修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

誹謗中傷に心を痛めたら、自分と誹謗中傷する人と、それが起きる仕組みを知ればいい

著名人の自殺により
SNSの誹謗中傷について
リクエストを頂いたので
私自身の考え方を記させて頂きます。





誹謗中傷の定義が曖昧になり
相手が傷つく言葉は
全て誹謗中傷って感じになってますよね~

良かれと思って言った言葉も
相手が傷つけばアウトになれば
下手に相手に色々言うより
黙っていた方が良いと思う人が増え、結果として
どんどんメンタルの弱い人が増えてしまう。
これは、自分勝手な人が増えている事に等しいわけです。
他人からダメ出しされなければ
自らを改善する事もなく驕りや慢心が増長しますしね。


強い言葉を使えば、パワハラ扱いされる時代が
メンタルの弱い人を増殖してしまい
同時に自分勝手な人も増産してしまったのでしょう。










私たちは、地球と言う星の世界で生活し一生を終えるのですが
その地球と言う大自然ルールに逆らう事は出来ません。

そして目前に起きる全ての出来事は、それが起きる法則があり
それらは、全て我々の心を成長させるために必要不可欠な事なのです。

即ち、目前の現実は我々の心を成長させるための事象であり
「善」でも「悪」でもないという事です。

この大前提を踏まえて、誹謗中傷という事象について
記してゆきたいと思います。







まず、①誹謗中傷で心が傷ついたら
なぜ?心が傷ついているのか?を考える必要がある

私は、そう思っています。

「誹謗中傷する人=悪」では
せっかく嫌な思いをしているのに
何一つ成長できませんし、何の解決にもなりません。


で、誹謗中傷により心が傷つくのは
自分が認められたいという欲望が満たされないからです。
この自己承認欲は、人間であれば
誰でも持っており、自分を否定されると気分を害します。
認められたいと思っているのに否定されれば
心が傷つくのが人間と言う生き物なのです。
私たちは、そんな思考と感情を植え付けられて
生まれてきているのです。

芸能人は特にこの自己承認欲が強い為
誹謗中傷に大きく傷つくと思います。
ただ、多くの人に認められようとすれば
多くの人に否定されるのが、大自然の法則なので
芸能人で大成する為には強靭なメンタルが
必要不可欠だと思います。



「他人を傷つけるような言動はしてはならない」
これは、一般的な社会常識としてルールとなっています。
このルールがないと社会の秩序が保たれません。

しかし、大自然の法則上、そんな事など出来るわけがないのです。
人は争いながら成長するからです。
どんな人も、自分本位な思考を植え付けられていますし
常時自己承認欲が発動し、自分と異なる価値観の言動は
自分が否定されている感じてしまうからです。
良かれと思って告げた言葉で、傷つく人も沢山いますし
心が傷つくという事は、自分を認めて欲しいという
欲望が満たされていないだけなのです。
言動によっての「傷ついた」「傷つかない」は
全て受け止める側次第なので
他人を傷つける言葉を「悪」としてしまえば
子供のように、なんでもかんでも、ヨシヨシと
認めなければならなくなります。

そんな事をしていれば、社会は心が幼稚な人ばかりで
埋め尽くされてしまうでしょう。
自分の価値観と違う価値観を知り、認め、受け入れる事でしか
自らの心は成長できないのが大自然の法則なので
自らの心の器を広げる為には
どうしても心の痛みが必要不可欠だという事です。

これは、どうあがいても我々が逆らう事のできない
大自然の法則なので「他人を傷つける言動」を
社会的に「悪」としてしまえば
我々の心は成長できなくなります。

我々が心の痛みと向き合い自らを成長させる事を怠れば
大自然は我々の心の成長を促す為に
心の痛みと言う苦悩を伴う出来事を現実を社会全体に
突きつける事になります。

今の社会そのものですよね。




従って、誹謗中傷で心を痛めたら
自らの心の痛みと向き合い
自分自身の精神を成長させなければならない。
ですが、具体的にどうすれば良いのか?
解らない人も多いと思いますので
ちょっとした考え方を記してみます。







まず、この誰しもが持つ「自己認証欲」を
知っていると、とても心が楽になります。

だって、自分を否定批判する人に
自分を認めてもらわなくてもいいでしょ?
自分と価値観が違うだけなのムキになる
必要もありませんしね。


大切なのは、②自分との違いを知る事でしょう。
他人と自分の違いを知る事でしか
自らを成長させる事はできないので
違いを知る事はとても大切な事です。

どんな言動にも動機があり、そこになんらかの欲求があります。
言動には、必ず満たされたい何か?が根底にあるので
それを知るだけで、自分をどう改善すれば良いのか?が理解できます。

また、自分が、「嫌だ!」と感じる時は
自己の思い通りにならない時なので、どうなれば満たされるのか?
を、冷静になって考えると、この世の中は
自分の思い通りにならない事ばかり
だという事にも気づけるでしょう。

自分の欲求が満たされないだけで
「嫌だ!」「嫌だ!」「嫌なモノは嫌だ!」と
怒り、悲しみ、嘆いている状態は
幼稚園児と何一つ変わらない姿だと理解しましょう。



誹謗中傷する人にも言動に対する満たされたい何か?が当然あります。
いったいどんな欲求なのか?

〇一番多いのは、自分と違う価値観を受け入れらない人です。
自分と違う価値観に対して、自分が否定されていると
無意識にそう感じてしまい
自分と違う価値観を持った人を攻撃してしまうのです。
相手を認めれば、自分を否定しなければならない・・
相手を認めれば、自分の欲求が満たされない・・
善悪の二通りの答えしか持ち合わせていないので
自分か相手のどちらかが「正義」で
どちらかが「悪」となり、自分を正義としたいので
相手を「悪」として責め立てるのです。

そんな下らない感情に基づいて誹謗中傷しているわけです。
相手にするのもバカらしいですよね。w
でも、心が幼い人間とは、そんなモノなんです。


〇次に「虚栄心」「自己顕示欲」が強く「自分は凄いんだ!」
と思われたいという自己認証欲求が極端に強い人は
常に上から目線で他人を見ているので
他人を否定する事で優越感に浸っています。
高価なものを身に付けて、高級車を乗り回しているような人に多いです。
自己顕示欲の強い人ですね。
常に自分の下になる人がいないと満たされないのです。


〇何かと物事がうまく進んでいない人は
うまく進まない原因を自分の外側に求めています。
何かのせい、誰かのせい、にする事で
「自分に嫌な事が多いのは、自分が悪いのではない」と
そう思いたいので、常々「悪」を
探し否定批判ばかりするようになります。
自分の周りに「悪」がなければ、自分が「正義」で居られないからです。
要するに、常に誹謗中傷の対象が必要になっている人です。


概ね、この3つのタイプの人が誹謗中傷する事が多いのですが
他にも、孤独に恐怖を感じているがために、自分の価値観を周りに強要するタイプの人や
何らかの強い劣等感を抱いており、だれかを蹴落とす事で安心を得るタイプの人もいます。


いずれにせよ、心が幼稚過ぎる人達なので
自分の心を傷つけるに値しない人達の行為だと思うべきでしょう。
誹謗中傷に心が傷つくのであれば、自分自身の心も未熟だという事なので
その部分を改め、成長させれば良いのです。

他人との関係が拗れるのは、お互いの「欲」をぶつけ合っているだけに過ぎず
その「欲」を隠したまま、どちらが「正しい」どちらが「間違っている」という
不毛なやり取りをするから、埒が明かないのです。

人現関係で悩む事は実にバカバカしい事が原因なんです。
私なら、誹謗中傷する人たちは幼稚園児と同レベルの人に見えますね。
ただの面倒な子供達と同じです。w




③誹謗中傷しない人など存在しない

誹謗中傷が社会問題となったのは
インターネットが普及してSNSで誰とでも
簡単に接する事が出来るようになった為でしょう。

インターネットが普及して
自分の本音を匿名で配信する事が出来るようになって
わかると思いますが
「匿名」だから言いたい放題言える・・
即ち、面と向かっては言えないだけで
心で誹謗中傷しまくっているのが人間なのです。

自分を公にさらけ出し堂々と自分の意見を発信している人に対して
匿名と言う隠れ蓑を使って相手を叩く!
とても卑怯な人達なのですが
これが、人間の本質であり大多数がそんな人なんです。
自分は、自分と違う価値観の人を責めているのに
相手から責められたくないのです。


恐らく「誹謗中傷=悪」とする事が社会に蔓延すると
今度は、誹謗中傷する人を誹謗中傷するようになるでしょう。
心が未熟だと、自分を知る事を怠りますからね。
「私は貴方の言葉で傷ついた!」と言い放ち
自分を傷つけたとする相手を
自分が傷つけている事に全く気付けないのです。

まぁ~そんなんだから心が傷つくんですけどね。w


要するに言葉や文章にしていなくても
皆が皆、心の中では
普段から他人を誹謗中傷しまくっていて
しかも無意識に他人を傷つけてしまうのが
本来の人の姿です。



そして、「自分は悪くない」「自分は間違っていない」
と、そう思いたいのも人間の性でしょう。


人それぞれ価値観が違うのに他人の全てを理解など
出来るわけがないでしょうし
自分の価値観と違う価値観を
簡単に受け入れられないのも人の性です。

何でも他人の価値観どおりにしていれば
自分の「欲」は満たされませんからね。
人と人とが争うのは、人間として正常な姿なのです。

誹謗中傷を無くす為には、人の心から怒りの感情を
無くす必要がありますが
そんな事、人間である以上
どうあがいても無理でしょう。


自分の心の醜さに気づく事が出来れば
だれでも、怒りの感情は薄れて行くのですが
誰しも自分自身を正しい存在にしているので
それさえも、なかなか気づけない。


心で思っているだけなら問題はないと
そう思う人が殆どでしょうが
大自然は我々の心を成長させようとするので
言葉や行動よりも心に抱く感情の方が重要なんです。




④徳がなければ、誹謗中傷の的になる

大自然は我々の精神を向上させるように
出来事を引き起こしています。
しかし、社会のルールは基本的に「善」「悪」二極で
創られているので、私たちはなかなか大自然のルールに気づけません。

大自然は、利己的な思想で過ごしている人には
確実に「苦悩」という出来事を突きつけてくるのです。
誹謗中傷される事も例外ではありません。


私たちは、普段の生活の中での言動から創られるエネルギーを
自らの血肉に刻み続けて記憶しています。
どんな動機で、どんな言葉を使い、行動しているか
そして、出来事からどんな思いを抱いたかを記録し
その経験値をエネルギー化して自らの血肉に刻みこみ
そして常時、肉体から放出し続けているのです。
「私は、こんな人ですよ!」と嘘偽りのない
自分自身を公言している状態で
接する人達は、無意識にそれをキャッチして対応しています。


大自然は、全ての人に利他的な思いを育ませようとしているので
利己的な動機での言動には、苦悩を与え自らを振り返る「時」を与えます。
利他的な動機での言動には、その為に必要な多くのきっかけを与えてくれます。
これらの現象は、自らの肉体から放出されるエネルギーを使って
大自然が引き起こす自然現象なのです。


昔の人が
「お天道さまは、見ている」とか
自己の失敗に対して
「不徳の致すところです」と言ったのは
この仕組みをよく理解していたのでしょう。


どんな人も利己的な思考を植え付けられて生まれてくるので
心が成長できていなければ、毎日自分本位に過ごしてしまいます。
利己的な思想で自分本位に過ごしていれば
自然界から苦悩を突きつけられるので、その痛みの中で
心を成長させる事が出来ます。

心を成長させずに「善」「悪」の判断のみで
自分に都合の悪いモノを「悪」とし排除し続ければ
心が成長する機会を失い、利己的に生き続けてしまうでしょう。
そして気づけば、自分の周りは「悪」だらけになる。
全てが「悪」に包まれた世界に絶望を感じる人もいるでしょう。
それは、ただ単に自分が生み出した世界に過ぎないんですけどね。


「善」とは自分に都合の良いモノであり
「悪」とは自分い都合の悪いモノに過ぎないので
自分の価値観と違う相手は、無意識に「悪」としてしまい
言葉にせずとも、心の中で悪態をついてしまうものです。
そして、その感情はエネルギー化して放出しますし
その対象となる相手にも届きます。
いくら笑顔で良い人を装っても
エネルギーは、「私はいつも心の中で悪態をついています。」
と、周りの人たちに公言しているのです。

そう考えると、どんな人も常日頃から
エネルギー的に誹謗中傷され続けている事になります。

心のエネルギーは言葉や文章を使わなくても
ちゃんと相手に届いているという事です。


要するに、常々自分と価値観の違う人から
心の中で誹謗中傷され続けており
そのエネルギーはどれだけ距離が離れていようと
ちゃんと自分に届いており
自分の血肉に蓄積され続けている。
そして自分自身を蝕んでいるのです。


負の感情が生み出すエネルギーが蓄積されると
予期せぬ嫌な事が続いたり
理不尽だ!と思うような出来事に苦悩したり
ケガをしたり病気になったりと
様々な苦悩を引き起こします。
他人から誹謗中傷のターゲットにされる
原因もそこに在ります。



我々日本人のご先祖様は、この他人から向けられる
負の感情のエネルギーは、どうにもならない事を知っていて
「徳を積みなさい!」と言い続けたのでしょう。


徳を積み、感謝される時に生まれるエネルギーを受け取る事で
常に他人から向けられている負の感情のエネルギーや
自分自身が生み出す負の感情のエネルギーは中和されます。
(中和以外の恩恵も大きいですし)

当然、誰しも生きていれば負の感情を抱くので
自分+他人の負の感情のエネルギーを
常々蓄積しているのが人間です。

徳がなければネット上で誹謗中傷されるのは
大自然の法則上仕方ない事なのです。
また、徳の高い人は他人から誹謗中傷されても
心が傷つかないので、あまり気にもしないでしょう。

今、誹謗中傷をされて心が傷ついているのであれば
過去からの自分の生き様の中で
どれだけ多くの人に尽くしてきたか?
また、どれだけ多くに感謝し、その感謝を行動に示してきたか?
を、振り返ると良いでしょう。

ただただ、毎日を流され利己的に過ぎしてきたならば
年月を重ねるにつれ、負の感情のエネルギーが
蓄積され続けている事になり
誹謗中傷という出来事を大自然から突きつけられても
致し方ない事なのです。

幼い子供はどうなんた?とよく言われますが
幼い子供は、親のエネルギーの影響を強く受けるので
親次第という事になります。



いずれにせよ「善」「悪」の判断に囚われない事と
社会の「常識」「あたりまえ」で物事を判断しない事
そして、自分の「欲」を知り、他人の「欲」を知る。
あとは、「徳」を積み続ける事で
心が鍛えられ、簡単に傷つかなくなると思います。