修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

そもそも「いじめ」が無くならないのは、自然の法則だからである・・

「いじめ」について、リクエストを頂きましたので
私の持論をば、記してみたいと思います。
不快に感じる方もいるかも?しれませんが
何卒ご容赦を。m(_ _)m






いじめについての相談もちょくちょく受けます。

いじめられる人の共通点は
他人を理解する心が足らなかったり
また、それが苦手だったりする人が多い感じがします。


私の学生時代にも、「いじめ」は、ありました。

小学校で、いじめにあっていた同級生の事はよく覚えています。
小学校は、まじめに通っていましたからね~w

そのいじめに合っていた同級生は
やたら不潔な女の子で近寄るだけで臭い娘でした。
普段から「寄るな!触るな!近づくな!」と同級生に言われており
汚物扱いされていましたね~
その娘の持ち物を触るだけで、みんな逃げて行きました。
病気になる!と言うのです。
当然、私も普段からその娘を避けるようにしました。
次第にエスカレートして、その娘と仲良くすると
同じ扱いをされるようになり
最終的にクラスで孤立してしまったわけです。

その事でクラス全員が担任に叱られました。
その女の子の父親がクラスに来て
仲良くしてやって欲しいと、頭を下げに来た事を記憶しています。
いじめを無くしたいのであれば
その娘をもっと清潔にしてあげれば良いわけですが
いじめる側が悪なので、子供たちはどうする事も出来ない。

不潔なのはいけない事とするルールはありませんし
臭いのもいけない事とするルールはありません。
従って、不潔で臭い人と仲良く食事をしないといけないわけです。

しかし、仲良くできるわけもないですよね~
不潔な状態は何も変わらないので
言葉で「寄るな!、触るな!」と言わなくなっただけで
結局その女の子には、誰も近づこうともしないまま
転校して行きました。







私は、不登校児だったのですが
それでも過去を振り返ると
結構な人数いじめられてましたね~

やたら正義を掲げて融通の利かない人
極端なナルシストで自分が見えてない人
自分の世界観でしか物事を判断せず、その世界観を押し付ける人
約束事を平気で破り続ける人
良い事をしていると自分に酔っている人
我が強く、強引に何でも自分の思い通りにしようとする人

不登校な私が記憶しているだけでも
こんな人たちがいじめられていました。

私は集団の和にはいれない学生だったので
いじめには無関係でしたが
和に入っていない私を心の友だ!といういじめられっ子もいましたね~
孤立状態が同じなので、親友と言う事らしいのです。
ただでさえ、いじめに合うくらいウザイ人間なので
私自身も心底ウザイと思っていたのですが
そんな人間が、私の気持ちなど汲んでくれるわけもないのです。w
勝手に親友だと言っていましたが
私は、ウザイ!とハッキリ言っていました。
ですが、全く聞く耳を持っていませんでしたね~
そんなんだからイジメにあうんですが・・・

今思えば、私自身も他人の気持ちを汲む事をしなかったので
同類だったんでしょう~ね。^^;)
マジでうざくて仕方なかったのですが
これも、大自然の法則ってやつでしょう・・・w




ルールに囚われるとなかなか気づけない事ですが
大自然の法則には、人がつくったルールなど全く関係なわけです。

従って、いじめられる側は、いじめが始る直前から過去に遡り
色々と周りに不快な思いをさせているわけです。
虫を殺す感覚でいじめをする弱い者いじめもあるとは思いますが
そんないじめは、小学校低学年まででしょうね。

結局は自分が周りに与えた不快感が
いじめという形で自分自身に返ってきている場合が殆どでしょう。
正しいも間違いも全く関係なく
周りに与えた不快感という事実のみが作用しているわけです。

私自身も、クラスの行事には参加せず
気に入らないという理由で、殴ったり蹴ったりとそんな学生だったので
沢山の人たちに不快な思いをさせまくっていました。
同級生、下級生、上級生に限らず、教師や両親、赤の他人と・・・
なので、集団リンチに2度ほどあった事があります。^^;)
一度目で改心すればいいものを
一人じゃ何も出来ないへなちょこどもめ!くらいに思っていたので
二度目は、鉄パイプで頭を割られて重傷でしたね~w

まぁ~私の場合は、自業自得だと理解しているわけなので
いじめに合ったとは、思っていないわけです。
今の時代ならいじめ事件で大問題でしょうね~
でも、私は人生で二度も集団リンチに合っているのですが
いじめられた経験はないとそう思っています。

いじめに合う人も自分自身の不徳のせいだと理解できれば
いじめに合ったとは、思わないのでしょうが
そんな簡単なモノではないでしょう。


通常のいじめに合う人たちは、どうしてこんな目にあうのか?わからないわけです。
そもそも、周りの人たちを理解する事ができなくていじめに合うわけですから
自分が周りに不快な思いをさせているなど微塵も思っていいないわけです。

当然、いじめる側=悪で終わらせてしまうので、どんどんと悪化する場合が多いのです。

また、今の社会はかなり恵まれている影響もあり
必然的に心の弱い人が増え続けているので
その出来事が心を壊してしまい自殺する人も出てきてしまう。
なんとも悲しい事です。

何か問題が起きると、どうしても悪を探してしまうのが
人の性というやつかも?しれません。
いじめる側が悪
いじめを指導できない教師や学校が悪
いじめない教育をしない親が悪
・・・と、悪を無くせば問題が解決すると思い込んでしまうわけです。

「悪」とは、自分に都合が悪い時に生み出されるだけであり
「悪」など何処にも存在しないのがこの世の理であり
我々に慈愛の精神を学ばさせる為に出来事が起きているので
「悪」を消滅させようとすれば、するほど悪化するわけです。




以前、このブログにも記しましたが
人の苦悩は人間関係から生まれるものであり
その苦悩は、人間関係から改善されるわけです。
なぜならば、人間関係の中でしか慈愛の心を育めないからだと
なんとなく、そんな風に思っております。

従って、人間関係の中には常々慈愛の
精神を学ばせる仕組みが存在するわけです。

我々の社会から争いが無くならないのも
「いじめ」という仕組みもその中の一つでしょう。

そもそも、慈愛の対極にある
煩悩を植え付けられているのが人間です。
その煩悩により苦悩を体験し慈愛を学ぶように
この世は創られているわけです。

他人を深く理解しなければ、辛く苦しい現実を突きつけられる・・
自らの欲望を満たす為に他人を傷つける行為を続ければ
その反動が自らに降りかかる・・・
これらの体験をする事により、他人という存在を理解できるようになり
傷つき、傷つけられ、苦悩を味わう事で
少しずつ慈愛の精神を育んで行くのでしょう。

人が集団になれば、必ず人間関係でもめるように
初めからそんな仕組みが存在しているわけです。

10人集まれば、必ず一人が足を引っ張る存在となり
そのひとりを排除した所で、新たな人間関係のトラブルが生まれるはずです。

初めから、自分の思い通りに物事が進まないように
この世の中は創られているのですが、その仕組みがあるおかげで
私たちは物事を深く理解しようとする思考が創られてゆくわけです。


そもそも、慈愛の心を育む為には他人を深く理解する必要があります。
自分の足を引っ張る存在をいくら排除しても
また、同じような人が現れるのは
自分にとって都合が悪い人を深く理解する必要があるからです。

従って、いじめに対して生まれた「悪」を排除しようとする行為は
「いじめ」自体が抱えている問題と全く同じなので
「いじめ」がどんどん増え続けるわけです。



初めからいじめは無くならないのがこの世の理であり
いじめが起きた時点で、他人を理解する事を学べば言いわけです。
いじめが起きる度に、そこに関わった人たちは成長できるでしょう。
そもそも、その為にいじめが起きるわけですからね。

結論を申し上げますと
「いじめ」は、慈愛の精神を学ぶ為に必要だから起きている・・・
「いじめ」は、どうしたってなくならない・・
それが大自然の法則だから。
と言うのが私の考え方です。

人間同士の争いがなくならないのと
同じ仕組みなんでしょうね~







昔、私が修行している寺の住職が
「本当に困ったら人様のモノを盗んだっていい!
後々余裕が出来た時、ちゃんと償へばいいのです。
自分の命より大切なモノなんてどこにもないんですから!」
という話をしてくれた事があります。
極端ですが、自分を殺そうとする相手がいれば
その相手を殺したっていいんです。

今の社会は、ルールや目先の出来事に囚われ過ぎて
人として大切なモノを見失いがちですよね~
私も気を付けなければ・・・^^;)








≪※お知らせ≫
メールの相談が混みあってしまい・・・
私生活がままならなくなってきましたので(^^;)
相談受付をしばらくお休みさせて頂きます。
同じ理由で、このブログのコメント機能も停止させて頂きました。

今後は、一方的な我がままブログとなりますが、何卒ご容赦ください。m(_ _)m

正しさに拘るのは、愛がない証である

善悪の判断がなければ
社会の秩序は保てない・・・
確かにそうなんでしょうが
善悪に拘ると人の心は壊れて行くのもです。


精神を病む人の殆どが
善悪の呪縛に心を蝕まれているように感じています。


あれはいけない!
これもダメ!
と、ダメダメ攻撃の今の社会により
多くの人の心が崩壊しているわけですが
何でもOK!にしてしまうと
今度は、社会が崩壊してしまう。

まぁ~ゆるす心が欠如して
どこかに悪を生み出さないと
いられない人が増えているので
今の社会となったんでしょう~ね。

これも時代の流れなんでしょう~
そして、それが人の進化なのかも?しれません。








どんな人も正しい事に拘ると
無意識に悪を生み出してしまいます。
悪を生み出せば、生み出すほど
そのエネルギーに自らは蝕まれてしまい
病気や怪我、自己、などなど
辛い出来事が頻繁に起きるようになる。
自分が生み出した悪に蝕まれてしまうわけです。



とは言え、悪を放置しても
自らが迫害される事になる・・・
と、そう考えるのが普通なんですが
でも、実際は
悪とするのは、自分自身の意思であり
迫害された現実も、排除したい出来事も
自己の過去からの言動が原因だったりします。


善も悪も存在しない世界で
いくら善悪に拘ってもどうしようもないわけです。




争いのない世界が本当に良い世界なのか?
争う事で、多くを学んだ経験は誰にでもあるのでは?
自分本位で身勝手に過ごす事を体験し周りから批判され
分かち合い、助け合う事の大切さを理解できるのでは?
心に傷を負う事で強い精神が培われるのでは?

苦悩を拒絶し、快楽を満たす事を求める社会では
成長のない弱い人類を創り出してしまう事となり
ちょっとした出来事で、多くの人が心身を壊してしまうのは
仕方のない事なんでしょう。


そもそも、私たちが慈愛の精神を育むように
この世は創られているので
初めからそれを目指して入れば事足りるのですが
そんな教育ではなく
真逆の教育しか受けていない私たちは
そんな簡単な事にも気づけないわけです。






例えば、不倫をした人を責めるのも
『愛』というモノを知らないからだと
私はそう思っています。


不倫にも色々あると思うのですが
夫が不倫をして離婚となったら
妻と子供が可哀そうだと言うのが
一般的な解釈でしょう。
よく浮気はゆるせないから離婚する・・
と言う人もいますが
そんなの、ただの独占欲なんですよね~
裏切られるだけの事をしている事に
全く気づけないわけです。
煩悩を阻害され、そしてゆるせない・・
=愛がないわけです。
社会のルール上、浮気した夫が悪ですが
自然の法則上は、ゆるせない=悪なので
そんな人は何度も人に裏切られたりします。
どんな社会も自然界に存在しているので
大自然の法則には逆らえないわけです。w

そもそも本当に夫を愛していれば
夫の幸せを心から願っているので
夫が違う女性に心を奪われたなら
自らの愛情不足だったと省みるはずです。

本当に愛していれば
相手の幸せを常に心から願うものですが
愛ではなくルールを優先するので
妻と子どもが可哀そうだと思ってしまう・・
それは愛情ではなく愛欲であり
相手を求める煩悩がそうさせだけで
そこには、夫を思う気持ちなどないわけです。

自分の欲望の為に
夫の人生を犠牲にしていると思えば
誰しも嫌なはずですが
ルールを破る=悪とする思考が
その部分を見えなくしてしまうわけです。








また、正しい事に拘り過ぎて
負のエネルギーを生み出している事に
全く気づけなくなる事もあります。


私自身、色々なボランティアに参加した経験があるのですが
『自分は良い事をしている』と、そう思いたいが為に
活動をしている人も多くいます。
それでも、実際に助かり人がいれば
それで、いいとは思うのですが
普段の生活の中で、それを続けると
結構、悲惨な目にあったりするので、注意した方がいいでしょう。


誰しも自分が嫌だと思っている事を
それを正しい事そしてされると困ってしまいます。
私自身も一方的な善意を向けられるとうんざりします。w
まぁ~私の場合は、ストレートに言葉にして伝えるので問題ないのですが
他人を傷つける事に恐怖を感じる人であれば最悪な事態になります。

自分がしてほしくない事をされると誰しも嫌ですよね。
そのされて嫌な事を、良かれと思ってしている相手には
なかなか嫌だと言えないものです。
相手を傷つけてしまいますからね~

とは言え、その旨を伝えずに我慢していると
何度も同じ事を繰り返される事になり
うざくてうざくて仕方なくなり
ストレスが溜り続けてしまいます。
もう限界だ!となった時、爆発するでしょう。

爆発された側は、???何の事だか全くわかりません。
なんでこんなにひどい事を言われるのか?されるのか?
全くわからないので、相手の事を酷い人間だと思ってしまう・・
だって、本人からすれば何も悪い事をしていないし
逆に良い事をしていると思っているわけですからね~
酷く傷つき心を壊してしまう人もいるでしょう。


なぜ?こんな事が起きるのかと申しますと
自分の善意を押し付けているからです。

要するに、相手を全く理解しようとせず
愛情だと決めつけた、強烈なエゴをぶつけているわけです。
善意を受け取る側の気持ちを考えなければ
それは、ただのエゴとなり、身勝手な行動と言えるでしょう。

身勝手な行動を取り続ければ
苦悩に直面するのが自然の法則です。

しかし、良い事、正しい事という思考が
その事実を打ち消して見えなくしまうのです。

相手を傷つけまいとする側も
傷つけたくないというエゴがあるので苦しくなるのですが
壊れた側も、その事に気づけない・・・
だって、人を傷つける事は悪い事だから・・・
これも、一方通行な善意が生み出すエゴに他ならないわけです。

ハッキリ言って、嫌がらせをされるより質が悪いんです。
なので、平気で嫌がらせをする人たちより
正しさの呪縛にハマった人の方が
心を壊す確率が高いですね~








大自然の法則は、私たちに慈愛の精神を
学ばせようとするので

求めている相手に裏切られる・・・
とは⇒相手の幸せを願う心など微塵もない

一度、手に入れたものが失われて辛い・・
とは⇒与えようとする心の欠如

という解釈をし、何度も似たような出来事を引き起こします。



ようするに常に愛を学ばせて頂いているのですが
愛を知らないから傷ついてしまう・・・・

ただ、私たちの心は傷つく事で強くなります。
鉄は熱いうちに打てば、強靭な鋼になり
木も枝を掃えば、よく育つ
人は、鉄でも木でもないと言われそうですが
苦悩と言う痛みがなければ
人の心は幼いままだと私はそう思っています。

どんな人も多くの苦悩を乗り越えてでしか
強く生きる事は出来ない事を
本当は誰でも解っているのに
無意識に苦悩を排除しようとしてしまうわけです。

しかし、残念ながら目前の苦悩をただ排除すれば
また、新たな苦悩が出現するのが自然の法則です。
なぜならば、苦悩無くして我々は成長できないからです。







大自然は常々
私たちに慈愛の心を育ませる出来事を
引き起こしているので
慈愛が足らない人は、どうしても
騙されたり、裏切られたり、傷つけられたり
する事が多いはずです。

正しさに拘れば拘るほど
真実が見えなくなってしまうので
ゆるす心が足らない事や
善悪など存在しない事を教える為
理不尽な辛い出来事が増えるわけです。




私は、通り魔に愛娘が殺されても
通り魔をゆるす事が出来ます。
え!そんな!とか言われますがw

自分の言動が目前の現実を引き起こしているのを
よく知っているからです。

誰でも、この仕組みの多くを体験してしまえば
私と同じ事を思うと思います。


目前にある辛い出来事は
自分自身の過去からの言動が原因で起きる
即ち自分が変われば未来の現実が変わると言う事です。


従って、嫌な出来事、辛い出来事は
自分自身に慈愛の心が足らない証だと理解し
良い事、正しい事など捨てておき、そこに目を向けた方が
物事がスムーズに進むと私はそう思っております。

要するに、どれだけ周りを想う事ができるか?
即ち、どれだけ周りを理解する事ができるか?
に尽きるんでしょう~ね。
正しさに拘ると、真実が見えなくなるので要注意です。



簡単にできる事じゃないですけど
簡単に出来ないから人生を楽しむ事ができるのかも?しれません。^^)

自分で除霊する方法(霊的苦痛を根本から解決する!)

霊に憑かれやすい体質・・・
なんて事をよく耳にしますが
私個人としては、不平不満、怒り、憎しみなど
負の感情の多い人は
誰でも霊に憑かれやすくなるとそう思っています。

誰しもムカつくし腹が立つしイライラするし
その感情がいけないわけではなく
負の感情に相対する感謝の感情、相手を思いやる心がなければ
負のエネルギーばかりが蓄積する一方となり
霊に憑かれやすくなるでしょう。

従って霊的現象による苦悩が多い方は
ただ単に思いやりや感謝の心が欠如しているだけなんです。w


これマジです。(☆_-)



霊に憑かれたら専門家に頼むべきだ!
なんて言う方もいらっしゃいますが
個人的にはオススメできませんね~


そもそも霊に憑かれる人は
普段から自分で悪を生み出す事が多いので
人に憑く霊=悪とする除霊を繰り返せば
更なる苦悩を生み出すだけだからです。

自分を省みる事で
簡単に離れて行くケースが多いですしね。


除霊の専門家からすれば
その行為により、感謝される事が多いので
良い事をしていると思ってしまいがちです。
私もそうでしたが、除霊した相手に
涙を流しながら感謝されれば
心から良かったと思ってしまいます。


しかし、除霊される側もする側もお互いに目先の
現実のみを見て判断しているに過ぎず
結果として更なる苦悩を与えている場合が殆どです。^^;
後々の事など、全く考えておらず
人に憑く霊=悪霊とし排除して完結なのです。
因果とか因縁とか言っている割に
物事を浅くしか捉えられない証と言っても
過言ではないでしょうね。



霊に憑かれるという現象は
自分が意識できない所で自分自身が呼び寄せている
場合が多いので
いくら除霊しても、また別の霊に憑かれるでしょう。
自分に憑く霊がどんどん強くなるのがオチです。

とは言え、憑依により自我を失いかけている場合は
仕方ないかも?しれません。
当然、いくら除霊した所で
自己改善がなければ更に苦しむ事になりますが
普通に会話ができなければ、なんともなりませんしね。




で、自分で除霊する方法ですが
結論から言いますと自分を省みる事により
至らない己に気づくと
ほとんどの霊は離れて行きます。

大がかりな加持祈祷や滝行など
しなくても、それだけで霊は離れて行きます。
読経や写経、先祖供養なども必要ありません!
自分に憑く霊を悪霊と決めつけるのは
とても幼稚で愚かな行為だと思ってください。

霊に憑かれた時に何を考え何を思ったか?
を振り返り反省すればいいわけです。

負の感情が多い人は、基本的に自己を省みる事が出来ないので
霊に憑かれる事が多い・・・だたそれだけの事なのです。

ようするに
『貴方のそんな考え方はダメですよ!』
と、霊が教えてくれているので
悪霊ではなく、神様だ!くらいに
思っていた方がいいでしょうね。


私自身も世の中を憎んでいたので
大変な目にあいました。^^;)

常に自分が正しく、周りが悪なので
悪を生み出しまくっているわけです。w
当然、その感情が生み出す負のエネルギーが
大量の霊を呼び寄せているので
霊だらけの世界で日々過ごしていましたね~w
いや~お恥ずかしい限りです。-_-;)


まぁ~霊に限らず
どんな苦悩も、自己を省みる必要があるという
シグナルなんですけどね。










大自然の法則に
『自分が変われば現実が変わる』
という仕組みがあります。

自分の今までの生き様で創られ蓄積したエネルギーが
変わる事で、出来事の縁が変わるわけです。

従って、霊に憑かれた状態で
自己を省みる事をし、至らない己に気づく事が出来れば
それだけで、憑いている霊は離れて行きます。
自分と霊を繋げているエネルギーが無くなるからです。

この方法で除霊するのが、一番いいでしょうね~

実際に霊に憑かれていなくても
お腹が痛い、頭が痛い、身体が怠い
ちょっとした怪我・・などでも
自分を省みる必要がある事に気づけるでしょう。

大きな病気、大きな怪我をする前に
様々なシグナルが入っている事にも
気付けると思います。


それに気づく事が出来れば
どんどん健康になりますし
毎日が過ごしやすくなるはずです。






とは言え、血に刻まれた経験値は
簡単に変えられるモノではありません。

いくら思考でダメだと解っていても
怒りの感情が込み上げて来る事もあるでしょう。

先祖から受け継いだ価値観や性格は
簡単には変えられないので
少しずつしか改善できないと思てください。

とは言え、新たなる経験をする事で
いくらでも改善はできます!
不平不満や怒りの感情に振り回されても
その都度、自己を省みる経験を繰り返すわけです。

そもそも負の感情は、何かに満たされない時に生まれるので
まずは、何が満たされていないのか?を振り返るといいでしょう。

殆どが、くだらん事を求めて怒っているし
そんな自分を知ってしまうと
なんと!小さな人間なんだ!と気づけるはずです。w

また、至らない自分自身を見つける事を繰り返すのも
楽しいと感じるようになるはずです。
なぜならば、目前の現実が見る見る変わって行きますからね~


誰しも価値観や性格は先祖から受け継いでいるので
不平不満や怒りを向けている相手の言動も
先祖から受け継いでいる性格による言動に過ぎず
ひょっとしたら、自分自身もその人格を受け継いだかも?
しれないわけです。

そう考えると、悪人なんて何処にもいないんですよね~
全ての人が同魂である・・とは、よく言ったものです。





霊に憑かれやすいと言う事は
霊に憑かれやすくなる
負の感情のエネルギーを放っているだけなので
相対する感謝のエネルギーを生み出す事でも改善されます。
多くに感謝し、多くの人に感謝される行動をすれば
誰でも霊に憑かれる事はなくなります。

とは言え、上辺だけの感謝は簡単に出来ますが
心深く感謝する事などなかなか出来ないものです。
心から感謝していれば、多くに尽くしたくなるのが人というモノで
尽くしたいと思えないのであれば、感謝していない証なのです。

で、上辺だけの感謝であろうと
感謝するように繰り返していれば、感謝できるようになります。
私の場合は、毎日神棚に向かい、日々の感謝を捧げる事を繰り返しました。
心の中では、感謝していない事を自覚しながらも
衣食住の感謝から始まり、毎日感謝する事を探しました。
まぁ~心から感謝できない自分が情けなくなったりしましたけどね。^^;)

でも、何年もそんな事を続けていると
次第に霊的苦痛は無くなって行きます。

そのうち日々感謝を捧げる事が習慣となり
気付けば色々な事に多少は感謝できるようになりました。
(まだまだ足らないですが^^;)
そのうち世の中に対して何一つ尽くしていない自分に
焦りを感じるようになりましたね~w

今まで、自分本位に生きていたので
自分と同類の人しか縁がなかったのですが
感謝する努力を続ける事により、社会に貢献している人たちに
沢山の縁が出来るようになったからです。

今まで、悪態をつきたくなるような相手しか出会いがなかったのにw
素晴らしい方々との縁が増え始めたのです。

自分が変わり始めたので、様々な縁が変わり始めた体験です。














実際に自分自身を省みるようにしても
何をどうすればいのか?わからない・・・
そんな返事が返ってくる事がとても多いのですが^^;)
残念ながら自分自身が変わらなければ現実が変わらないのが
この世の仕組みなので、誰かに助けを求めても
自己改善がなければ、同じ事が繰り返されるわけです。

とは言え、現実問題として霊に憑かれて苦しい場合は
とりあえず、なんとかしたい!と思うものでしょう。
除霊すれば楽になりますからね~

物理的に自分自身の邪気がなくなれば
霊に憑かれなくなるわけなので
自分でなんとか出来ないものなのか?と・・・
私自身もかなり色々やりました。w

効果があったのは
①般若心境を108回ぶっ通しで唱える
大祓詞(旧)を21回ぶっ通しで唱える
③禊の滝行
です。
全身全霊で行うのがコツです。
私の場合は、お腹から目いっぱい声を出して行ったので
毎回喉が潰れましたね~
終わるとヘロヘロになるんですがスッキリします。

注意する点は、自分に憑く霊=悪として行うと
悪霊退散!という強い思いが放たれるので
どんどんと強い霊に憑かれるようになる事です。w

月に1回、霊に憑かれて自分で除霊する⇒
週に1回、霊に憑かれて自分で除霊する⇒
一日に一回霊に憑かれて自分で除霊する⇒
除霊した1時間後には、別の霊に憑かれる⇒
もう、自分ではなんともならなくなる・・・・

という結果にならないようにご注意ください。w

なので、祝詞や経典の力を利用して
自分で除霊するならば
至らない己を戒める思いでするようにした方がいいでしょう。
とは言え、至らない自分自身が見つからなければ
結果は同じなんですけどね。w


霊に憑かれると言う事は
身に纏う邪気が多いと言う事なので
身の回りの整理整頓をし、部屋を換気する
手洗いうがいをし、常に清潔でいるようにするのも大切だと思います。
酒塩の清めも多少は効果があります。
運動をして、しっかりと汗をかくのも効果的です。
ヘロヘロになるくらい運動しましょう!
あまり人がいない、かけ流しの温泉なんかも効果がありますし
最近では言えば、水素水なんかも効果があります。
邪気が水素と結合して尿で出るんじゃないかな?
なんて感じています。

日頃から怠惰な過ごし方をせず、清潔にするのも大切ですが
何と言っても一番効果があるのは
不平不満に相対する感謝の思いです。
食前食後の感謝をしっかりとするだけでもかなり違います。
食に感謝していれば、冷蔵庫で食べ物が腐る事もありませんし
逆に冷蔵庫で食べ物をよく腐らせるのであれば
日頃から食に感謝できていない事となり
霊が憑きやすい性格と言う事になります。w

汚れた部屋を掃除した後は気持ちいいですよね。
その気持ちよさも、汚れがあったからだと感謝できれば
誰かが汚した後の片付けも、ムカついたりしないものです。





なんだかんだと言っても
邪気の原因になる『悪』を生み出さない事が
霊に苦しまなくなる一番の方法だとも思います。

『悪』を生み出すのは自分自身であり
自分が『悪』を生み出さなければ、『悪』など何処にも存在しなくなるんです。
自分が生み出した『悪』が自分を苦しめるのが自然の法則なので
霊に憑かれたら『悪』を生み出し過ぎたと自己反省し
それを教えてくれた、『霊』に感謝する事です。

それが出来れば、どんな人でも自然に霊は離れて行きます。

至らない自分に気づいた時に
ふわ~っと身体が軽くなる体験をした事がある方も
沢山いるんじゃないでしょうか?

まさしく、それが除霊された瞬間です!(☆_-)

どんな人も、多かれ少なかれ霊に憑かれていますからね~w


霊的苦痛を根本から解決するには
自らを戒め、省みる事だと思います。


おかしな宗教やスピリチュアル行為にハマらないようにして
しっかりと自分の足で確実に人生を歩むようにしましょう!!^^)




霊に憑かれる仕組みtenna-jp.hatenablog.com