修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

自分の幸せは、人間関係の中にあるのかな?

長年、相談ボランティアをしていると
苦悩の殆どが、人間関係から始まっているような気がします。

自分の思い通りにならなくて
怒りや、憎しみを抱く対象は人であり
それを変えようとしても、なんともならなくて
辛く苦しい思いをしてしまう。

そもそも、自分以外を変えようとするから
苦しいんですが人の社会のルール上
それを認めるわけにはいかないようです。



ひきこもり、いじめ、うつ、統合失調症・・
借金苦、DV、病気・・などなど・・
全て、他人との関わりを見直す為に起きているように感じます。



そう考えると、他人を大切に思う心があるだけで
誰でも幸せになれるのでは?
と、そんな気がしてしまいます。

幸せとは、意外にも
身近な所に存在しているんでしょうね。
近すぎで、なかなか見えないものなのかも?しれません。





自分の価値観と違う人たちを
理解しようと努力を続けていれば
自分の至らない部分が見えてくると言う
大自然の法則があります。


私自身、霊障に悩み苦しんできたのですが
この感覚のない人たちを理解しようと努力した事で
自分の事しか考えていない
愚かな己を知る事ができたのを記憶しています。



誰しも、周りに多くを求めているので
自分の意思にそぐわない人達に対して不満を抱いたり
その人たちを変えようとしてしまいます。

自分と価値観が違うだけなのに
その価値観を認め、受入れる事が出来ない・・

経験が違えば価値観が違うのは当たり前なんですが
そこまで、深く理解しようとしないわけです。

思い通りにならない相手を
ただただ責める・・
自分に不快感を与える相手に
ただただ怒る・・

猫や犬だとゆるせても
相手が人だとゆるせなくなる・・

飼っている猫や犬は与える対象ですが
相手が人だと無意識に
色々と求めてしまうんでしょうね。


物事を強く求めれば求めるほど
毎日毎日、そんな判断をしてしまい
人間関係がうまくいかない・・


ひょっとしたら不幸とは
たったこれだけの事なのかも?しれません。








いっその事、一人でいればいい!
なんて私も良く思いましたがw
残念ながら、他人との関わりの中にしか
幸せはないので、ひとりぼっちでは幸せになれないわけです。


私は、人に酔う体質なので
1人でいる事を好むのですが
山に1人で出かけ何日も過ごす事で
1人でいるのが好きなわけではないんだ・・と
自分を知る事ができました。

1人でいるのが好きなわけではなく
人の負のエネルギーを感じるのがイヤ。
自分の意思にそぐわない人たちといるのがイヤ。
自分の都合を押し付けてくる人といるのが面倒。
ようするに自分の思い通りに過ごしたいのに
それが出来ないのが嫌なわけです。w

これって、ただの我儘ですよね?w

他人を思いやる心が欠如しているから
1人で過ごしたいと思う事にガッツリ気づかされました。w




面白い事に
他人に喜んで貰いたいという欲求がでてくると
1人で過ごすのが淋しく感じたりします。
1人で過ごしていれば、いつまで経っても
その欲求が満たされませんからね~

ペットを飼う人が増え続けるのも
与える事と求める事のバランスを維持する為なのかも?
他人を与える対象にすれば
どんな相手でも癒されるんですけどね~

とは言え、他人の幸せを共有する体験を
繰り返さないと、なかなかそうは思えないでしょうけど・・













幸せ=他人との関係なら
人間関係をよくよく考えながら過ごした方が
幸せになれるという事になります。



人間関係をスムーズにするには
相手を深く理解する必要があるのですが
まずは、自分と他人は経験値が違う為
初めから価値観が違うと思って接する事でしょう。

また、どんな人も先祖代々の経験値を受け継いでおり
その経験値を元に、人格が構成されているので
ムカつく相手の性格は、本人の問題ではなく
その人の先祖の経験値に問題があるわけです。

責めるなら、ムカつく相手ではなく
ムカつく相手の先祖と言う事になるんですよね~w


私自身、血の仕組みを深く探究していたら
ムカつくあいてを責めるのが馬鹿らしくなりました。w




あと、出来事から学ぶ姿勢かな?
何度相手を変えようとしても
嫌な相手を排除しても
何度も何度も同じ事が繰り返されるのが
自然の法則なので
人間関係で嫌な思いをしているなら
そこから何を学び自分をどう改善するか?
なんだと思うわけです。

私自身、それを繰り返しているだけで
かなり怒りの感情が減りましたね~

で、気付いたいのです!
私の中で無意識に込み上げて来る感情は
意識で抑え込む事ができないので
血肉が記憶している事だと・・
と言う事は、他人も同じで
いくら何度も言葉で伝えても
相手も無意識にしている事なので
簡単に変えられるわけがないのだと・・

相手が自分に向ける感情に対して
いくらムカついても仕方なく
どうすれば良いのかを考え
自分自身を変える方が、物事がうまく進む。

自分を変えようとする事で
こんな事に気づかされる経験をした事があります。



あと、もう一つは
『悪』を生み出さないようにする事でしょうか?
人間社会では善悪の判断が秩序を保っていますが
自然界には、善も悪もなく
善とは自分に都合が良い物であり
悪とは自分に都合が悪いものでしかないわけです。

従って善も悪も自分が決めつけているだけに過ぎないのですが
私たちは、そんな教育を受けていないので
その判断が染み付いているわけです。

『悪』とは、自分に都合の悪いものに過ぎず
悪を生み出すと出来事からなかなか学ぶ事ができなくなります。
自己の成長が停止する事の方が多いでしょう。
相手が悪くて自分が正しいわけですが
自分を改善する必要がないと思い込んでしまうのです。

従って、気に入らない事、ムカつく事が多い人は
自己の心の成長が止まったままになるわけです。

逆に、悪を生み出すのではなく
自分の嫌だと言う感情と向き合い
自分の何をどう改善すれば、この感情がなくなるのか?
をしっかり考えて言動に移す事で
目の前にある現実が自然に改善されるはずです。

そんな大自然の法則がありますからね~


どんな出来事も、どう受け止めるか?は
自分次第ですし
同じ出来事でも、感謝する人もいれば
憎しみを抱く人もいます。

他人から罵声を浴びせられて
自分の至らなさに気づかせて頂いたと感謝する人も居れば
酷い事を言われたと、怒る人、憎む人、悲しむ人
と、それぞれだと言う事です。

何をどう受け止めるか?は
自分が何を求めているか?によっても
大きく変わってくるのですが
往々にして、快楽を求めれば求めるほど
腹が立つ事が多くなるでしょう~ね。w


まぁ~誰しも、快楽を求めてもがき苦しむんですが
それはそれで、楽しく生きる為に必要な事なのかも?しれません。^^)

幸せな人と、不幸な人は考え方が違うだけのような気がする・・

長年、相談ボランティアをしていると
自分が不幸だと思っている人と
幸せだと思っている人は
出来事に対しての考え方が全く違う・・
そう感じています。

ひょっとしたら
その考え方を改善すれば
どんな人も幸せになれるのでは?
なんて思ったりもしています。


実際、相談者に
考え方を変えてみる事をおすすめすると
ちょっとした思考の改善で
目前の現実が大きく変わるケースが
ちょくちょくあるのです。


自分の感情を制御するのはなかなか大変ですが
考え方を変えるのはそんなに難しくないんですよね~

ちょっとした事で
幸せに近づけるのなら
試してみるのもアリかも?しれません。










自分が不幸だと思っている人は
特に嫌な出来事に対しての考え方が
幸せな人と正反対だったりします。


不幸な人は、利己的な言動が多く
幸せな人は、利他的な言動が多い

不幸な人は、否定批判が多く
幸せな人は、肯定が多い

不幸な人は、自分以外を変えようとし
幸せな人は、まず自分が変わろうとする


幸せな人は、善意が多く、常に謙虚で
努力を惜しまず、多くに尽くす為に過ごしている。

常々感謝し、その感謝に報いるために日々を過ごしているわけです。




私自身、過去を振り返ると
常に自分以外を変えようとしていましたね~
自分以外を変える事ばかり考えていました。

自らが変わろうとしないので
当然、否定批判や不平不満が絶えませんでしたね~w

そして、全く感謝できませんでした。
本来、感謝しないといけない出来事が
自分の中では当たり前の事なので
人や社会に報いたいなどと思う事が全くできないのです。
社会に報いるどころかどうして自分は報われないんだろ?
くらいに思ってました。w

毎日がしんどいので
もっと楽をしたいと常にそう思っていました。
何かに向かって努力するわけでもなく
ただただ、惰性で日々を生きていました。


周りに対して、善意を向けるより
悪意を向ける方が多かったです。
常に求めているので
自分の思い通りにならない物事に対して
誰か何か自分自身を責め続けていましたね~
自分が常に『悪』を生み出していたのですが
全くその自覚はありませんでしたけどね。w

10人10色人それぞれ考え方が違うのを知っているのに
自分と価値観の違う相手にイラつき
ただの違いなのに
批判されたと勘違いして攻撃したり・・w
ゆるす心が、欠如していました。

ゆるせない事が多かったので
理不尽なゆるせない出来事ばかりを突きつけられました。
まぁ~慈愛の精神に反した行為なので
そうなるのは、必然なんですけど・・w



やっぱ一番の原因は感謝できないから?かな?
誰しも自分に色々尽くしてくれた人には
そのお礼をして報いたいと思うものですよね。
それは、その人に感謝しているから
そう思えるわけです。

なので世の中に対して感謝していれば
誰だって社会に貢献したい!と思えるわけです。
両親や身内、知人や友人に対してもそうですし
そもそも、感謝していないから
利己的な考え方に終始してしまう・・


自分は不幸だと思う人の殆どが・・
(いや?100%かな?)
利己的な物事の考え方をしているので
幸せを掴む為には、どうしても利他的な想いが必要になる。

とは言え、そう思えない以上、言動が伴うわけもなく
思えないまま、利他的な言動を繰り返せば
とってもストレスになるわけです。w

利他的な想いは、感謝できないと
生まれないような気がするので
はやり、感謝する事から始めた方がいいのかも?しれません。


私自身も感謝するようになってから
社会に貢献しないといけない!と焦るようになり^^;)
そんな事ばかりを考えるようになりました。

また、『与えたい!』と思うようになると
我欲を求める事が減ってくるので
自然に不平不満や否定批判もなくなってくる。
イラつく事やムカつく事もなくなってきます。
悪意を生み出さなくなるわけです。
悪意を生み出さないので悪意を向けられる事もなくなり
穏やかな日々が増え始める・・

否定批判や不平不満が多いと
嫌だ出来事ばかり続くようになるのですが
色々と奉仕活動を続けていると
色々な人から尽くされるようになります。
感謝すればするほど、感謝する出来事が増えるわけです。


私が体験した理不尽な辛く苦しい出来事も
今思えば、その体験があったからこそ今の自分が在るとそう思うわけです。
辛く苦しい現実も、考え方次第で感謝できる。
松下幸之助さんが、貧乏だったから、ありとらやゆる仕事に感謝できた!と
おっしゃったように、辛く苦しい現実ほどありがたい事だと思えるようになるのです。


なんだかんだと、考え方ひとつで
どんな人も幸せになれるのかも?しれません
結局は己を見つめ、自分の中にある幸せに気づくか?否か?なんでしょうね。

『バカと言う人の方がバカ』の意味を知る

子供の頃
『バカと言う人の方がバカ』と教えられ
自分をバカにする相手に向かって
『バカという方がバカなんだよ!や~い!や~い!』
なんて言っている姿をよく目にしたものです。

当時は『なぜ?そうなるんだ?』と
良く思ったものです。w






粛々と修行を重ね、いいおっさんになると
その意味がとてもよく解るようになりました。
今更?と思うかもしれませんがw
私なりの解釈を記してみます。











ここ最近、見栄により
自身の人生を壊し続けている人の相談を
続けて受けました。

他人から認められたい!という欲望が
ついついイイカッコをし過ぎて
後の祭り・・となるわけです。

度が過ぎると、周りを巻き込んで
絶望の淵に落ちてしまう事もあるでしょう。


私自身も驕りや慢心、見栄などで
痛い思いをした経験があるので
そんな煩悩が自分自身を見えなくする事を
良く理解しています。

なんだかんだと周りを見下し
優越感に浸ってしまうわけです。
自分の下を見続けて、安心したい自分に
全く気づけないわけです。w
優越感に浸りたい、尊敬されたいとう願望・・
恐るべし!ですね。w


そして自信と驕りを履き違えて
何でも自分都合で解釈する。w

全く馬鹿馬鹿しい行為なのですが
その事に気づけないので
痛い思いという現実を
大自然が突きつけ気付かせてくれるわけです。


流されて生きると
痛い思いをしなければ気づけない・・
全く愚かな事です。




とは言え、自分で自分を知る事は
なかなか出来ないものです。

私の場合、周りを理解しようと努力する事で
ダメダメな自分を知る事が出来ました。


きっかけは、私の敏感な体質です。

恐らく、私は周りの人が観ている世界とは
全く違う世界を見ているのだろう~
と、仮定して、この感覚がない人は
何をどう感じて物事をどう判断しているのだろうか?と
考えるようにしてみたのです。

すると、私の意見と食い違う事が多いのは
当然だ!と、知る事ができました。
見えているモノ、感じているモノが
全く違うわけですからね~

なんだか心が軽くなった経験をしました。

自分を理解してもらうより
相手を理解した方が、毎日が過ごし易くなる事を知ったのです。

そんな経験をしたので
もっともっと色んな人を深く理解しようと思いました。

人それぞれ経験値が違う為
同じ出来事でも感じ方捉え方が違う事にも気づけました。

自分を理解して貰おうなどと
いくら思った所で、経験値が違えば無理なわけです。


こんな事を繰り返していると
ムカつく相手の発言は
必ず、自己改善する為の強いメッセージだと
言う仕組みが存在していると思うようになったのです。


私の場合、否定批判、不定不満だらけだったのでw
自分がダメダメだと気づく事ができましたね~


自分を知れば知るほど
ダメな自分に気づけるんだな~
なんて、思うようになったわけです。


当然、ダメな自分をたくさん知るので
謙虚になってきます。

私の場合、若干の謙虚ですがw










私は会社を経営しているのですが
何か特別な才能があるわけではない事も知りました。

よくよく自分を振り返ると大企業に勤めるだけの
才能がないので、会社を経営しているわけです。

誰でも知っているような上場企業での
打ち合わせなんかに行くと
私なんかより頭脳明晰な方々がたくさんいます。

サラリーマンより自由になるお金があっても
借金があるので、収支計算すればマイナスです。
決算書が黒字でも、借金があれば
サラリーマンの方々より、お金がないのが真実です。

銀行から借りたお金で会社を経営し
お金があると勘違いしたまま
『社長!』なんて呼ばれて
調子こいているわけです。w


冷静に考えると
一般サラリーマン以下の存在なんですよね~w



学生時代の成績を振り返っても
平均的な所だったし
何か特別長けたものがあるわけではない・・

異質な感覚のせいで、社会的不適合者ですし・・^^;)



そうやって、自分より上を見るようにしながら
自分を振り返ると
もっと努力せにゃあかん!!と言う事がわかるわけです。w


はぁ~(〃´o`)=3
と、ため息もでるわけですw




ですが、そんな気持ちのまま居られるわけもなく
プラス思考に変換し
ダメな自分に気づけて良かった!
まだまだ、たくさんの可能性がある!

と、努力するようになるったのです。
色々と、努力してみると
毎日毎日、流されて生きてきた自分に気づけましたね~


ダメな自分に気づけて、本当に良かったです。
いや~本当に、驕りや慢心は自分をダメにしますね!





これらが、周りを見下しバカにすると言う事は
全く自分が見えていない証だ!と知った経験です。


ようするに常に己を見つめて努力している人は
自分自身の愚かさを知っているわけで
誰かをバカにする事なんて出来ないわけです。


人をバカにして得られるものは
優越感なわけですから
そんな感情に浸りたい自分を知る事ができない状態です。

それを知っている人は、人をバカにする事はしない。
というか、出来ないですね~

即ち、『バカと言う人の方がバカ』なわけです。w


まぁ~人をバカにする動機を
しっかり見れば解る事なんですけどね・・



とは言え、昔の人たちは、しっかりと
自分を見つめる事ができていたんでしょう。