修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

ご先祖様からの因縁は、自分を幸せに導くカギである!

「先祖の因縁が影響して不幸な出来事が起きる」
確かに、そう言った事が起きると思っています。

昔から日本では、先祖からの因縁消滅なる事が行われています。
先祖供養で因縁消滅
因縁消滅の祈願
家系図をたどり禍が繰り返される場所を絞って祈祷する
などなど・・
それらをする理由は、我々が生活する上で
辛く苦しい現実を引き起こす原因だからです。

私は、この世の中には、我々人類にとって
必要不可欠なモノしか存在していないとそう思っています。

従って、なぜ?先祖の因縁なるモノが存在しているのか?
と考える必要があり
そう考えると、私たち人間の心の成長に必要不可欠なものなのでないか?
と、そう思ってしまうのです。

私自身も業の深い血を背負い、憑依現象に苦しんできたので
先祖からの因縁消滅なる行為を長らく続けてきましたが
因縁消滅などと考えている間は、一時的な改善しかありませんでした。

結果として、自らが背負った血の経験値と向き合い続ける事で
日々成長でき、日々感謝できるようになり、日々幸せな出来事を増やす事ができたのです。
今では業の深い血を背負って生まれてきたおかげで
私は、毎日を心豊かに過ごす事が出来るのだとそう思っています。
因縁消滅などさせなくて良かったと・・
(出来なかったんですけどね)


とは言え、この先祖からの因縁なるものは
血に刻まれている為
自分の思考とは別に肉体が反応します。
業の深い血を背負って生まれてくれば
自己の感情を簡単に制御できず
自分の思うように行動できないのです。

だからと言って、諦めてしまえば
先祖の因縁通りに、不幸な出来事が
子々孫々と起き続けるでしょう。


私が、自らの先祖の因縁と向き合おうと
強く決意したのは、私の子供達が
幼い時から憑依現象に苦しんでいたからです。

私の代で終わらせなければとそう思ったのです。



先祖の因縁なるモノは、大まかに言って
不徳の積み重ねが血に刻まれているのです。

業の深い先祖を背負った場合
不徳を積んでしまう性格が受け継がれているという事です。

具体的には
〇感謝できない
〇他人を理解しようとしない
〇自己中、自分勝手
〇欲深い
〇怒りっぽい
〇嫌な事から逃げる
〇ゆるす事が出来ない
〇正義感が強い
〇我慢ができない
〇すぐ逃げる
〇努力しない
〇誰か、何かのせいにする
〇楽を優先する
〇虚栄心が強い
〇自分を省みない
〇損得勘定でしか判断しない
〇驕り慢心が強い
〇謝罪できない
〇自分都合でしか判断できない
などなど・・
こう言った性格が原因で不徳を積んでしまうわけです。

これらの性格は、誰しも少なからず持っているものですが
徳を積む事で、禍の原因は解消されます。

ですが、徳がなければ不徳を積み続けるだけとなり
それらの不徳が禍となって子々孫々と受け継がれ
先祖の因縁と呼ばれるようになるのです。



従って、これらの性格としっかり向き合い
改善する努力を続ける事で
先祖からの因縁は解消されてゆくわけです。



私の場合、上記に記した自己の性格と
とことん向き合いました。

思い出しても笑ってしまうのですが
昔の私は、常々自分が正しいと思っていたので
自己改善する必要はないと思っていたんです。

まぁ~視野が極端に狭い為に
そう思っていたのですが
ボランティア活動の中で
その愚かさに気づく事ができました。

今まで徳を積もうとした事がなかったので
狭い視野の中で生活してる自分に気づけなかったのです。
自己中心的な性格が、自分に都合よく物事を捉えていたのです。
ようは、初めから自分が正しくなるようにしか
物事を解釈できなかったのです。
自分の事ながら愚か過ぎて笑えてきます。


徳を積むには、自分以外を理解する事が必要不可欠で
その体験が、今まで自分の価値観のみで過ごし続け
自分以外を理解しようとしていなかったという事に
気づかせてくれました。


また、どうやっても感謝できない自分の性格には
ほんと悩みましたね~
これも、偽善行為を続ける事により
驕りや慢心、損得勘定で物事を判断する性格が
原因だった事に気づかされました。



思考とは別に怒りの感情が込み上げてくる性格にも
かなり苦労しました。
いくら冷静に判断しようとしても
血が沸騰した感覚がフツフツと込み上げてきてしまうのです。
自分の血が「ゆるせない!ゆるせない!ゆるせない!」と
叫んでいる感覚ですかね~
憎しみを血にに刻まれているとこんな感覚になります。

私の場合はじめは、思考とは別に込み上げる怒りの感情を
そのまま放出し、その後その因果関係を理解する事を繰り返しました。
怒りの感情は、自分の思い通りにならない時に生まれるので
なぜ?腹が立つのか?
どうなったら腹が立たなかったのか?
自分は、何を求めていたのか?
を、しっかりと理解する事を続けたのです。

往々にして、超くだらない事を求めてるんですよね~
また、自分のミスを受け入れる事ができなくて
怒りの感情が込み上げてくる事もありました。
それを知ると、自分の心の幼稚さと直面する事になり
自分が情けなくなります。
ありがたい事に自己反省する事ができるのです。


この経験から無知が災いを生み出している事を深く理解できたので
その後は「理解する」事を深めようと努力しました。

自分が生み出す負の感情は、自分を成長させるきっかけになるのでは?
と、そう思うようになり
嫌悪感を抱いた瞬間に自分を振り返る事を続けたのです。

自分は、何が嫌なんだろう?
どうなっていれば良いのか?
・・と
そして、自分が望む現実にする為には
自分がどう変われば良いのか?

そんな事を考えるようになりました。

そして、自分が望む現実にする為には
まず、理解する事が必要になり
私自身が今まで何も理解しようと
してこなかった事に気づかされたのです。

何一つ理解しよとしないまま
自分の思い通りにならないだけで
苛立ちムカつきストレスを感じていた事に気づいた時は
愕然としましたね~
ストレスは無知が生み出しているんです。

幼稚な心を持ったまま
歳を重ねていた事を痛感した出来事でした。



その後の私は、日々理解しようと努力する事で
とても多くを学ばせて頂きました。

例えば・・
〇自分が変われば、いくらでも現実は好転する事
〇ゆるす心を育む為にゆるせない出来事が必要不可欠な事
〇「理解」で全てをゆるせるようになる事
〇出来事から学ぶ姿勢でしか自らの心は成長しない事
〇心の成長と共に現実が移り変わる事
〇人の苦悩は、必要なものであり、苦悩のおかげで多くを学べる事
〇利他的な思いでしか、人生を好転できない事
〇幸せは、自分の中にしか存在しない事
〇目前の出来事は全て心を成長させる為に起きている事
などなど

これらを学ぶ事が出来たのは
全て自分が抱く負の感情がきっかけなのです。

即ち、私自身が背負っている先祖からの因縁のおかげで
私の心は成長できたという事になります。
なので、私にとって先祖からの因縁は感謝の対象なのです。


私は、業の深い血を背負ったおかげで
多くを学ぶ事が出来、毎日を幸せに過ごす事が出来るようになりました。
先祖からの因縁が、私を幸せに導くカギだったのです。






先祖からの因縁とは、ご先祖様の経験値の蓄積であり
私たちは、その経験値を受け継ぎ、自らの感情を生み出しているのです。

先祖の因縁=先祖の経験の蓄積=自己の感情の源、なので
自らの新たなる経験で、自己の価値観は移り変わり
その価値観に基づいて創られる感情も同時に移り変わる。

従って、先祖からの因縁は
自らの新たなる経験で解消できるという事になります。

今の私は、怒りの感情に振り回される事はなくなりました。
先祖からの因縁がひとつ解消された事になります。

昔の私は、怒りの感情に身を任せ
自己を正当化して終わりだったのですが
怒りの感情に身を任せるのは同じでも
その後、自己を省みる経験が
私にとっての新たなる経験としてプラスされました。
それを繰り返す事で、過去からの経験値が上書きされ続け
先祖からの因縁がひとつ解消されたのだと
私は、そう思っています。



自分の思考とは別に働く感情は
先祖の経験値+自己の経験値から生まれるものでしょう。
また、自己の感情に流された生活は
先祖から受け継いだ経験値を元に過ごしてしまう事になるので
先祖代々何度も似たような禍が繰り返されるのも道理です。

従って、先祖から受け継いだ因縁の意味を知り
その因縁を受け入れ、乗り越えるよう努力する事が
私たちに人生で、とても大切な事だと思います。


祈祷や呪術で先祖の因縁を消滅させる行為は
自己の人生の幸せのカギを失ってしまう事になるでしょう。



だれでも辛く苦しい出来事は嫌なものです。
ただ「嫌」とう感情が、人生を好転させるカギだという事を
私たちは、忘れてはならないように感じています。



なんだかんだと能書きを記してしまいましたが
早い話、日々利他的な想いを育み
徳を積み続ければ、自らが背負った先祖からの因縁は消滅するという事です。