修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

幸せは、誰しも自分の中にあるものだ!

人の苦悩は、求める心が生み出している
求めるモノが手に入らない時
手に入れたモノが奪われた時
そんな時が辛く苦しかったりする。


とは言え、人は常に何かを
求めるように創られている。

求めるのを止めれば止めたで
結局は苦しい・・・w

ならばどうしたら良いのか?と考え
求めるのは止めず
与える事を増やしてみると
なんだかんだと
現実が好転したりした。


面白い・・


求めるのは、簡単だけど
与える事は、なかなか難しい~

与える対象を理解しなければ
何一つ相手に与える事が出来ないからだ。


相手が何を求めているのか?を
知る必要がある。
それが出来なければ
善意の押し付けと言う
悪意より面倒なものを生み出してしまう・・w


色々試してみた結果
『知る』
『理解する』
という事に無頓着なのは
知らず知らずに罪を背負っている行為なんだと学んだ・・


ん~一つ成長できたかも?w


一生懸命、相手を理解しようとしてみる・・

相手が理解できてくると
なんだか、自分の至らない所が見えてくる

不思議だ!

たくさんの人を理解しようと頑張れば
自分の至らない所がたくさん見えるのか?

やってみると
その通りだった!

自分の至らない所がたくさん見えた!


相手を理解しようと頑張ったら
怒りやムカつく気持ちが減ってきた・・

腹が立ってムカつく気持ちは
ただ単に相手を理解しようとしていないからだった。

なんだか、自分が情けなくなった・・-_-;)

相手を理解しようと頑張ったら
人それぞれ、価値観が違う事を知った。

殆どの人が
自分の価値観で物事を判断している事を知った。

相手を理解すると言う事は
相手の価値観で物事を判断する事だと知った。

自分の価値観で相手を見ている以上
相手の事は理解できないのだと知った。





人と接する時は
自分の価値観で判断しない方が
ムカつかないと知った。

今までダメダメな生き方をしていた事を学んだ。-_-;)


どうして人それぞれ価値観が違うのか?
と、考えながら人と接するようにしてみた。

よくよく人を観察すると
人それぞれの経験値に基づいて
判断基準が異なる事を知った。

日々過ごす中で何を体験したか?で
物事の見方、考え方が変わってくる。

あ!
私も与えようと行動してみて
色々と価値観が変わってきた!

結局は、経験体験なんだろう~


経験体験がないのに
いくら言葉で伝えようとしても
相手は理解できない事が多いと知った。

今までムキになって
必死に言葉にしてきた行為が
実に愚かな事だと知った。

『何度も同じ事を言わせるな!』
そんな言葉は
自分が無能だと
宣言しているのと同じだった・・-_-;)

言葉で伝わらなければ
体験させてあげれば良い
たったそれだけなんだと知った。


新たなる体験が
人の視野を広くすると学んだ。



煩悩に逆らった体験は
欲望に逆らった行動なので
多くを学べるのも理に適っているのかも?


自分の欲望に逆らう行為は
苦しいものだとばかり思っていたけど
実際は、なかなか楽しい~!
快楽は満たされないけど
新たなく発見があり
今まで気づけなかった事に確実に気づける。



少しづつ、相手を理解できると
少しづつ、与える事が出来るようになり
少しづつ、喜んでくれるようになる。

自分が善意でしている事ではないので
ちょっと心が苦しかったりする。^^;)

でも、なんとなく良かったと思う。


与える事を続けてみると
なんとなくラッキーな事が増えてくる。

おや?
おやおや?
と、思うようになる。

何となく、嫌な出来事は減ったような気がする・・



少しづつ、与える事が増えてくると
感謝されるようになる。
気付けば、感謝される事に心深く感謝していた。

感謝の応酬だ!w


心深く感謝すると
とても幸せな気持ちになる。

心深く感謝できれば
それだけで、人は幸せなんだと知った。


もっとたくさん感謝したい!
と、思うようになった。

不思議だ。


周りに尽力している人たちは
感謝されたいが為ににするのではなく
自分が感謝したいが為に人に尽くすのだと知った。

大発見だ!
と同時に
今までの自分の愚かさに大撃沈した。-_-;)


煩悩の赴くままに
流されながら毎日を過ごし
嫌な事を避け
楽な道を探し
のらりくらりと生きて行く・・

のらりくらりと過ごせればいいが
ちゃんと躓いたりする・・・

躓いたら起き上がり
また、のらりくらり・・

そんな事を繰り返せば
なぜ幸せになれないんだ?と悩み続ける
毎日になる事を学んだ。




感謝する事が増えると
煩悩が薄れて行くのを知った。

感謝する事が増えると
今まで嫌だった事が
徐々に嫌じゃなくなって行く・・


贅沢をするより
もっと感謝したいと思うようになった。

美味しいものを食べるより
もっと感謝したいと思うようになった。

もっともっと感謝したいと思うようになった。


不思議だ。


幸せを求めると言う事は
本来、こういう事なんだろう。




面白い!
実に面白い体験だ!



与えようと頑張って
何度も何度もダメダメな自分と向き合った。

ダメダメな自分に何度も撃沈した。

ダメな自分に気づかせてくれたのは
いつも、目の前にいる誰かだった・・

目の前にいる誰かを
理解しようとしたら
自分の至らなさを理解させられた。w

始めはなんだかな~と思ったけど
毎回、自分の至らなさを突きつけられた・・

自分以外を知れば知るほど
自分の視野が少しづつ広がって行くのを
実感した。

そういえば、今まで
自分にメリットのあるものしか
知ろうとしていなかった。
そりゃ、視野が狭いわけだ・・

どんどんど視野が広がるのを体感すると
今まで、ちっぽけな世界で生きてきたんだと
そう思うようになった。

見ている世界が小さければ
毎日が窮屈なのは当たり前だと思った。


自分の視野を広げてくれたのは
目の前にいる誰かであり
相手を理解しようとした結果だった。


今まで、目の前にいる誰かを
理解させようとしてきた自分に気づいた。

相手を理解するのではなく
理解させようとする行為が
実に愚かな事だと学んだ。



ひょっとしたら、誰しも
自分以外の人を理解しようとしない限り
自分の至らなさに気づけないのかも?しれない。

それは、とても悲しい事だと思った。



色々と学ばせて頂けたのは
苦悩の渦中にいたおかげたと思った。

毎日が、楽しければ
今の自分はなく
狭い視野で毎日を過ごし
ちっぽけな世界で一生を終える事となり
そうなったらなったで
なんとなく怖く感じた。


苦しみと、しっかり向きあえば
素晴らしい世界が待ち受けているのだと知った。




今の私は、誰よりも幸せのような気がする。


今まで自分の外に
自分の生き様の正解を求め探してきたけど
そんなモノ何処にもなかった・・

今まで、自分の外に
幸せを探し求めてきたけど
結局は、自分のすぐそばにあった・・

自分が幸せだと思う事が出来れば
誰でも、その瞬間に幸せになれる
そう思えないから、幸せになれないだけだった。

自分の外に幸せを求めている以上
一生幸せになれないのだと知った。

快楽と幸せは、明らかに違うと知った。

求めるから苦しいのではなく
快楽を求めるから苦しいのだと知った。

快楽を幸せと勘違いして
自分の外に探し求めるから
幸せが遠ざかる・・・

なぜならば
幸せは
初めから、自分の中にあるからだ!

先祖からの因縁を自分で消滅させる方法 その2

相も変わらず、先祖からの因縁・・云々
という相談が多々ありますので
・・・再度、私の能書きをば、記してみます。


私自身、長い間霊障に苦しみ
霊的世界にどっぷりと浸かった時期がありました。

摩訶不思議な現象を目のあたりし
私自身の霊的苦痛は、先祖から受け継いだものだと
そう思い込んでいました。

先祖の不徳のせいで
今世、自分が苦しんでいるのだと・・・
不敬にもそう思って疑わなかったのです。


先祖からの因縁霊を供養すると
なんとなく良い事があったりしたので
先祖の因縁を消滅できれば
目前の現実が好転すると・・そう信じていました。

ようするに
目前の苦悩は、自分のせいでなく
先祖の因縁霊のせいにして
自らを省みる事無く、なんの努力もする事もなく
ただただ、自分を正当化し
『あぁ~自分は悪くないんだ~』と
救われた気持ちになっていたんです。


今思えば、とても愚かな事なんですが
当時の私は、全く気づけませんでしたね~
次々と起きる摩訶不思議な現象に
魅せられてしまっていたのです。

自分を省みる事が出来ない為に
苦しんでいるのに
自分を省みないで良い理由を与えられ
救われた気持ちになっていた・・
逃げ道を与えられただけで
何の解決にもならないのですが
自分を省みる事ができず
常に己を正当化していた為
全く気づけませんでしたね~-_-;)

現実逃避していれば
現状が更に悪化するのは当然なのですが
因縁消滅の供養という行為により
ちょこちょこ小出しに快楽を与えられるので
なかなかその世界から抜け出せなくなってしまうわけです。

今思えば、自身が纏う穢れや邪気を浄化すれば
誰でもちょっとした改善が起こるので
先祖からの因縁云々という問題でもないんですけどね~


私が複数の霊能者の方に言われたのが
・先祖からの因縁がとても深い
・祟り神が憑いている
・先祖からの因縁を消滅しなければならない
・先祖供養をする事で、先祖からの因縁が消滅する
・先祖を恨む霊を供養しなければならない
・祟り神にゆるされるよう精進しなければならない
・祟り神を除霊する事はできないので
自ら修行をしてゆるしを乞うようにしなさい。
と、まぁ~おおまかに言うとこんな感じです。

で、細かく言うと
・白い大蛇が憑いている
・蛇の霊がたくさん見える
・稲荷の障りだ
・無数の動物霊が見える
・武将の霊に憑かれている
・騙されて自殺した霊に憑かれている
・狐の霊がたくさん見える
・土地神様が怒っている
・・・などなど、まぁ~あれやこれや言われましたね~
ただ、普通の人なら不安になるでしょうが
私の場合は、指摘される霊的存在と
同じものが見えていたので
『凄い!救われるかも!』なんて期待してしまったのです。
愚かにも自分は間違っていない!
悪いのは、悪霊だ!・・と確信してしまうんですよね~

いや~自己を省みる事ができないと言う事は
本当に恐ろしいですね~^^;)


私は、実際に起きている霊的な苦痛を
なんとかしたかったので、祟り神とか先祖の因縁とか
言われても、疑いもしなかったです。

霊能者の方が神様からのお告げで
『世の為人の為に尽くせと言われた』という言葉を
疑う事もしませんでした。
『凄い!神様に選ばれた崇高な人なんだ!』
くらいに思うわけです。w
自分の視野が狭いので
普段から世の為人の為に尽くしている人に
神々が降臨して、そんな事を告げるわけない事など
全く気づけないのです。


で、まずは先祖供養、先祖からの因縁の霊の供養に励みました。
実際に、自分の知らない先祖の名前を告げて
その先祖に酷い目に合わされたという霊を何体も供養しました。
抹消謄本をたどると実際にそんな名前の先祖がいたりするので
信じてしまいますよね~^^;)

でも、やってみて、思ったのが
『これってキリがないなぁ~』
あまりにも、終わりが見えない作業なので
『これって、ウソ言われてないか?』
なんて、思い始めるのです。


確かに因縁の霊と言われる存在を除霊すると
心身が軽くなるのですが
長いスパンで振り返ると
徐々に現れる因縁霊が強力になり
どんどんと苦痛が増して行きました。

最終的に霊能者の方が除霊できる範疇を超えてしまい
自分で何とかするしかなく
激しく修行するようになってしまったのです。^^;)

大金を突っ込んだあげく
更に悪化してしまった・・という現実を
突きつけられているのに
私はそれでも気づけませんでした・・-_-;)


修行は、断食、寒行、登山・・などと・色々やりました。
しかし、やっていること自体が現実逃避なので
どんどんと霊的苦痛はひどくなり
それを乗り越えるために
どんどん過激に修行するようになっていくんです。w

10時間ぶっ通しの読経で喉が潰れたり
台風や大雨警報の中での滝行で体中内出血で
全身紫色になったり・・
氷点下15℃の中での寒行で
足が凍傷で何度もただれたり・・
大雪の日に山に入って死ぬかと思った事もありました。w

今思えば、マジでアホな事をいっぱいやりましたね~w

本職の方々がやらない事をするので
よくそこまでできるモノだ!と
本職の方々に言われましたが
私からすれば、同じ苦悩を体験すれば
誰でもできると思っていたので
自分が狂っているとは思いませんでした。w

凍り付いた滝をぶち壊して打たれるだけで
一時的にでも霊障がおさまるなら、何度だってやりますよ
その方が苦痛が軽いんですからね~w


激しく修行したきっかけは先祖からの因縁を消滅させる為であり
祟り神に負けない力を身に付ける為だったのですが
一体だれが『先祖の因縁』などと
言い始めたんでしょう~ね~^^;)


全く無意味な事を長期間やってしまいました。w
まぁ~結果として
先祖からの因縁など無視すればいい~と
学べたのでいいんですけど
ここまでしないと気づけないとは
自分の愚かさにげんなりします。w




で、実際に先祖供養や先祖からの因縁霊の供養
また、自分自身の修行を経て学んだのは
先祖から受け継いだ、人格・性格を改善すれば
目前の現実は、好転するという事です。

私自身が霊障に苦しまなくなったきっかけは
朝起きてから寝るまでの生活態度の改善でした。
要するに、先祖供養など必要なかったのです。
人それぞれが持っている『血』自体を霊視すれば
除霊など出来る訳がない事に気づけるのですが
『血』を霊視するという事など普通しませんしね。


ただ、先祖から受け継いだ経験値による性格や人格は
因縁と呼べるほど自分に深く刻まれているので
簡単に改善できる事ではありません。
まして、除霊などでどうこうなるわけもないのです。

私が思うに、先祖からの因縁=自分の人格であり
それを改善しながら精進して行くのが人生であり
己自信を磨く事が
因縁消滅に繋がるのだと言う事なんでしょう。

時代の流れでおかしな解釈をされるようになり
先祖からの因縁=悪→消滅→除霊
とか言われるようになり
おかしな、宗教にどっぷりハマり
自分の努力を蔑ろにした結果
一度しかない人生を崩壊させてしまうわけです。

まぁ~私も一度、崩壊させた口ですが
残りの人生でなんとか解消したいと思いっています。




前置きが長くなりましたが
どうやって先祖からの因縁を消滅させるか?ですが
先祖からの因縁=自分自身の性格なので
自分の性格を改善する必要があるのです。

人が苦しむ原因は往々にして3つあります。

1、欲深く傲慢になっている事に気づけず
常に周りに支えられているなんて思えない。

2、感謝する事が全くできず
常々損得勘定で行動してしまう。
社会のルールさえ守っていればいいと思い込む。

3、嫌な現実から目を背け、いつも逃げてしまう
言い訳ばかりで何もせず、常に自分を正当化する

これらの業が血に刻まれていると
色々と嫌な事が多い人生となります。

1、の場合
友人もできず病気や怪我や事故が絶えないでしょう。

2、の場合
なんだかんだと周りに足を引っ張られ
なぜ?自分がこんな目に合うのか?わからないまま
嫌な出来事が定期的に起きます。

3、の場合は
人に騙されたり利用されたりする事が増え
気付けば、心に憎しみを刻むような出来事が起きたりします。



で、これらを改善すればいいだけなのですが
自分自身の血肉に刻まれた性格を
簡単に変える事など出来ないのです。

頭では理解できても、言動に移す事ができないはずです。
理由は、簡単で、先祖代々の経験値が
血肉が記憶しているからです。

要するに、思考と切り離した状態で
肉体が血に操作されるわけです。
身体が憶えているってやつですね。

なので、短気な人などは
頭でいくら怒ってはダメだと思っても
血が、ワナワナとなりブチ切れてしまう・・・
ダメだと解っていても怒りの衝動をおさえる事ができないのです。

これが、先祖からの因縁ってやつだと
私は確信しています。

自分の性格・人格は
自分の先祖の経験値の蓄積によって出来上がっており
その上に、自分自身の経験値が上書きされ
子孫に受け継がれてゆきます。

先祖が犯した罪により
先祖を恨む霊がいたとしても
その霊に詫びる事が大切なのではなく
その罪を犯した人格を自分が受け継いでいると
言う所に直視する事が大切でしょう。
そんな性格を改善する必要があり
改善できなければ子々孫々と受け継がれてしまう・・・


で、具体的にどうすれば良いのか?ですが
新しい経験値を自分の血肉に上書きすればいいわけです!

嫌だと思う事をとことんやってみる・・
もしくは、求める事の真逆をやり続ける事です。
そして、やりたいと強く思う事を
まったくやらないようにするんです。

私の場合は、まず
嫌いな食べ物を食べるようにしました。w
その次に、嫌いな人を食事に誘ったり
普段やりたくないと思っている事を
一つひとつやり続け
嫌だな~と思う瞬間を直視して
イカイカンと進んで取り組んだりしました。

これをしてみて、辛い事、苦しい事は
自分の中にある『快楽を求める心』が原因だと言う事に
気付かされました。

自分のしたい事と真逆の事をしているので
まず、ムカつく事がなくなるのです。
要するに、相手に何も求めていないので
自分の思い通りにならなくても
嫌な気持ちにならないのです。

で、実際にやりたくない事をしてみると
最終的にやってみて良かった!
という所に行きつく事が多いのです。

食わず嫌いではないですが
嫌だと思っている事の多くは
自分の先祖からの経験値がそうさせているだけであり
実際にやってみると、どおって事なかったりする
事も学びました。


そんなこんな続けていると
そのうち、自分の嫌だ!という感情に興味がわき
嫌だと思う事に注目するようになりました。
で、ムカつく人、腹の立つ相手・・
そんな人が目の前に現れると
この人の何が嫌なのか?と
自分の気持ちを箇条書きにしてみました。

1、自分の事ばかりで周りの事を考えないのが嫌だ!
2、上から目線で、いったい何様のつもりなんだ!
3、自分の思い通りにならないだけでキレるな!
4、嫌だっていってるのにしつこいんだよ!
5、なんでいちいちトゲのある言い方するんだ!
などなど・・
で、まじまじと書いた文章を読み返すと
これって私の事??^^;)
と、なるわけです。w

『現実は鏡』とはよく言ったものだな~と
この世の仕組みを学んだりしました。w



色々と、自分の嫌だという感情と向き合って行くと
結局は快楽を求めているから苦しいんであって
快楽を求めるのを止めればいいんだ!という結論に至り・・

ボランティアばかりやるようになりましたね~
私自身、感謝する心は完全に欠如していましたし
まして、誰か何かの為になんて気持ちにはなれなかったので
100%偽善ボランティアであり
自分の成長の為の行動と割り切って行いました。

これを長年繰り返す事で
多くを学びましたし、自分の至らなさを
突き付けられる事ばかり起きました。

結果、今までの自分の生き様が
いかに愚かだったかを知った時
霊的な苦悩から解放されたのです。
今でも覚えていますが
己の罪に絶望を感じているのに
それをゆるすかのように
身体の全身がフワ~っと軽くなっていきましたね。

人間心深く反省する事って
大切なんだな~って思ったわけです。

自分が生み出した業は簡単に消えないので
霊的苦悩から解放された後も
色々と嫌な起こりましたが
その頃には、煩悩が薄れていたので
嫌だと思っても、嫌な出来事を楽しむ事ができるようになったのです。


私は、血に刻まれた経験値は
意識して変えられるものではないと思っています。
常に自分を省みる行為を繰り返し
少しずつ変わって行くしかないでしょう。
自分が少しづつ変わって行けば
目前の現実も少しづつ変わって行きます。

逆を言えば、普段の生活態度を変えない限り
先祖からの因縁は消滅しないと言う事になります。


先祖からの因縁は、自分自身の道標であり
自分にとって最も大切なモノだとそう思ってます。
私は、業の深い先祖がいてくれたおかげで
多くを学ばせて頂きました。
先祖の因縁様様で、消滅させるなんてとんでもなく
もったいない話です!w



私の場合は、自分の性格=先祖からの因縁とがっつり向き合う事で
幸せは常に自分の中にある事を学びました。
終身刑で刑務所で過ごそうと私は幸せでいられると思っています。

逆を言えば、先祖の因縁をなんとか消滅させよう考えている以上
幸せを掴む事など出来ないでしょう。
先祖からの因縁は、自分自身の人生で必要不可欠なものであり
ひとつずつ、その課題を乗り越える事で、幸せに近づく事ができるわけですからね。


と、私の持論を展開させて頂きました。m(_ _)m








先祖からの因縁を自分で消滅させる方法 - 修行バカの懺悔道
先祖からの因縁消滅マニュアル

社会のルールは利己的に、自然界のルールは利他的に判断を下している。

今まで真面目に生きて来たのに
どうしてこんなに嫌な出来が続くのだろう?
と、そう思っている人も少なくないと思います。

実際にそんな相談をよく受けますしね。


それは・・
社会のルールが利己的な判断で成り立っているから
起きている現象だと、そう思っています。


実際に、そんな悩みを抱えている人に

今まで、どれだけ他人の為に
自分の時間を費やした経験があるか?
自分の労力を費やした経験があるか?
自分のお金を費やした事があるか?
と、自分自身の過去を振り返ってもらうのですが
だいたい
『え?』という返答を頂きます。


まぁ~人間なんて誰しもそんなモノなので
そんな行為をした事がなくても
別に恥じる事はないのですが
ただ、それが原因で、辛く苦しい現実が起きるのが
大自然の法則という事なのです。

要するに自然界からすれば
利己的に生きるのが『悪』であり
利他的に生きるのが『善』と言う事なのです。

しかし、我々が過ごす社会のルールは
自分の利益を守る為に作られている。

自分の欲望を阻害する相手を『悪』とする
ルールの上で社会が成り立っているので
ルールをしっかりと守っていれば大丈夫だと
勘違いしてしまうのです。


とは言え、なかなかコレが難しいんですよね~^^;)
私もしっかり体験させてもらったのですが
いざ利他的な思いで行動すると
殆どが、善意の押し付けか
自己満足になってしまうからです。

まぁ~実際に行動してみると解るのですが
普段から利己的に過ごしていると
全く、現実が見えていない事に気づけないのです。

極端に狭い世界で過ごしている事に気づけないまま
目の前にある現実が全てだと思い込んでしまう・・
従って、誰かの為に何かしようとしても
何だかんだと空回りしてしまう。

徳を積むって結構大変なんですよね~w



私が顧問をしている会社で、ある程度の予算をとり
『お客様に喜んでもらえる事をする実践』を何度もしているのですが
一見、同じ行動に見えても

1、お客様に喜んで貰えると、自分が認められるので嬉しい。
2、お客様に喜んで貰えると、その喜びの感情を共有できる事が嬉しい。
3、給料もらってるから仕方なく・・・

と、3通りの思いのスタッフに別れます。

1のスタッフは、利己的な思いでしている行動なので
自分が認められないとダメなのですが
2、のスタッフは、自分も会社も認められなくてもいいわけです。
ただ単にお客様の喜ぶ顔が嬉しいだけなのです。
3のスタッフは、論外という事で・・
当然、大きく結果が異なるわけですが・・
面白いですよね~会社が決めた事なのでやっている事は全員同じなのに
思いの違いが個人の売上という数字にきっちり表れるんです。
(もちろん、私生活も大きく異なっています。)


自然界は、常にその人の言動の動機に基づいて現実を引き起こすので
何の為にお客様に喜んでもらうのか?が重要になります。
売上を伸ばす為にお客様に喜んでもらうのと
お客様に純粋に喜んでもらいたいだけなのとでは
全く同じお客様に喜んで貰う行為でも、売上という結果が大きく変わるわけです。
後者の判断に大自然の法則が影響するからです。

マーケティング統計学の数値が
いまいち信憑性に欠けると思ってしまうのも
言動の動機を無視しているから
なのかもしれません?


これ、本当に数字に表れるので面白いんですよね~
私自身、この仕組みを検証データに基づき広めたいんですが
人の思いをデータ化するのに苦戦しています。^^;)






一言で利他的な言動と言っても大きな落とし穴があります。

自分がしている利他的な行為が
実は、超利己的な思いから成り立っている人がいるのですが
こんな人が、どん底の現実を突き付けられたりします。

そんな人は、みなさん、周りの人は良い人ばかりだ!
いつも沢山の人に感謝している!
私は、多くの人に尽くし、多くの人の幸せを願っている!
なんて口にするのですが
利他的な思い自体が、自分の欲で成り立っているのです。
ようするに、自分の本心では感謝もしていないし
他人の幸せなど願っておらず
その言動の動機は利己的な思いからきているのです。
周りに良い人として見られたいと言う欲だったり
良い人でいなければならないという恐怖だったり・・・

実際にそんな人の感謝の言葉から利他的なエネルギーは全く感じませんし
そんな虚空的なエネルギーを放っている人は
どうしても、周りから避けられ、そして嫌悪されてしまいます。
真実と異なった言動は、関わっているだけで疲れますからね~
普通の人は、無意識に拒否拒絶するでしょう。

とは言え、当の本人からすれば
善意でしていると思い込んでいるので
最悪の現実を突きつけられてしまうのです。

私は、こんなにも周りに尽くしてきたのに・・
どうして、こんなに辛い現実ばかり起きるのか・・と。

本体、心から感謝できれば、それだけ幸せなので
辛いと言う事は感謝していないって事なんですけどね~







話しが若干それましたが^^;)
社会のルールは、個人の利益を守る為のモノで
その利益とは?目に見える物質的や快楽をさし
人々が少しでも贅沢な暮らしが出来る事が『善』となっています。

そんな言い方しなくたっていいじゃん!
なんてよく言われるのですがw
ここは、あえて直視すべき事実なので
強調させてもらいます。w

ようするに国益とは、国民にもっと贅沢な暮らしをさせる事であり
それを実現した政治家が良い政治家となります。

この大前提の上で、政治家が存在し
社会のルールがあるのですが
自然界のルールでは、利己的な行為が苦悩を生むわけです。w

他国を無視した自国のみの利益追求は
自国を崩壊させる流れを作るわけです。

歴史を振り返れば
そんな事の繰り返しですよね。

第二次世界大戦戦勝国の英国や米国が
反グローバリズムに動き始めているので
大自然はどう判断を下すのか?
また、その動きに対して
敗戦国である、日本やドイツはどう対応するのか?
私は個人的に興味津々なんです。

人は、痛みと共に学ぶものなので
国も痛みと共に成長するはずなんですよね~



なんだかんだとダラダラ記しましたが
この先の未来、常識に囚われずにするのが
苦難を避ける、秘訣のような気がしています。

だって、人間ごときが創ったルールが
自然界のルールに逆らえるわけないですからね~

ではでは~^^)