修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

そもそも、私たちの世界は、私たちの概念で回っていると勘違いするから、色々と空回りするのではないだろうか?

私たちは、知らず知らずのうちに
固定概念のようなモノを植え付けられていて
知らず知らずのうちに、その概念に基づいて
物事を判断しているような・・・・
そんな気がしています。



私は、長年カウンセリング(という名の心霊相談)の
ボランティアをしているのですが
はじめた当初は、どうしても私の話がオカルトチックになりがちで
なかなか話が通じず、悩んだ時期がありました。

誰しも思考と心はまったく別もので
自分の本心を伏せているので
心を観て話しても、伝わらない事が多いのです。
伝わらないと言うか、認めたくないんでしょうけどね。
私もそんな時期がありましたし
まだまだ、そんな気持ちもどこかにあるはずなので
その事については、とてもよく理解できます。

とは言え、どんな現実も
心が生み出すエネルギーが創り出しているので
自己の心を直視しなければ
目前の現実は改善されないので
ほとほと困り果ててしまい
心理学の本を読み漁ったりしましたね~
セミナーや勉強会に参加した事もありました。

それらは色々と勉強にはなりましたし
学んでみて良かったとも思います。

ただ、私が求めていたモノとは
ちょっと違いましたけど。^^;)

まぁ~私がおかしいのは自覚しているので
仕方ないんですけどね。w







勉強をして行く上でちょっと自己嫌悪に陥った事があります。w

よく自己啓発などのセミナーで行われているようですが
他人と自分の違いを理解する為に行う手法を学んでいた時の事です。

「あなたの大切にしている思いを3つ選んでください」
と用紙を渡され、それを見て、自分に合った内容を3つ選択して
他人と比較し、自分とに違いをディスカッションンするというものです。
やった事がある人も多いのではないでしょうか?

書いてある内容は
正直
思いやり
楽しみ
親切
勇気
努力
共感
お金
行動力
自信


などなど
ずらっと150くらいの単語が記されていました。


当時の私は、自分が選択する言葉が一つもなかった事に愕然としました。
かなりショックを受けましたね~^^;)

自分の感覚は一般とズレズレなんだと
認識し、そこから改善しなければ!
くらいに思ったのですが
よくよく考えれば
「人の苦悩がない事は良い事」という
大前提の中で、誰しもが物事を捉えている事に気づいたのです。


占星術などを学んだ時もそう思いました。
苦悩が無くなる事が良い事とする大前提で占い
占星術や風水なども
良い事=煩悩を満たす事
悪い事=苦悩・苦痛
とした上での話ばかりなのです。


当然、何を学んでもしっくりくるわけもなく
殆どが、中途半端に学んで終わりでした。
とは言え、学んだ事が無駄だとは思ってませんし
とても、勉強になったとも思っています。


ただ、私の思考がちょっとズレているんでしょう。^^)
ちなみに、私が150の言葉から選びたかったのは
「苦悩」「絶望」「堕落」というような言葉です。
「怒り」「憎しみ」とかでもいいですけどね。

なぜ?これらの思いや感情を大切にしているか?というと
それらを直視し、深く理解しようと努力した結果
私の場合、人生でかけがえのないモノを学ぶ事が出来たからです。


私たちは、自然界に生を受け
自然界の中で日々を過ごしているわけです。
そして、人の苦悩も自然現象の一つであれば
その意味を知る事ができなければ
自然界で生活する上で、どうしても物事が空回りするはずなんです。

苦悩を無くしたいのであれば
その意味を知る事が大切なのですが
我々の社会では苦悩=悪い事とし
排除の対象となっているので
永遠に苦悩の呪縛から逃れられないわけです。





占術を学んでいる時に思ったのですが
「来年は、禍が多い年なので、東北の吉報に出向くようにしなさい」
なんて言われたとします。
仮に、東北の吉報に出向くようにして
何事もなく一年を過ごす事が出来れば
それはそれで良い事・・とするのが、一般的でしょう。

私の場合、何故?禍が多いのか?
そして、その禍から何を学ぶ必要があるのか?の方が気になるわけです。
禍を人為的に排除してしまえば
更なる大きな、禍を引き起こしてしまうのが大自然の法則だと
そう思っていますし、それは、それで嫌なんです。w

自分自身の不徳の致す所で、降りかかる苦悩は
仕方がないと思うのですが
禍から逃げた結果、更に苦しむなんて最低だ!と
そう思ってしまうわけです。

そもそも、苦悩がなければ我々は進化成長できないので
それを排除する事は、自らの成長を止めている事になる・・・
私にとっては、そんな人生は、最悪なんです。

では、毎月絶望を感じるような出来事が起きてもいいのか!
くらいに、言われるのですがw
仮に、そんな出来事が起きるのであれば
かなりの不徳を積んだ事になりますし
そこまで、不徳を積める人もいないと思うのです。
その現象に、ちょっと興味ありますけどねw

誰しも、一度でも絶望を味わえば
それなりに成長できるものなんです。
ちなみに、私の場合、2度ほど絶望を経験しているので
おかげさまで、結構タフな精神をしていると自負しております。w

まぁ~絶望と一緒に朽ち果てる人もいますけどね~
冷たいようですが、それはそれで、その人の選択であり
私自身が嫌だと感じるからと言うエゴで
その行為を否定するつもりはありません。


誰しも、辛くしんどいのは嫌ですよね~
私も、嫌は嫌なんですが、適度に嫌な事が起きないと不安になります。w
なんだかんだと順調に物事が進んでいる時に
自分自身を振り返ると、全く成長していない自分に気づけますしね~
もっともっと自分を高めて行きたい!と
そう思っているので、苦悩は必須なんです。w





「そんな風に思えない!辛いのは嫌だ!」
と、殆どの人にそんな事を言われるのですがw
私自身も、社会の常識で物事を判断している時はそう思っていました。

私の場合、社会の常識から脱することで
苦悩から解放されましたし
また、苦悩の意味を知ろうとする事で
大きく成長できたので
それらの体験・経験が今の価値観を創り出したのだと思います。


なので、似たような体験をしない限り
私と同じような考えにはならない事をよく理解しています。


でも、今目前の現実が空回りしているのであれば
我々の社会は、我々が物質的に満たされる為の仕組みばかりであり
我々の心が成長する事で満たされる仕組みで、創られては、いないと言う事です。
大自然は、我々の心を成長させようと、出来事を引き起こしているのにです。
しかも!我々は、大自然の法則の中で生活しているにのです。

私に言わせれば、心の病が蔓延するのも当然の事です。
ただ、そんな苦悩にも、色々な意味があるのでしょう。



昔、何かの経営セミナーに出席した時に
広い視野で物事を見なさい!という言葉を耳にした事があります。

当時は『広い視野ね~』くらいに思っていたのですが
自分の心の成長と共にどんどんと視野が広くなる
体験をして、広い視野ってこういう事かぁ~と思うようになり
今では、人の身勝手な常識という枠の中で回っているのが
人間社会というモノなんだ!と、思うようになったわけです。

お陰様で、色々と物事の捉え方が変わり
毎日を楽しく過ごせるようになりました。

逆を言えば、視野が狭いと、結構しんどい毎日になるんだな~
という事もよくわかりました。






何度も私のブログに記してきた事ですが
大自然の法則を、学べば色々と心が軽くなります。

だって、私たちの社会は、自然界の中にあるにもかかわらず
社会のルールは、自然界のルールを無視していますからね~

私たちの社会のルールはとても大切ですが
所詮は、我々のエゴで創らたルールなので
それはそれで踏まえた上で、大自然のルールを大切にしなければならない。
そうする事で目前の苦悩は、次第に消えてなくなって行くと
私は、そう確信しています。

そもそも、私たちが生活する世界は
人間社会を創り出す前から存在しており
その仕組みは、私たち社会のルールなど無関係で
私たちに働きかけているわけです。

そんな視点で物事を感じ取って行くと
理不尽な出来事など、どこにも存在せず
全ては、完璧な循環で回っているのだと
そう思えてならないのです。



時に、物事を見る視点を変えてみると
意外な発見があるかもしれません。^^)