修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

子育ては「血」の仕組みを知っていた方がいい

相変わらず、精神病や
虐め、不登校、引きこもりの
相談が増え続けているのですが
やはり、我が子が病んでしまったり
虐めにあったり引き籠ってしまうと
親としては、心が痛む事と思います。

なんとか、したいと思う親心と裏腹に
どんどん悪化する現実を突きつけられたりする。



相談は、ほとんど母親から頂き
数々の相談ケースを振り返ると
我が子が虐めに合ったり、精神が病んだり
不登校になっている家庭では
夫婦仲が上手くいっていない
場合が多く見られます。


夫婦仲が上手くいかないという事は
夫と妻がお互いの価値観を
受け入れられないわけであり
それが、家庭内で
我が子にも向けられているのかな?
と、そんな事を思ったりもします。



子供の性格は
1番目の子供が父親
2番目の子供が母親
3番目の子供は父親


と、交互に性格が遺伝するのですが
夫婦仲が上手くいかないという事であれば
夫は母親の価値観を受け入れられないという事になり
母親は夫の価値観を受け入れられない。
母親であれば
1番目と3番目の子供の性格を
受け入れられない事が多くなり
逆に、その子供は母親の価値観を
受け入れにくいという事になります。

親であれば、そんな事はない!と
そう思ってしまう人も多いでしょうが
自立できない子供は
自分自身が受け入れられない事でも
親に従うしかない事を忘れてはいけません。


夫婦ならお互いに嫌なら離婚できますが
子供は、親に従うしかないのです。
自分が嫌だと思う事でも
我が子は我慢している事が多々あるという事です。


また、母親は我が子と夫を比べれば
当然、我が子の方に目を向ける事が多いでしょう。
しかし、子供の目線はどうでしょうか?
これ、考えた事がない母親が結構多いんですよね~

母親は、女性なので「守る」という意識が
男性より強く、我が子に対しても
「守る」という気持ちが父親より強くなります。

知らず知らずのうちに「守る」意識が強くなり過ぎて
子供の成長を止めてしまうケースがあるのです。
特に男の子の場合は「守る」より「攻める」という
本能のようなものがあり
守り過ぎてしまうと、成長を止める事になるでしょう。

我々、人間は心を成長させる為に
生きていると、私はそう思っているのですが
我が子の成長を止める行為により
苦悩を突きつけられる大自然の法則があります。
それが、虐め、不登校、引きこもりや精神病に
繋がっているのでは?
と、そう思ったりしてしまうわけです。


例えば、我が子が
友達はみんな出来る事を
自分は頑張っても出来なかったりすると
極度に落ち込んだりします。
そんな時に・・
「自分は自分だから他の子と違っても大丈夫だよ!」とか
「そんなに頑張らなくて自分のペースで大丈夫だよ。」とか
優しく声をかけたりする事もあるのですが
この「優しい」が曲者だったりするんです。
子供は、「みんなと同じがいい!」
「出来るようになるまで頑張りたい!」
そう思っていたとしたら
自分の欲求を抑止させる言葉を
親にむけられている事になってしまうのです。



人は誰しも自分がされて嬉しい事をして
自分がされて嫌な事をしようとしないのですが
これは、あくまでも自分自身の価値観に過ぎません。
男女で思考の構造が全く違いますし
更に「血」による価値観の違いもあります。

他人の価値観を受け入れる事は大変ですが
夫婦間、親子間でも、これがとても大切ですし
家庭とは、自分以外の価値観を受け入れる
練習の場のようなモノなのだと
私は、そう思っています。

子供には母親の無償の愛が必要だと思いますが
その愛情が、価値観の押し付けなってしまうと
我が子の心が壊れてしまう事があるのです。


私自身、父親の血が濃いのですが
小学生時代に
母親の言う事を嫌々聞き
それが原因で学校で嫌な思いをした出来事を
今でも憶えています。

子供だったので
そんな事が2度あっただけで
親の言う事を聞く事が嫌になり
学校に行くのも嫌になった事があります。
学校と家庭の板挟みになり
幼いながらに自分の居場所が
なくなってしまった感覚があったので
今でも、憶えているのでしょう。



私の父親は、めちゃくちゃな人で
日々、ボコボコに殴られ
暴力的な人でした。
俗にいうDVな父親なので
世間からすれば
父親は、反社的な人で
母親は、一般的な人でした。

でも、どちらかと言えば
私は父親の性格の方が好きでしたね~
逆に私の兄は、父親が大嫌いな人です。
ちなみに、一番上は母が流産したようなので
兄は母親の血が濃く、私は父親の血が濃いので
性格も父親に似て、価値観も父親に似ている為
父親の性格の方が好きだったのでしょう。


そうやって考えると
お腹を痛めて産んだ我が子でも
価値観の相違というものは存在しており
母親が我が子の行動を理解できない事もあるのです。

実際に夫婦仲が上手くいっていれば
母親が我が子を理解できない時
父親は良く理解できたりするので
夫婦で相談しながら子育てをすれば
それなりに上手くいくものです。


逆を言えば、夫婦仲が悪い場合
それが出来なくなり
我が子の気持ちが
理解できなくなったりします。

特に一人っ子の場合
初めての子供は、父親の血を
濃く受け継いでいるので
子育てでは、母親の思い通りに
育てるのではなく
父親の意見を
聞く事も必要でしょう。


とは言え、すでに離婚してしまっていれば
どうする事も出来ないので
自分以外の価値観を理解し
受け入れる努力が必要となります。
多くの人の価値観を知る事により
我が子の気持ちを察する事が
出来るようになります。


私が普段から言い続けている
自分を含め人の言動の動機を
知る努力をしていると
自然に自分以外の価値観を
知ることが出来、それを知る事で
自然に自分以外の価値観を
受け入れる事が出来るようになるのです。




私は、精神を病んでいる人と
接する事がとても多いのですが
精神を病む原因は、人間関係にあります。

殆どが、周りから
自分が拒絶される事により
心を壊していまうのですが
本人が拒絶されるような言動を
繰り返してしまうのも事実です。

しかし、本人からすれば自分が
そんな言動を繰り返している事に
全く気づけないわけで
自分のどこがいけないのか?
何がいけないのか?
全く分からない為
心が壊れてしまうのです。

しかも、改善した方が良い所を
伝えようとすれば
否定された!拒絶された!と
そう思ってしまうので
なんとも致しがたい・・・

そして、本人は
周りから必要とされたい!と
そんな欲求を強く抱いているのですが
周りからすれば
必要とされるどころか
その真逆の言動を繰り返すので
どうしたって、拒絶するしかないわけです。


集団での行動を乱していれば
改善を要求れれるのは当たり前なのですが
改善の要求=否定・拒絶と
そう、受け止めてしまうのです。

このパターンが非常に多いんですよね~
と言うか、精神を病む人の殆どが
そんな感じですかね?



これは、社会が豊かになったが為に
起きている現象のように
私は、そう感じています。

ウクライナの現在の状況をみれば
わかるように、自分自身の生活は
しっかりとした社会がある上で
成り立っているのですが
私たち国民は、社会に貢献する事を
明確に義務付けられていません。
自分の事だけ考えて過ごす事が出来るのです。

しかし、実際には
自分の事だけを考えて暮らす事など
出来ないんですよね~
社会の一員として役割を果たさなければ
毎日を過ごす事が、出来なくなる。
社会にとって、必要な人間で居る必要があるのです。

要するに、精神を病んでいる子供たちは
周りから必要とされたいのに、拒絶される。
また、必要とされる方法を学んでいないので
集団生活の中で、どう過ごせば良いのか?もわからない。

周りから自分が必要とされないと感じて
心が壊れていくのならば
親として、社会に必要とされる生き方を教え
自らの行動でそれを示すべきでしょう。


親として、我が子に対して
それを示す事は
とても重要な事だと思っています。

また、それを教えることが出来れば
我が子の将来は、安泰だと思うんですよね~

社会に貢献してゆけば
「徳」を積む事にもつながり
「血」による悪影響も改善されて行きます。


親として我が子の幸せを望むのであれば
まずは、自分自身が社会に必要とされる
人間であるべきでしょう。

どうあがいても
我々は、一人では生きられない
社会と言う枠組みの中で
集団生活をしていますからね。

他人の目を気にしすぎるのは、無駄だと思ってしまう理由

私は、他人の目を
あまり気にしないので
「どうしたら、そんなに気にしないでいられるの?」
と、よく聞かれます。
と言うか、他人に無関心のように見えるらしく
「もっと気にしろ!」とも
言われます。w


まぁ~どうしてかと言えば
奇人変人狂人扱いされた事が多いからですかね?
と言うか、自分も含め人間の本心が良く解るので
気にする方が馬鹿らしい~と
そう思ってしまう気持ちが勝るのでしょう。

でも、全く気にしないわけではなく
自分では、ちゃんと気にしてると思っています。


だって、私たちの社会は
集団生活をしているわけで
他人との関りを無くせませんからね~
自分がどう思われているか?くらい
気にしてます。
ただ、自分に対し悪意を持たれても
嫌な気持ちになる事が少ないだけだと
自分では、そう思っているのです。




逆に、私からすると
他人の目を気にしすぎる人が
多すぎると、そう感じています。
まぁ~人間、承認欲求なるモノがあるので
他人に認められたいと思うのは正常な人の証。
でも、自分を批判する相手に
ムキになるのは、とても損な事だと
思ってしまうのです。

他人の目を気にしすぎると
自分を見失ってしまうし
物事の本質さえ見えなくなってしまう。
それって、とても損な事ですよね?
感情が優先して、自分を正当化する理由ばかり
探す事って、実に無駄な事だなぁ~と
そう思ってしまう事もあります。

初めから他人の言葉に耳を傾けない人に
何を言っても無駄だと思ってしまいますし
そんな時間を費やす必要もないので
気にしないだけなんですが
気にしないでいると
馬鹿にされたと思う人もいるようで
冷たい人だと言われるのです。



でも、周りの人たちの目を気にしすぎて
心を壊す人も多いじゃないですか?
そうならないし、日々を過ごしやすくなると
思うんですけどね~
私の場合は、すべてを気にしないのではなく
ちゃんと気にしてるつもりですし
自分に悪意を向ける人に対して
なぜ?と考えると
気にするだけ無駄だと思う人の方が
多いだけなんです。


まぁ~このブログでは
否定批判や誹謗中傷ほとんどないのですが
そんな事する人って
ただ単に、他人の価値観が
受け入れられないだけですし
自分正義を貫き通したいだけの人なので
そんな人たちに批判されて
心が傷つく方がおかしいですし
そもそも、人間は自己主張したい生き物ですし
自分の思い通りにならないと
ムカつく生き物です。
しかも、人それぞれ価値観が違う
世界で生きていれば
自分が否定批判されない事なんて
ありえないんですよね~
自分を否定する人に
不快に思うって事は
自分も同レベルだと思ってしまうのです。

マジで馬鹿馬鹿しくありません?





私は、相談ボランティアで
多くの人と接するのですが
他人の目を気にしすぎて
自らの才能に蓋をしてしまっている人も多く
なんか勿体ないな~なんて
思う事が多々あります。

特に最近の若者に多いですね~
色々な才能を持ち
多くの可能性を秘めた若者が
心を閉ざし壊れて行く・・
私たち大人のせいなんでしょうが
日本の未来がちょっと心配になってしまいます。


なので、ちょっくら
他人の目を気にしないでいるコツと言うか
私なりの考え方を記してみます。









①私達は、集団生活をしているので
他人に評価される事からは、逃げられません。

そして、多くの人から良い人と認識された方が
過ごしやすいのも事実でしょう。
また、多くの人に評価されたいと
思ってしまうのも人の性だと思います。

まずは、この事実を認識しましょう!


そして②人それぞれ価値観は、違うので
自分の言動に対して、高く評価する人もいれば
低く評価する人もいる。

また、高評価されたいと思うから
低い評価に傷付くわけです。


この事実も、忘れてはいけません。




この①②を踏まえると
私たちは無意識に、どうにもならない事を
求めながら過ごしており
どうにもならない事を
求めて傷ついているわけです。

アホらしいと思いません?



カウンセラーの方々の中には
嫌われない事が大切だ!なんて言う人が多くいます。
確かに集団生活の中で過ごしていれば
他人から嫌われないで居られれば
日々を過ごすのが楽でしょう。


しかし、誰からも嫌われないなんて
そもそも不可能なんですよね~
嫌われないようにすればするほど
嫌われますしね。
だって、誰にでも良い顔する人って
信用できないじゃないですか?
信用、信頼できない人に
心をゆるす事なんでできませんしね。
また、関わり合いたくもないでしょう。
そんな事をすれば
虐めの対象になるとさえ思います。
あざとい人って、虐められていません?

また、自己の快楽に向かって生きれば
必ず苦しむ大自然法則があり
それらの苦悩は人間関係から生まれます。
なので、嫌われないようとするよりは
思いやりを持って接する方が良いでしょう。
なので逆に③自分が嫌わないようにする事が
最も重要な事だと思っています。


自分が相手を嫌えば
自分の「嫌い!」エネルギーは
必ずその相手に届きます。
なので、相手も自分を嫌うのです。
そして、そのエネルギーも
ちゃんと自分に届きます。


こんな大自然の法則があるので
自分が他人を嫌えば嫌うほど
自分を嫌いな人が増え続け
逆に他人を嫌わなければ
少なくとも、嫌われる事は減ります。
自分を嫌う人がいなくなる事はないですけどね。

だって、誰しもが自分の思い通りにしたいですし
誰しもが、思い通りにしたい事が違うわけで
そんな人たちが集団で過ごしているわけですしね。
何でも自分の思い通りにしたいので
単純に自分と価値観が違うだけで
自分が否定されたと思ってしまい
その相手を嫌う人ってかなりいますしね。
なので無理なものは、無理なのです。



自分と異なる他人の考え方や
他人の価値観を、無意識に否定してしまうのも
人の性ですが
自己承認欲求が強ければ強いほど
他人の価値観を受け入れられなくなります。
「嫌な人」
「感じ悪い人」
「ムカつく人」
「気持ち悪い人」
「イラつく人」
自分の中に、こんな人が多い人は要注意ですね~
とは言え、そんな人は
自分の価値観オンリーなので
何を言っても無駄ですし
自分がそうなっている事にも気づけないんですけどね。
結局は、苦悩の中でしか気づけないのです。




と、いう訳で
自己承認欲求が強い人は
他人の目を気にしすぎるようになります。

自己承認欲求が強い人は
自分を認めてくれない人
自分を受け入れてくれない人を
自分と価値観の異なる人を
無意識に否定し批判し嫌います。


ウvsロ報道を見て
プーチン嫌い!ロシア嫌い!
と、なってしまう人も多いでしょう。
これも仕方のない事ですが
正直、嫌うより
どうすれば良いか?
何ができるか?
を、考え行動した方が未来の為になりますよね?
我欲が強いと、その辺をお座なりにして
自己の成長を止めてしまうのです。

往々にして否定批判する人ほど
何もしないものなんです。
だって、自分の思い通りにしたいだけですからね~
文句を言って誰かにやらせようとし
失敗すれば、また批判する・・・
実に身勝手な事だと思いません?


なので、そんな人から何を言われようが
気にするもの馬鹿らしいし
そんな相手に認められる必要もないでしょう。

ただ、人間とは、そんな生き物なんだという事を
知っていれば良いでしょう。
少なくとも、自分にも同じような一面はありますし
私自身も昔は、否定批判大魔王でしたからね。w


嫌う感情が強ければ強いほど
事実を正確に把握する事ができなくなり
物事を冷静に判断できなくなり
どんどん「嫌いな人」が多くなります。
そして、「嫌いな人」を生み出した分
そのエネルギーは、自分自身を蝕んで行く。


人の承認欲求は無くせないので
致し方ないのですが
何をやっても上手くいかない人の
典型的なパターンがコレですね。
まぁ~毎度毎度言うように
我欲が強いと、物事が空回りします。
我欲は、なくてはならないものですけどね。


更には、「嫌いな人」を多く生み出すため
周りから嫌われる事が増えて行きます。
周りから嫌われる事が多いので
認められよう!好かれよう!とする言動が増え
それ自体が、自己顕示欲の押し付けであり
利己的行為だと気づけないので
更に嫌われる悪循環を生み出してしまいます。
初めから他人の価値観を
理解しようとしていないので
他人の言動を自分主体で判断し
なぜ?こんな嫌な事をされるのか?言われるのか?が
理解できず、心を壊してしまう人も多くいます。







それから、④人間の本質は身勝手で傲慢なので
表面と心は別モノだという事を忘れてはいけません。

自分に優しく親切に接してくる人でも
腹の中で「こいつクソだな!」って思ってる人は
沢山居るものなんです。


我を振り返れば
「なんだコイツ最低!」と思いながら
とりあえず、そんな相手でも
笑顔で接する事ってありますよね?
自分も同じ事をされているって事です。

されないわけないんですよね~
自分の価値観以外を受け入れられない
人ばかりの中で
しかも、人それぞれ価値観違う人達の中で
過ごしているわけですからね。

また、人は他人を
その人の持つエネルギーで判断してしまいます。
無意識にです。
自分が嫌っているエネルギーを持っている人には
ただ、存在するだけで無意識に嫌ってしまうのです。
そんなの、どうする事も出来ないでしょ?


私は、人のエネルギーで物事を判断しているので
そんな事は日常茶飯事のように起きていると
そう確信しています。

なので、ニッコリ笑顔で優しく接してくれているのに
腹の中で「ケッ!」と思われない人なんて
存在しないのです。

でも、そう思われる事が少ない人はいるので
そこを目指すと良いですかね。
その方法は、他人を嫌わない事です。




私の場合、他人の本心のエネルギーを
敏感にキャッチして気が狂いましたが
今では、それは当たり前な事だと
そう思ってい居るので
あまり気にならなくなりました。


そうなんです、それは自然な事であり
気にする必要がない事なのです。

気にしてしまうのは
それが、普通の事だと思えないからであり
承認欲求が、そう思われたくないと
働いてしまうからでしょう。

なので、これらの仕組みを知っているだけでも
少しは、他人の目を気にしなくなると思います。

とは言え、血に刻まれた経験に値は
なかなか逆らえないので
他人を嫌わない事
これを実践してゆくと良いでしょうね。

別に嫌いな相手を好きになる必要はありません。
なぜ?嫌いなのか?何が気に入らないのか?
自分の何が満たされないか?を
知るようにすれば良いでしょう。
自分が我欲に振り回されている事に気づけます。


あと、嫌いな人の性格は
先祖から受け継がれたもので
本人のせいではないんですよね~

なので、嫌うより
逆に、どんな経験をした事で
また、どんな経験が足らなくて
そんな人格なるのか?を知り
学んだ方が良いでしょう。

私たちは、人間関係という仕組みから
死ぬまで逃げられませんからね。
知っていた方が有意義に毎日を過ごせるはずです。


もう一つ、自分の不快感に注目すると良いでしょう。
どうして、その相手が不快なのか?
その相手が、どんな言動をしていれば不快じゃないのか?
不快になるたびに冷静になって自己の心を探ると
だいたい自己の欲求が満たされていない
だけだと知る事が出来ます。

不快になる事が多い人は
当然、自己の欲求が満たされない事が多いわけで
即ち、自分が強欲な証なのです。

受け入れられない現実が多いから
不快になる事が多いのなら
受け入れられる現実にする為に
自分はどうすれば良いのか?を
考え行動した方が良いと思うのです。

行動してゆく中で
色々と学べますしね~

私自身も社会を全否定しながら生きてきて
自分が気に入らないと思う事を
少しでもなくすためにどうすれば良いのか?を
考えて、行動に移した事で
多くを学ぶ事が出来ました。

行動し色々と理解すればするほど
自分の愚かさに気づきましたね~w

私の活動の根源はそこにあり
負の感情を減らせば、誰しもが過ごしやすくなると
そう思っているからです。
なので、「嫌いな人」を自分の
目の前から排除するのではなく
自分の中から排除してしまえばいいのだと
そう思っています。






色々と、仕組みを探っていると
実に馬鹿馬鹿しい事で
沢山の人が心を傷つけ病んでいるように感じています。


まぁ~これも私の価値観に過ぎませんが
多くの人の素晴らしい才能が失われていく気がして
勿体ないなぁ~なんて、思うので
他人の目を気にしすぎてしまう人は
何かの参考になれば幸いです。

無関心が人を苦しめ、国をも亡ぼす・・

私は、色々と苦境にいる人たちの
相談を受ける事が多く
その為に、贅沢ができなくなってしまいました。
まぁ~物理的にも借金まるけですしw

高級旅館やホテルに泊まったり
高級料理を食したりする機会があると
身近に苦しんでいる人がいるのに
こんな事してていいのか?と
罪悪感を感じるようになってしまいましたし
高級車の助手席に乗るだけで
ストレスを感じるようになってしまいましたしね~

感情移入?ちょっと違う?
昔は、贅沢三昧のオラオラ男だったんですがw
ここまで来ると、病気じゃね?
とか、思ってしまうのです。





なので、連日ウクライナの方々の
死体が転がっている映像を見ながら
毎日、心が締め付けられる思いがしているのですが
日本も、ウクライナに対して
もっともっと積極的に支援してもいいんじゃないか?とか・・
いくら輸入規制をしても、中国経由で
物資が流れれば、制裁にもならいのでは?とか・・
色々と考えてしまうのです。

LNGガスの輸入を止めると日本国民の生活に
支障が出てしまうので止められないのでしょうが
原発廃止を訴えたのは国民なので
やっぱ、その責任を負って
辛抱するのも国民でいいのでは?と思ってしまったり・・

人間、痛みを感じないと
深く物事を考える事ができませんしね。


皮肉なものですよね~
人の命を守るために原発稼働を猛反対し
ロシアからのガス輸入を増やし
火力発電を増加させ
その利益を使って
ウクライナで大量に人が殺されている。






まぁ~多くの人が私の考え方に
「おおげさだ!」なんて思うのでしょうが
これも、経験による価値観の違いでしょう。

多分、被災地へボランティアの参加を何度もした人は
私と同じ感覚じゃないかなぁ~
なんて思っています。

ウクライナの崩壊した街並みの写真を見ると
被災地のボランティアに
参加した時を思い出すわけで
その状態の中、民間人の死体が転がっている・・
街を復興するには、人手が必要なので
戦争が終わった後、どうするんだろう?とか?
そんな事ばかり考えてしまうので・・・・












で、前置きが長くなってしまいましたが
ウvsロ戦争で、私たちは、どう価値観を変えるべきか?
何を学ぶべき出来事なのか?
という、質問を頂きました。

どんな現実も、自分の受け止め次第なので
今回の戦争も、自分の現実に当てはめて
考えた方がいいと思っています。
出来事に対しての気づきは
自己の心の成長に伴って異なるので
正解も人それぞれなのでしょう。
今回の戦争は経過とともに
世界が大きく動いているようなので
その都度、自問するものいいですしね。


とは言え、せっかくなので
私の受け止め方を記してみます。






私は、どんな人も利己的な思考で
物事を判断するのが人の性だと思っており
利己的な思考が大きければ
大自然的から、その反動を受ける事になると
そう思っております。
そして、その痛みという苦悩と共に成長するのが
私たち人間であり、その成長こそが人生だと
そう思っております。



今回のウvsロ戦争は
世界各国が巻き込まれ
経済的な痛みを受ける事になりましたが
世界中の人が、考えさせられる
出来事が起きていると感じています。



まさに「令和」の時代なんでしょう。
文字通り「和」を強要されているように感じています。
コロナウイルスの蔓延にしても
今回の戦争にしても
利他的な心を成長させるための出来事なのかな?と
そんな気がしているわけです。

社会が豊かになった事で
感謝する機会も減り
人々の利己的な思考が強くなった。
そして、人々の心の成長が停滞した。

その結果、天災も増え
世界中でのコロナ蔓延や隣国での戦争・・・
なんとなく理に適っていると
そんな気がしています。



人間という生き物は
利己的な思考が強ければ強いほど
目先の出来事のみで
物事を判断するようになります。

深く、物事を考えなくなるのです。
その為に、知らず知らずのうちに
様々な苦悩を背負う事になる。

私は、長年相談ボランティアをしているので
よく解るのですが
苦悩の中にいる方のほとんどが
物事を深く考えようとしない・・
または、出来ない。

言動に伴う結果を想像せず
自らの欲望を満たす事だけを考えて
その考え方のみが正しいと判断し行動する。
正しい事をしているので
それらの言動が、周りにどんな影響を与えるか?など
考える必要がないと思ってしまうのです。
その結果、自分の周りからの反動という
苦悩を生み出してしまう。

自己の我欲を満たすことを優先する思考なので
望まぬ結果に襲われた時
なぜ?こんな事が起きてしまうのか?を
想像する事をせず「悪」認定する。


自己の言動は、常に自分以外に
影響を与えているので
何事も〇〇をしたら▲▲となるように
自己の言動により
何らかの事象が引き起こされているのですが
利己的な我欲が優先されるため
▲▲を想像することが出来ないし
しようともしない。

人間の我欲の恐ろしい一面ですよね。


誰しも自分に都合の悪い事は
見ないふりをしてしまう生き物です。
ウクライナで多くの民間人が虐殺されていても
他国の出来事だと割り切ってしまう。
そう思った方が楽ですし
そう思わないと、自分の今の生活に支障が出ますしね。
私たち日本人は、他国があるおかげで
生活が成り立っている事実から
目を背けてしまうのです。
なので、他国に対して
なかなか利他的な思いは生まれない。

なぜならば、自分に都合の悪い事は
無関心でいる方が自己を正当化できるからです。
「知らなければ仕方ない」という
暗黙の社会ルールがありますしね。



しかし、実際は
無関心が自分自身を苦しめているのです。
どんな苦悩も自己の言動の結果でしかありませんしね。


例えば、「朝起きてシャワーを浴びる」
と言う行動には、「汚水」を排出するという結果や
濡れた身体をタオルでふき取るとう結果もあります。
もっと言えば、シャワーが出るまでの過程や
汚水を処理する過程もあります。
でも、ほとんどの場合
「シャワーを浴びる事」のみにしか
注目しないでしょう。
これは、知らなくても
「シャワーを浴びたい」という欲望は
満たされるからです。
でも、知っていれば
簡単にシャワーを浴びれる環境に感謝できる。
感謝できれば「働く」意味が違ってくるはずで
様々な「縁」も変わってくる。
感謝した分「苦悩」との距離が空きますしね。


他人との会話も
同じように、自分の発言により
相手は、何かを感じ取り
自分に向かって発言しています。
当然、自分自身が選ぶ言葉によって
相手の感情も移り変わります。

しかし、我欲が強い人は
自分の目的を達成する為だけに
言葉を使ってしまうので
相手が不快になる事もあり
また、よく人間関係が拗れる人は
自分の為にしか、言葉を使わない。


要するに、己の我欲を満たすために
言葉にしろ何にしろ
障害となる出来事を無視してしまうのです。
もしくは、悪認定して排除しようとする。
そして、自分に都合の良い事のみに注目する。
その為、辛く苦しい環境に置かれるのですが
何が、どうしてそうなってしまったのか?もわからない。

あくまでも、自分に都合の良い事しか
見ていないので、何が何だか分からなくなるのです。

戦争を仕掛けているプ氏の報道を見ていると
いやはや、強い我欲とは
とても、恐ろしいものだと思うのですが
誰しも我欲を満たす事のみで過ごしていると
何度も、この仕組みに引っかかるのです。

そして、知能が低下して行き
同時に社会で、苦境が蔓延するわけです。

今、まさに社会は
そんな感じになって来ていますよね。



世界を見渡すと
まだまだ独裁国家の方が多いのですが
明らかに独裁国家より民主国家が発展しているのも
こんな仕組みがあるからだと思っています。

民主国家は、多くの国民に対して
常に耳を傾けていないといけないので
独裁国家より国自体の視野が広くなるわけです。








今回、ロシアは、どうして軍事侵略を始めたんだろう?と
そんな事を考えると
とにかくウクライナ民主化を恐れたのかな?
と、勝手にそう思ってみたりしています。

まだまだ、世界は独裁国家の方が多いですが
明らかに民主国家の方が発展しているので
ウクライナが発展するのは
ロシアにとって、脅威でしょうしね。

そう言う意味では
中国にとっての台湾も脅威なので
いつ中国が台湾に仕掛けてもおかしくないのでしょう。


ネットの普及によって
プロバガンダも限界にきているので
権力を傘にした国家運営は
もう時代遅れのように感じるのですが
ロシアや中国は、どう思っているのか?気になります。

独裁国家は、都合の悪い所に蓋をするのが常でしょうし
そこを直視しない限り視野が狭くなるのが
大自然の法則ですしね。

ベリングキャットなる情報機関が話題になっていますが
恐らく今後は、世界中で似たような情報戦が
行われるようになるではずです。
個人的には、独裁国家の終焉のように感じるので
この先、世界中が混乱してゆくでしょうね。


とは言え
民主主義国家も発展途上で
限界にきていると思うので
やはり、何か新しい制度が必要なんでしょう。
今までは、国民の生活を守る事が国の役割でしたが
この先は、世界中の人々の生活を守る事が
それぞれの国の役割になると感じています。

日本人の価値観は、外国からすれば
異常に感じるでしょうが
この先、日本人には、外国人の価値観を受け入れる器が
必要になるでしょうね。



岸田首相の「新しい民主主義」発言も
おお!と思ったりしたのですが
具体案が乏しかったので
マスコミに叩かれまくってましたね~







今回の戦争は、国民一人一人が
外国との関りを深く考えるいい機会だと思いますし
また、世界で民主化
進むきっかけになるような気がしています。

また、見ないふり聞かないふりをしている
自分に都合の悪い事を
掘り起こすいい機会なのかもしれません。

まぁ~私自身、現実から目を背けている
事柄が、多々ある事に気づかされましたね~w