修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

どうしてこんなに苦しいのか?悪いことなど何もしていないのに・・・

『なぜ、こんなにも嫌な出来事が続くのか?』という類の相談をよく受けます。

自分は何一つ悪いこともせず、人に迷惑をかけるような事をしてこなかったのに
どうして自分ばかり、こんなにも辛い出来事ばかり起きるのかが解らず
悪い霊が憑いているのでは?
深い因縁を背負っているでは?
除霊や加持祈祷でなんとかなるのでは?
と、そう思ってしまうそうです。

私自身もそんな一人だったので
そんな気持ちがとてもよく理解できます。
そして、神仏や先祖に手を合わせ、よく祈ったものです。

しかしながら、現実は祈るくらいで改善されるわけもなく
自らの成長がなければ、さらに厳しい現実を突きつけてくるわけです。
そんな仕組みがなければ我々は成長できないからでしょう。


昔、キリスト教徒の方に
『人は生まれた時から罪人である』という話を聞いて
なんのこっちゃ?わけわからん・・と、そう思った事がありました。

しかし、修行を積んで行くうちに
その言葉が何を意味するのか?だんだん理解できるようになってきました。

そもそも『悪い事などなにもしていない』という価値観は
あくまでも、自分都合~人間都合での解釈であり
我々は、命を喰らって生きており、常に殺生を繰り返し
自らの命を繋いでいるわけで・・
多くの命を奪いながら生きているわけです。

人間以外の立場から、自分を見つめれば立派な罪人なのでしょう。


我々は、この地球上から多くを奪いながら命を繋いでいるわけで
その行為が悪い事ではなく、その事実をしっかり受け止め
そして、そうやって生きている事に感謝し
その感謝を行動に移す事が大切なのでしょう。

そんな思いがあるだけで、どんな人にも優しくなれるし
多くをゆるし、多くに施し、尽くすことの出来る人になれる。


我々人間に都合よく作られたルールをしっかり守り
いくら正しく生きた所で、感謝する心やゆるす心、施し与え尽くす心や
それに伴った言動がなければ、どんな人も苦しい現実を突きつけられるのが
この世の仕組みなのでしょう。



私は長い間、心霊相談のボランティアをしているので
よく解るのですが、辛い出来事の多い人は100%徳が足らないのです。

自己の価値観でしか、物事を解釈する事ができず
その事に自分では全く気づく事ができず
正しい自分を確立し、無意識に悪を生みだしてしまい
辛い出来事が、続いて起きるような事態となる。

私自身も、そんな人間でした。


目前に起きる数々の苦悩は
何事にも感謝する心を育み
自分以外の存在へ尽くす言動を繰り返す事で
自然になくなてゆきます。

血肉に刻まれた経験値が、なかなかそうさせてくれませんが
そこに向かう事をしなければ、残念ながら苦悩から開放される事はないでしょう。

それが大自然の法則だと私はそう思っています。


自分自身が日々何を思いどんな感情を抱いたか?は
常にエネルギーとして蓄積され続け
そのエネルギーが目前の現実を引き起こしています。
従って、何を言ったか?したか?ではなく
どう感じ、どう思ったか?が大切なのですが
自身の心を改善するには、それなり体験が必要になります。



そのエネルギーを想定できる装置があれば
だれでも、自分の状態がわかるので、だれか作ってくれませんかね~

私を実験台にしてもらっても構わないので・・


ではでは・・