修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

誰かの力をお借りしないと生きてゆけない私。

私は、内観という修行を色々やってみたせいか?
自分自身を見つめる癖がある。

『癖?』なのか?
自分でもよく解らないのだが
ひょっとしたらドSに拍車をかけたあげく
自分に向けてSしてるのかも?

とりあえず自分を戒めて快楽に浸る趣味なのかも?
・・・って事はMなのか?
でも、他人に攻撃されても快楽に浸れないので
やっぱSなんだろう~

と、よく解らなくなってきたのだが
そんな事はどうでもいい。



修行をしていると、何かと自分を見つめる機会が多くなるわけで
よくよく色々な事に目を向けると
やっぱ自分ひとりでは生きてゆけないのだ
と痛烈に思うわけです。

妻の我侭も、子供たちの我侭も、取引先の我侭も
出来る限り受け止めてやろう!とそう思った時
何一つ受け止めてあげる事ができない器の小さな自分に気づいたのである。

なぜならば、我侭を受け止めてあげようとしている
私自身が一番我侭だったからである・・・

そんな私ってどうなん??

と、さらに自分を戒めた結果
やはり、自分ひとりではどうやっても生きられないだろう~
という結論に至るわけです。


山でひとりで日々修行に励み、精神を鍛えている私としては
実に情けない話である。






夜な夜な山に修行に向かう時も、田舎なので
道中にある唯一のコンビニへ白装束のまま必ず立ち寄るのです。
店員は慣れているのですが、他のお客に『えっ?怪しい人!』という視線を
いつも浴びせられながら・・・
時には『またいるよ!こいつ!』なんて思われながら
伊藤園のおお~いお茶(濃い味)を買って、喉を潤すわけで
道中、このお茶がなくなると思うとやっぱり寂しい。

家でお茶を沸かし水筒に入れてゆけば良いだけなのだが
コンビニのお茶に依存している私としては・・・
伊藤園という会社がなくなっても
サントリーの濃い茶を飲めばいいだけなのだが
コンビニがなくなったら?と想像するだけで辛いものがある。




で、この時期の信州の山は雪が凄くて
パワーのある4WDの車じゃなきゃ修行場まで登れないので
そんな車で出かけるわけです。
普通の4WDだと、かなり下山で下車して
深い雪道をザクザクを歩いて登らないといけなくなり
どうしても、今の車は手放せない・・・


雪山をザクザク歩くのですが
右手に大きなハンマーを持ち左手に熱湯の入ったポットを入れたバケツと懐中電灯
背中には、着替えなどを入れたリュックを背負い
誰にも会う事無く、一人寂しく夜の山を、ドカジャンを羽織り、ふかふかの防寒長靴を履いて歩くのです。
雪が多い時は、腰あたりまで積もっている。
実際にその姿を目にすると『なんだ!こいつは!』と怪しさ満点のはずです。
現に、夜中の雪山で同じ姿の人に私が出会ったならば
『なんだ!こいつは!』と100%そう思うからです。


あたり一面、真っ白な雪山で一人白装束!もう俺は透明人間だ!
どうだ!熊!俺を見つけてみろ!見えないだろう!
なんて思ったりもするのも結構楽しいものです。

ハンマーは、凍った滝を割って入るのに使い
熱湯とバケツは、凍傷にならないよう滝修行の後、温まるのに使います。
年期の入ったリュックはもう20年以上使っている。

愛用の行着は、リネン屋さんに頼んで大量に作ってもらい
もう何着ダメにしたんだろうか?記憶にない・・・


氷点下10℃を下回る雪山で修行するわけですから
当然、体の芯まで冷えてしまうので、修行を終え下山し自宅に帰ると
まずは、ぬるま湯のお風呂に入るのです。
ぬるま湯でなければ熱くて入れないのですが
逆に、ぬるま湯なのでなかなか体が温まらない。
皮膚がブヨブヨになるまで湯船に浸かっているので、かなりの時間を費やします。
その間、ありがたいなぁ~と感じながら、色々と思いに耽るわけです。

  • ああ~あのコンビがなくなると困るな~お茶ってどうやって栽培するんだろう?長野でも栽培できるんだろうか?
  • 4WDの自動車って凄いよなぁ~雪山でもガンガン登ってくんだから~助かるよな~なんだか人類の歴史を感じるよ。
  • ハンマーってどうやって作るんだろう?鉄鉱石って採集するの大変なのかなぁ~?
  • そう言えば、行着って綿の糸を織って作るんだよなぁ~凄いよなぁ~作れって言われても無理だろうなぁ~
  • 最近のLED懐中電灯って、めっちゃ明るいよなぁ~電池も長持ちするし凄いや!
  • ポリバケツが木の桶だったら持って歩くの結構重いだろうなぁ~
  • リュックも凄いよな~20年以上使ってるのに、まだ全然使えるし~

とか、永遠にそんな事を考えていると・・

ん?
私は、自分ひとりじゃ何もできない人じゃないのか?
誰かの力を借りなければ、山で修行すらできないじゃん!
と言うか
私は誰かの力を借りなければ、生きる事すらできないじゃん!
と、思い至るわけです。


で、更に・・
私も社会に貢献したい!と思ってはいるものの、思っているだけで
なかなか結果を出せていない自分に情けなくなる。

心霊相談というボランティアはしているものの
そもそも、社会貢献なんていう美しい思いから始めたものではなく
ある意味、私自身の懺悔道の一部なわけで・・・
結局、何もできていない。


そんな事を考えながら、長い時間を風呂の湯船に浸かり
行き着いた答えは

どうか皆様、この先も私を生かしてあげてください!
いつか、社会の役に立つ人間になるかもしれません。
不確かな事ではありますが、思いだけはあります!

と、祈りを捧げるようにしよう。


この先も、その先も、ずっと誰かの力をお借りして
生きていく事を、誓うのであった。