修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

社会のルールは利己的に、自然界のルールは利他的に判断を下している。

今まで真面目に生きて来たのに
どうしてこんなに嫌な出来が続くのだろう?
と、そう思っている人も少なくないと思います。

実際にそんな相談をよく受けますしね。


それは・・
社会のルールが利己的な判断で成り立っているから
起きている現象だと、そう思っています。


実際に、そんな悩みを抱えている人に

今まで、どれだけ他人の為に
自分の時間を費やした経験があるか?
自分の労力を費やした経験があるか?
自分のお金を費やした事があるか?
と、自分自身の過去を振り返ってもらうのですが
だいたい
『え?』という返答を頂きます。


まぁ~人間なんて誰しもそんなモノなので
そんな行為をした事がなくても
別に恥じる事はないのですが
ただ、それが原因で、辛く苦しい現実が起きるのが
大自然の法則という事なのです。

要するに自然界からすれば
利己的に生きるのが『悪』であり
利他的に生きるのが『善』と言う事なのです。

しかし、我々が過ごす社会のルールは
自分の利益を守る為に作られている。

自分の欲望を阻害する相手を『悪』とする
ルールの上で社会が成り立っているので
ルールをしっかりと守っていれば大丈夫だと
勘違いしてしまうのです。


とは言え、なかなかコレが難しいんですよね~^^;)
私もしっかり体験させてもらったのですが
いざ利他的な思いで行動すると
殆どが、善意の押し付けか
自己満足になってしまうからです。

まぁ~実際に行動してみると解るのですが
普段から利己的に過ごしていると
全く、現実が見えていない事に気づけないのです。

極端に狭い世界で過ごしている事に気づけないまま
目の前にある現実が全てだと思い込んでしまう・・
従って、誰かの為に何かしようとしても
何だかんだと空回りしてしまう。

徳を積むって結構大変なんですよね~w



私が顧問をしている会社で、ある程度の予算をとり
『お客様に喜んでもらえる事をする実践』を何度もしているのですが
一見、同じ行動に見えても

1、お客様に喜んで貰えると、自分が認められるので嬉しい。
2、お客様に喜んで貰えると、その喜びの感情を共有できる事が嬉しい。
3、給料もらってるから仕方なく・・・

と、3通りの思いのスタッフに別れます。

1のスタッフは、利己的な思いでしている行動なので
自分が認められないとダメなのですが
2、のスタッフは、自分も会社も認められなくてもいいわけです。
ただ単にお客様の喜ぶ顔が嬉しいだけなのです。
3のスタッフは、論外という事で・・
当然、大きく結果が異なるわけですが・・
面白いですよね~会社が決めた事なのでやっている事は全員同じなのに
思いの違いが個人の売上という数字にきっちり表れるんです。
(もちろん、私生活も大きく異なっています。)


自然界は、常にその人の言動の動機に基づいて現実を引き起こすので
何の為にお客様に喜んでもらうのか?が重要になります。
売上を伸ばす為にお客様に喜んでもらうのと
お客様に純粋に喜んでもらいたいだけなのとでは
全く同じお客様に喜んで貰う行為でも、売上という結果が大きく変わるわけです。
後者の判断に大自然の法則が影響するからです。

マーケティング統計学の数値が
いまいち信憑性に欠けると思ってしまうのも
言動の動機を無視しているから
なのかもしれません?


これ、本当に数字に表れるので面白いんですよね~
私自身、この仕組みを検証データに基づき広めたいんですが
人の思いをデータ化するのに苦戦しています。^^;)






一言で利他的な言動と言っても大きな落とし穴があります。

自分がしている利他的な行為が
実は、超利己的な思いから成り立っている人がいるのですが
こんな人が、どん底の現実を突き付けられたりします。

そんな人は、みなさん、周りの人は良い人ばかりだ!
いつも沢山の人に感謝している!
私は、多くの人に尽くし、多くの人の幸せを願っている!
なんて口にするのですが
利他的な思い自体が、自分の欲で成り立っているのです。
ようするに、自分の本心では感謝もしていないし
他人の幸せなど願っておらず
その言動の動機は利己的な思いからきているのです。
周りに良い人として見られたいと言う欲だったり
良い人でいなければならないという恐怖だったり・・・

実際にそんな人の感謝の言葉から利他的なエネルギーは全く感じませんし
そんな虚空的なエネルギーを放っている人は
どうしても、周りから避けられ、そして嫌悪されてしまいます。
真実と異なった言動は、関わっているだけで疲れますからね~
普通の人は、無意識に拒否拒絶するでしょう。

とは言え、当の本人からすれば
善意でしていると思い込んでいるので
最悪の現実を突きつけられてしまうのです。

私は、こんなにも周りに尽くしてきたのに・・
どうして、こんなに辛い現実ばかり起きるのか・・と。

本体、心から感謝できれば、それだけ幸せなので
辛いと言う事は感謝していないって事なんですけどね~







話しが若干それましたが^^;)
社会のルールは、個人の利益を守る為のモノで
その利益とは?目に見える物質的や快楽をさし
人々が少しでも贅沢な暮らしが出来る事が『善』となっています。

そんな言い方しなくたっていいじゃん!
なんてよく言われるのですがw
ここは、あえて直視すべき事実なので
強調させてもらいます。w

ようするに国益とは、国民にもっと贅沢な暮らしをさせる事であり
それを実現した政治家が良い政治家となります。

この大前提の上で、政治家が存在し
社会のルールがあるのですが
自然界のルールでは、利己的な行為が苦悩を生むわけです。w

他国を無視した自国のみの利益追求は
自国を崩壊させる流れを作るわけです。

歴史を振り返れば
そんな事の繰り返しですよね。

第二次世界大戦戦勝国の英国や米国が
反グローバリズムに動き始めているので
大自然はどう判断を下すのか?
また、その動きに対して
敗戦国である、日本やドイツはどう対応するのか?
私は個人的に興味津々なんです。

人は、痛みと共に学ぶものなので
国も痛みと共に成長するはずなんですよね~



なんだかんだとダラダラ記しましたが
この先の未来、常識に囚われずにするのが
苦難を避ける、秘訣のような気がしています。

だって、人間ごときが創ったルールが
自然界のルールに逆らえるわけないですからね~

ではでは~^^)