修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

善悪の決めつけを止めると自分の視野がかなり広くなり、毎日が楽しくなったりする・・

私たちは義務教育を経て
正しい事、間違った事を学びます。

ルールを設けて
そのルールを守る事を
正しい事としなければ
集団生活の社会の秩序が保てないし
社会も発展して行かないからでしょう。

ルールを守らない人ばかりだと
メチャクチャな社会になりますしね~

では、人が創ったそのルールは
本当に正しいのだろうか?
そもそも、正しいとは何だろうか?
何に対して正しいとするのか?を
よくよく考えると
自分達に都合の良い事のみが正しい事
もっと言えば
自分達が満たされる事が正しい事
そして、自分が辛く苦しい事は悪い事
ではないのだろうか?

煩悩が人の苦悩を生み出すのならば
煩悩に忠実な、その正しさにこだわると
どんな人も苦悩を招いてしまうのでは?

実際に私の所に相談に来る方々の多くは
この善悪呪縛が原因で苦しんでいます。

ようするに自分からの視点のみで
物事を判断し、自分が辛く苦しいと感じれば
その苦悩を与えた相手は、全て「悪」にしてしまうのです。
とても愚かで、自分勝手な解釈をしているのですが
誰しも無意識に自分は正しい前提で物事を
捉えようとしうるので
そんな事すら全く気づけないのです。

誰しも自分が間違っていると
常々思いたくはないですからね~

私自身も自分の中にある
自分勝手で身勝手で利己的な思考が
多くの悪を作り出し、自らの心身を崩壊させましたね~
自分が悪と認定したものとはとことん戦い
結果として、理不尽な苦悩をたくさん体験しました。
自分に厳しいから、周りにも厳しんだと
そんな風に思っていたのですが
実際は、ただゆるす心が欠如していた
だけだったのです。

まわりの人より
ゆるす事が出来なかった為
自分が生みだした悪と戦った・・w
悪自体を自分が生み出している事にも
全く気づく事が出来ず・・
気付けば自分の周りは悪だらけとなり・・
なんて最低な世の中なんだ!
くらいに思っていましたね~ww

当時と同じ現実を見て感じて体験しているのに
今の私は、この世の中は素晴らしい!と
そう思っているのです。w

いや~結局は自分次第という事を
長い時間をかけて学びましたね。w

悪をゆるせず、人を恨んだり、自分を責めたり・・
幼い頃からの洗脳が私にはピッタリはまり
自分の心を壊してしまったわけです。


自然界のルールからすれば
ゆるす事が正しい事なんですが
なんでもゆるせば、社会の秩序が保てないほど
人間と言う生き物は愚かなんでしょう。

そして、幼い頃からの洗脳が
ゆるす事をできなくさせてしまっているわけです。

まぁ~私たちは社会の一員であり
社会のルールの中で過ごしているので
そんな事を考える機会もないですしね。

ただ、その仕組みがあるおかげで
私たちはゆるす事を学ぶ事が出来る
ゆるせない出来事があるおかげで
ゆるす事を学べるのでしょう。



しかしながら、これだけ心を壊す人が増えると
そろそろ自分の価値観を変えてみた方がいいのでは?
と、そう思ったりするわけです。
自分以外の事を深く思いやり
その思いを言動に移すだけで
簡単に苦悩から解放される自然の法則がありますしね~







私自身、善悪の判断を止めてしまった事で
かなり自分の視野が広くなった経験をしました。


例えば、他人を傷付ける事は
本当にいけない事なのか?
私は、愛を持って他人を傷つける事は
とても素晴らしい事だと思っています。
自分の心にダメージを受ける事で
心が強くなって行きますしね~
怒ると叱るの違いです。


そもそも、他人に傷つけられるのは
それまでの自分の言動が原因なので
簡単に人を傷つける行為を悪としてしまえば
自分自身の成長の妨げになり
更に辛く苦しい現実を
大自然に突きつけられてしまいます。

現代社会ちょっとした一言で
自殺してしまう心の弱い人もいますが
ひょっとしたら人を傷つけてはいけないという常識がある為
どんどん人の心を弱体化させてしまったのかもしれません。


とは言え、人を傷つける行為が無くならないのは
私たちの心の成長に必要不可欠な行為であり
それが、自然界のルールなので
何をどう足掻いても、人間ごときの身勝手なルールでは
どうしようもないんでしょう~


本当に笑っちゃうのですが
「あなたの〇〇という言葉で傷ついた!」
と、怒る人が、結構いるのですが
それを言われた方は
「あなたの〇〇という言葉に傷ついた!」
という言葉に傷つくわけです。w
自分の事しか考えていないので
それを言われた側の気持ちを考える事などせず
自分が傷ついた!という主張しかできないのです。

こんな事を言うと「最初に傷つけた方が悪い!」
くらいの事を言う人までいますしね~w

一方通行な視点で物事をみていると
常に悪を生み出してしまうので
しんどい人生になってしまうのですが
自分の視点のみという狭い視野が
その事さえ気づけなくなるわけです。


自然界の法則からすれば
常日頃から相手の事を理解しようとしていなければ
自分が傷つく言葉をたくさんの人に向けられるのは当然なのですが
善悪の決めつけが、その事に気づかなくさせてしまうのだと
私は、そう思っています。

人が傷つく言葉は「悪」というルールが
自分が傷ついた→傷つけた相手が悪い、としてしまい
相手を理解するという思考を停止させてしまうのです。



言動には動機があるので
なぜ、そんな言葉を自分に向けたのか?
また、なぜ?自分はその言葉に傷ついたのか?
どんな言葉を向けられたかったのか?
その為にはどうすれば良かったのか?
自分は周りの人を理解しようとしていたか?
などと、考える事を繰り返すと
どんどんと自分は成長して行くものです。
他人の言葉に傷つく人は
ほぼ100%他人を理解しようとせず
自分の気持ちばかりを優先しているからですし
それに気づかせる為の苦悩なんですよね~

ひとつひとつの苦悩を悪とせず
善としてとらえると、同時に視野が広くなって行き
毎日が楽しくなったりもします。

結果として、自分を傷つけた相手に感謝できるのです。
自分を傷つけた相手がいたおかげで色々と気づく事ができたのですしね~
コレ本当にマジです!(-_☆)

まぁ~善悪に囚われている以上
自己の成長もなく、辛く苦しい事ばかり起きるでしょうし
気付けば、自分の周りに「悪」を探すようになり
常に、誰か何かを否定批判していないと自我を保てなくなる・・
そして、その事実に全く気づけないまま
心を壊すが、重い病気を患う事になるわけです。




また、不倫などもそうでしょう~ね。
『不倫はいけない事』とするだけでは
不倫した人は、いけない人・・で終わらせてしまいます。
なぜ不倫はいけない事なのか?と問えば
妻を傷つけてしまうから
夫を傷つけてしまうから
子供が悲しむから、両親が悲しむから
と、答えるのが一般的でしょうし
それ以上深く考えたりする事もなくなってしまいます。
だって、それが社会の常識ですからね~
常識に囚われた狭い視野しか持てなくなってしまうわけです。
本当に妻や夫が傷ついているのか?
本当に両親や子供が悲しんでいるのか?
そう考える人と
不倫にも色々なケースがあり
一言で不倫は悪い事としてしまうのは
とても浅はかな考え方でしょう。



例えば、夫が不倫をした事で
夫の大切さを再認識できた。
また、夫に毎日ガミガミ言っていた事を反省し
以前より、優しく接するようになり
穏やかな夫婦生活を過ごせるようになった。

父親の不倫により両親が離婚し
毎日の夫婦喧嘩がなくなって
子供の非行がおさまった・・
とか・・?w

出来事に対して自分が何にどうフォーカスしているかで
自分の心のありかたが全く違うものになったりするわけです。




人に優しくする事が良い事・・・
人を傷つける事は悪い事・・・

私に言わせれば、常識ってのは
社会の秩序を保つための一般論であり
自分たちの煩悩を満たす為に最低限必要な
人の意識に過ぎないんじゃないの?って感じです。w
そんなモノに拘ったら、みんな不幸になる!
と、思ってしまうわけです。
現に精神を患う人たちが増えていますし
実際に善悪の判断を止める事で心の病が
治ったりする人もいます。

善悪の判断を洗脳されている私たちは
なかなかその洗脳を解呪できないのかも?しれませんが
時に自分がフォーカスしている所を
変えてみるのもいいかもしれません。






重い病気になった、大きな怪我をした・・
というのも全く同じで
病気になったり、怪我をしたりする事で
気付ける事は沢山あります。
例えば、利き腕をケガをする時は
身近な人に感謝が足らない時ですし
足を怪我すれば、立ち止まって自分を省みる時だと
私はそう思っています。

病気になって、普段の生活に支障が出る時も
同じように、感謝が足らない時だったりします。
ただひたすら我欲を満たす事ばかりで
家族や友人、社会の為に尽くそうとしなければ
100%どんな人も病気になるのが自然の法則です。

ちょとした頭痛や腹痛、風邪をひくのも
至らない自分に対してのメッセージなのですが
病気や怪我=「悪」としていると
その事に、全く気づけないわけです。

病気になったお陰で、気付ける事は山ほどある。
私自身、ちょっとした嫌な事、辛い事のおかげで
日々、成長できているので
辛く苦しい事がない世界なんて真っ平ゴメンです。

そもそも、辛く苦し出来事の全てが
自己の成長の為にあるので
その辛く苦しい出来事を「悪」としつづければ
自らの成長はストップしたままであり
大自然は、成長を促す為に
更なる苦悩を与えて来るわけです。

そして自分は不幸な星の下に生まれたのだと
勘違いし、自分の不幸を嘆き続ける・・

この呪縛は善悪の決めつけを止める事で
いとも簡単に解呪できるのですが
幼い頃からの洗脳が、邪魔をするんですよね~



なので、私は「悪」こそが神だ!とマジでそう思っているんです。
悪を拒絶する事は、神を拒絶する事となり
幸せを拒絶している事に等しいので
幸せになれるはずがないのです。

しかし、「悪」は神からのメッセージと受け止めれば
自分自身はどんどんと成長できる
辛く苦しい現実を乗り越える事で
とても大きく成長できた自分に感激し
「悪」というメッセージに心深く感謝できるわけです。


嫌な事、辛い事、苦しい事が続くのは
それらの出来事を「悪」として排除しようとしているだけだからでしょう。
重く自分にのしかかる苦悩は
今までちょっとした苦悩と向き合う事をしなかった・・
ただ、それだけの事なんでしょう。

幸せのきっかけを自ら排除していれば
幸せになれるわけもありません。

ならば、たった今より善悪の判断を止め
目前の出来事から多くを学び自らを成長させる努力をすれば
同じ現実でも、毎日が楽しくなるのではないだろうか?



善悪の判断を止めるのは、悪を善として考えてみると
そんなに難しい事ではないのですが
そう簡単に、出来ない!なんて言われる事が多々あります。^^;)

出来ないのであれば、自分の言動の動機を見つめてみるといいと思うのです。
往々にして、煩悩を満たそうとするから嫌な事が起きますしね~
とは言え、これも煩悩の何が悪い!となってしまうのです。w

でも実際問題、自分が何処にフォーカスいるか?だけなんですよね~
言動の動機が放つエネルギーが目前の現実を創り出しているので
そこに着目し直い限り、目前の現実は好転しませんしね~


ホリエモンが寿司職人の修行に10年もかかるのはバカだ!と
そんなネット記事を読んだことがあるのですが
お金儲け、生産性、これらにフォーカスすると
おっしゃる通り、馬鹿げた事ですよね~
冷凍寿司だって、びっくりするほど旨いですしね。w

ただ、心の成長という視点で考えてみるとどうだろう?
10年間、面白みのない作業を延々と繰り返す作業はかなり苦痛なので
私なら、同じ作業の中で、色々と模索すると思うのです。
時間を無駄にしたくないですしね~
普通に過ごしていれば、全く気づけない事にも着目できるようになりますし
それはそれで、自分の人生でかけがえのないものになるような気がするんです。
まぁ~何年も修行して、体験したから、そう言うんですけどね。

何が言いたいかと申しますと
結局は、自分が何を求めているか?次第で
善悪などどうにでも移り変わると言う事です。


辛く苦しい現実も、結局は
自分が何を求めているか?よって
善にも悪にもなるわけで
早い話、悪にしなければ、毎日を楽しく過ごせるわけです。

苦悩から多くを学ぶと言う体験が出来れば
自分の中で、苦悩=悪という思考が薄れて行きます。

また、辛く苦しい出来事を楽しむ事も出来たりします。

人生で最も大切なのは『悪』を生み出さない事でしょうね。
まぁ~これも持論ですけどね。w

目前の現実の受け止め方次第で、未来は大きく変わるもんだ~

嫌だな~と思う出来事は
嫌だな~と自分が感じなくなった時点で
その出来事は、嫌な出来事ではなくなるわけです。
即ち、自分次第で嫌な出来事など消えてなくなるのです!w

至極当然の事なのですが
なかなかそんな風に考える事はしないですよね~w

でも、実際はそんなモノなんです。

同じ食べ物を美味しいと感じる人
不味いと感じる人がいるように
目前の現実をどう感じるか?も
自分自身の経験次第で自分の価値観など
どうにでもなってしまうのがこの世の仕組みだと
私は、そう思っています。





私たちの社会は、他人を傷つけるような言動は
「いけない事」としています。
集団生活に支障が出る為に、そんなルールがあり
私たちは、そんな教育を受けています。

では、「他人を傷つける言動」とは?
と、考えるとなかなか難しい~・・
褒めているつもりの言葉に傷つく人もいるし
傷つける言葉に歓喜する人もいる・・w
結局は、相手を理解しなければ、どうしようもない。
そして、相手を理解しようとする事で
自分の感情と向き合う事が出来る。
自分がどう受け止めているかを知る事が出来なければ
自己改善できませんしね~

まぁ~どんな出来事も受け止める人次第という事です。
しかし、なかなかそんな考え方に至らないのが人間なんでしょう。





どんな人も優越感を無意識に求め
どんな人も劣等感に苛まれている・・・
それが人という生き物だと思ってます。

優越感に浸りたい欲望が強ければ
自分を否定する相手に、ムカついてしまう。
時にブチ切れしたり、心を壊したりする人までいる。

また、誰しも心のどこかで劣等感を抱いているので
自分を否定する相手を攻撃してしまう・・
そして、自分の下に見る理由を探してしまう・・
自分が見下す誰かがいると安心できるのです。
優越感は劣等感を補う作用があるので
優越感が得られないと劣等感に苛まれる・・・

劣等感が強いと怒りっぽくなると言いますが
ネットで自分の意見と違う考えの記事に対して
ついつい否定的なコメントを書いてしまうのも
劣等感が強いからなのかもしれません。

周りを否定する事で、安心感を得るのです。
というか、そうしないと不安になるのでしょう。
他人をバカにしたりするのも同じ理由です。
誰かを見下す事で、優越感を得て劣等感をなくしている・・
その心の裏側には、認められたい、褒められたいという
欲望があるのでしょう。

普段の生活の中で、認められる事や褒められる事が少ないか
認められたいと言う欲望が強い為
なんだかんだと否定的になってしまうのですが
否定の多い人が、周りに認められる事などないでしょうね。
せいぜい、同じ穴の狢で傷を舐め合うくらいのものです。
傷を舐め合う事で安心できる・・・
そして、傷を舐め合っている事実に気づけない・・・


誰しも、周りに認めて欲しいし、褒められたい生き物なので
この感情が、多くの苦悩を生み出しているように感じる事が多々あります。







で、苦悩から解放される為には、目前の出来事に対して
自分がどう受け止めているかを知る必要があるのですが
その為に自分自身をよく知らなければなりません。

誰しも、自分の事は自分が一番よくわかっていると
そう思ってしまうのですが
実際は、他人と比較して初めて自分の位置づけを知る事ができるので
他人を良く理解しなければ、自分の事などわからないのです。
自分の事を理解していると思う、その位置づけは
往々にして、自分に都合よく他人も自分も理解しています。
煩悩の操作で何一つ見えていないのが、人と言う生き物なんでしょう。

なので、まずは他人を理解する事が必要になるわけです。
これ、やってみると解るのですが
他人を理解しようとすると至らない自分を知る事が出来るんです。
そんな大自然の法則があるんですよね~
自分の価値観で他人を位置づけしている事に気づければ
かなり未来が変わるでしょう~

他人を深く理解する事が出来ると
怒りや憎しみ、不平不満を向ける事が出来る相手など
この世に1人もいない事に気づけますしね~


誰しも、「自分はこうだ!」というポリシーにようなものがあって
それと違う考え方だと、自分を否定された気持ちになったりします。
ただ単に価値観の違いに過ぎないのですが
自分の信念を否定された気分になるわけです。
そう解釈してしまうと自分の中に劣等感を抱き
対手を攻撃して自分を守ろうとする
もしくは、その劣等感に苛まれるわけです。

例えば、喫煙所でタバコを吸っているのに
喫煙所の外にタバコをポイ捨てするのを見て
ルール違反だ!と注意すると
注意された人と注意した人が喧嘩になったりします。
この喧嘩は、ルール違反いけない事だ!という価値観を
相手に押し付けた事が始りなんですが
注意した人は自分が正義だと思っているでしょう。
一般的にはそう解釈されます。
しかし、注意された方は
無意識に自分の価値観を否定されたと感じてしまい
劣等感からくる自己防衛の無意識が
相手を攻撃してしまうわけです。
自分の価値観を押し付け合っているわけです。w


心の成長を促す大自然にとっては
そもそも正義など自分都合なので
そんな社会のルールなど関係なく
「もっと他人を理解しろ!」と嫌な出来事を引き起こします。
自分は正しい!と強く思えば思うほど
トラブル続きの現実を突きつけられるでしょう。

正しい事をして何処に問題があるんだ??
と、普通はそう思ってしまうでしょうが
正しさなど所詮は自分都合でしかありませんからね~
社会のルールは人間に都合よくつくられていますしね。

大自然は、相手がなぜ喫煙所の外にタバコをポイ捨てしてしまったのか?
を、考えようとさせるために、何度も嫌な出来事を突きつけるでしょう。
要するに、自分自身が悪を生み出しているわけです。


人間関係のいざこざは、ほぼ100%価値観の相違なので
相手の価値観を理解して受け止める心があれば
ポイ捨てした人を注意しても喧嘩にはならないのです。
自分の心から出ているエネルギーが全く違うので
初めから相手の感じ方も違いますしね。

要するに、正義をかざしてダメ出しするのではなく
なぜ?ポイ捨てしたらいけないのか?を理解してもらう事が
大自然にとっては重要な事なんでしょうね。

まぁ~ポイ捨てする人の価値観を理解できれば
どうすればポイ捨てする人がいなくなるか理解できますし
その為に自分がどうすれば良いかも?理解できす。
ポイ捨てしてしまう理由があるわけですからね~
それを無視して、ただ自分の正義を振りかざしているだけでは
揉め事が増えるだけで、何一つ解決しない事も理解できるのですが
常日頃から相手の価値観を理解しようとしていなければ
そんな事すらわからいのも仕方ないのかも?
というか、そんな考え方に至らないのでしょうね。

シリアで拘束され帰国した安田さんの事件も
紛争地まで行ってリアルな情報を持ち帰る事が
世界にとって重要だと思っている人と
そう思わない人の意見が異なるわけです。
私が思うに、世界平和を真剣に考えて行動している人や
社会構造に大きな問題があると感じている人は
安田さんを批難しないでしょうね。
世界や社会に貢献しようと
考えて行動している人の方が圧倒的に少ないので
「自己責任論」の方が多数のはずです。

結局は、思いから来る行動による体験の違いであり
それによって生まれた価値観の相違という事でしょう。
体験経験していない事は、理解などできませんからね。


とは言え、マジ民主主義社会ってマジ怖いですよね~
まぁ~これも私の価値観に過ぎませんがw






私は、ダメ出ししたくなる相手や
嫌だと感じさせる相手、ムカつく人などは
神々が憑依した状態で自分に接しているとそう思ってます。w
通常なら悪魔や魔物が憑依していると
そう思うのでしょうが、私の場合は、真逆です。w

強い憎しみを抱くと自己崩壊してしまうのがその証で
(悪=神なので)神を冒涜する行為を続けているから
この世から排除される事になるんだと思いません?

そして、そう思うようにした方が
色々と苦悩の原因が理解できるようになりますし
自分の未来が明るくなりますしね~


ようするに、目前の現実の捉え方なんだと思うわけです。


どういう事かと言えばストレスを感じる出来事を
今までと違った視点で捉えて考えるわけです。

今まで、悪魔のようだと感じていた人が
実は神だったら?とか?・・w
悪魔なら排除しなければと思って終わりですが
神だと思えは、どんな試練なんだろうか?
自分は何を乗り越えなければならないのか?
と、考える事が出来るので、自己成長にに繋がるわけです。


また、社会の常識に囚われる事無く
広い視野で、自分を見つめ
今の自分が何を求めているのか?を知る事でも
目前の現実の受け止め方が大きく変わると思ってます。


この世の仕組みはなかなか面白いものなんですよね~^^)

誰も教えてくれなかった・・・商売がうまく行かない理由

商売がうまく行かず
ほとほと困り果ててしまう・・
債務超過で首が回らない・・
と、そんな相談を受ける事が
ちょくちょくあります。

私自身も他人ごとではないのですが
私の場合は負債額が大きすぎて
(私にとっては)少額の負債で困っている人の
相談相手に変わって欲しい・・
と、そんな事を思ったりもします。^^;)


負債を抱えて色々と大切な事を学ばせて頂いたのですが
負債金額を考えると、ここまでにならないと
気付く事ができなかった自分が情けなくなります。-_-;)


気付くべき事は、とても簡単な事だったのですが
その簡単な事に、全く気づけなかった・・・
何故気づけなかったのか?と自問すれば
社会のルールに囚われていたから・・・
なのかな?w
銀行に認められる会社が良い会社・・
しっかりと税金を納める会社が良い会社・・
と、そう思っていたからです。

ビジネスとは何ぞや?と考えると
ビジネス=お金儲け
働く事=生活に必要なお金を稼ぐ事

情けないかな・・そう思って疑わなかったのです。^^;)



私たちの社会には、生活に必要な
インフラを整えている企業が多々あり
また、社会を豊かにする為の企業がたくさんあります。
この社会の循環の一部となるのがビジネスであり
すなわちビジネスとは社会貢献なわけです。
社会に貢献していない企業が淘汰されてゆき
社会に貢献している企業が発展して行く
ただ単にそれだけの事なのですが
こんな簡単な事が解らなかった為
私は多額の負債を抱えてしまったのです。

私の視野が狭すぎて、気付く事ができなかった・・
自分本位な考え方が、盲目状態に陥れてしまった・・





で、その経験を活かし
負債を抱えて困っている会社に協力してみると
その考え方が間違っていないと体感させてくれました。

実際に、苦しんでいた会社が立ち直る様を見ていると
やはり、この世の仕組みを踏まえた経営というモノは
大切だな~なんて思ったりもしています。

会社を経営できる社会に感謝し
共に働いているスタッフに感謝し
お客様に感謝する・・・

これが出来れば経営難に陥る事などないのですが
感謝しているつもりになって
感謝していない事に気づけない・・・

まぁ~これも人の性ってやつなんでしょうね。

本当に感謝していれば
社会に尽したくなるでしょうし
スタッフに尽くしたくなり
お客様にも尽くしたくなる・・・

そう思えないと言う事は
感謝していない証なわけです。



今思えば経営がままならなくなるのは
社会の循環から搾取し続けるからでしょう。
儲ける為に起業して、なんとか経営が保てるのは
10年くらいではないでしょうか?
10年で瞬く間に成長する企業もありますが
その成長が搾取であれば、最終的に淘汰の対象になる・・・
10年の間に、学ぶべき事が学べなければ
経営難に陥ってしまう・・・


自分のやりたい事をやって成功する人と
そうでない人の違いは
そのやりたい事が社会に貢献しているか?否か?
のような気がしています。

従って起業する時は自分のやりたい事が
社会貢献と一致する必要があるわけです。

私のように普段から利己的に生きてきた人間には
そんな発想は全く生まれませでした。^^;)

なので、ビジネスで大切なのは
社会に貢献したいと思えるか?否か?
という事になります。


私が企業や商店に協力する時も
これが必須条件となります。

だってこの思いがなければ
窮地を脱する事ができませんし
この思いがないが故に経営難に陥っているわけですからね~


とは言え、その思いがあったとしても
不徳の量が多ければなんともなりませんが・・・^^;)

私の場合、法的には何ら問題ないのですが
社会悪と言われている業界で荒稼ぎしてしまった結果
業務内容という不徳+私の不徳という重圧で
多額の負債を抱える事になってしまったとそう思っています。

現在は社会に貢献しようと頑張るようになって
なんとか首の皮一枚繋がっています。^^;)

とは言え、少しでも社会に貢献できている事が実感できると
ガッツリ稼いでいる頃より、今の方が仕事が楽しく感じるんです。
不思議なものですね~


で・・
窮地に追い込まれた会社を立て直す方法
ですが、あくまでも私が体験した事です。


①社会のルールと自然のルールの違いを理解する

私たちの社会は自然界にあるので
自然界のルールが優先されていると言う事です。
自然界は、常に私たちの心の成長を促しているので
経営が悪化すると言う事は、心の成長が止まっていると言う事です。
大自然が苦悩の中で大切なモノを教えようとしてくれているので
自己を振り返り改善する事が急務と言う事なのです。
感謝する事、尽くす事、などが足らず
不平不満や否定批判が多ければどうしても経営が悪化してしまいます。



②自己の快楽を求めてた経営をしない

経営者が利己的な理由で会社を経営すれば
そこで働くスタッフも利己的な発想になり
会社の事より自分を優先するスタッフが集まるでしょう。
当然、うまく経営など出来ないわけです。
従って、何の為に会社を経営しているのか?
再度、自分に問いただしてみる必要があります。
なぜ?自分は会社を経営したのか?
その理由に誰かの為、何かの為という想いがなければ
一時的な利益しか得られないはずです。
会社の理念がとても重要となり
確実に理念通りに経営しなければならない。
理念を掲げるだけで、実態がなければ
どうしても、経営がままならなくなる・・・・
これが、自然界のルールだと思います。


③社会に貢献し得た利益は必ず社会に還元する

自然界には与えた分しか手に入らないと言う法則があるので
常に社会に貢献する企業でなくてはなりません。
また、得た利益は、社会に還元し続けなければ停滞してしまいます。
負債が多いと還元できないと思ってしまうでしょうが
自分の労力であればいくらでも還元できるでしょう。
1円の利益にもならない事でも、社会の為、お客様の為になる事を
沢山すればいいわけです。
『お金は後からついてくる』といいますが
初めからお金を求めていても得る事は出来ないのが
大自然の法則なのでしょう。


④スタッフの将来を見据えた経営をする

優秀なスタッフを求めているだけで
人材教育に力を入れる事を怠っていると
経営は長続きしないでしょう。
人材教育にまわす時間があれば
売上を作りた思ってしまうでしょうが
人の成長と企業の成長は比例しているので
人材教育無くして利益は確保できないわけです。
また、スタッフの教育に関わると
経営者自身が成長できます。
人の心の成長こそが大自然が求めている事なので
心の成長無がなければ、苦悩と直面するわけです。
往々にして経営者が求める優秀な人材は
自分で起業できる器を持っていますし
スタッフから尊敬される人間でなくては
だれもついてきませんしね~



と・・・
大体こんな所を改善すれば
経営難から脱する事が出来ます。
改善できればですが・・・^^;)

大変な所は、これが出来たからと言って
経営状態が改善するとは思えない所ですかね?
大体、人間は煩悩まみれなので
損得勘定で会社を経営している人が多く
稼ぐ事が良い事だと思っているので
1円にもならない事などなかなかできないのです。

早く負債を減らしたいと焦っている時に
社会貢献??
まずは、自分の生活だ!と
そう思ってしまうでしょうし
それが、私たちの社会での常識でしょう。

しかし、私たちの常識は
常に自分たちに都合の良い意識だと言う事を
忘れてはならないような気がするんです。


今までの人生で、与える喜びを体感した事がなければ
綺麗ごとだとか、偽善だとそう思ってしまうのは
仕方のない事でしょう。

そして、誰かの為、何かの為・・
などという想いは、簡単に抱く事が出来ないので
自分がそんな気持ちになれない=そんな事を言う人は偽善者
と、簡単にそう思ってしまうわけです。

なので、まずは体感する事が大切なわけです。
お客様に喜んで頂く事からコツコツと初めてみると良いでしょう。
お客様に感謝されれば、それだけで嬉しいですし
感謝してもらえる事に感謝するようになり
その内、感謝する為に、周りに尽くすようになる。

これが出来れば、会社もなんとか回るようになり
私生活も、楽しく過ごす事が出来るようになるはずです。


私たちは生活をする為に働くのですが
実際に働くという行為は、社会に貢献すると言う事だと思います。
社会が維持できなければ、いくら働いても生活できませんしね。

また、世の中は私たちの心を成長させようと
出来事を起こしているので
自分自身の心を磨く事を怠っていると
色々な苦悩と直面する事になる・・・
その出来事に社会のルールなど全く関係ありませんし
社会のルールや善悪に囚われてしまうと
どんどんと悪化してしまうので
経営難に陥る=自己の心の成長の為
と、そう理解することが大切でしょう。

せっかくしんどい思いをしているのなら
心を成長させる糧にしなくちゃもったいないですしね。^^)