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修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

物事がうまく進まない、理不尽な出来事が多い、不運だ、不幸だ、そう思うなら・・

物事がなぜか空回りする・・
理不尽な嫌な出来事ばかり起きる・・
会社の経営がどうしても上手くいかない・・
やる事なす事、失敗ばかり・・
不運だ・・不幸だ・・
どうして、こんなにも嫌な出来事が多いのだろうか?
何か目に見えない力が働いているのではないだろうか?
先祖からの因縁のせいか?
悪霊に取り憑かれているのか?
土地因縁があるのか?
祟りか?
・・と、そう思っていしまう人も沢山いるでしょう。

私もそんな一人だったのですが
物事がうまくいかなかったり
理不尽な出来事が多かったりするのを
霊や因縁のせいだと思っている以上
私は、100%改善しないと確信しています!

実際に霊が見えて、霊と話が出来て
物理的に苦しめられてもです!

そして自己改善できれば
物事は必ずスムーズに進むものです。


ですが、なかなか自己改善出来ないのが現実であり
それが、人生というモノなのかもしれません。

私たちは、常日頃から自分に都合よく
物事を判断しているので
何も悪い事をしていないのに・・
ちゃんと普通に生きて来たのに・・
誰にも迷惑をかけていないのに・・
どうして、自分ばかりがこんな目にあるのか?
そう思ってしまいがちなのです。

どんな人も自己の潜在意識のほとんどが煩悩で
支配されており、誰しも心の奥底で
『楽をしたい』『面倒はイヤ』『認められたい』
などと思っており、それに従った判断基準をしてしまうので
とても狭い世界しか見る事ができないものです。



また、嫌な出来事ばかり起きると言う事は
それだけ、周りに嫌な思いをさせている証なのですが
自分自身で、それに気づけないだけだと思った方がいいでしょう。
これも、己の思考を支配した煩悩がそう思わせてしまうわけです。

また、『嫌だ』と思う感情は自分が生み出しているだけなので
『嫌だ』と感じなくなれば、嫌な出来事ではなくなります。
辛く、苦しい事も同じでしょう。

不味いと感じた食べ物がいつしか美味しいと思うように
嫌だと感じている出来事が、楽しいと思う事もあるわけです。

結局は、目前の現実をどう受け止めるかだけなのが
人生というモノなのでしょうね。



自己改善したくても、なかなか至らない自分に気づけないものです。
自己の価値観を改善するのは、なかなか大変な事でしょう。

どんな人も自己の煩悩に従い物事を判断しているので
煩悩に反した行動をした経験がないものです。
経験がない為にそういった考え方を理解できないままでいる人が殆どでしょう。
そして、その経験がない為に、苦悩の中で経験せざるを得なくなるわけです。

自分が人生にもがき苦しみ、絶望している時に
自分を犠牲にしてまで手助けしてくれる人に出会って
そういった行為の大切さを学ぶ人が殆どかもしれません。

私は、他人に尽くす大切さを学ぶのに手っ取り早い方法が
ボランティア活動だと思っています。

モンスターボランティアという言葉があるように
いざ、やってみると善意の押し付けだったりする事が多く
まずは、相手を理解しなければ何もできない事も学べるでしょう。
普段の生活の中で、自分以外を理解しようと努力する事が
全くなかった事にも気づけると思います。






私たちの人間社会では、暮らしやすくする為に
一定のルールを設け、それなりの秩序を保っています。

法律を定め、それを遵守しなければ
犯罪者として罰せられる。

また、法律を守って過ごす事は良い事であり
それが当然の事として疑わないのが
今の我々の社会なのでしょう。

なので、法律を守っていれば
何も悪い事をしていない・・と
勘違いしてしまうのです。

ちょっと前の舛添知事の問題が良い例で
私個人としては、舛添知事を責められる人など
今の日本の社会にはいないのではないか?
と、そう思うほど
みんながみんな、法律を守っていれば
悪い事をしていないと思い込んでいるはずです。

良い事、悪い事など所詮は
自分時都合が良いか悪いかだけであり
我々人間社会での判断基準なわけです。


我々人間社会のルールは
人間にとって都合よく創られているので
いくらそのルールを守って過ごしていても
大自然の法則は無関係で私たちに働きかけます。


自然界のルールでは
己を磨き続ける事が我々の価値観で言う良い事となります。
従って、犯罪者となる事が悪い事とは限らないのです。

何事にも感謝する事
常に努力する事
自己を省みる事
他を思いやる事
他を理解する事
他人に尽くす事
他人の幸せを願う事
慈愛に満ちた心を持つ事などが
自然界では良い事となるんでしょうね。

我々の社会では
悪態をついたりしても
法律に触れなないので
悪い事でも何でもありませんが
自然界のルールでは
その分、嫌な出来事が起きてしまいます。

また、我々人間は常に自然界や周りから
奪い続けなければ生きて行けないので
その分、自分以外に与え尽くさなければなりません。
そうしなければ、必ず何かを奪われるのが大自然の法則です。
奪い続ければ、我々は生きて行けなくなるのですが
今より不便な生活は誰もしたくはないので
見ないふり、聞かないふり、他人事としてしまうのも
人の性なんでしょうね。

人間社会という枠組みの中での自然の法則が働いています。
24時間コンビニで売っているおにぎりは
誰かがどこかで作っているおかげで
我々は、購入し食べる事が出来る訳ですが
そこに感謝し、自分自身も社会に貢献しなければ
その分、必ず何かを奪われるのが大自然の法則です。


ちょっとした商売を初めて
経営が行き詰るのも、そう言った事が原因のはずです。

私は、経営が行き詰ってしまったという
相談をよく受けるのですが
お客様を見る事をせず、お金儲けという仕組みばかりを
気にしている人が殆どです。

どうやったら儲かるのか?を優先してしまう為
お客様や社会が求めているモノが見えなくなってしまう。
与えた分しか手に入らないのが大自然の法則なので
求めるだけでは、何も手に入らないのは当たり前なのですが
そんな事さえ見失ってしまう・・
『だって、お金がなければ生きて行けないじゃん!』
と、皆さんそうおっしゃるのですが
破産してもコンビニなどで働けば生きて行けるのが
豊かな日本の社会なのです。

ビジネスの競争が激しい資本主義社会では
お客様や社会が求めている流れに乗るだけで
何だかんだとうまく行くものです。


このブログで何度も繰り返し記して来ましたが
嫌な出来事が、多いのなら徳を積めばいいだけなのです。
どうすれば徳を積めるのか解らない人は
楽をして徳を積む方法を探しているからでしょう。
そもそも楽をして徳を積めること自体ありえないんですけどね~w

常に求めている心の中で
与える行為は、しんどいモノなんです。
与えたいと思えるようになるまで、ず~としんどいでしょうね。