修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

どんな現実も自己を成長させるためのモノであり、感謝すべき出来事である

神道的に言えば『全ては神々がしている事であり
目前の現実を否定批判する事は、神を冒涜する行為である。』
となるわけですが
なかなかそう思う事など出来ないでしょうね。

とは言え、100%そんな仕組みの中で
我々は過ごしているようにも感じています。

私の場合、実際に自己を成長させるための出来事ばかりだ
と実感した瞬間から未来が大きく変わったという体験をしているので
日本神道とは、凄いなぁ~と思うと同時に
全ての日本人は、日本神道の氏子である事が誇らしくも思えるわけです。

ホント日本人に産まれて良かったと思いますし
我々日本人の先祖に感謝です。
そして、この教えを途絶えさせてはいけないと思いますし
先祖から受け取った我々の社会を
今以上に素晴らしい社会にして子孫に繋げなければとも思ったりもします。
長年、先祖供養をしてきた私としては
経典を読み上げる先祖に祈る行為より
社会に貢献する事の方が先祖供養になると思いますし
先祖に感謝するという事は、子孫に多くを残す行為のように
思えてならないわけです。

心から感謝できるだけで幸せを感じますし
また、感謝する思いは他に尽くす行為として行動を促すモノのようです。

とは言え、生まれながらに『求める』思考が支配している我々人間は
感謝する事さえままならず、求めるが故の否定批判を繰り返してしまう・・
そして、辛く苦しい現実を突きつけられ
そこから多くを学ぶのでしょう~ね。



誰しも体験していると思うのですが
『嫌な出来事が何度も繰り返される』のも
目前の現実を否定批判し、拒絶する為だと思っています。

全ての出来事は自己を成長させるために起きており
嫌な出来事は、自己成長の為のシグナルなので
その現実をいくら否定しても、成長できなければ
何度も繰り返されるのは当然なわけです。
それらは自らを成長させるための大自然の法則ですからね~

何度も記してきた事ですが
誰しも自らの経験値をエネルギーとして血肉に刻み
常に放っているわけです。
そして、そのエネルギーが自らの現実を引き起こしている。

従って経験値を変えなければエネルギーも変わらず
現実は変わらないので
平々凡々とした現実に満足し、流されて生きていれば
必ず、嫌な出来事に直面するわけです。
なぜならば、私たちは自らの成長を促す世界でしか
生きられないからです。


人が生み出すエネルギーも色々あり
よく言われているのが『類は類を呼ぶ』
同調するエネルギーなのですが
嫌な相手は、必ず自分と同じ一面があるように
自分が常時はなっているエネルギーが同類を引き寄せます。

従って加害者と被害者という分け方は、人間ルール上の事であり
自然界的解釈では、同類なわけです。
同類を引き寄せるので、嫌な相手を否定批判する行為は
自分を批判する行為と同等となり
更に嫌な出来事が起きてしまうわけです。

それが全てとは言いませんが
被害者が加害者を憎しみに蝕まれるのは
過去の言動による経験値の改善がない為でしょう~
誰しも自分の価値観の中で過ごしているので
なかなか現実を受け入れるのは大変ですが
しかしながら、そんな自然の法則がよく見えます。

この同調という仕組みを利用したのが
引き寄せの法則』や『オホポノポノ』でしょうね。
とは言え、人が放っているエネルギーは
同調するものだけではないので
これだけでは、なんともならん事の方が多いでしょう。
そもそも、幸せ=快楽と思っていれば
そのエネルギーが影響しますしね~

自分が放つエネルギーには、他にも
自分が乗り越えるべき課題の縁を作るエネルギーと
自らを成長させるためのきっかけをつくるエネルギー
それと、天命、宿命のようなものなのかなぁ~?
生まれながらにして、持っている自分で変えられない
エネルギーがあるように感じています。
あとは、自然界が持つ法則のエネルギー・・
とりあえず、出来事に影響を与える法則が違うエネルギーで
人が持つものは、大きくわけて4種類は確認できるのですが
もっと他にもあるのかもしれません。
人が持たないモノも含めるとどれくらいあるんだろ?
それらのエネルギーが関わり合って
目前の現実を生み出しているのがよくわかります。


自然界は、常に自らの成長を促しているので
人間ルールなど通用しないわけで
逆に自然界のルールに従って、現実を捉えた方が
我々は過ごしやすくなるような気がします。

常に自分自身を成長させてゆけば良いだけなんですよね~
自分は常に正しいと言う位置づけをしていると
全く成長できないので、嫌な出来事が多く起きる・・
なので、常に謙虚でいる事が重要であり
その謙虚さが、自らを成長させてくれる。

先祖代々続く謙虚を美徳とした日本の文化も、
自然の法則がよく分かっていたからなんでしょう~ね。



また、人は成長と共に価値観が移り変わる生き物なので
新たなる経験をし、新たなる価値観を創造するだけで
どんな人も幸せになれると、そう思っています。


自分の価値観を変えると言うか成長させる為には
今の価値観では、ありえない体験を強引にするのが手っ取り早いと思います。
なので私は、何かボランティアをしろ!と言い続けているわけですがw
生まれながらにして求め続けてしまう我々が
煩悩に逆らって、与え続ける行為をする事で
その経験値は、自らの血肉に刻まれ、目前の出来事が変わってきます。

まぁ~誰しも偽善で始める行為なので
ながく続ける事が大切なんですが、ちょっとしたきっかけで
大きく未来を変える事ができたりします。

『そんな事はありえない!』と思ってしまうでしょうが
それも、そんな価値観の中にいるからでしょう。
やはり、体験無くしては価値観は変わらないので
モノは試しに、損得勘定を止めて、損徳勘定にしてみると
いいと思うわけです。^^)