過ごして行きましょう!w
o(^-^)o