修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

良い人になろうとすると苦しくなるのは「人間」である証だ!

「人間」とは、何だろう?
と・・
そんな事を考えて
夜も眠れないほど考え込んで・・
次の日も、その次の日も
繰り返し、繰り返し
なんだかなぁ~と考えては、やめ・・

また、しばらくすると
同じことを考えてしまう・・

そんな事ばかり繰り返してしまうのは
私くらいでしょうか?w







人間とは、煩悩を植え付けられて生まれてくることにより
エゴ満載で利己的に生きる生き物である。

そして、この世には
利己的に生きる人間に苦悩を与える法則がある。

その苦悩の中で、利他的な思いを育むのが
人間という生き物の生涯なんだろう。

自分勝手に生きるのは
人間の正しい姿なんでしょうね。



ならば、自分の人生、好き勝手に生きたって良いじゃないか!
と、そう思ってしまう私は、愚かなのか?

愚かでいいじゃないか!
バカでいいじゃないか!
人間なんて誰しもそんなモノだろう!w


私は、ガキの頃から超ひねくれていたので
「いつも笑顔で!」
「いつも明るく!」
「他人には優しく!」
「思いやりを!」
なんて、言われると

うるせぇ~!

と、叫びながらよく暴れたものです。


そんな姿を見た母は泣き
周りの同級生からは白い目で見られ
担任教師は怒り
父はぶちキレるわけです。w


楽しくないのに笑えるか!
いつも責められて明るくできるか!
なんでそんなことしなくちゃいけないのか
誰か納得のいく説明をしてくれ!
と、いつもそう思っていました。

良い子でいられない自分は
周りから否定され、責められていると
そう感じていたわけです。
ガキなんで・・w

周りを見渡せば
皆が皆、楽しくなくても
明るく、笑い・・
嫌々、人に優しく、思いやりのあるふりをしている。
皆が皆、そうやっているから
心は自分と同じなのに、なんで!なんで!なんで!
嘘はいけないんじゃないのか?
皆がみんな嘘ばっかじゃないか!

と、暴れまくっていたわけです。
いや~超面倒なクソガキでしたね~w



大人になって思ったのです。
皆が皆、本心を隠して生きている。
それが、当たり前の事なんだと。
そして、嘘をつきまくりながら
社会は成り立っている。

皆が皆、自分に都合の悪い所は
見ないふりをして
嘘はついていないと言い切っている。

知らなければ何でも許されるなら
なんでも、知らないふりをすればいいのか?

そんな事を考え続けて
自分で気づく前に
気が狂ってしまったのですが・・w


でも、無理に本心を隠し続けて
過ごしていると、辛く苦しくストレスを感じるのも
人間なんだろうと、後々そう気づかされました。


正直に生きると言えばかっこいいのでしょうが
私の場合は、ただ単にそのストレスが大きすぎたんです。



良い人でいないといけない。
自分勝手はダメなんだ。
もっと協調性をもって!
もっと優しく!
もっと親切に!
もっと明るく!
喧嘩はするな!
話し合え!
理解し合え!

そんな言葉は、本当に苦しかった・・

誰もが信じて疑わない、これらの良いとされる言葉を
よくよく自分の心に当てはめて考えてみてください。



私の場合・・
自分勝手に生きてしまうのが人間だ!
協調性を優先せず、自分優先に考えるのが人間の真の姿だ!
誰にでも優しくできる人なんて、人間らしくないぞ!
誰にでも、親切にする人なんて、気持ち悪い!
暗い人がいたっていいじゃないか!
争うのは、人間の本質だろう!
価値観の違う相手と話しが合うはずもない!
全ての人と価値観が違うのに理解し合えるわけないだろう!

それが、人間という生き物だ!


くらいに、思ってしまうわけです。w


どんな人も、煩悩を背負って生まれてくるわけですから
そんなもんでしょ?
私がおかしいのでしょうか?



私は、一生懸命、良い人になろうとすると
どんどんと苦しくなるのが人間だと思っています。


だって、社会で言われている良い人になれないのが
人間という生き物なので
良い人になろうとすればするほど
自分自身を否定する事になりかねないからです。


本来、誰しも先祖の経験値を背負って生まれ
その経験値に基づいて、自分の価値観が形成されます。

そんな生まれる前の事を背負ってきた状態で
だれもかれもが、良い人になれるなんて
大自然の法則からしてもありえないわけです。

絶対にありえない!と言い切りましょう!w


かといって、良い人になろうとする事は大切な事です。
良い人になる為に努力する事も必要でしょう。
でも、そうなれない人を否定批判する事は
人間の本質を否定する事となり
即ち自分自身をも否定する事となり
結局は、自分で自分自身を苦しめてしまう結果が待っています。

だって、簡単に良い人になれないように
創られた状態で生まれてくるのが人間だからです。

他人を責める人だって、例外なく同じなのです。





社会的に良い事を沢山して
良い事とされる事ばかりを考えて
良い言葉をたくさん使って・・
貴方という人間は、本当の自分をどこに置いてきたのですか?

という状態の人が沢山いらっしゃいます。
TVに出演している人に中にもたくさんいますね~
政治評論家と言われる人の中にもいます。
自己啓発のコンサルの方にも多いです。

当然、「自分」を見失った状態になっているのですが
当の本人は、全く気づけないわけです。

だって「素晴らしい!」と思い込もうとし続けて
そう思い込んで疑わないわけですから。
その人の思考では、真実のHAPPYなんです。

確かに、自分で良い事をたくさんして
良い言葉をたくさん使って
良い人だと思いこむことが出来れば
自分の苦悩からは解放されるでしょう。
でも、苦悩から解放されるのは
自分という人間を捨てたからなのです。


想像してみてください~
そんな人ばかりの社会で本当にいいんですか?

気持ち悪い社会ではありません?
私はそう思ってしまいます。



みんなが毎日楽しく
皆がみな毎日笑い
そんな日が永遠に続いている
そんな社会を想像してみて下さい!



私は、そんな社会などあってはならないと
そう思っています。

楽しい日が、たまにあるから
楽しさを満喫できるんじゃありません?

たまに、爆笑するから
笑うと幸せな気持ちになるんじゃありません?


何のための喜怒哀楽ですか?
辛く苦しい事があるからこそ
私たちは進化成長できるのに
辛く苦しむ心を捨てた瞬間から
私たちの進化成長は止まってしまいます。
死んだ状態になったと同じでしょう。

だって人間の本質が無くなってしまえば
人間じゃなくなるって事でしょう?
生きている意味が無くなりますよね?



人間の本質という自分の本心を
捨てる事が良い事だなんて
あってはならない事だと思う
私がおかしいんでしょうか?








社会の秩序を保つために
人間をやめてしまったら、何のための社会ですか?
何の為に、人間は生まれてきているんですか?
人間を捨てた人ばかりの社会を創って
どうするんですか?!

と、私は、そう思ってしまうのです。










私は、長年相談事のボランティアをしているのですが
相変わらず、精神を壊した人たちからの相談が絶えません。
特に平成生まれの方たちの多くの方が
良い人になれなくて、心を崩壊させてしまっています。

私たちの時代は、バブルも経験し
がむしゃらに働いた時代です。
高度成長期を過ごした両親からは
働かない事が「悪」だと教育されました。

今の時代の子供たちはどうでしょう?
物質的に豊かな社会となり
がむしゃらに働かなくても生きて行ける。
モラハラパワハラ、セクハラと
自分の感情を抑え込んで良い人でいなければ責められる社会。
「良い人」でいる事を強要されて育った
子供の心が崩壊するのは、当たり前のように感じるのです。

だって、初めから良い人になれる人なんて存在していませんし
煩悩を背負った私たちは、誰しも社会が示す悪い人から人生が始めるわけですし
悪い人を否定し続けたら、その人は存在できなくなります。

当然の事だと私は、そう思ってしまうのです。






私たちは、「人間」なのです。
我儘で、自分勝手で、自己中な心をもって生まれてくる生き物なのです。

自分の思い通りにならなければ
ムカつくし、イラつくし、腹も立つし、悲しくもなる。
快楽が満たされれば、嬉しいし、楽しいのです。
もっともっと快楽を満たしたいとそう思ってしまう生き物なのです。

それが、人間の本質であり、なくてはならないモノだとも思います。
また、そこと向き合う事で幸せになれるのだと
私は、そう体験しました。


もう、良い人になれない人を責める事をやめましょう。
もう、良い人になれない自分を責めるのもやめましょう。

だって、良い人になれなくて努力するのが人間という生き物じゃないですか
努力の過程で、拒絶されたら、その人はどこに行けばいいのでしょう?
努力の過程で、否定されたら、その人は生きる意味を失ってしまいます。

「悪人」なんて、どこにもいないんだ。
ちょっと、努力が足らないだけなんだ。
そんな人の為に何か自分に出来る事はないか?と
そんな事を言う人がいた方が
もっともっと、心豊かに過ごせるような気がしています。



この先の未来のを背負う子供たちの為に
私たち大人が、まずやらなければならない事は
社会が「悪」とする事を、もう一度よく考え直す事ではないでしょうか?

大自然は、私たちにその事を教える為に
どんどんと、心を壊す子供たちを創り出しているように感じるのです。