修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

先祖供養を一生懸命やっている人の方が不幸に見えるのは私だけ?w

スピリチュアル行為に否定的なエントリーをしていると^^:)
先祖供養について質問を受ける事がよくあります。

霊能者に10万払って先祖供養をしたのに
他の霊能者から先祖が苦しんでいると言われた・・

先祖供養をすれば
今の苦難から解放されると言われた・・

先祖供養をしないから
色々と嫌な出来事が起きると言われた・・

先祖供養をしていないから子供が出来ないと言われた・・

先祖供養を怠ると不幸になる・・・・

などなど・・・
スピリチュアル的行為に疑心暗鬼になっているから
そんな質問をしたくなるのでしょうが
いい傾向ですね~w



私の個人的な意見としては
一生懸命先祖供養している人の方が
不幸な人が多いような気がします。w

よくよく冷静になって周りを見渡すと
幸せそうな人が、先祖供養を一生懸命している姿など
私は、見た事も聞いた事もありません。w

この世の中が
先祖供養をすれば
誰しも幸せになれる世界であれば
こんなにも発展した社会は
築けなかったと思いますしね~
先祖供養という概念のない信仰の国の人は
全て不幸になるのか?
とも、思ってしまいます。


まぁ~辛く苦しい事が多いので
先祖供養をすると言う人が
とても多いからなんでしょうけど
両親を敬う事をせず
会った事もない先祖を敬うという
その行為は、傍から見ると異様に感じるのは
私だけでしょうか?


両親とうまく行かないのは
先祖供養が足らないからだ!なんて
言う人もいるらしいのですが
そうなると
そもそも先祖供養って何の為にするの?
って、なっちゃいますよね~w

一生懸命先祖供養する時間と労力をつかって
両親に一生懸命尽くせば
親子関係もうまく行くと思うのですが
『先祖供養をすれば救われる』という
言葉が、人を迷わせてしまうような気がします。
先祖供養の概念?定義?の違いか?
幸せの定義の違い?
救われる・・の解釈の違い?

やはり人間は
苦悩の中でしか学べないんでしょうね。
















私の先祖供養に対しての意見を聞かせて欲しいと言われたので
ここに記してみたいと思います。



ます、
先祖供養は自己満足
そして、先祖を敬う気持ちを持つ為の練習の場
または、先祖を敬う気持ちを忘れない為の場
これが、私の先祖供養基本姿勢です。w

だって、会った事も話した事もない先祖を
敬う気持ちなんて、そうそう簡単に生まれてこないでしょ?

本当にご先祖様は、供養して欲しいって思っているの?
って、疑問に思いません?
『そんな時間があるなら、もっと努力しろ!』
って、言われるような気がするわけです。w

ご先祖様の霊を口寄せして
先祖供養をするように言われたと
いう人もいるのですが
そもそも、それが本当にご先祖様なのか?
どうやって証明するの?
ただの思い込みだったりしない?
証明できなければ
『実は、貴方の本当の母親は、この人です!』
って言われたのと、同じレベルじゃない?w

なんて思うわけです。



とは言え、実際に体験しなければ真偽は不明なので
疑心暗鬼になりながらもやりましたね~
動機不純な先祖供養をいっぱいやりました!w

いざやってみると気持ちいいものです。
まぁ~ボランティアで公共の場を掃除するよりは
若干落ちますが、なんとなく満足感があります。


この満足感はどこから来るのか?
と、自問すると
私の場合、ご先祖様を大切にしている自分がいるという
自惚れだったりします。w

まぁ~ご先祖様が喜んでいるか?否か?など
不明なので、完全に善意の押し付けだったりするんですがw
(そもそも善意すらなかったりします。w)
定期的に墓参りをしたりする事で
自分は真っ当な人間である!と思い込む事ができるわけです。
そして、身勝手にも
『これで、ご先祖様に守ってもらえる!』
という安心感が得られるわけです。w

会ったこともない血族が
菓子折りをもって
『どうか守ってください!』なんて言われても
困りますよね~w
でも、そんな事はお構いなしです!
だって、先祖供養は良い事ですからね!w





亡くなったご先祖様について仏教色の強い日本では
盆や彼岸などにしっかりご先祖様を供養しなければ
白い目で見られる社会ですしね~

『え!墓参り行った事ないの?』
なんて、蔑んだ言葉を向けられなくて済むわけです。w

また、墓参りに行った事もないような人が
犯罪をおかしたりするので
墓参りにいかない人=ダメな人
と、なってしまうのでしょうが
冷静になって考えてみると
自分の事しか考えていない
=墓参りに行かない
=ダメな人
なので、墓参りは関係ないんですけどね~w

とは言え、先祖を敬う事を大切にする文化がある日本では
先祖供養をした事がない=悪
となってしまうので
先祖供養をする事で、安心感を得る事が出来る訳です。

また、そんな風潮があるが故に
先祖供養をしないから、悪い事、嫌な事が起きる・・・
と、そう思い込んでしまう風潮があるのだと
私はそう思っています。




とは言え、しこたま先祖供養をしてみて
先祖を敬う気持ちは大切だな~と
そう思うようになりました。
でも、自分の血族だけでいいの?
今の豊かな日本を築き上げたのは
私たち日本人のご先祖様なので
血族だけの先祖供養で本当にいいの?

という疑問を抱いたりするわけです。


歳を重ねて多くを学んだので
今の豊な日本を築き上げた我々のご先祖様たちには
とても感謝していますし、敬う気持ちも多々あります。
なので、私は血族に限った先祖供養でなく
この国を築き上げたご先祖様に向けての先祖供養をしたりします。
護国神社靖国神社への参拝もします。

これも、定期的にやっていると
流されて過ごす事がなくなっていくわけです。
お盆やお彼岸が思いださせてくれますし
そんな文化があって良かったとも思います。

また、ご先祖様が残してくださったものの
ありがたみが身に沁みるようになるので
自分も子孫に何かを残さねば!と思うようになるわけです。


私にとって先祖供養とは
今の生活を築き上げてくれたご先祖様に感謝する気持ちを捧げる場所であり
自分も子孫に何かを残せるよう
社会に貢献する志を忘れないようにする為の場所だったりします。

なので、ただの自己満足なんです。w

とは言え、心から感謝すれば、無意識に尽くしたくなるもので
それが、例え自己満足であろうと、感謝できる自分に対して
更に感謝したりします。
これを体感できるきっかけは、ご先祖様あっての事ですし
ご先祖様がいるという、人類共通のこの世の仕組みがそうさせている
ような気もします。

なので、ご先祖様を敬う気持ちがあれば
だれでも、幸せになれるという訳です。

これが『先祖供養をすれば救われる』という
本来の意味なんでしょうかね?



でも、先祖供養をしなくても
先祖を敬う気持ちがあれば、だれだって幸せになれる
と、そう思っています。
私の場合は、自分に枷をつけないとダメ人間なので
先祖供養という行為で、自分を自分で縛り付けているに過ぎないわけです。w

個人的には、先祖を敬う前に
今を生きている人達を大切に思う方が先のような気がしています。

目の前にいる人を大切に思う事ができなくて
先祖を敬う気持ちなんて、生まれる訳がありませんしね~



まぁ~今の日本があるのは
間違いなくご先祖様のおかげなので
そこに感謝を捧げる事ができるよう
努力するのもいいかもしれませんね。

本来、先祖供養とは今の自分があるのはご先祖様のおかげだと
感謝を捧げる場所だと思っていますが
衣食住がままならない時代ではないので
そうそう簡単に感謝なんてできるものじゃありませんしね。


本職の方々に怒られそうなエントリーですが
これが今時点での私の先祖供養の考え方です。