修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

霊能者の言葉に惑わされるな! その3

つい先日の事ですが
『霊能者の方に稲荷が障っているので祀るようにと言われ
しっかりとお祀りしたのですが、何も変わらないのです。
本当に稲荷が障っているのでしょうか?』
という相談を頂きました。


稲荷や龍神の障り・・
ご先祖様の怒り・・
水神や井戸の障り・・
そして、障りがあるから祀る様に・・
また、供養するようにと言われ
ちゃんと祀っても、ちゃんと供養しても
何も変わらない・・・
何も変わらないので本当に障っているのか?
と、思ってしまう。

この手の相談もとても多いです。



『障り』

霊的な障りは、確かにあると思っています。
俗にいう祟りとかいうやつです。
私が体験した一番多いケースは
一神教などの宗派への改宗によるものです。
神々は一つであり、他の神々を崇め祀る必要はない!とし
祖代々祀っていた神々を処分してしまうわけです。

祠をすぐそばの川に捨てて
その年、父親が事故死した。
祠を空き地に捨てて
その数日後、不治の病で半身不随になった。
祠を処分した同日に祖父が急死した。
身内が次々に変死したり、身内が自殺したり
かなり悲惨な出来事が起きたりする事もあります。

これだけ聞けば、神様の祠を処分した事が
直接の原因だと思ってしまうでしょう。
従って、しっかりと祀り直せば大丈夫となってしまうわけです。

しかし、そんな簡単な問題ではないと思うのです。
実際に相談も多いですしね。

厄介なのが、障りは子々孫々と受け継がれてゆくという所です。
『3代前に改宗した時に処分した稲荷の障りがあります!』
と、言われても、自分は生まれた時から同じ宗派だし・・
両親に聞いても知らないって言ってるし・・・
本当かどうかもわからないまま、言われたとおりにお祀りする。

そして、何も改善されなければ、本当に障りがあるのか?と
そう思ってしまうのも仕方のない事でしょう。



私の経験で、障りがあるケースの殆どが
感謝する心の欠如だとそう思っています。

まぁ~辛く苦しい出来事の殆どが
感謝できないが為に起きているのですが
自分都合で生き過ぎると障りが起きるだとそう思っています。

従って、ただ祀ればいいと言う事でもないわけです。
安直にそんな感じで鎮魂神事をしようものなら
神事する人やその身内にも障る事もありますしね。


これだ聞くと、極めて厄介だと思ってしまうでしょが
ほとんどの障りの原因が、感謝できない事なので
逆を言えば、感謝すればいいだけなのです。w

冷静になってよく考えてみれば
そもそもが
神棚は自然の恵みに感謝する場所であり
仏壇はご先祖様に感謝する場所なわけです。

困った時の神頼みで
お願いをする場所だと思っているから
それが処分され障りとなり
お願いを聞いてもらえなくなった・・
となるわけです。

で、お祀りすればお願いを聞いてもらえると?
これでは、感謝できないままで何も変わっていないので
目前の現実が好転するはずもないわけです。

でも、やっぱそんなに人生は甘くないって
誰しもが心の奥でそう思っていますよね。
あわよくば・・が主体の人生になっているから嫌な事が続くんです。w

なかなか感謝する事は難しい事ですが
感謝する努力を続ける事で、障りは鎮まります。
(私自身が体験した事です)

要するに障りがあると指摘されたら
神仏を祀ったり、供養したりするのではなく
まずは、しっかり感謝し、その感謝を行動に表す事だと思います。

祀り直すのであれば、ご先祖様がしてきたように
感謝の思いを捧げる事が大切でしょうね。

私自身は改宗は悪い事ではないと思っています。
ただ、改宗する動機によっては、障りが起きる事が多々あるでしょう。
自らの快楽を求めた改宗は、あまりおすすめできませんが・・


木の障り、お墓の移動による障りなども同じです。
自分都合での判断ばかりしていると
痛い目をみるという事を教えてくれているのが
障りという現象だと思います。

従って
しっかりお祀りをしただけでは
何も変わらないのは当然でしょう。

大きな祠まで建ててしまった・・・
なんて人も沢山います。

100万も祠に投資するお金があるのであれば
自分がお世話になっている方200人に
5000円づつ感謝のしるしを示した方が
目前の現実は好転すると思います。










『修行』

修行にも色々あるのですが
ここでは、登山や滝行、寒行、断食日々の勤行・・などなど
神仏を崇め祀るの修行の事です。

これらの修行をすれば良い事がある・・・
この解釈もとても多いです。


修行すれば神仏が守ってくれるようになる・・
と、そんな事を言う人もいますね~

そう思って修行している人は
結構な嫌な事があると、パタッとやめてしまいます。w
神々に裏切られた・・
なんて言う人もいます。
勝手に信じて、良い事がないと
裏切られた・・と、実に身勝手である。w

信じていれば救われるなんて
だだそれだけの言葉で指導をするから
そんな事を思う人がたくさんいるわけで
やはり『救われる』とは、どういった事なのか?を
しっかりと伝えた方がいいのではないだろか?
と、思ってしまうわけです。





毎日勤行をしているのに何も変わらない!
定期的に滝行をしているのに嫌な事ばかり起きる!
なんて、相談を受ける事も多いのです。

その良い事って何?と思ったりするのですが
辛く苦しい出来事から解放されたり
お金が入ってきたり
出世出来たり
商売がうまく進んだり
宝くじに当たったり
とかだそうです。w

思わずバカじゃないの?と一瞬思うのですがw
よくよく考えると私自身も霊障をなくす為に
修行していた時期もありました。^^;)

自らを省みる事ができないと
なんでもかんでも周りのせいにして
生きる方向性がどんどんズレて行くわけです。w


そもそも修行とは、自らの精神を鍛える為に行うわけで
苦悩から解放される為のものでも
快楽を満たす為のものではないのだと私はそう思っています。

一般的な修行とは、そういったものでしょう?

ようするに自らの精神を鍛える事で
自分自身を成長させる事ができ
自分自身が成長出来れば、自らが放つエネルギーが変わり
目前にある現実も移り変わって行く・・
という仕組みなんだと思っています。

まぁ~誰しも自分の中にある幸せに気づく事ができれば
残りの人生は、幸せのままでいられますし
そこを目指して、あれこれと修行するわけです。

従って、自らの成長があって初めて救われる事になります。

自己の精神が鍛えられ成長すれば、それは良い事であり
目前の現実も大きく変わるでしょうが
初めから快楽という良い事があるのでは?と期待していれば
精神修行の遠回りになってしまうので
当然、いくら修行しても良い事など起きないのです。


私の場合、無くそうとした霊感がどんどん強くなってしまったので^^;)
ひょっとしたら、そんな下心付きの修行では
自らの成長をどんどんと遅らせてしまい逆効果なのかも?しれません。

なので、私の所に修行を付けて欲しいと
下心付きで申し入れのある方は
修行すればするほど辛く苦しくなるので、初めからお断りしています。


何にしろ、自分が変わらなければ
現実は変わらないのが、大自然の法則ですしね。








『神のお告げを信じて良いのか?』

『神様から〇〇というお言葉を頂きました。』
なんて霊能者の方々から伝えられると
それを信じてしまう人も多いでしょう。

半信半疑で心にとめて楽しんでみるのもいいでしょうが
その通りにならないと言って
恨み節で相談に来る方もいらっしゃいます。

まずは、何をもって神とするか?を
冷静になって考えてみる必要があるでしょうし
神のお告げを伝える方々にそれを聞いてみる事もいいでしょう。

私は、自分が神とした存在が神であり
ただ、それだけの事だとそう思っています。

何の根拠もないただの思い込みに対して
神という認定をしているだけなので
それを自分がどう受け止めるか?だけだと思います。
従って、飼っている猫を自分が神の使いだと認定すれば
その猫は、その瞬間から神の使いになります。w

私自身も、龍、白狐、天狗、河童などの
姿をよく見るし、からまれたりするのですがw
それを証明する手段がない=私がそう感じているだけの事
としています。
私自身が勝手にそう解釈している分は何も問題ないでしょう。

ただ、その世界を他人に強要するからおかしな事になるわけです。
受け止める側も、神のお告げ?何それ?バカじゃないの?
くらいに受け止めておけばいいのですが
神のお告げに逆らったら祟りがあるのでは?
と、思ってしまう人も多いですし
神のお告げどおりにすれば良い事があるのでは?
と、思ってしまう人もいます。

ハッキリ言って、自分の人生を
自分の足でつくれないからそうなるわけです。
(まぁ~↑私の場合・・ですが^^;)



また、霊視とかチャネリングとかの仕組みを知る必要もあるでしょう。
ただ単に、どこからともなく入ってくる
心地よく神々しい言葉=神のお告げ
と、安易にそう決めつけるのは、とても愚かな事だと思いません?

だって、麻薬中毒の方々は、そんな体験たくさんしてるはずでしょ?w

強制的にトランス状態にする合法アイテムも沢山あります。
合法というと聞こえがいいですが、要は規制されていないだけなんです。
そんなアイテムを使ってトランス状態になり
神のお告げを頂いた!なんて言う人もたくさんいますしね。


神様のお告げで、世の為人の為に尽くすように言われた
という霊能者がとてもい多いのですが
そもそも、普段から世の為人の為に尽くしている人に
そんなお告げがあるはずもないので
もし、それが本当に神からのお告げであれば
貴方は自分以外に尽くす心が欠如しています!
と、言われている事になるわけです。w


霊能者を神聖視するから、色々と惑わされるんでしょうが
世の為人の為に尽くさなければ、貴方の人生は終わりですよ!
と、通告された人だとすればいいわけです。w

自分のまわりよくよく見渡して
暖かい家族を持った人たちを良く観察してみてください。
みなさん自分の周りに尽力しているはずです。
要するに世の為人の為に尽くしている人だけが幸せなんです。


なので、神のお告げを告げる人を神聖視するのではなく
どんな仕組みで言の葉が入るのか?を
まずは明確にするべきだと思うのです。

私自身、そんな追及を長年してしていますが
知れば知るほど、安易に言の葉を信じてはいけないし
神々のような輝かしい姿が見えたからと言って
神のお告げだとするべきではないとそう思っています。


まぁ~霊能力なんて
そう言ったレベルの話だと最初から理解していれば
嘘を言われた!と、ムカつく必要もないですしね。



とは言え、お告げで言われたとおりに
大金が転がり込んで来れば、普通は信じますよね。
これが、人間の脆いところです。w


私もそんな体験がたくさんあります。
私の場合は、直接私に告げてくるわけですが
過去に数千万というあぶく銭が入ってきました。

ただ、苦労して得たお金ではないので
万馬券が当たった・・宝くじが当たった・・
そんな程度のお金の価値となり
今振り返れば、お金の重みという
生きているうちに学ばなければいけない大切な感覚を
喪失させられる出来事だったように感じます。

自分の人生を狂わせる出来事と言っても過言ではないでしょう。


よくよく考えてみてください。
神々を崇め祀る事で大金が転がり込んで来れば
自らを磨き上げる努力をしますか?
苦難を自力で乗り越えようとしますか?
必死になって何かを成し遂げようと努力しますか?

努力と言えば、日々の勤行となるわけです。
嫌な事がある度に、勤行が足らない?と思ってしまい
自覚のないまま社会的不適合者になっているわけです。

そして、所詮はあぶく銭なので
手に入った金額の数倍、失う事になるでしょう。

結果でけ見れば、神のお告げではなく
悪魔の囁きなのですが、それすら気づけない巧妙さがあります。

例えば、お金に困っている時に
お告げで100万入ってきました。
おお~!奇跡だ!と思うわけです。
そして、スピリチュアル地獄に一歩前進します。w

で、所詮はあぶく銭なので、何か努力するわけではなく
あっという間にそのお金はなくなり
気付けばまたお金に困るわけです。

そして、またしてもお告げがあります。
ギリギリのところでなんとかなるお金が手に入ります。
スピリチュアル地獄にもう御一歩前進です!w

その時すでに、最初にお金に困っていた穴より若干穴が広がっているのですが
お告げで穴がふさがっているように見えるわけです。

最初は80万の穴だとします。
100万入りました。20万あまります。
次に、100万の穴があきます。
130万はいりました。30万まります。
次に、150万の穴が開きます。
150万入りました。あまりません。
次に、200万の穴が開きます。
200万はいりました。あまりません。
次に250万の穴が開きます。
・・・・
といった具合にどんどん穴が開きます。
神々のお告げで入ってきた金額もどんどん増えて行き
スピリチュアル地獄まっしぐらです。w

そして、長い時間をかけて、全てを失う結果になるはずです。
たいたい目安としては10年くらいが多いですかね~
自分だけではなく、家族や血族にも影響がでるのでご注意を!

全てを失っても、信仰が足らないからだ!
と思ってしまう人も沢山います。^^;)


神のお告げでラッキーな事があったら
それは、悪魔の囁きだと思った方がいいでしょう~。w




そういう意味では日本人の真髄である日本神道は素晴らしいですね!

神々を崇め祀ると言う行為は
大自然の恵みに感謝する事としているわけで
心深く感謝できれば、それだけで誰でも幸せになれるわけですから。

その教義を真っ当に伝えることの出来ない神社も多いですけど・・









『怖くて信仰をやめられない』

強迫観念に囚われていれば
すでに信仰でもなんでもないのですが
そんな相談も結構あります。w

先日も呪詛返しをして欲しいという依頼があり
代償は何を支払えますか?
と聞いたら
私には、何もないと・・・・
まぁ~死ぬまで世の為人の為に尽くせばいいんですけどね。

とは言え、呪詛をかけられている感じもしないので
お話をお伺いすると
霊能者の方にそうやって脅されていると言う事です。
呪術で会社を潰してやる!と言われ
ビビりまくっているわけです。

今まで、供養や除霊でかなりのお金を払ってきたようで
その集団から抜けたいと申し出たらそう言われたそうです。

これって、すでに犯罪ですよね。
なので、警察に行って解決してもらう事をお勧めしたのですが
本人が逮捕されても呪詛はかけられたままなので
それが怖いそうです。

私自身も密教呪術を学んだ事があるので
確かに呪詛をかける事は可能だと思っています。
ただ、代償が必要になるので
安易にかけられるモノでもないわけです。
仮に、簡単にかけられる呪詛であれば
簡単に解く事もできるわけです。

あとは、徳がなければ
呪詛をかけやすい体質になります。
これも、逆を言えば
徳が高ければ呪詛をかけにくい体質だと言えます。

なので、呪詛をかけられないように
徳を積みましょう!と、伝えておきました。


不思議体験を色々すると
信仰を止めると何か嫌な事が起きるのでは?と
不安になるのも解りますが
何をどうしようと徳がなければ
嫌な出来事が起きるのが自然の法則です。

従って、いくら信仰を続けようが
徳がなければ、一時の快楽が満たされるだけで
その満たされた快楽にも代償がつきものです。


信仰により快楽が満たされた
⇒その快楽の代償を払った。(嫌な事が起きた)
⇒信仰が足らないからと思い、更に信仰心を深める
⇒また、快楽が満たされた。
⇒また、代償を払った。
⇒また、信仰を深めた・・・・

こうなると宗教にドップリって感じになります。
ん~・・・悪循環ですね。w


私は過去に仏壇や神棚をかなりの数
処分してきましたが、日々とっても幸せです。

信仰を止める事で嫌な事が起きると思うのは
偏った信仰をしているからでしょう。

神々を尊み敬う心は大切だと思いますが
よくよく考えれば
自分を敬わないから罰を与える神様なんて
いるはずもないでしょう?

仮に信仰を止める事で嫌な事が起きたのであれば
自分自身が煩悩を満たすために創り上げた
何かでしょうね~

そんなモノはさっさと縁を切りましょう!^^)












霊能者の言葉に惑わされるな!その2 - 修行バカの懺悔道


霊能者の言葉に惑わされるな!その1 - 修行バカの懺悔道