修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

不幸な人と幸せな人の違い

不幸な人と幸せな人の違いは
ただ単に、物事の受け止め方や考え方、思い、が違うだけだと
私は、そう思っています。
と言う事は、自身の思考を変えるだけで
誰でも幸せになれると言う事になります。

そんな話をすると
『具体的には?』とよく言われるので
ちょっくら記してみました。^^)












【自分の思い通りにならなかった時】

①不幸な人
自分の思い通りにならない結果にイライラする。
自分の思い通りにならない物事に対して
誰か、何かのせいにし、その都度イライラを繰り返している。


①幸せな人
自分の思い通りにならない結果は、まず受け入れ
自分はどうすれば良かったのか?と自分自身を振り返り
最善の対処方法を考慮し、乗り越える為に努力する。
また、その努力を楽しみ
簡単に自分の思い通りになる結果を望まない。




【自己の過ちを指摘された時】

②不幸な人
自分の過ちを指摘されると怒る
自分は常に正しいと思い込んでいるので
自らの過ちを受け入れる事が出来ず
他人にそれを指摘されると、指摘ではなく
自分が否定された、拒絶されたと思い込み怒る。

②幸せな人
自分の過ちを指摘されると、その事柄を素直に聞き入れ
指摘した相手の立場になって考える。
自分は未熟であり、常に成長しないといけないと思い
他人からの指摘を大切にする。
至らない自分を見つけだし、自らの成長を楽しむ事が出来る。





【感謝の気持ち】

③不幸な人
感謝する事が出来ない為
日々流されて快楽を求めながら過ごし
不快な事柄に対して、否定批判を繰り返す。


③幸せな人
何事にも感謝し、その恩恵に報いる為に
世の中に貢献する事を目的として毎日を過ごす。
求める事より、与える事を優先しているので
不快だと感じる出来事が、基本的にない。






【不満感の受け止め方】

④不幸な人
何でも自分の思い通りにしたい欲求が強い為
普段から不平不満を感じる事が多く
無意識に、不平不満のはけ口を探している。
不平不満をぶつける先がないといられない。
そして、その事実に気づいていない。


④幸せな人
常に多くに感謝しながら過ごしてる為
不平不満を感じる出来事は
自らを成長させる機会とし大切にする。
また、その出来事自体にも感謝する。





【他人の幸せの受け止め方】

⑤不幸な人
幸せそうな人と接すると
嫉妬したり、恵まれた人だと羨ましく思うだけで
その人の努力に全く気づく事が出来ない。


⑤幸せな人
幸せそうな人を接すると
その人から学ぶべき事が必ずあると思い
謙虚な気持ちで、その人の話を傾聴する。






【自分の位置づけ】

⑥不幸な人
自分より優れた人を避け
自分より劣った人と接するようにし
優越感に浸り、周りを見下し安心感を得ようとする。


⑥幸せな人
自分より優れた人と接するようにし
その人から多くを学び、自分自身を磨く事を怠らない。
常に自分より上の人がいる事を忘れず
日々努力して過ごす。




【他人への思い】

⑦不幸な人
他人より自分を優先するのは
当たり前だと信じて疑わない。
誰しもそう思って過ごしており
皆が皆、自分と同じだと思い込んでいる。
自分が幸せでないと、誰も幸せに出来ないと思っている。


⑦幸せな人
周りの人がいるから、自分がある事を
良く理解しているので、まず他人を大切にする。
まずは周りの人が幸せでないと
自分は幸せになれない事を知っている。









【幸せの違い】

⑧不幸な人
快楽を満たす事が幸せだと思っており
煩悩を満たす事を基準とした善悪の判断をし
それが正しいと疑う事もしない。


⑧幸せな人
幸せと快楽は別物と理解し
感謝する喜び、尽くす喜び、与える喜びを知っている。
自分一人の幸せなどちっぽけなモノで
他人の幸せを共有する事で
大きな幸せを得られる事を知っている。







【自己理解】

⑨不幸な人
利己的な思いが強い為
常に自分都合で物事を解釈している事に気づけない。
その為、自分本位な考え方しか出来ていない事にも気づけない。
自分にとって不利益な考え方を
『理解できない』『わからない』で
終わらせている事が多く、不平不満の感情も多い。


⑨幸せな人
利他的な考え方で物事を判断しているので
自分と異なる価値観をたくさん理解している為
物事を見る視野がとても広い。
広い視野で自分を見る為、自分の至らない所を理解している。
自分の思いを優先して物事を捉える事がないので
不平不満の感情を抱く事が極端に少ない。







【善悪の判断の違い】

⑩不幸な人
目前の出来事のみに注視しジャッジメントする。
正しいか、間違っているか、善か、悪かの判断をするだけで
自分がどうすれば、改善できるのか?を全く考えようとしない。


⑩幸せな人
目前の出来事に対して、ジャッジメントしない。
善と悪を区別ず、目前の問題点を改善する策を考え
自分時に出来る事を探し行動する。
出来事から学び、自分自身を成長させる事を怠らない。







【他人を見る視点】

⑪不幸な人
無意識に物事を上から目線で見ており
誇りや自信を、驕りや慢心と履き違えている。
自分の下に位置する人を見つけると安心する。
または、自分をまわりから下に位置づけし
自分はダメ人間だと卑下し続け、何の努力もしない。


⑪幸せな人
他人があっての自分である事を理解しており
誰に対しても謙虚な気持ちで接する事ができる。
謙虚な気持ちが、感謝を生み出す事を知っており
謙虚な気持ちが、真実を見せる事を知っており
謙虚な気持ちが、努力を生み出す事を知っており
謙虚な人が、愛される人だと知っている。







【価値観の違い】

⑫不幸な人
自分と異なる価値観を認めて受け入れる事ができない。
その理由が、我欲を満たす事を阻害する為だと気付いていない。
自分の価値観でしか他人を見る事が出来ず
自分と違う価値観を否定し批判する。
共感、共有を大切にし、違いを嫌い、恐れる。



⑫幸せな人
利他的な思いが強い為、自分と異なる価値観を大切にする。
自分と異なる価値観を認め、受け入れる事で
自分自身の視野が広がる事をよく理解している。
共感、共有より、自分との違いを大切にする。








【自分の視野の違い】

⑬不幸な人
自分の本心を知る努力をせず
また、自分に都合の悪い本心を隠そうとする為
現実と思考のギャップが広がり
物事を客観的に見る事ができない。
その為、当り前の出来事を理不尽だと感じてしまう。


⑬幸せな人
常に自分の本心と向き合う事でしか
自己の成長はありえない事を理解している。
己の至らない心の改善に努めている為
自己の思いと目前の出来事との
辻褄が合っている事を熟知しており
理不尽な出来事など存在しない事を知っている。





【日々の過ごし方】

⑭不幸な人
生きる目的もなく
ただただ、自己の快楽を満たす為だけに
流されて毎日を過ごす。


⑭幸せな人
生きる目標を定め
世の為人の為に尽くす事を生きる糧とする。








【興味を抱くモノ】

⑮不幸な人
自分にメリットのある物事しか興味を持たない為
自分都合の判断しか出来なくなり
偏った視点で物事を判断している事に気づけない。


⑮幸せな人
利他的な思いが強い為
他人が興味のあるモノを知る努力を繰り返し
様々な価値観を学び、様々な視点で物事を解釈できる。








【ゆるす心の違い】

⑯不幸な人
物事を善か悪かでしか判断できない為
悪をゆるす事が出来ず
身近な所にいつも悪が存在している。



⑯幸せな人
物事を善か悪かで判断するのではなく
問題に対して改善策を考える為
ゆるせない出来事が起きない。









【苦悩の対処】

⑰不幸な人
辛く苦しい出来事を『悪』とし避けるか排除しようとする。
その為、出来事から学びが無く何度も繰り返す。
辛く苦しい出来事が無い事が幸せだと思っている。



⑰幸せな人
誰しも辛く苦しい出来事は起きるもので
避ける事も排除する事も出来ず
それを乗り越えるの人生だと思っている。
その過程で自分に必要不可欠な事が学べる事を知っている。







【結果との因果】

⑱不幸な人
自分に降りかかる辛く苦し現実は
自分自身に原因があると思う事が出来ない為
自己の心を成長させる事ができない。
自己の心が幼いので、辛く苦しい出来事は
自分以外が原因で創り出していると考え
誰か何かのせいにする。



⑱幸せな人
どんな言動も常に自分自身が選択した上で行使しており
その結果が目前の現実として表れる事をよく理解している為
常に自己の心を成長させる事が出来る。
どんなに辛く苦しい出来事でも
自分の選択が引き起こしている事を知っており
何か誰かのせいにする事はない。






【苦楽の受け止め方】

⑲不幸な人
辛い事、苦しい事、面倒な事と向き合わず
逃げたり避けたりする事ばかりを考え行動する。
どうしたらもっと楽に過ごせるか?を
優先して言動に移す。


⑲幸せな人
辛い事、苦しい事、面倒だと感じる事は
至らない自分自身を成長させる機会だと理解し
常に、その感情と向き合い自己改善する事に役立てる。
楽をする事を選択している以上
自分が成長できない事を知っている。







【人との関わり】


⑳不幸な人
どうしたら相手が自分の思い通りに
してくれる人が良い人と思っている。
自分の利益を阻害する相手にダメ出しする。
自分が損すると感じる人には極力関わらず
人間関係を自分の損得に結びつける。


⑳幸せな人
どうしたら相手の思い通りになるかを
優先して人と接するようにする。
自分の利益を阻害する相手は
自己の成長に欠かせない人だと言う事を理解している。
自分がどんなメリットを相手に与えられるかを
常に考えて人と接するようにする。







まだまだ、ありますが
重複しそうだったのでとりあえす・・
何かの参考になれば幸いです。^^)

解っているのにどうしても出来ない・・そんな自分を変える方法

長年、相談ボランティアなどをやっていると
『ダメだと解っているのにどうしても出来ないんです!』と
ちょくちょくそんな言葉を頂きます。

まぁ~人間なんてそんなモノだと思います。w


とは言え、至らぬ己を知りながら改善できず
それが原因で嫌な出来事が続いていれば
自分を変えなきゃ!と焦る気持ちも理解できます。

私もそんな一人でしたしね~


と、言う事で
私自身が自分を改善させるために
やってきた事を記してみたいと思います。




まず、自分で自分を変えられない理由の
一番は、経験不足だと思います。

誰しも自分は思考で考えて
行動に移していると思っているでしょうが
実際には、それだけではなく
血肉に刻まれた経験値の影響を
強く受けているわけです。

なので、いくら言葉や文章で
知識を得ても
実際にそれに基づいた経験がなければ
自分を変える事は出来ない。

また、どんな人も煩悩を刻まれており
無意識に自身の快楽を求めてしまう。
そして、この世は快楽だけを求めた言動に対して
苦悩というダメ出しをしてくる・・

なぜ?そんな仕組みがあるかと言えば
苦悩の中で、慈愛の心を育ませる為だと
私はそう思っています。

ゆるす心を育む為には
『ゆるす』事を知る必要があり
ゆるせない出来事が必要不可欠だと言う事です。

ようするに慈愛の心を育む為には
どうしても利己的な思考が必要不可欠なので
私たちは、快楽を求めるように創られて
生まれてくるのでしょう。

ちなみに、なぜ?慈愛の心を育む必要があるのか?は
全くわかりません。w
ですが、そのエネルギーが
世界の循環に大きな影響を与えているように感じてます。



話しが若干それましたが^^;)
自分を変えられないのは
利己的な思考が経験値の幅を狭めており
物事を見極める視野を狭めているからでしょう。


ならば、利他的な言動をし
経験値として自らの血肉に
刻み続けて行けば良いわけです。


私が、偽善で構わないので
ボランティア活動を推奨しているのは
その経験値が、自らを大きく変えて行く事を
体験したからです。

とは言え、言動の動機に基づいて
目前の現実が創られるので
苦悩から解放されたいと思いながら善行を積むのと
自分を見つめ自分を知る為に善行を積むのとでは
結果が大きく変わってきます。

1年間一日一善をしてきましたが何も変わりません・・
という人もいれば
たった3日、ゴミ拾いをしただけですが
人生観が大きく変わりました!
と言う人もいます。


この差は、善行を始めるまでの
徳の量と善行を行う動機によって
違ってくるのだとそう思っています。

先日も記しましたが
欲深く生きてしまうと
真実が全く見えなくなりますしね~

個人的には、誰かの為
何かの為にお金や労力、時間を
使い続けてみるといいと思います。

Z*Z*の社長のように
名誉欲でお金を使っても
ろくなことがないのですが
それはそれで、自分を成長させる為に
必要な事だと思えば良いでしょう。


私自身も善行の中で大きく学び
善行がなければ今の自分はいないと
そう思っています。

ボランティア活動から学んだ事 - 修行バカの懺悔道

↑興味のある方はご覧ください。




このボランティア活動は
自分を知る為にとても良い経験が出来ます。

私は、瞑想など色々な
内観の修行をかなりやってきましたが
ボランティア精神がなければ
内観などできないと思っています。



その理由は、『縁』という仕組みが
この世にはあり
自分を成長させるために必要な
出会いしかなく
誰しも人間関係の中でしか
自らの心を成長できないという
大自然の法則があるからです。


従って、自分に必要不可欠な相手しか出会わず
その人の為になる事をしようとすれば
当然その相手を知る必要があります。


まず、自分にとって何の得にもならない相手を
知る事で、自分自身の視野が広くなります。
誰しも無意識に快楽を満たされるか否か?という
損得勘定の中で行動していますしね~
自分に利のない行動をする事で視野が広くなるわけです。

そして、自分の視野が広くなれば
当然、今まで以上に自分を知る事が出来る訳です。

私の場合、自分の視野が狭いまま
いくら激しく内観の修行をした所で
何の成長もない事を教えられましたね~

なので、『相手を理解する』
と言う行為を繰り返して行けば
誰しも自分の至らない所に気づく事が出来る
と言う事になります。


これは、体験しなければ気づけない事だとも思います。
誰しも煩悩に忠実に過ごしている為
自分に何のメリットもない事をしようとしない。
即ち、本当の自分を知らないまま過ごす事になり
嫌な出来事、辛い出来事が起きる仕組みが理解できず
誰か何かのせいにしてしまう・・・
そして、そこに怒りや憎しみの感情が生まれ
そのエネルギーが更に自分自身を蝕んで行く。

なので、私はボランティア!ボランティア!
と何度も言い続けているのです。w




自分の視野が狭く、ちっぽけな世界で生きている・・
と、そんな事を言われても
自分の視野が広がった経験がなければ
理解できないのも当然でしょう。


いくら内観の瞑想を繰り返した所で
大自然との一体感を経験しなければ
得るものは少ないのですが
大自然との一体感を経験する為には
今私たちが過ごす、この世界が
本当に素晴らしいものなのだと言う事を
理解しなければ、できない経験だとも思います。



例えば、前回行った飲食店の椅子の色を覚えていますか?
スタッフはどんな衣服を着ていたか覚えていますか?
レジ周りに何が置いてあったか?覚えていますか?
殆どの人が記憶にないと思います。
記憶にあるのは、美味しかった、不味かった
スタッフの対応が良かった悪かった・・
など、自分にとって利があるか?否か?の
事柄だけでしょう。


しかし、知人に飲食店の経営者がいて
その人の為に何かできる事はないか?と
常々考えていれば、自分が入った飲食店を
観察して、多くの情報を得ようとします。

多くの人の役に立ちたいと思えば思うほど
自分が得ようとする情報は多くなり
自分の視野が広がるわけです。

その人の事を知らなければ
何一つ与える事なんてできませんからね。

そして、この過程で、たくさんの至らない自分に気づけるのです。

実際に行動して、誰かの役に立つ経験をする解るのですが
毎日が楽しくなり、健康になります。
また、自分の隠れた才能が芽生える事もあります。
要するに、今まで出来なかった事が出来るようになるのです。


この行動を阻害する思考は『我欲』です。
強欲であればあるほど、出来ない事だと思います。
強欲であればあるほど、自分都合で物事を解釈するので
善行をやらなくていい理由を探しまくるでしょう。w
強欲であればあるほど、視野が狭くなっている事にも
なかなか気づけませんしね。

そもそも、自分を成長・改善させる為には
まず、自分を知る必要が必要不可欠なのですが
自分を知る為に存在する他人に興味がなければ
いつまで経っても、心が幼稚ななのは仕方ないのです。



なんかよく分からんな~
なんて、思ってしまうでしょうが
これも、経験しないと解らないんですよね~^^;)
特に快楽を求めている以上
なかなか経験できない事ですし・・
しかも、多くの人は快楽=幸せなんで・・
まぁ~だからこそ、苦悩に直面するのですが
なかなか難しい所です。





自分を成長改善させるためには

①煩悩に逆らった経験を繰り返す事
②世の為人の為に尽くす事

この二つが、必要不可欠だと思います。

感情や思考は、自身の経験値が創り出しているので
あらたな経験体験をしなければ、何も変わらない。
また、自身の煩悩が真の自分の姿を隠しているので
煩悩に従って過ごしている以上、自分を成長させられない。

しかし、①②の行為がこの二つの問題を
解決してくれるわけです。

そして、自分の徳の量によって
現実が移り変わるスピードが変わります。
ただ、自分の至らなさに気づけば
それだけで、自己のエネルギーが変わるので
多少なりとも現実がかわると思います。


また、どんな人も、煩悩を植え付けられて生まれてくるので
始めは、偽善でしか善行を行えないはずです。
偽善を自負した行為を繰り返す事で
はじめて、善行が出来るようになり徳が積めます。
間違っても自分が良い事をしていると己惚れない事です。
自分がしている事は偽善であり、善意の押し付けだと理解しましょう。
それでも、感謝してくれる人はいるので
それを繰り返していると、感謝のエネルギーが
自分自身を変えてくれます。


自分の価値観がかわり、目前の現実が変わってきたと
実感できるまでになる為には
他人に感謝される経験を何度も繰り返す必要があるのです。



すなわち!どうしても自分を改善できない人は
ただ単に自分に『徳』がないからなのです。w

私もまだまだ乗り越えられない血がいっぱいあるので
人の事は言えないんですけどね~w

我欲が真実を見えなくする・・・

人は、誰しも様々な欲望を抱きながら過ごしている。
欲のない人など存在せず
また、欲を抱かなければ生きて行けないわけです。

様々な欲を持ち、毎日過ごしているわけですが
自分自身が抱く欲によって
人生というモノは大きく違ってくるわけです。


利己的な欲が強ければ苦悩が付きまとい
利他的な欲が強ければ、歓喜の多い人生となる。

ビジネスにおても、ただ単に儲けたい!と思って
会社を経営していれば長続く経営する事はできず
社会に貢献したい!と思って経営していれば
会社は発展し続けるモノです。

人生も同じで、利己的な欲望のみで過ごしていれば
苦悩が付きまとう人生となり
利他的な思いが強ければ、幸せな日々を過ごす事ができる。

たったこれだけの事で
自分の人生の未来は大きく違ってくるわけです。






とは言え自分の本心など気付けない・・
ただ、自分の本心を見つめるようにすれば
誰でも自分の心持ちに伴って
目前の現実が起きている事に気づけるのですが
往々にして、我欲の強い人は
自分の本心に全く気づけない・・・

なぜならば、常日毎から
自分の我欲を満たす為に
物事を自分に都合よく解釈し続けているからです。


誰しも自分に都合の悪い事実は
無意識に無視し続けるものです。
『焼肉を食べたい』と思っても
『牛を殺して、肉を捌いて、焼いて食べたい』
とは思う事はしないでしょう。
実際に、焼肉を食べるには、その過程が必要なのですが
いちいちそこを直視していると
『焼肉を美味しく食べる』という欲求が満たされない。
なので、その事実を知った上で無かった事にしているわけです。
しかし、目前の出来事は真実(その過程)に基づいて起きています。

強欲であればあるほど
これらの事が自分の中で頻繁に行われて
どんどんと真実から遠ざかった意識を
自分の中に植え付けてしまうものです。

自分を良く魅せたい!
多くの人に認められたい!
なんて欲の強い人は
その事実をたくさん隠し過ぎて
受入れる事ができないくなくなり
自分の心を壊す人もいます。




色々と真実に目を向けると
ハッとするような事が、沢山ありますし
至らない自分に気づけたりして
なかなか面白いものです。

例えば、お金に困っている人に
お金を出してあげるとします。
これは、本当に相手に尽くしている行為なのでしょうか?

困っている人を救済するのは
一般的に良い人とされますが
その行動の動機が何処にあるか?によって
その先の出来事という結果は大きく変わります。

要するに相手の事を思ってお金を出すのと
自分は良い事をしていると言う自己満足の為
もしくは、困っている人を見下して優越感に浸る為
または、見返りを求めてお金を出すのとでは
その後に自分に降りかかる出来事は全く違った結果になるはずです。

私も、お金に困っている人に
お金を貸して、数千万単位で失ってきたのですが
よくよくその時の自分の気持ちを振り返ると
驕りや慢心がいっぱいでしたね~

お金を出した相手に裏切られ
『あんなによくしてやったのに!』くらいに思ったもんです。w
初めから見返りを求めていたので
『してやったのに!』くらいの言葉がでてくるわけですし
裏切られたなんて思うわけです。


初めから相手の立場になって考えていれば
まずは、なぜ?お金に困る状態になっているのか?
また同じ事を繰り返さない為にどうしたら良いのか?
その為に、自分はどんな協力ができるのか?
と、そうやって考えて行動しなければならないのですが
我欲を優先していた私は、お金を出して終わり・・
で、結局多額のお金を無駄に失ったわけです。^^;)

要するに相手に尽くしているのではなく
我欲を満たしたに過ぎないわけです。
無くなって当然だと今ではそう思えますね。


おかげで、今では、お金に困っている人には
その原因を追究し、一緒に改善するようにしています。
困っている人が、心を成長させ現実を徐々に好転させる喜びを
一緒に共有できると言う事は、いいものだとそう思うようになりました。





他にも周りの人たちに喜んで貰いたい!と
そう思っている行為も
その動機によって、未来は大きく変わります。

よくあるのが
相手に認められたいと言う欲の強い人が
有難迷惑を振りまいているケースです。
そんな人は、自分では全く気づけないんですよね~
いつも良い事をしまくってる!くらいに思っています。w


本来、尽す行為は、見返りがないことを指すので
相手に何かを求めている以上
尽している事にならないのです。

周りの人に尽くす事は良い事なのですが
問題は、尽くす相手をしっかりと理解しているか?
善意の押し付けをしていないか?
また、尽くす相手に見返りを求めていないか?
よくよく自分を振り返る事ができなければ
モンスターボランティアなんて呼ばれてしまうかもしれません。


まず、相手の為になる事をするには
相手を理解する必要があるので
理解しないまま尽くす行為は、
自分本位なエゴを押し付けている事になります。


私は、別にそれでもいいとは思うのです。
色々と行動を起こさないと
相手を理解することなどできませんしね~
ただ、自分のエゴでしているという自覚は必要でしょう。

自覚がないと
自分は、こんなにも他人に尽くしてきたのに
どうしてこんなに嫌な事ばかり起きるのだろう?
という結果になります。


自分は尽くしているとそう思っている行為が
実際は自分のエゴを押し付けているので
その先に明るい出来事が起きるはずもないのです。




この事は、夫婦間でもたくさん学べます。

妻は、夫の健康のために
玄米を毎日食べさせようとするのですが
夫は、白米大好き人間で
玄米など食べたくないわけです。
毎日毎日玄米を食べされられて
夫は、ストレスが溜まり夫婦仲が悪くなってしまった・・
妻は『あなたの健康を思っての事なのに!』と
口にはするものの、よくよく振り返ると
夫の健康の為ではなく、自分の健康のために
夫を巻き込んでいたのです。


夫は、妻の誕生日に
高価な服をプレゼントしました。
とは言え、妻はこんな服着たいと思わないのです。
ありがとう!と言葉で伝えても
一度も袖を通しません。
夫は、妻のためにと奮発したのに!
と、その事が不満なのですが
よくよく考えると、自分が妻にその服を着て欲しかった思いを
妻の誕生日を利用して、押し付けたわけです。


まぁ~よくあるすれ違いなのですが
自分の本心に気づけないと
こんなすれ違いが原因で
夫婦仲がめっちゃ悪くなります。W




普段から欲深く過ごしていると
我欲を満たす為にあれこれ理由付けを探してしまいます。
また、あれこれ理由をつけて自分が正しいとする方法を
常日頃から探しているので
知らない内に善意を利用する事に長けてしまいます。

そして、その事実に気づけないので
人間関係もままならない・・
ようるすに自分視点という
一方通行でしか物事を解釈する事が
できなくなるわけです。
そして、自分に都合の悪い事は
理解できない!解らない!
と、判断して終わらせるのです。w

『〇〇さんが、こう言うんだけど理解できないんですよね~』
『そうする事が良い事だというのが解らないんです。』
自分の我欲を満たす為に邪魔になる判断を
全て、理解できない・解らないで済ませていれば
常に自分は正しい状態でいられるのは当然ですよね。w


そして、そんな事を言う人に限って
やたら自意識過剰なんです。w
都合の悪い事は解らないですませているのにです。w
まぁ~解っているけど解ろうとせず
解らない事にできるほど図太いから
自意識過剰なんですけどね~
外見は謙虚に見えて弱弱しかったりもします。w

でも本人は
自分を正当化する能力に長けている為
真実が見えないままになっている・・
そして、その事さえもわからない・・・
要するに、自分の本心を隠し過ぎて
自分自身で自分の本心を認識できなくなっているわけです。


仮想の正しい自分を意識しすぎて
その仮想の人物になりきっているに過ぎないのですが
周りの人は本人の真実の人格で接するので
そのすれ違いに気づけなくなるわけです。
ウザイ事をしているから
ウザイと思われているのですが
自分はこんなにも相手の事を思っているのに
酷い事をされた!と認識してしまうのです。


自分の本心も認識できず
相手を理解する事もしない・・
当然、自分の人生が空中分解していきます。


いや~欲とは怖いですね~



最近、相談でこのパターンの人からの多かったので
我欲が、自分を壊して行く仕組みについて記してみました。



個人的には、我欲があって
人は苦悩し葛藤し成長できるので
我欲を満たそうとする行為は大切だと思うのですが
ほどほどにしないと、辛く苦しい人生となってしまいます。

そうならない為にも
自分自身の本心を常日頃から見つめる癖を
つけたほうがいいでしょうね。

私自身も内観をかなりやりました。
人生観が変わるほどに~
誰しも言動には動機があるので
その動機を見つめるようにするだけで
目前の現実と自分自身の心が
同調している事に気づけるでしょう。


そこを見ないから
理不尽だ!不幸だ!と思うわけです。


そもそも怒りの感情は
我欲が満たされない時に生まれるものなので
ムカつく、イラッとする、腹が立つ事が
多い人は、欲まみれだと言う事です。w






京セラの稲森氏が
経営には、私心のない判断が必要だと
説いていますが
私は、人生も同じだと思っています。


物事を損得でしか図れない人は
快楽で満たされても
幸せを掴む事はできないでしょう~ね~