修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

先祖からの因縁と言う人生の教科書

私が顧問をさせて頂いている会社のスタッフで
不憫だなぁ~と、思う娘がいました。

何が不憫かと申しますと
生まれながら背負っているモノの影響で
他人とうまくコミュニケーションが取れないのです。

人の社会は、五感でコミュニケーションを取るのですが
本人は、第六感が鋭く、その感覚を優先した言動を取ってしまう。
他人からすれば「???」となるわけです。

そして本人は、その自分の感覚に気づいていないので
なぜうまくコミュニケーションが取れないのか?が全く解らない・・
要するに、他人と見えている世界が違うのに
他人も同じ世界が見えていると思い込んで接する為
コミュニケーションがうまく出来ないのです。

私自身も同じ経験をしてきたので
見ている私は、不憫でしかたないわけです。


どうしたものか?と思ったのですが
社長へ相談し、本人を鍛える事にしました。
どう考えても怪しい行為に見えるはずなので
両親の了解も得る事にしました。


何をするかと申しますと
五感の感覚のみで、他人と接する訓練です。
すでにある感覚を切り離す事はできないので
簡単に言うと、五感のみで判断する思考をつくるのです。


とは言え、まずは自分の特異な部分を
認識してもらわないと始まらないので
何をどう感じているのか?自分自身で把握する必要があります。

なので、エネルギーを感じ取っている事を知ってもらう為に
エネルギー操作の訓練から始める事にしました。

普通に生きる事が出来れば、こんな事必要ないし
一言でエネルギーと言っても、色々あるので
上辺だけで理解すると、周りにもおかしな影響を与えてしまいます。
さんざん悩んだ結果、真剣にやる事にしました。


自分が簡単に操作できるエネルギーと
そうでないエネルギー
自分が操作できる範囲のエネルギーと
できない範囲のエネルギーの違い・・
操作できない範囲がある理由・・
自分が影響を受けやすいエネルギーとは?
また、なぜ影響を受けやすいのか?
同調と離脱・・などなど・・

業務終了後1時間くらいの訓練を
ぼちぼちと始めました。


そんな中、先日エネルギーの種類を知る為に必要な
意識を遠隔地に飛ばす練習をしようと試みました。
まずは、それを実体験をさせようとした所
過去からの経験値に邪魔をされている感じがしたのです。
本人も引っ張られる感覚があったようです。


色々な種類のエネルギーがある事を
知ってもらうのに、ちょうどよかったので
無理やり取り除くのではなく
どんな記憶なのか?何を意味するのか?
本人にどんな成長を与えてくれるものなのか?

そんな話をしながら
同時に感じてもらい
軽い部分だけを取り除く事にしました。


そんな会話を続けていると
本人は、ぼそっと・・
「先祖の経験値が自分を成長させてくれると言う事は
先祖の経験値って、私の教科書のようなものなんですね!」
と、そんな事を言う訳です。


おお~!素晴らしい~!
相変わらず神ががってるなぁ~!

その言葉、使わせてもらうわ!w
と、返事をしておきました。w

















幸せを快楽と履き違えると
俗にいう先祖からの因縁が邪魔だと感じるでしょう。
色々な宗教団体が因縁消滅に拘るのは
快楽を満たす為に邪魔だからだと思っています。

私自身も、自らの体質は先祖の因縁だと言われ
因縁を消滅させる行為をしこたまやりました。w


自分の先祖を恨む因縁の霊・・
口寄せをすれば、霊媒者の口から
「お前の先祖に騙されなんだ!だからお前を苦しませている!」
なんて、しゃべりだし・・
その霊体に謝罪し、しっかりと供養する・・
まぁ~こんな事も繰り返しましたね~w

私自身の中でも同じ言葉を聞いているので
疑う事もしませんでしたし、しっかり供養すると
いなくなったんで、当時はホントに信じ込んでしました。
これで大丈夫!と・・

その後は身体が軽くなり、なんかラッキーな事があったりもするので
霊に邪魔されていたんだ!と思うのも無理はないかと・・
目先のみで、判断すると確かに好転するわけですしね~

だた、こんな事を何度も何度も繰り返すと
そのうち、本当にこれでいいの?と思うようになり
長いスパンで振り返ると、何一つ好転していない事に気づけるはずです。
10年もそんな事を続ければ、最悪の事態になる
可能性があるのでお気を付け下さい。



今思えば、自らの成長をストップさせる行為であり
物事がうまく進まない理由を
誰か、何かのせいにする、とても幼稚な行為だったと思うのですが
しこたまやったお陰で、私の中では意味のない行為だったと知る事が出来ました。
(まぁ~それなりの代償をしっかり支払いましたが・・^^;)

また、先祖の経験値で創り上げられた
私自身の歪んだ人格も、それと真剣に向き合って生きる事で
様々な事を学ばせて頂ける事も知りました。


人それぞれ、人格も違い、今世に学ぶべき課題も違う
誰しも同じ方向に向かって生きているようですが
それぞれの道が違う事も知りました。




色々な会社の顧問をさせて頂く中で
チームワークをどう確立するか?という視点で
ひとり一人のスタッフを観察すると
それぞれに長所、短所があり
その長所短所を補い合う事ができるように
人が集まってくる事が解ります。


一つのグループは、必ず
助け合う、支え合うという関係が成立する
ようにしか、集まらないわけです。

面白いですよね~!^^)





例えば、清掃ができない人と
清掃が出来る人がいます。
ルール上、清掃ができないのはNGなのですが
それを、清掃ができる人が代わりにやるとします。

助け合うという行為の練習です。

代わりにやってやる!という気持ちではなく
させて頂いているという気持ちで出来るようになると
清掃をしてもらった側、手伝側の両人に何かが起きます。

実際にそれを目にすると解るのですが
ミラクル!としか言えないような出来事が起きたりします。


通常は、ルールに囚われ
正しい、間違い、のみで判断するので
経営者は、スタッフのダメな所ばかり目につきます。
スタッフに求めているから起きる現象で
求めているから視野が狭くなるわけです。

スタッフひとり一人の良い所を知り
それを伸ばそうとすると、ダメな所をフォーローできる人材が
必ず、身近にいる事が解ります。


先祖から引き継いだ人格で、出来る事、出来ない事が
人それぞれあるのですが、出来ない事がいけないわけではなく
出来ない事は誰かに甘えてもいいんでしょうね~
出来るようになる努力を怠ってはいけませんが・・
出来るようになるまでは、誰かに甘えて、その分の誰かの為に尽くせば
とてもいい関係が生まれるような気がしています。
それこそが、字のごとく支え合う「人」というモノなのでしょう。


ひょっとしたら、こんな素晴らしい経験をする事が目的で
先祖からの因縁というモノが存在しているのかもしれません。


俗にいう先祖からの因縁をよくよく深く知ろうとすれば
まさしく、それは自らの人生に必要不可欠な教科書だと言えるわけです。


先祖からの因縁を消滅させる行為は自分の人生の教科書を失う事となり
そんな事をすれば、自分を見失ってしまうのでは?とさえ、思います。
自分自身を否定する行為にもなってしまうので
私としては、先祖からの因縁は
自分の人生の中で一番大切にすべきだとそう思ってしまいます。