修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

徳を積む方法が解らない人の為に・・

「どうやって徳を積めばよいのか?」
と、よく聞かれるのですが
私自身も密教を修行している時に
「懺悔しろ」と言われても全く解りませんでしたし
神道を修行するようになり
「徳を積め」と言われても
まずは、この霊障をなんとかしないと何もできないと
そう思っていました。
一般の人と同じ生活が出来ないのに
出来るわけがないだろ!と・・w


しかし、その考え方自体に問題があった事に
気付かされましたね~w

徳の積み方が解らないのは
自分の視野が極端に狭いからそう思ってしまうのだと
自覚する必要があるでしょう。
そこを自覚できないから
嫌な出来事が起きてしまうわけです。

自分の視野が狭い事に気付けないから
嫌な出来事が多い
自分の視野が狭い事に気付けないから
徳が積めない

という事は、問題は
自分の視野が狭い所にあるわけです。

なので、自分の視野を広げる事が重要なんですが
徳を積む努力によって自分の視野は広がります。

徳を積む為には視野を広げなければならなくて
視野を広げる為には徳を積まなければならない。

この関係、面白いですよね。
堂々巡りで何もできなくなるんです。w


徳を積む方法が解らないのであれば
解らないなりに行動せよ!という事なんですが
そんな事を言われても
そんな事など出来ないほど心身共に疲弊しているんだから
どうしようもないだろ!と思うわけです。

そして、そう思ってしまうのは
無意識に発動している己の欲が原因です。

初めから出来ないと決めつける事により
「楽」を探し求めているのです。
初めから、この世のどこにも存在しない
「楽をして解決する」という不徳解消法を探しているんです。w

本当に自分に出来る事はないのか?
探す事もせずに、頭ごなしに決めつけてしまう。
要するに、他人より自分を優先したいわけです。

自分が今苦しいのに
他人の為に尽くせるわけがない!
自分は助けてもらう側であり
尽くす側ではない!
という、傲慢な思考が働くわけですね~w


そもそも、今目の前にある辛く苦しい現実は
自分自身が、他人より自分を優先し続けた事が原因なのに
今、辛く苦しいから助けてもらう側だ!と・・
今まで、自分優先思考で過ごしてきたので
「辛く苦しい思いをしている人の為に手助けをした事がない」
という自分に都合の悪い事実を完全無視して
助けられる側を主張するわけです。w

しかし、お天道様はちゃんといつも見ているんですよね~

自分自身が変わらなければ、目前の現実は
時と共に悪化するのが大自然の法則なので
いくら「楽に改善する方法」を探したところで
所詮、無理な事なのです。

法律で「毎週日曜日は晴れ!」と定めた所で
そんな事お構いなしに雨は降るのが大自然の法則なんです。

嘆きたくなるような現実が目の前にあるのは
自分自身の過ごした生活態度の結果に過ぎず
自らの言動が記録し続けたエネルギーが
目前の現実を創り出していますしね。


・・と、いくらこんな事を言われても
出来ないモノは出来ないんだ!と
幼稚園児のようにダダを
こねまくる気持ちも理解できます。w
個人主義で過ごしていれば
心は幼稚なままなので
そんな発想になってしまうモノなんです。

でも、残念ながら大自然の法則には逆らえないのが人間で
結局、どんどんと苦しい現実を突きつけられる事で
行動するようになるわけです。

まぁ~心身ともに疲弊しているから出来ないと思える間は
そんなに辛く苦しくないという事です。
もっと、辛く苦しい現実を突きつけられると
誰でも出来るようになるので
「楽」を求めるのであれば
その時まで待つ選択するのも自由です。

末期癌になる前に、行動した方が良いとは思いますけどね。






「徳を積む」
これは、簡単に出来る事ではないと
そう思った方が良いでしょう。
「徳を積む」とは、多くの人に貢献する事なので
なかなか難しいのです。

実際に行動してみると解るのですが
人それぞれ価値観が違いますしね。

同じ事をしても喜んでくれる人と
怒る人がいるわけです。

感謝して頂ければ徳を積んだことになりますが
自分に怒りを向ける人がいれば、不徳を積んだ事になります。
同じ事をしても、人それぞれ感じ方は違うんです。


他人の為に、社会の為にと思い
一生懸命尽くした相手から、怒りの感情を向けられると
結構、ダメージを受けるんですよね~w
いったい自分は、何をしてるんだ?と・・
そう思うようになるでしょう。

神道の教義となっている
「世のため人の為に尽くせ!」という言葉は
この体験をさせる事が目的なのでは?
と、私はそう思ったりしました。

実際に私は、人生観が変わりましたしね~
とんでもない狭い視野で
生きていた事を痛感しました。
厳しい修行をいくらした所で意味などないのです。
朝起きてから寝るまでの言動が
修行そのものなんですよね~


徳を積もうとすると
・自分と他人の価値観の違いを知る事ができる。
・この世に善も悪もない事を理解できる。
最低でも、この二つは体験の中で思い知らされるのです。

そして、最低でもこの二つを理解できないと
徳を積む事なんて出来ないでしょう。
即ち、徳を積もうと行動しても
いきなり徳を積めるものではないという事です。

恐らく、徳を積む前に
自分の至らなさに気づく事になり
その時点で、自己のエネルギーが変わり
目前の現実も変わるでしょう。

これは、現実が好転したわけではなく
単に「縁」が変わっただけだと思った方が良いでしょうね。

自分が積み上げた不徳の量は
徳を積む事でしか解消できないので
運気が向上したわけではないんです。

ただ、大自然は我々の心を成長させようと
出来事を引き起こしているので
至らない自分に気付けば気づくほど
明らかに今までと違った出来事を引き寄せます。

私のように極端に不徳が多いと
あれ?運気がUPしたか?とか思ったりするでしょうが
残念ながら、気のせいです。w



徳を積むにあたり、一番の難関は
一生懸命、他人の為に、社会の為に尽くしているのに
感謝されるどころか、妬みや蔑み
怒りの感情を向けられる事でしょう。

そもそも、他人の為にやっている事なので
そんな感情を向けられるのは
自分の理解が足らなかっただけなのですが
どうしても「感謝されたい!」という欲が働き
自分のしている事が、無駄に思えてしまうのです。

そして、多くの人がこの壁を乗り越える事が出来ず
徳が積めなくなりますね~

まぁ~そう思ってしまう間は、
初めから徳が積めていないと思った方が良いでしょう。

だって、相手の為にしている事で
その相手から負の感情を向けられて気になるという事は
相手の事など考えていないという事ですからね。
自分の善意を押し付けまくっている事になるので
徳を積むどころか、不徳を積んでいるって事でしょう。



他にも、他人の為に一生懸命尽くしていると
その行為を利用しようとする人も集まってきます。w
利用しようとしている事が見え見えですし
そんな人は、当然感謝してくれるわけがありません。

そして、利用されるだけの自分が嫌になるわけです。w

これも、見返りを求めているが為に起きる現象なのですが
見返りを求めている以上、徳を積んだ事にならないのです。



結局、利他的な心がなければ
どうにもならないという事なんでしょうが
利他的な想いを育む為には
どうしても自己の我欲と向き合う事が必要になる事を
体験の中で教えてくれているんでしょうね。


人間であれば、言動には動機があり
その動機の中には必ず「欲」があります。
その「欲」が「利他的な欲」であれば良いのですが
人間の思考は、我欲で埋め尽くされて生まれてくるので
「利他的な欲」が芽生えるまで、様々な体験をする事になるのです。

徳が積める状態になるまで
色々な体験をする事になるのですが
その体験は、人生においてとても大切な事だと
私は、そう思っています。

まぁ~欲が先行している間は
しんだいだけで、全く解らないでしょうけどね。


大自然の法則の中で、我々の人生に最も大きな影響を与えるのが
この「徳」だという事を心に刻んだ方が良いと私はそう思っています。
「徳」がなければ、辛く苦しい現実ばかり起きるのは
どうにもならない世界で我々は生活をしているという事です。

例えば、10人くらい集まって、川辺でバーべキューをし
帰り際に、自分一人が後片付けをし
誰一人手伝ってくれなかったとします。

この状況で、腹を立てるのが一般的でしょう。
片付けをしてくれて当たり前のような態度をされれば
ムカついてしまうでしょう。
手伝ってくれなくても、せめて感謝してくれ!とか
思ったりもするでしょう。
この感情は、我欲が生み出しているんです。

でも、実際は徳を積んでいるので
とてもラッキーな出来事なのです。
少なくとも、他の9人の役に立っていますからね。

なので、実際には
「私ひとりだけに片付けをさせて頂きありがとうございます。」
と、感謝しなければならないわけです。

これ、マジなんですよね~
我々の過ごす社会のルールは、快楽を満たす事が「善」であり
嫌な感情を抱く出来事は「悪」なので
そんな発想にならないのですが
心を成長させる事や「徳を積む」事が「善」であるという
ルールがあれば、そうは思わないはずです。

私たちの思考に植え付けられた常識が
おかしいと私はそう思い続けているのですが
これも、価値観の違いに過ぎないのです。
もっともっと心を成長させたいと思って過ごしている人は
少ないでしょうしね。w



大自然の法則の中でこれからも過ごすのであれば
「徳を積む」という仕組みは、人である以上
絶対に忘れてはならない仕組みだと
私は、そう思っています。

まぁ~それに気付く為には、徳を積もうと行動し続けて
それなりの体験をしなければ気づけないんですけどね。w