修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

霊って何?

生霊が憑いていると言われた・・
先祖の霊が悪さすると言われた・・
土地因縁があるから引っ越すように言われた・・
稲荷を祀れと言われた・・
霊が見える・・霊の声が聞こえる・・
などと、そんな相談が重なったので

私自身の『霊』の定義を記してみたいと思います。
『ハッキリ言って霊って何なの?』って思いません?w


幽霊、英霊、守護霊、悪霊、霊魂、生霊、動物霊、低級霊・・・
一言で『霊』と言っても色々な言い回しや解釈があるわけですが
一般的には、肉体を持たない人のような意思のある存在という
解釈をしている人が多いのではないでしょうか?


私は昔、一般的な『霊』という存在について
かなり色々検証してみたんですが
その結果、一般的に言われている霊の解釈では
納得できないものばかりでした。
まぁ~私が偏屈なだだったりしますが・・^^;)



私は、霊=人の思念、想念だと思っています!
その根拠は
まず、しっかりと会話が出来ないところです。

想念なので、家族構成や両親の名前
生前の住所番地、電話番号など答える事ができません。


例えば、死亡事故現場で花が添えてあり
そこに女性の霊がいます。
その例は、3年前にこの場所で死んだと言い
その無念を告げます。

貴方の生前の両親の名前は?
住所番地は?
電話番号は?
と、聞いてみれば
答える事はできないでしょう~

言葉として伝えてくるのは
無念だという内容のみです。
ようするに無念という想念が
その場所に存在していると言う事です。


極まれに応える事の出来る霊もいますが
人と同じような会話はできないので
霊の言う事が解る人は
色々と試してみるのもいいでしょう。


殆どの霊が過去の記憶がないという考え方も出来ますが
そもそも初めから記憶なんてないと思った方が
合理的ですし、人の思念・想念だと思った方が納得できます。


霊体に、色んな質問を繰り返してみたのですが
適当な事をいうモノ
『もう忘れた!』くらいに誤魔化すモノもいれば
怒り出すモノもいました。







私は、人の想念を感じ取る事が出来るのですが
霊体も、それと同質のエネルギーのように感じるのです。

人の感情が生み出すエネルギーは
医科学的にその存在を証明されていませんが
私は、霊的現象に限らず、そのエネルギーが
多くの事象を引き起こしていると思っています。

例えば、道に落ちている石コロを持ち帰り
その石は、観音様だ!と心から信じ
毎日、拝み大切に奉れば
その内、観音様としての言霊を発するようになるでしょう。
ある日、突然キラキラと輝くかもしれません。

人が生み出す思念、想念は
それだけの力があると言う事です。
神社仏閣で祀られているご神体は
多くの人の人の想念が蓄積されており
その存在を『神』や『仏』としているに過ぎないと
私はそう思っています。

京都の国宝級仏像なんかは
見せ物となっているので
神々しいエネルギーは
もうなくなっているように感じますしね。



俗に言う、『霊』という存在は
人の思念に過ぎない・・・と
私はそう確認しているわけです。


なので、普段から不平不満が多ければ
不平不満の想念と同調する事が増えてしまい
無念を伝える霊に憑かれたりする・・・
日々、自分勝手に過ごしていれば
人の迷惑省みず、の霊に憑かれてしまう・・

まぁ~霊なんて人の想念ですから
何処にでもいますからね~










霊を見た事も感じた事もない人が
霊が見える人から『霊が憑いているよ!』なんて言われると
やっぱ気になりますよね。
私も逆の立場だったら、気になって仕方ないですし
大騒ぎしているかも?しれません。w

ですが、私は霊が憑いていない人など見た事ないんです。
霊体にもエネルギーの強弱があるので
その強さによって見えたり見えなかったりするのと
波長の合う合わないがあるのでは?と思っています。

ラジオのチューニングが合う合わない・・みないな感じ?
強いエネルギーを放つ霊体は、強制的にチューニングを合わせてくる・・
のかも?しれませんね。

私の場合は、単に簡単にチューニングが合いっぱなし
になるんでしょうね。

俗に言う霊能者と呼ばれる方々は
そのチューニングを自力でできるわけですが
自分が持つチューニングの範囲が人それぞれ違うので
霊能者によって言われる事が全く違ったりするわけです。

霊=想念なので
人の思いや記憶を感じ取る事も出来ます。
なのでチューニングが何処と繋がっているのか?が
解らない霊能者は、単に相談者の記憶を
感じ取っているだけなのかも?しれません。
しかし、自分が思っている事を言い当てられれば
凄い!この人は神だ!くらいに思ってしまう人もいるでしょう。


霊視時に自分が何処と繋がっているのか?
何と繋がっているのか?は、そこそこ訓練すれば
何となくわかりますが、範囲を広げる為には
自分自身の心の成長が必要になると思っています。

なぜならば、自分自身が持つエネルギは
常に全方向に放っているので
自分が霊視している範囲は
常に自分のエネルギーが重なっている為
どうしても、その影響を受けてしまうからです。
なので、人によって見え方感じ方が違う・・

まぁ~自分が成長すれば視野が広がるのと同じですね。
若気の至り、という言葉があるように
心が幼稚だと、視野が狭いままであり
霊視する範囲も同じという訳です。


私としては、
霊が憑いているとか、先祖の因縁が云々とか
そんな事を言われたとしても
100%無視して大丈夫だと思っています。

心が幼く、自分の視野が狭いので
嫌な出来事を目に見えない存在のせいに
してしまうわけです。




人の思いや感情が生み出すエネルギーは強力なのですが
医科学的にその存在を測定できない為
我々の社会では無視されています。
証明出来ないものを、どうこうする事は出来ませんしね。

でも、私はそのエネルギーが
自分自身の目前の出来事に
大きな影響を与えていると思っています。
思うというか・・
そう見えるんです。^^;)



例えば、不幸の多い人は

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こんな感じに見えます。
霊なんていっぱい見えますし
除霊した所で、どうこうなるモノじゃありません。
体内も同じようになっているので
体調不良や病気になりやすいでしょう。

黒いモヤモヤは
常日頃から抱いている感情が
生み出したモノや
どこかで拾って来た
同質のものだったりします。


あくまでも、私のエネルギーを含んだ上で
そう見えるのですが
この、モヤモヤは、怒っている
人から出てくる状態も見えます。


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よく怒っている人のイラストを
こんな感じに描くのですが
この吹き出しが・・・

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こんな感じに見えるわけです。

このモヤモヤは人の感情によって
見え方が違います。
恋愛真っただ中の人は
キラキラしていますね~
何か良いことがあった人も
キラキラしたモノが見えます。
徳の高い人は
ホワホワしたモノが見えます。

強い感情は
濃く大きく見えます。

これらの、モヤモヤ、キラキラ、ホワホワに
焦点を合わせて霊視すると
その人の過去の経験がわかるわけです。

なので、私は
過去の経験値が常に
目前の現実に影響を与えている
と解釈するわけです。


エネルギーが強いこのモヤモヤは
写真に写ったりします。
オーブと呼ばれたりしていますね~

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私がそうだったのですが
私の写真を撮るとオーブや
白い煙のようなモヤモヤが良く写りました。
精霊だ!なんて言う人もいましたが
実際に自分に纏わりつく霊の存在を
知っていたので、それらが写っているだけ
なんですけどねw

なので、写真は大嫌いでしたね~w
証明写真を撮るのも一苦労でした。w






で、人の感情が生み出すエネルギーは
アメーバのように同化したりします。

よく引き寄せの法則何て言いますが
エネルギーの同化現象が生み出す
『縁』の影響だと思っています。


煩悩が生み出す感情が生み出すエネルギーは
どんな人も持ち合わせているので
そこら中に落ちており
自分に纏わりついているエネルギーと
同化するので、増幅する事があります。

自分が生み出した強い感情のエネルギーは
どうどん強力になり
霊と呼ばれる存在に進化し
人の姿で目の前に現れたりします。

その霊体の主導権を
拾ってきたエネルギー側が持つと
俗に言う悪霊に憑かれた状態と
表現されているわけです。

強い怒りや強い欲のエネルギーは
妖魔、妖怪と呼ばれる存在になったりします。

いくら除霊した所で
それを生み出しているのが自分自身なので
一時的な改善しかできないでしょう。

逆に至らない自分自身に気づく事が出来て
心が成長出来れば、自らの感情が
生み出すエネルギーも変わり
そう言った輩は自然に離れて行きます。


自分に負の感情が多ければ
そんなエネルギーを多く纏っている事となり
そのエネルギーは、増幅しようとするので
同じように負の感情が多い人との縁が増えます。
否定批判の多い人は
同じように否定批判の多い人との縁が増えます。
要するに、自分を否定批判する可能性の大きい人との
縁が増えるわけです。
攻撃する相手が同じであれば
同朋のように感じますが、長続きしません。
目前の現実は自己の成長の為にあるので
そもそも、否定できる現実など存在していないのです。
その為、自分を省みず、嫌な相手を攻撃している人に
明るい未来があるわけがないのです。

民主党しかり
小池知事しかり
石破氏しかり、です。

この仕組みは、人間社会のルールは
完全無視なので
なかなか納得できないと思いますが
否定批判の感情が苦悩を生み出し
多くを学べる仕組みが存在しているという事です。






負の感情ではなく
感謝や慈愛の感情にも同じ現象が起きます。
何事も順調に進める事が出来る人は
そう言ったエネルギーが多くあり
負の感情が生み出すエネルギーを相殺するので
良き縁に恵まれます。
尽くす喜びを知っていれば
同じように尽くす喜びを知っている人との縁が増え
お互いに与え合い成長し合えるわです。

負の感情の多い人と
真逆の人生となるでしょうね~


人が持つエネルギーについては
色々検証してみた結果
その法則だけではなく
色々とあるように感じているのですが
それついては、そのうち掲載したいと思います。





とりあえず、霊=人の想念・・
なので、霊に憑かれているとか言われたり
霊が見えたり、言葉が聞こえたり
そんな事で不安になったならば
まずは、常日頃の自分の心のありかたを
直視し、省みて改善する事をおすすめします。

霊的現象や先祖の因縁のせいにしてしまうと
どうしても、自己改善できなくなり
自己の成長が止まってしまいますからね~

霊的現象の追及は
未知の世界の探究のようで楽しいですし
それはそれで、いいと思うのですが
自己の快楽追求のために
利用しようとするのはやめた方が良い気がしています。

先祖供養をすれば救われるとか
勤行をすると良い事があるとか
そんな行為は、自分の人生に向かって
一生懸命努力する行為を完全に否定しているように
思ってしまうのです。

先祖供養は先祖に感謝をする為
勤行は己を磨く為
なら、良いんですけどね~

なかなかどおして
人間とは、私も含め欲の塊なので
感謝する事なんで簡単にできないんでしょう~w

悪を生み出すと自滅するのが、大自然の法則である

世の中には色んな『悪』が存在しますが
その『悪』は、全て人が生み出しているわけです。
要するに自分が『悪』としたもののみが『悪』となり
『悪』とは、自分で生み出すモノと言う事になります。

なかなかそんな風に思えないですけどね。
なので、誰しも無意識に『悪』を生み出しまくってしまうのが
人の性なんでしょう~


この世界は、私たちに慈愛の精神を学ばせる為に
煩悩を背負わせ、利己的に生きる本能を植え付けています。
そして、煩悩に忠実に生きて行くと必ず苦悩に直面し
相対する慈愛の心を学ぶ事ができる。

従って、『悪』を生み出している事に気づけなければ
必ず、辛く苦しい未来へと歩む事になるわけです。


じゃあどうすればいいの?
なんて、よく聞かれるのですが
自分が『悪』としてしまう現実をなくす為に
自分自身は何をすべきなのか?を考えて行動すればいいわけです。


例えば、自分に対して嫌な事をする相手を『悪』として
ただ、責めていれば、嫌な出来事が増え続けるだけなので
その相手が、なぜ?嫌な事をするのか?を『理解』し
また、この出来事から何を学ぶべきなのか?
どうすれば良いのか?と『自己改善』するのです。

自分が変われば現実が変わる事も体験できますしね~


誰しも、これを繰り返す事で自身は成長し続ける事ができるのですが
『悪』を生み出して終わりでは、自己の成長はないわけです。
『悪』を生み出している状態は自己の成長が止まっている状態なので
精神年齢が幼いままと言う事になります。
良い言い方をすると『純粋だから・・』となりますが
言い換えれば、幼稚なだけなんですよね~w


森友加計学園問題の報道を見ていても
『悪』を生み出しまくっているだけなので
似たような問題が、過去から何度も繰り返すわけです。

維新の会が提唱しているように
政治献金を違法にしてしまえば良いのでしょうが
政治家も人の子なので我が身が可愛いわけです。
落選した政治家は、お金がなければ惨めなものですしね。

まぁ~国民が裕福な暮らしを求めている以上
政治家も個人の利益を追求するのは仕方ないでしょう。
現実は鏡ですからね~






理念に基づいて経営している会社は
どんどんと業績を伸ばしているのですが
利益=社会貢献としているからなのでしょう。
本来利益追求しなければならない企業の方が
政治家なんかより社会貢献に貪欲なわけです。


我が国も国家理念をしっかり掲げていれば
政治家の方々もダメ出しし合いっこしなくてすむのでしょうが
いやはや・・企業勤めの経験がなければ
なかなかそう思えないでしょうね~

私も企業勤めの経験がなかったら
周りにダメ出ししまくってると思います。w


ちなみに当社の取引先の
キャバクラチェーン店の事務所には
『ダメ出し禁止!』と張り紙してあります。
『悪』を生みださないので、業績の良い会社です。

ダメ出しほど不毛な行為はないと理解し
人を責めるのではなく、仕組みを改善しろ!
と、常々提唱しているようです。



この行為やってみると解るのですが
自分の甘さが、身に沁みてきます。w
結局、自分に甘いから『悪』を生み出すのか~
って所に行きつくので
ダメ出ししている人を見ると=自分にかなり甘い人
と、見えてしまうわけです。w


まぁ~自分は良くて他人はダメという
判断を無意識にしてしまうのも人ってものなんでしょう。
なかなか自分を知る事は難しい~

否定するな!と、否定する事を否定してしまったり
こだわらない!と、こだわらない事にこだわったり
自分の価値観を押し付けるな!と
自分の価値観を押し付けてはいけないという
価値観を押し付けてしまったり・・・w

なんでもかんでも自分中心に考えてしまう
自分自身になかなか気づけないものなんです。





とは言え、目の前にある事象を
自分以外の視点でしっかりと観察し
その事実を受け止める努力をしなければ
どうしても『悪』を生み出してしまう・・・
そして、その『悪』が自分自身を蝕んでゆく・・・

心を壊したり
病気になったり
絶望を感じたりする出来事に直面する事になる・・・


厄介なのが、自分が生み出した『悪』のエネルギーは
自分以外にも多大な影響を与えている事です。


負の感情が多い人は
大気中にある、その感情が生み出したエネルギーを
体内に取り込んで行く・・・
また、負のエネルギーの多い場所や人に
縁が多くなるので
必然的に負の感情が増え続ける・・・
気付けば、毎日毎日負の感情を生み出していないと
いられなくなり、不平不満や愚痴ばかり
口にするようになる・・・・


こんな事を続けていると
気付けば、絶望と向き合う事になる・・・



私は、普段から絶望を感じている方々の
相談を受ける事が多いのですが
往々にして、これらの仕組みにはまっている感じがしています。
なので『悪』を生み出す事を止めれば
簡単に改善してしまう・・・
霊的な苦痛もパタっとなくなります。



現在、認知症や精神病を患う方が増え続けているのですが
この現実から学ぶべきことはとても多い・・・
言葉が通じない家族や
ルールを守らない家族は
ほとほと困ったものなのですが
自分の価値観をぶつければぶつけるほど悪化してしまう・・
自分が困るからという理由で『病気』という枠組みにはめ
薬漬けにしてしまえば、最悪の呪縛からは逃れられなくなる・・・

認知症や精神病の方々には、言葉は通じない・・・
しかし、自分の思いには、敏感に反応する・・・
私は、これらの事象をみていると自然界から強制的に
自分の価値観で物事を判断しない練習をさせられている
ように感じてしまうのです。

ようするに『悪』を生み出さない練習をさせられている
と、そう思ってしまうのです。


しっかりとルールに縛られた社会で過ごす
私たちには、なかなか難しい事ですが
大自然からすれば、そんな事は全く関係ない・・
ただひたすら慈愛の精神を育ませようとするので
ゆるす事が出来るようになるまで
ゆるせない事が起き続けるわけです。


ついつい自分で生み出してしまう『悪』・・・
自分で自分を壊さないよう気を付けないと!・・
ですね。^^;)

自分の生き様を全否定すると幸せになれるかもしれない・・

誰しも自分を否定されると気分が悪いものです。
一生懸命やっているのに・・・
頑張っているのに・・・
その努力を否定されれば
嫌な気持ちになるのが人と言う生き物でしょう。

とは言え、気分が悪いからと言って
拒絶していれば、自らの成長はない・・
そもそも自分自身に必要な現実しか起きないのが
この世の仕組みなので
『否定された』という事実を
しっかりと受け止め受入れ
自分自身を振り返る必要があるわけです。

自分にとって嫌な出来事は
自己の人生においてとても大切なモノなのですが
気分を悪くするような出来事は
どうしても拒絶してしまう。

中には、否定した相手を
誤解している・・とか
勘違いしている・・とか
そんな言葉で誤魔化す人もいる・・・

嫌な出来事が起きる為に
自らを振り返らなければ
何度でも繰り返し嫌な出来事は起き続け
そして、その大きさは月日と共に大きくなる。
自分に都合の良いものだけを
受入れて過ごす事が出来る世の中など
何処にもないのです。

これが、大自然の法則だと
私はそう思っています。

昔の私は『受け入れる』って言葉を嫌悪していました。w
何をどう受け入れるんだ!
バカじゃないの!
俺が正義だ!
って感じでしたね~w
心の根底になる思いは
自分は常に正しいので
『自分が認めたもの以外受け入れる必要はない。』
という思いです。
もっと言えば、自分を省みる心が欠如しているので
その意味がわからないし
その言葉を拒絶してしまうわけです。w




私の場合、内観という修行を続ける事によって
自分が嫌だと感じるモノ
自分自身が悪だとするモノについて
どうして、自分はそう思うのか?
どうなれば、そう思わないのか?
自分の中にある本質を見つめ続けました。
その結果、自らの生き様を全否定するしかなくなり^^;)
そして、その後に幸せだと思う事が増え続けたのです。

我々の過ごすこの社会では
他人を否定する事は、その相手を傷つける事となり
人を言傷つける行為は『悪』とされていますが
私は、自分を責め立てて否定してくれる相手こそ
神々の使いであり、最も大切な相手だとそう思っています。

セクハラ、パワハラ、モロハラ
これらは、私たちが生きる上で
必要不可欠であり、とても大切なモノなんでしょうね。



私の場合は
自分を受け入れて欲しい。
自分を認めて欲しい。
優越感に浸りたい。
そんな思いが心根として
自らを蝕んでいました。

私は幼い頃から霊感が強く
霊をぞろぞろ連れている先生の授業など
まともに受ける事などできませんでした。
『どうして、〇〇先生の授業をサボる!』
→『気持ち悪いから』
『そんな事が理由になるか!』
→『幽霊がいっぱいで気持ち悪い!』
『屁理屈を言うな!ボカ!バキ!』
・・・
と、まぁ~こんな事を繰り返していました。
体罰は当たり前の時代だったので
学校=殴られる場所と
私の中ではそうなってしまったのです。
そんな自分を認めてくれない社会を
『悪』として、拒絶して行きました。

不登校になり、どんどん拍車がかかり
『悪』を生み出し続けたわけです。

今思えばとても恥ずかしい事ですが
今の社会のルールに乗っ取って
常に自分を『正義』の位置に据え
自分の中だけでみた正義から
はみ出した存在を
攻撃し続けるわけです。w

そうしないと、自分を
保てなかったのです。

ようするに
自分を否定する人達を理解しようとしない
という怠慢に気付く事が出来ず
ただただ、自分を否定する相手を『悪』としたのです。

私は、人の本心を感じ取る事が出来たので
大人が自分の都合を押し付けている事が
手に取るように理解できました。
優しい言葉をかけてくれる大人は
面倒な私を自分の為になんとかしたいという思いがみえて
叱りつける大人は、自分の思い通りにならない私に
ただただイラついていただけの癇癪・・・

誰一人、自分を心配してくれる大人はいない・・
だから、そんな大人は『悪』と認定していったのです。w

自分が大人になっても悪ばかり・・
特に、人に優しく・・社会の為に・・世の中の為に・・
他人を思いやる・・・愛と慈悲・・こんな言葉は
私にとって完全に『悪』の対象でした。
理由は簡単です。
そんな事を口にする人のほとんどから
良い人として見られたい・・
自分は良い事をしている自己満足・・
という思いを感じ
結局は自分の為じゃないか・・
と、そう思うに至ったからです。


今となっては
利己的に生きるのが人であり
利他的に生きられる人は、ほんの一握り・・
だと理解できるようになりましたし
更に、自分の本心が見えないと言う事は
とても愚かな事だとそう思うようになりました。

だって、自分の本心が創り出すエネルギーが
目の前にある現実を生み出していますからね~

エネルギーの法則上では

自分の本心が見えない

自分の本心を見ようとしない

自分の本心を受け入れられない

自分の本心を拒絶する
となり
拒絶のエネルギーが常に自分自身から
放出されているわけです。
なので、周りから拒絶される存在になって
しまうのは道理なのです。


過ちと言う表現でいいのか?わかりませんが
自分自身の過ちをどれだけ
自分自身で認めて受け入れられるか?が
人生で最も重要なんでしょう。


私は、自分自身の人生を全否定するしかなくなった時
絶望を感じたのですが
その絶望の中で、多くを学ばせて頂きました。
そう考えると、絶望するという体験は
素晴らしいものなんでしょう。w

ブログのタイトルになっている懺悔道は
懺悔しながら一生を終えようとしたら
この世は、懺悔できなければ
幸せになれない仕組みになっているんだ!と
私の中でそう学んだからです。



よく煩悩を肯定する事はいけない事なのか?
他人から認められたいと思う事はいけない事なのか?
他人より優れていると思われたいのはいけない事なのか?
なんて、質問される事があります。

私は、どんな人も煩悩を植え付けられて生まれてくるので
そんな思いがあるのは、当然の事だと思いますし
人として正常だとも思います。

大切なのは、その煩悩に準じた思いが
自分の言動にどんな影響を与えているのか?を
自分自身で理解する事です。

そのそも、この世には
自分が否定批判できる存在など皆無なんですが
この煩悩が負の感情を創り出し
自らを蝕んでいるからです。

それを知る事が出来ないが為に
人は不幸になる・・

不幸とは、ただそれだけの事だと断言できます。

自分自身を深く知る事が出来れば
誰しも、幸せになれますからね~


話が若干それましたがw
自分の過去を振り返り
何を求め、どう感じ、同言動に移してきたか?を
しっかり理解することで
今、目の前にある現実と辻褄が合いす。

そして、その事実を逃げずにしっかりと
認め、受入れて、改善する事で
幸せに一歩前進するでしょう。

私は、真言密教から
人生は、懺悔から始まり懺悔に終わる事を学びましたが
恐らくそれが出来れば、誰しも幸せになれるのだと
そう思っています。

ようするに目前にある現実を好転させたいのであれば
自分自身で自分の過去の生き様を全否定して
新な人生を再スタートさせるのです。

まぁ~私が密教を修行している最中は
ふざけんな!
お前がまず懺悔して手本を見せろ!
くらいに思っていましたけどね~w

いや~
恥ずかしい限りです・・^^;)