修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

先祖の因縁とは?

「先祖の因縁のせいで
辛く苦しい人生になっている」
と、そう思っている人も
結構いるんじゃないでしょうか。

また、そんな相談をよく頂くので
改めて私なりの解釈を記しておきます。








「先祖の因縁のせいで
現世が辛く苦しいモノになっているから
先祖供養に励みなさい。」
と・・
仏教系の宗教では
こんな事を言われる事が多々あるでしょう。

私も、まだ霊障が酷かったころ
寺の住職や霊能者の方々に
そんな事を言われて、先祖供養に励んだものです。

「先祖を敬う」という誰しもが
素晴らしいと思う、その行為に
何の疑いも抱く事はなく
せっせと、先祖供養に励みました。

しかし「先祖供養は良い事」とする
世の中の風潮が
己の我欲を満たす為にしている本心を
包み隠してしまう・・・


特に因縁消滅の為の先祖供養は
「お前のせいで苦しんでいるんだ!」
「どうしてくれるんだバカヤロー!」
「俺の人生めちゃくちゃにしやがって!」
という、思いをご先祖様に届けているわけです。w

そんな事は思っていない!
と、おっしゃる方もいるでしょうが
「ご先祖様、どうか成仏してください・・私の為に!」
って感じで、先祖供養しているので
大差ないんですよね~w


普通なら、「成仏って何だ?」
「供養ってなんだ?」と
先祖供養をする前に、真剣に考えなければ
ならないはずなのに
己の我欲がそれをさせないわけです。
「成仏」「供養」それが何であろうと
己の苦悩から解放されれば
それでいいわけですからね。
そして快楽が満たされれば尚いいわけです。
勤行を励めば、苦難はなくなり
快楽が満たされる・・と
そんな指導をしている仏教宗派もあります。

私の場合は、「成仏」や「供養」って
いったいなんだ?と、そう思い続けましたが
多くの僧侶に「信じれば救われる」と
そう言われ、考えない自分を
正当化してしまうよう促されました。


仏教では「先祖供養は良い事」であり
先祖供養という行為は
日本の文化と言えるほど世の中に馴染んでいるので
自分がしている行為の異常さに全く気付けない。

私も昔は、一生懸命やりましたよ。
マジで霊的苦痛が酷かったですし
一生懸命経典を唱えると、身体が軽くなりましたしね。
写経だって、数千枚かきました・・

でも、霊的苦痛は無くならないどころか
どんどん酷くなり、先祖供養中毒患者のように
なってしまったのです。

毎日、経典を唱えないと
まともに眠る事も出来ず
苦しくて仕方なくなってしまったのです。
ほんと麻薬のようなものですね。w




仏教で言われている先祖の因縁とは
いったい何だろうか?
当然そう思うわけなのですが
「先祖の悪行が子孫に悪影響を与えている」
と、仏教を学んでいる時に
そう言われました。

私自身に起きている苦悩は
先祖のせいだと、そう指摘されるのです。
流石に何人も同じ事を言われたので
その言葉を信じてしまったわけです。
自分でもどうして
こんなにも霊的苦痛が多いのか?
全くわかりませんでしたしね。

実際に交霊術で霊媒師に憑依した霊に
「お前の先祖に〇〇された!」
と、言われたり
自分の先祖を名乗る霊に謝られたり・・
自分の先祖だと名乗る霊もいて
その名前を抹消謄本を調べると
本当にその名前が記載されていたり・・

私の場合、霊については
実際に「見える」「聞こえる」
なので、霊媒師と同じ状態になれた為
当時は、全く疑う事をしませんでした。

そもそも、霊的現象を無くしたかったので
同じ現象を見る事で
「ここに解放される鍵がある!」
と、そう思ってしまったわけです。


しかし、長い間、仏教に浸りましたが
さすがに、霊的苦痛がどんどん悪化するので
疑問を抱くようになりました。

そして、周りを見渡すと
同じように霊的苦痛に悩んでいる人達で
そこから解放された人など
1人も居ない事に気付いたのです。

皆さん、仏教的な勤行や供養、加持などを
一生懸命している人たちです。

お金もいっぱい使ったでしょうね。
私もかなりの金額をぶっこみましたし。

私自身も、一時的な霊的苦痛の解放と
その爽快感にハマってしまったのです。



しかし、誰一人として
霊的苦痛から解放されていない
事実に気付いた時、ぞっとしましたね~

だって、みんな一生懸命信仰しているんです。
何一つ疑う事なく・・
傍から見たら異様な人たちなんですが
私もその内の一人だったのです。





それ以降、私は
ひとりで修行するようになり
「成仏」「供養」「先祖の因縁」とは何か?
という探求をするようになりました。





結論を先に言いますと
「成仏」「供養」「先祖の因縁」
これらは、仏教に都合の良い方便だと
私は、そう思っています。

「成仏」「供養」「先祖の因縁」
これらの考え方を広めると
仏教信者が増えますしね~


信者を増やす為の教義が
麻薬のように社会に広まっているのでは?
とすら、そう思ってしまうのです。


まぁ~私がそう思っているだけの事ですが
実際に、そう思うようになってから
霊的苦痛が一切なくなったのも事実です。

逆に、色々な仏教の宗派を学び
修行に明け暮れている頃は
霊的苦痛がどんどん悪化したのも事実です。








で、前置きが長くなりましたが
タイトルにある「先祖の因縁」ですが
私たちは、先祖の影響を
受けているのは事実だと思っています。

しかし、先祖の悪行が
自分自身に直接影響しているのではなく
悪行をしてしまうような先祖の性格を
自分自身が受け継いでいる為に
同じような言動を繰り返し
同じような苦悩に直面するだけでしょう。

従って、いくら因縁消滅の先祖供養を
した所で、全く意味はないと
私は実体験からそう思うようになりました。


今思えば、滑稽な事ですが
自分の性格に問題があり
その性格が引き起こした苦悩を
先祖のせいにしているわけですから
まさしく自分自身の性格に問題ありありですよね。w

己を省みる事が出来ず
なんでもかんでも、誰か何かのせにしてしまう
そんな自分の性格が
「成仏」「供養」「先祖の因縁」
という考え方に疑問を抱かなくさせてしまう。
そして、仏教にドはまりし
因縁消滅の為の先祖供養に励んでしまうのです。

人間は、誰しもが欲深い生き物ですが
その欲が、真実を隠してしまうのでしょう。



人が、周りに迷惑をかける行為や
他人から恨まれるような行為をする時は
どんな時か?と考えると
他人の迷惑などお構いなしで
自分の欲望を満たそうとする時なので
自分勝手で我儘で、強欲な人が陥る現象なんでしょうね。

前回にも「強欲」について
記事を書きましたが
「強欲」な人って
自分が他人より欲深い事に気付けないんです。w

なぜならば、人間誰しも、自分勝手で我儘だからです。

我欲が強ければ強いほど
他人とぶつかる事が多くなり
自分の思い通りにしたいという気持ちが
抑えらられないので
他人の我欲にムカつく事が多く
腹立つ事も多いわけです。
やたらと、他人の我欲とぶつかります。

そして、自分の思い通りにならない行為に
対して、腹が立ち、ムカつきまくっているので
自分勝手で、我儘で強欲なのは
自分ではなく相手の方だ!と
そう思ってしまうのです。w


マジで笑えますよね~
我欲が強すぎて
自分は、強欲などと微塵もそう思えないのです。


なので、自分に降りかかる様々な苦悩を
常に誰か何かのせいにしてしまいます。

「先祖の因縁」という言葉にハマってしまうのも
致し方ないのでしょう。
誰も証明できない曖昧な世界なので
自己を正当化するのに都合が良いですしね。


私自身、相談者の方で
血の影響を強く受けている方には
「業の深い血を背負っている」という
言い方をしますが
要するに強欲な血という事です。

〇身内の揉め事が絶えない・・
これも、強欲な者同士が争うのは当然です。
どちらも、自分の思い通りにしたくて
仕方ないわけですからね。

〇身内に不幸が多い・・
これも、強欲な為に
自分の思い通りにならない事に
負の感情を抱く事が多くなり
そんな感情のエネルギーが
苦悩へと導く「縁」を作るわけです。


まぁ~「先祖の因縁」と言えば
そうなんでしょうが
正確には、先祖から受け継いだ自分自身の性格と
考えた方が、目前の現実を改善しやすいと思います。

先祖代々、同じ苦悩を繰り返しているのであれば
一見、摩訶不思議な事だとそう思ってしまうでしょうが
苦悩を引き起こした先祖と
同じ性格なので
同じ環境を好み、同じような言動を繰り返していれば
同じような苦悩に直面するのは、自然な事でしょう。


目前の現実を改善するには
苦悩を引き起こした原因になる
自分自身の性格を良く知り、そして受け止め
自分自身の性格を改善してゆく必要があるわけです。

それを、因縁消滅の先祖供養で
改善できるわけがないですよね~
まるで自己の過ちを責任転嫁しているようなものですし
自己を省みない自分自身を
正当化している行為になります。

人の心を成長させようとする
大自然の法則からすれば
自己の心の成長と止める行為になるので
苦悩が増え続けるのも当然でしょう。

マジで馬鹿馬鹿しい事を
長年続けてきたものだと
己の愚かさを痛感していますよ。w


なので、先祖からの因縁が深いと
言われた事があるのであれば
自分は「強欲」だと思った方が良いでしょう。

そして、強欲な人ほど
自分が強欲だと思えない仕組みがある事も
知っておくと良いでしょうね。

だって、強欲な人ほど
自分に都合の悪い事は記憶に残しませんし
常に無視する経験を繰り返しているで
自分に都合の良い事の世界で
過ごしていますからね。

なので、「先祖の因縁」という
自分以外を悪とする
考え方に、心が救われたと
そう思ってしまうのです。
自己顕示欲が満たされるわけですね。




強欲であればあるほど
不快に感じる事が多いという事であり
結果として苦悩が増えるのは、当然の事です。

コップ半分の水の例えをよく耳にすると思いますが
強欲な人は、「もう半分しかない」と
そう思い、怒る人も居れば、悲しむ人もいるわけです。

気の小さい人は、強欲な人に見えないでしょうが
私に言わせれば、自己容承認欲求が強すぎるのです。

他人に認めて受け入れられたいという欲求が強すぎる為に
他人から言われた、ちょっとした一言で
心が傷ついてしまうのです。

「強欲」という言葉から
オラオラ感をイメージしてしまうでしょうが
「何らかの我欲」が他人より強いという事です。


なので、先祖からの因縁とは
強欲な性格を引き継いでる事でしょう。

強欲な人ほど、徳が積めないので
努力して徳を積む事で改善すると思います。

「徳」積みについては質問を頂いているので
次回にでもエントリーしたいと思います。