修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

良い人になろうとすると苦しくなるのは「人間」である証だ!

「人間」とは、何だろう?
と・・
そんな事を考えて
夜も眠れないほど考え込んで・・
次の日も、その次の日も
繰り返し、繰り返し
なんだかなぁ~と考えては、やめ・・

また、しばらくすると
同じことを考えてしまう・・

そんな事ばかり繰り返してしまうのは
私くらいでしょうか?w







人間とは、煩悩を植え付けられて生まれてくることにより
エゴ満載で利己的に生きる生き物である。

そして、この世には
利己的に生きる人間に苦悩を与える法則がある。

その苦悩の中で、利他的な思いを育むのが
人間という生き物の生涯なんだろう。

自分勝手に生きるのは
人間の正しい姿なんでしょうね。



ならば、自分の人生、好き勝手に生きたって良いじゃないか!
と、そう思ってしまう私は、愚かなのか?

愚かでいいじゃないか!
バカでいいじゃないか!
人間なんて誰しもそんなモノだろう!w


私は、ガキの頃から超ひねくれていたので
「いつも笑顔で!」
「いつも明るく!」
「他人には優しく!」
「思いやりを!」
なんて、言われると

うるせぇ~!

と、叫びながらよく暴れたものです。


そんな姿を見た母は泣き
周りの同級生からは白い目で見られ
担任教師は怒り
父はぶちキレるわけです。w


楽しくないのに笑えるか!
いつも責められて明るくできるか!
なんでそんなことしなくちゃいけないのか
誰か納得のいく説明をしてくれ!
と、いつもそう思っていました。

良い子でいられない自分は
周りから否定され、責められていると
そう感じていたわけです。
ガキなんで・・w

周りを見渡せば
皆が皆、楽しくなくても
明るく、笑い・・
嫌々、人に優しく、思いやりのあるふりをしている。
皆が皆、そうやっているから
心は自分と同じなのに、なんで!なんで!なんで!
嘘はいけないんじゃないのか?
皆がみんな嘘ばっかじゃないか!

と、暴れまくっていたわけです。
いや~超面倒なクソガキでしたね~w



大人になって思ったのです。
皆が皆、本心を隠して生きている。
それが、当たり前の事なんだと。
そして、嘘をつきまくりながら
社会は成り立っている。

皆が皆、自分に都合の悪い所は
見ないふりをして
嘘はついていないと言い切っている。

知らなければ何でも許されるなら
なんでも、知らないふりをすればいいのか?

そんな事を考え続けて
自分で気づく前に
気が狂ってしまったのですが・・w


でも、無理に本心を隠し続けて
過ごしていると、辛く苦しくストレスを感じるのも
人間なんだろうと、後々そう気づかされました。


正直に生きると言えばかっこいいのでしょうが
私の場合は、ただ単にそのストレスが大きすぎたんです。



良い人でいないといけない。
自分勝手はダメなんだ。
もっと協調性をもって!
もっと優しく!
もっと親切に!
もっと明るく!
喧嘩はするな!
話し合え!
理解し合え!

そんな言葉は、本当に苦しかった・・

誰もが信じて疑わない、これらの良いとされる言葉を
よくよく自分の心に当てはめて考えてみてください。



私の場合・・
自分勝手に生きてしまうのが人間だ!
協調性を優先せず、自分優先に考えるのが人間の真の姿だ!
誰にでも優しくできる人なんて、人間らしくないぞ!
誰にでも、親切にする人なんて、気持ち悪い!
暗い人がいたっていいじゃないか!
争うのは、人間の本質だろう!
価値観の違う相手と話しが合うはずもない!
全ての人と価値観が違うのに理解し合えるわけないだろう!

それが、人間という生き物だ!


くらいに、思ってしまうわけです。w


どんな人も、煩悩を背負って生まれてくるわけですから
そんなもんでしょ?
私がおかしいのでしょうか?



私は、一生懸命、良い人になろうとすると
どんどんと苦しくなるのが人間だと思っています。


だって、社会で言われている良い人になれないのが
人間という生き物なので
良い人になろうとすればするほど
自分自身を否定する事になりかねないからです。


本来、誰しも先祖の経験値を背負って生まれ
その経験値に基づいて、自分の価値観が形成されます。

そんな生まれる前の事を背負ってきた状態で
だれもかれもが、良い人になれるなんて
大自然の法則からしてもありえないわけです。

絶対にありえない!と言い切りましょう!w


かといって、良い人になろうとする事は大切な事です。
良い人になる為に努力する事も必要でしょう。
でも、そうなれない人を否定批判する事は
人間の本質を否定する事となり
即ち自分自身をも否定する事となり
結局は、自分で自分自身を苦しめてしまう結果が待っています。

だって、簡単に良い人になれないように
創られた状態で生まれてくるのが人間だからです。

他人を責める人だって、例外なく同じなのです。





社会的に良い事を沢山して
良い事とされる事ばかりを考えて
良い言葉をたくさん使って・・
貴方という人間は、本当の自分をどこに置いてきたのですか?

という状態の人が沢山いらっしゃいます。
TVに出演している人に中にもたくさんいますね~
政治評論家と言われる人の中にもいます。
自己啓発のコンサルの方にも多いです。

当然、「自分」を見失った状態になっているのですが
当の本人は、全く気づけないわけです。

だって「素晴らしい!」と思い込もうとし続けて
そう思い込んで疑わないわけですから。
その人の思考では、真実のHAPPYなんです。

確かに、自分で良い事をたくさんして
良い言葉をたくさん使って
良い人だと思いこむことが出来れば
自分の苦悩からは解放されるでしょう。
でも、苦悩から解放されるのは
自分という人間を捨てたからなのです。


想像してみてください~
そんな人ばかりの社会で本当にいいんですか?

気持ち悪い社会ではありません?
私はそう思ってしまいます。



みんなが毎日楽しく
皆がみな毎日笑い
そんな日が永遠に続いている
そんな社会を想像してみて下さい!



私は、そんな社会などあってはならないと
そう思っています。

楽しい日が、たまにあるから
楽しさを満喫できるんじゃありません?

たまに、爆笑するから
笑うと幸せな気持ちになるんじゃありません?


何のための喜怒哀楽ですか?
辛く苦しい事があるからこそ
私たちは進化成長できるのに
辛く苦しむ心を捨てた瞬間から
私たちの進化成長は止まってしまいます。
死んだ状態になったと同じでしょう。

だって人間の本質が無くなってしまえば
人間じゃなくなるって事でしょう?
生きている意味が無くなりますよね?



人間の本質という自分の本心を
捨てる事が良い事だなんて
あってはならない事だと思う
私がおかしいんでしょうか?








社会の秩序を保つために
人間をやめてしまったら、何のための社会ですか?
何の為に、人間は生まれてきているんですか?
人間を捨てた人ばかりの社会を創って
どうするんですか?!

と、私は、そう思ってしまうのです。










私は、長年相談事のボランティアをしているのですが
相変わらず、精神を壊した人たちからの相談が絶えません。
特に平成生まれの方たちの多くの方が
良い人になれなくて、心を崩壊させてしまっています。

私たちの時代は、バブルも経験し
がむしゃらに働いた時代です。
高度成長期を過ごした両親からは
働かない事が「悪」だと教育されました。

今の時代の子供たちはどうでしょう?
物質的に豊かな社会となり
がむしゃらに働かなくても生きて行ける。
モラハラパワハラ、セクハラと
自分の感情を抑え込んで良い人でいなければ責められる社会。
「良い人」でいる事を強要されて育った
子供の心が崩壊するのは、当たり前のように感じるのです。

だって、初めから良い人になれる人なんて存在していませんし
煩悩を背負った私たちは、誰しも社会が示す悪い人から人生が始めるわけですし
悪い人を否定し続けたら、その人は存在できなくなります。

当然の事だと私は、そう思ってしまうのです。






私たちは、「人間」なのです。
我儘で、自分勝手で、自己中な心をもって生まれてくる生き物なのです。

自分の思い通りにならなければ
ムカつくし、イラつくし、腹も立つし、悲しくもなる。
快楽が満たされれば、嬉しいし、楽しいのです。
もっともっと快楽を満たしたいとそう思ってしまう生き物なのです。

それが、人間の本質であり、なくてはならないモノだとも思います。
また、そこと向き合う事で幸せになれるのだと
私は、そう体験しました。


もう、良い人になれない人を責める事をやめましょう。
もう、良い人になれない自分を責めるのもやめましょう。

だって、良い人になれなくて努力するのが人間という生き物じゃないですか
努力の過程で、拒絶されたら、その人はどこに行けばいいのでしょう?
努力の過程で、否定されたら、その人は生きる意味を失ってしまいます。

「悪人」なんて、どこにもいないんだ。
ちょっと、努力が足らないだけなんだ。
そんな人の為に何か自分に出来る事はないか?と
そんな事を言う人がいた方が
もっともっと、心豊かに過ごせるような気がしています。



この先の未来のを背負う子供たちの為に
私たち大人が、まずやらなければならない事は
社会が「悪」とする事を、もう一度よく考え直す事ではないでしょうか?

大自然は、私たちにその事を教える為に
どんどんと、心を壊す子供たちを創り出しているように感じるのです。

自分の醜い心をたくさん直視すれば、きっと幸せになれる!

我々は、幼いころから
他人に対して親切な人
他人に対して思いやりのある人
そんな人が良い人であり
そうあるべきだと教育されます。


そして、不親切な人や
思いやりのない人は悪い人だと
無意識にそう考えてしまいます。

そして、そして!
自分は、悪い人ではないと
誰もがそう思い疑う事をしません。w


では、貴方は
誰にでも隔たり無く親切にしていますか?
誰に対しても思いやりのある接し方をしていますか?


私は、そんな事が出来る人は
すでに人間じゃなくなっているとそう思っています。w


だって、自分に対して嫌な事をする相手に
怒らない人間なんていませんからね~
ムカつきますよね~
腹が立ちますよね~
ウザイですよね~w


では、もう一度

貴方は、悪人ではないですか?w




まぁ~良い人も悪い人もいないのが
この世の理なので、気にしなくていい事なのですが
この世に、善も悪もない事が理解できない方は
思いっきり気にした方がいいかもしれません。w









どんな人も煩悩を植え付けられて
この世に生まれてきます。

一般的に美しいとされる心の
真逆の心を植え付けられているのです。
誰しも例外なく、醜いとされる心を刻まれて生まれてくるわけです。

で、3歳児くらいの小さな子供が
自己中満載、わがまま放題しまくっても
かわいいと思えるし
純粋な心だと感じ美しい心だと思えます。

なぜでしょう?
それは醜い心ではないのでしょうか?

大人の我儘は、醜く感じるのに
子供の我儘は美しいと感じる・・?


子供は、守るべき対象であり
自分自身に害を及ぼす存在ではなく
大人は、守るべき対象ではなく
自分自身に害を及ぼす可能性のある存在だからでしょうね。

即ち、醜い心など何処にも存在していないのです。

何が美しく何が醜いか?ではなく
結局は、自分に都合が良いか悪いかだけなんだと
私は、そう思ってしまうのです。


人間社会で、美徳とされる心の在り方を
何も考えずに、そのまま「善」として受け入れるのではなく
その意味をしっかりと噛みしめる事も大切なのかもしれませんね。















自分の時間と労力とお金を使って
困っている他人の為に一生懸命尽くす人を見ると
そんな人は、良い人だと誰しもが思うはずです。
美しい心を持っている人だと思うのです。


幼いころからそう教育されているので
そう思うのは当然でしょう。

なのに、自分は、他人に対してそんな行動はしない・・
それが、良い事だと学んできたのに・・

しない事に対して色々な言い訳を思い浮かべる事はできます。
でも、実際に行動に移す事はなかなかできない・・

なぜですか?

それは、誰しも利己的に物事を考える思考を
植え付けられて生まれてくるからです。


殆どの人が、そうできない事が
正しい人の姿だと、私はそう思っていますし
言い訳の上手い下手はあるかもしれませんが
誰しもが、そんなものでしょう。



無意識に利他的な行動が出来る人は
そこに幸せがある事を知っているのだと思います。
しかし、そこに行きつくには
煩悩に逆らった経験が必要ですし
一つの大きな試練を乗り越える必要があります。

簡単に出来る事ではないでしょう~ね~









何度も繰り返しますが
この世には善も悪もありません。
善悪を決めているのは自分自身であり
私たちの社会は、自分がどこにフォーカスしているか?で
善悪が変わり、逆転したりもします。


善悪に囚われている人は
自分が「悪」とした相手に対して
理解する心が欠如しているだけだとそう思うのです。

「悪」とした相手の立場で
物事をとらえ続けてゆけば
どんな人も、この世には善も悪もないんだと
気づく事が出来るでしょう。

そして、気づきが自分自身の
心を豊かにしてくれるものです。








人の社会にパソコンやインターネットが誕生して
我々の生活からITを切り離せなくなっているわけですが
私もIT業界で仕事をしているので
このIT普及に大きな役割を担った業界をよく知っています。

それは、アダルトAV業界です。

最近、AV出演の強要が社会問題となり
AV業界自体を「悪」とする団体までありますが
実際に我々の生活をこれだけ便利にしてくれたIT業界に
最も貢献したのがAV業界なのです。
AV業界が無ければ、今の便利な生活はないと言っても
過言ではないでしょうね。


いくら「美しい心」を語っても
我々は、煩悩に忠実に生きてしまう生き物なんです。
恐るべしSEX産業!w


法律で一夫一妻制にしても
不倫を「悪」と認定しても
不倫は無くならないでしょう。

男性は、子孫を残すために
多くの女性とSEXしたいと本能が働きますからね~


また、我々の社会からSEX産業が無くなれば
性犯罪と不倫が後を絶たなくなるでしょう。


私は、ガキの頃、性風俗店で働いた事があるのですが
ソープランドの常連さんは
学生時代に「こいつ一生童貞だろうな・・」
と思うような男性ばかりでした。

死ぬまで童貞で過ごすくらいなら
強姦して刑務所に入った方がいいと
そう思う男性もいるでしょうね。


取り締まる生活安全課の警察官の方は
ソープランドが社会から無くなれば
性犯罪がもっと増えて、実際に困るんだよね~
なんておっしゃっていたのを記憶しています。

結局、法律を曖昧にするしかないんだと知ったのです。
取り締まりを強化し、性犯罪が増えると
取り締まりを緩める・・そんな事を繰り返しているようです。

法律を作り、善悪を明確にする事で
生まれる弊害なんでしょう。

そもそも、我々は
「善」を生み出せば「悪」が同時に生まれる
世界で過ごしているわけなので
致し方ない事なんでしょうね。








私たちは、戦争は「悪」だと学んでいます。
人と人とが、争う事は「悪」だと学びました。
対話し、理解し合う事が「美しい」とし
すぐに感情的になり、激しくいがみ合う姿を「醜い」とします。
誰しも争いのない平和な社会を望むのです。

果たして、本当にそんな日々が訪れるのでしょうか?
正直、私はありえない!とそう思ってしまうのです。
だって、人と人とが争うように
我々はそう創られて生まれてきているんですからね~

私たちは、他人と争う事で多くを学ぶ生き物です。
その体験で、人としてとても大切なものを学ぶのだと
そう思っています。

逆に、争う事をやめてしまえば
人として生きる価値などないのでは?
と、そう思ってしまいます。
だって、人として大切な心を学べなくなるわけですからね~






日本のアニメ業界は、世界で絶賛されていますが
そのアニメの多くは、正義と悪の戦いだったりしません?

今はやりのネットゲームでも、戦いモノが流行ったりしていません?
人気のラノベでも、同じでじゃないです?

ネットゲームにはまる男性が多いのは
女性より男性の方が、闘争本能が多いからでしょう。


私は、他人と争う感情をパワハラだと抑圧されて過ごした弊害が
性同一性障害という形で表れているように感じてしまうのです。

精神病や癌、認知症なども、人間の本能を抑圧した社会が原因かもしれません。
そう思うのは、嘘偽りなく自分に正直な人は、皆さんキラキラと輝き健康だからです。






人は、言葉で進化し
言葉のやり取りで他人とコミュニケーションを取り
言葉で物事を感じて生活していると
大人になって、そんな誰しもが知っている事を学びました。^^;)

私は、子供の頃からこんな体質なので
言葉なんて道具くらいにしか思っておらず
他人とのコミュニケーションは
その人が放つエネルギーだったのです。

相手が、言葉でコミュニケーションを取ろうとしている事に
長い間、気づきませんでした・・・w

おかげで、頭のおかしい人扱いを
今でも、され続けているのですが
でも、そのおかげで人の本質はよく見えるのです。


なので、政治家や評論家、ジャーナリストが語る言葉の殆どが
キレイ事にしか聞こえませんでした。
人間社会全体が、人間の本質を無視していると
そう思ってしまうのです。

なので、私はTVを見ているとストレスが溜まる事が多く
ニュースや天気予報くらいしか見なかったのですが
ここ数年、ニュース番組も酷くなってきた・・
私にとっては、空想の世界を現実に落とし込んで
語っているように感じるのです。
正義、良い事、美しい心に囚われてしまう物語のような
報道ばかりに感じてしまうのです。


確かに、社会の秩序を保つために洗脳されている
私たちは、悪を成敗する報道に興味を抱き
闘争本能を持つ我々は、他人の争いに興味を抱く・・
マスコミは視聴率は稼げるでしょうが
その反面、多くの人が人間の本質を見失ってしまい
怒りや憎しみ、否定批判が増幅し続けている・・・
「ゆるす心」が、どんどん失われているのです。





私は、醜い自分の心と向き合い
その醜さを認めて受け入れる事が出来なければ
幸せになれる人など、存在しないとそう思っています。

今まで、多くの精神病患者の方と接してきましたが
自分の醜さを知っていれば
そうそう精神を病む事などないとも思うのです。


私自身も心を壊したときは
世の中の不条理がゆるせませんでしたし
自分自身の醜い心に全く気づきませんでした。
気づかないというより、見ようとせず
自分で自分のその部分を否定していたのです。

要するに、自分で自分を否定す続けているから
自分の心が崩壊してしまったのです。

でも、苦難の末、知る事ができました。
自分勝手で、自己中で
利己的に生きる醜い心を持っているのが
人間という生き物であり
そんな人間が、集まっているのが
我々の社会なのだと・・

そりゃ正義と悪に分けたら
悪ばかりに感じるのは、当たり前ですよね。w




私は、多くの人に
人間の本質を思い出してもらいたいとそう思っています。

凶悪な犯罪を犯す人も
「悪」と呼ばれる行動をする人も
根源にあるのは、人の性であり
誰しもが、持っている心の一部が
たまたま、言動に表れてしまっただけなのです。

過ちを犯す事が人の性であり
それを、否定批判する行為は
同等の心を持つ自分自身を否定批判する行為に等しく
最終的に自分で自分を崩壊させる事になるからです。




他人に怒りの感情を向けるのも良いでしょう。
人間とは、そんな生き物ですからね。
でも、同時に自分をも傷つけている事を
忘れないようにしましょう。

利己的に自分勝手な行動をしても良いでしょう。
その代わり、誰かを傷つけている事を
忘れないようにしましょう。

もし、気づいたら
ちゃんと、謝罪をしましょう。
謝罪できないのは、自分で自分を
否定している事になりますしね。



誰しも、生まれながらにして
愚かな心をもって生まれてくるのです。

美しい心なんて持ち合わせていないのです。
というか、醜いも美しいも
自分がそう決めつけているだけに過ぎないのです。



私の中での、「美しい心」とは
一般的に言われている「醜い心」を
美しいと感じる心だと、そう思っています。


誰しも、生まれた時はピュアな心を持っています。
そのピュアな心が、煩悩に忠実な心であれば
人間の醜いと言われる本質が、もっともピュアな心なのでは
ないでしょうか?

知ってます?
生まれた時は、誰しも煩悩まみれなんですよ?
自分の事しか考えず、思いっきり自己中ですよね?
でも、それをゆるしてくれる両親に
どんな子供も愛を感じているわけです。

ならば、相手の全てをゆるす事が出来れば
どんな人も、愛を手に入れる事ができるのでは?

愛を手に入れる事が出来れば
それだけで幸せになれるのでは?


簡単に出来る事ではないでしょうが
そこに真理があるような気がするんです。


という事で、自分の醜い心を
労わってあげましょう!

N国党 立花孝志党首の存在は、やっぱ面白すぎる!

え~
私の個人サイト・・作り直しました。


自己の価値観を変えないと痛い目に合う時のような気がしているので
そんなサイトにしてみました。

とは言っても、過去記事をピックアップしただけですが・・
じいじサイトも統合しています。

今までのサイトはドメイン期限までは閲覧できます。



新サイト
「意識改革で、人生は好転する」


価値観を変えるには、意識から変えてゆく必要があるので
そんなタイトルにしてみました。

意識が変わる→言動が変わる→体験が変わる→価値観が変わる
→自己のエネルギーが変わる→現実が変わる


と言った感じになるきっかけになればいいなぁ~なんて思っています。



情報を拾っておきたかったので
ツイッターも再開しました。
Twitter










というわけで、価値観を変えなければいけない時!だと
思っているわけですが、そんな一役を買っているのが
N国党の立花孝志党首なので、ついついYouTubeを見てしまいます。w

立花党首は、自ら悪人になりすまし
著名人に叩かれまくっているのですが
叩いている人たちは、みなさん残念なエネルギーを
放っているので、見ていてとても面白いのです。
自分の価値観でしか物事を判断できない人からすれば
立花党首はゆるせない人に映るでしょうし
また、嫌いなタイプの人に感じるはずです。

あとは、社会の理不尽さを体験した事がない人
社会の理不尽さを無視できる人
また、快楽を満たす事が幸せだと思っている人
そんな人達も、N国党の活動は不快に感じるかもしれませんね。

まぁ~私がそう感じているだけなんですが。w

素晴らしいエネルギーを放っている方が
立花党首を批判すれば、とても興味深いのですが
残念ながら今の所、そんな人は現れないですね~

まぁ~往々にして、そんな人の言葉は
批判ではなく反論なので
意気投合したりするようにも思いますが
それはそれで、楽しみです。













私は、今も昔も、理解不足が、人を堕落させる・・
人生では、何事に対しても「理解する」事が
とても重要だと思っています。


私自身、ただの理解不足で心を壊したのですが
理解する努力で人生が好転し始めました。

ただ、理解する事を放棄するのも
煩悩の業なので、致し方ないのかもしれません。

しかし、理解の放棄が
大きな禍を引き寄せる時代になっている
と感じているので、ご注意ください!






では、N国党立花党首を理解してみましょう~
私の妄想にすぎませんが・・w

まず、公共放送に夢を抱いてNHKに入社し
不正経理をやらされたら
自分ならどんな気持ちになるだろう?
想像してみてください。


年収1千万越えの自分の生活は
国民から集めたお金で成り立っています。

しかも、自分が得ている給与の一部は
国民をだまして集めたお金もあると知ってしまった・・
しかも、不正経理を繰り返している・・


普通なら会社のしている事であり
自分には関係ない事だと責任を会社に押し付け
知らぬ存ぜぬで、お金だけもらって過ごす人が殆どでしょうね。


でも、立花氏は、それが出来なかった・・
純粋な心を持っていたと言う方もいますが
私は、本人の物事を冷静に見る判断力が
自分自身も犯罪者だと気づかせたのだと思っています。

殆どの人は、自分に都合の悪い所を見ないふりするのですが
元々それを、しない人なのでしょう。



知らぬ存ぜぬで過ごせるNHK職員からすれば
立花党首は、ゆるせない存在になるでしょうね。

自分の生活を脅かす存在ですしね。



皆さんなら、①NHKを退社し外部から正そうとする・・
②そのままNHKに残り、自分ではなく上司や会社を悪とする・・
どちらの人生を選択しますか?
想像してみてください!





立花氏はNHKを退職した後
それだけで終わらせず
自らの罪に報いる行動に移すわけです。

自分の罪を認めて受け入れる事が出来れば
その贖罪に努めるのが、人の性なんですよね~
いても経ってもいられなくなるものです。


会社の不正経理は、会社が悪いのであて
自分は悪くないと思っていれば罪の意識は生まれないものです。

また、集金人の違法徴収は集金人が悪いのであって
自分は無関係だと思う事が出来る。

でも、そのお金で生活していれば
大自然の法則上では、同罪なんですよ。
その後の自分の人生にとても大きな禍となり降りかかってきます。
なので、社会はゆるしても一生背負ってゆく罪になるのです。

立花氏は、感覚的にそれに気づいているのでしょう。

そして、自分の生活を贖罪にシフトするわけです。


みなさんは、自分が勤めている会社が
犯罪をしていると気づき、退社し
自分も給与をもらっていたから同罪だと受け入れ
その罪を償う行動が出来るでしょうか?
自分が勤めている会社は、将来を約束されている
NHKという会社です。
想像してみてください!

なかなか出来る事ではないでしょう~






では、更に想像してみましょう~!

自分が勤めている会社が犯罪行為を繰り返し
自分も給与をもらっていたのだから同罪だとし
会社を退社し、その贖罪に努める・・
そんな自分の姿を思い浮かべてみてください。

そして、その贖罪はいつまで続けるべきなのか?
その終わりはいつなのか?
考えてみて下さい。


立花氏が、NHKを変えようとする気持ちが
理解できるのではないでようか?









赤の他人の為に、尽くす行動を続けると
ビックリするほど視野が広がります。

視野が広がれば広がる程
国の様々な問題点も見えてくるでしょう。


法律を変えなければNHKは変わらない・・
そう考え、国会議員になって法律をかえなければ!と思い
それを行動に移す・・
NHKを国民から守る党」をつくるに至るのです。

タスキをかけ、自分の話など
誰も聞いてくれない街頭演説を繰り返す・・
党名通り、NHKから国民を守る為にし続けるのです。


コレ普通できないでしょ?

普通の人は、社会に対して愚痴をいいまくり
政治家を批判して終わりなのです。

自分では何もしないで
政治家を批判する奴なんて最低だ!
と、解っていながら政治家を批判するのが
人の性なんです・・w

立花党首は、自分が気に入らないのなら
貴方も政治家になればいいでしょ!と言い放つ。
全く持ってその通りですし
人それぞれ価値観が違う事を理解している人の言葉ですよね。
言われた本人も自分の価値観を押し付けている愚かさに
気づく事になるのです。w





これも想像してみてください。

まず街頭演説中、周りからどう見られるか?
NHKから国民を守る党を立ち上げ
街頭演説をしている自分の姿を思い浮かべてみてください。
「頭おかしい奴!」
「気持ち悪い奴!」
「狂ってる?」
こんな風に見られながら
だれも聞いてくれない街頭演説を繰り返すんです。

本人は、真剣にNHKから国民を守りたいと思い
そして、それを行動に移しているだけであり
明らかに利他的な思いでの行動なのに
周りからは、虐げられるわです。

いや~心折れるでしょ・・普通・・
凄まじい葛藤があったでしょうね。

だって、悠々自適に過ごしていたって
だれも、自分を責める人なんていないわけですし
NHKの罪は、自分の罪じゃないって言い訳できるし
自分を犯罪者にしない社会がありますしね。
NHKの被害者を無視する事だってできるわけです。

普通の人には
国民の為に、「NHKから国民を守る党」なんてタスキをして
街頭演説する奴なんて、頭がいかれている奴くらいにしか見えないはずです。

当然ですよね、殆どの人は利己的な思考で過ごしているので
利他的な思いで行動する人の気持ちなんて理解できないんです。
「偽善者だ!」「自分に酔っているだけだ!」くらいに思うはずです。


まぁ~それが人の世なのですし
利他的な思いで行動すると
誰しもがぶつかる壁みたいなものなのですが
恐らくこの経験が、立花氏のエネルギーの
源なんでしょうね。

凄まじい経験であり
凄まじいエネルギーを創り出す力になったはずです。

また、この経験で、この世の理が見えたでしょうね~
極限まで自分を追い込まないと
なかなか見えない世界ですし。



自分が生み出すエネルギーが他人との縁を作るわけですが
立花氏の、こんな経験から生み出されるエネルギーは
上辺だけの綺麗事で過ごしている人からすれば
無意識に自分が否定されていると感じてしまいます。
ただ、存在を知るだけでそう思ってしまうのです。

なので、立花氏を無意識に嫌悪し、否定し、批判し、拒絶したくなるでしょう。
ある意味、邪魔で邪魔で仕方のない存在に感じるでしょうし
あの手、この手と巧みに言葉を使い、否定批判したくなるでしょうね。

愚かな事だとは思いますが
これは、大自然の法則の中にある
人と人との縁の仕組みの一つでもあるので、仕方ない事だと思います。

立花党首を生理的に受け付けないと感じてしまう人は
どうして、嫌だと感じてしまうのか?その自分の本心を観察してみると良いと思います。
「嫌」という感情は、自分の中の何かが満たされない時に感じます。
その「嫌」を見つけ出せば、自分が何を求めているかも理解できます。
普段の自分の生活態度を振り返ってみるといいのかもしれません。
上に記した、想像してみてください!の結果どうでしたか?












政治家に不満を抱く人も多いと思いますが
どうして、そうなってしまったのか?は、政治活動そのものが
国民の為の政治ではなく、選挙の為の政治になっているからだと
私は、そう思っています。
政治家が悪いのではなく、国の構造や選挙制度に問題があるわけです。

なので、どんなに素晴らしい政治家が現れようが
国の構造が変わらなければ、同じことが繰り返されるはずです。

毎年、弁護士団が1票の格差を訴えていますが
政治家は、皆さん無視していますしね~


これも人の性がそうさせるんですよね~
比例代表制政党交付金なんて無くすべきだと思っているのですが
誰しも、自分の不利益になる事に向かう事なんて
中々できないものなのです。だから政治家もやらない。


ですが、この制度を廃止しなければ
日本の成長は止まったまま処か衰退して行くでしょう。


人間痛い思いをすれば成長できるので
日本の衰退も致し方ないのだろうと
私は、常々そう思っていました。


が、しかし!
N国党立花党首は、選挙と政治の分離すると言い出すではないですか!
この人、天才か?と思ってしまいましたよ。w


政治家の皆が皆、真面目に政治家をしていれば、国が良くなるなどと
甘っちょろい感覚の人には、なかなか理解できない事かもしれませんが
今でも、まじめに政治家をしている人は沢山いるでしょ?
初当選した国会議員なんて誰しも真面目でピュアだと思うのです。

で、どんどん日本は発展し続けていますか?
政治家に対して、不満を抱く人は減り続けていますか?
真面目な国会議員が政治活動出来ない国なんだと、そう思いません?


人間だれしも煩悩を背負っているんですよね~
他人より我が身なのが、人間なんです。
政治家だって人間ですしね~
国民より我が身でしょう。
そして、その方向に流れてしまう構造が
今の日本の中枢にあるわけであり
それを、壊す事が出来るのは、それができない政治家だという悪循環・・・

その悪循環の一つが、選挙制度だと思っています。
こいつをぶっ壊せば、かなり日本は変わるでしょうね。
選挙の為の政治をしなくて済みますからね~
今より、国民に目を向ける政治家が増えるはずです。



で、N国党がやっている
一見、無茶苦茶な選挙ハック!

いや~面白い!&素晴らしい!
ここを変えないと、国民の為の政治なんて
出来っこない事をよく知っているんだなぁ~と感心しました。

N国党の戦略は、多くの人が、国民をバカにしていると感じるでしょう。
それを理解した上で、国民の為にそんな行動取れます?

さぁ~想像してみましょう!w

国民の為に自ら身を削り行動しているのに
多くの国民から否定批判され悪人呼ばわりされる道を
皆さんは、自分の意志で選択し進むことが出来るでしょうか?

普通は出来ないし、無意識にそこを見ないようにします。
なので、そんな方法すら思いつかないのです。


なので、「普段から快楽=幸せ」を選択している人からすれば
N国党立花党首の言動は、到底理解できないと思うのです。

もっと国会議員らしくしろ!くらいに思うでしょうし
政府を無茶苦茶にする張本人くらいに見えるでしょうね。
NHKの事しかしない政治団体なんてふざけるな!
税金の無駄遣いをやめろ!
政治はお遊びじゃないんだ!
もっとまじめに政治しろ!
地方議員を何だと思っているんだ!
億を超える税金を一体何に使ってるんだ!
日本を壊すつもりか!

そう思ってしまうのも仕方のない事でしょう。
そして、多くの人がそう思う事も初めから理解した上で
自ら悪人となり、国民の為に粛々と行動し続ける。


普通は、偽りの正義にぶっ潰されるんですけどね~
でも、N国党は徐々に拡大し続けている・・


私には、もっと国民の為の政治をしたいと思っている国会議員の道を
切り開いているようにも見えるのです。
実際に国会中継を見ると、襟を正し始めた議員も増えましたしね。

この先、もっとN国党立花党首を否定批判する人が増えるでしょうね。
どんな人たちが、批判し、どう行動するか?楽しみです。

だって、その人たちは、立花党首の利他的なエネルギーを
感じ取る事が出来ない人ですし
感じ取る事が出来ないという事は、利他的な思いがない人達ですしね。

まぁ~利他的な思いがない人の方が多いのが世の常ですから
それはそれで、当たり前なのですが
多くの著名人の化けの皮が剥がれてゆく事で
多くの国民の価値観が移り変わるとそう思っています。

まぁ~N国党が多くの人の「快楽を失う恐怖からくる偽善」
に潰されなければですけどね。




私は、もっともっとたくさんの人が
N国党を批判すればいいと思っています。

その事で、多くの人に気づきを与え
多くの人の価値観が変わるからです。




すでに、社会にあるエネルギーが変わってきてますし
そのエネルギーに感化される人も増えるでしょう。


人が生み出すエネルギーが変われば
目前の現実が変わるのが大自然の法則です。


更に多くの国民の価値観が変わった時
一体何が起きるか楽しみなんです。


今、目前にある幸せに気づく人が
もっともっと増えるのでしょうね~



皆さんも、N国党を批判する人たちがどうなって行くか
よくよく観察してみると良いでしょう。

きっと何かの気づきがあると思います。


まぁ~私が、見て感じているエネルギー上の
判断に過ぎないんですけどね。w