修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

目前の現実は、自分の本心が創りだして行く

誰しも自分は間違っているなどと思いたくないもので
誰かにひどい目にあわされて
相手が悪いと思うのが、正常な人の判断でしょう。

しかし、その判断はあくまでも
我々人間都合で創られた人間ルール内でのものです。

大自然の法則は、我々の心を成長させようと
現実を突きつける為、自分自身の本心に基づいて
目前の現実が創られているわけです。


なかなかそんな風に思えないでしょうが
自分自身の本心をしっかりと見つめて過ごしていれば
誰でもそれに気づけるとそう思っています。


自分の本心を知る為には
自分と比較する対象が必要となり
その為には、他人を理解する行為が不可欠です。

また、自分の本心を知らせるために
他人との縁が作られてゆきます。

犯罪者と被害者の縁
騙す人、騙される人の縁
裏切る人、裏切られる人の縁
いじめる人、いじめられる人の縁
他人を傷つける人、傷つけられる人の縁
なども、お互いの心の成長のつながりと言えます。


我々の社会のルール上では
犯罪者、騙す人、裏切る人、いじめる人、人を傷つける人が
「悪」とされますが
自然界のルールでは、ひとり一人の心が成長する為の相手となります。

従って「悪」に対して怒り続けたり、憎しみ続ければ
どんどんと、辛く苦しい出来事ばかりの現実となるわけです。


長年相談事をやっていると
辛く苦しい現実を突きつけられている方の殆どは
「悪」を自分で生み出しています。
何でも自分の思い通りにしたい欲望が強いか
他人を理解しようしていないかのどちらかで
目前の現実から学ぼうとしていないだけに
思えてなりません。


スピリチャル的行為にはまるのも
目前の現実から学ぶ姿勢が
欠如している場合が多く
どうしていいのか解らない現実の答えを
自分の外に求めた結果のように思う事が多いです。


あと、自分は何も悪くない!と
強く思い過ぎて、自分を省みる事を怠る場合や
目先の現実だけを見て、善悪の判断を割り切ってしまっても
辛く苦しい現実ばかりになります。

常日頃の心のあり方の積み重ねが
目前の現実を作るので、目先の現実は
自分自身の過去から積み重ねた思いや言動が原因となります。
従って、目先ではなく過去からの自分が原因なわけです。

なので常日頃の生活態度を改善する事ができれば
目前の現実はいくらでも変えられるのです。



ようするに今目の前にある現実が
自分の本心であり、常日頃の思いや言動の結果と思えばいいのです。

いくら言葉や態度で繕って、他人と接していても
本心から生まれるエネルギーが改善されない限り
目前の現実は好転しないのが自然の法則だと
私はそう思っています。





まぁ~こんな事を記しても
なかなか、そう思えないのも人なんですが
私が普段から感じている人が放つエネルギーは
その内、医科学的に証明されるとそう思っています。

何と言ってもかなり強烈ですからね~
これが計測できれば、目前の現実と
自分の本心との関わりが証明されるし
人と人、人と出来事の縁も証明されると思っております。

残念ながら今の所は難しいようですけどね~

ただ、誰しも自分の本心と常に向き合いながら過ごしていると
私の言っている事が、よく解るようになります。
自分の本心と同等の現実が起き続けていますからね~

なかなかどおして、私たちは
凄い仕組みの中で生活しているわけです!^^)


ではでは・・・