修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

自己認識の甘さが・・・目前の世界を歪んで見せる

自分の修行を『懺悔道』などと呼び
自分はダメだ!ダメだ!と戒めていると
滅入ってしまわないか?
と、よくそんな事を言われるのですが
はじめから、自分を高く評価していなければ
滅入る事などまずないものです。

また、私の場合、行き着きたい目標があり
そこに達しっていない自分の尻を叩く為に
ダメな自分を常に認識している必要があるのです。

まぁ~ここまでしていても、目標に程遠いのですが・・・




最近、接客やスタッフ教育のマニュアルなんぞを
作っていまして・・心理学の先生に相談したり
また、そんな本を読み漁っているのですが
人間の7割以上が、漠然と自分は平均より上だと認識しているそうです。

良い事は、自分の手柄で悪い事は周りのせいとしてしまうのが
正常な人間の思考だそうです。

相手が悪い、環境が悪い、取り巻きが悪い・・などと
離婚したり、会社を退職したり、するのも
自己認識の甘さや歪みが、一因だそうです。


私自身も調子こいていた時もありました。
仕事も順調にガッツリ稼ぎ、私生活では先生と呼ばれ
当然自分は平均以上の人間だと、自分を評価するわけです。

自由になるお金と先生と呼ばせる名誉が
自分自身をそう判断させるわけですが
よくよく自分自身を振り返ると
楽して稼げる業界で仕事をしているだけであり
また、不徳を積み続けた結果が先生と呼ばせていただけで
生き様としては、どう考えても平均以下どころか下の下なわけです。

人より長けている所は、第六感くらいで
そんなもの、今の社会で普通に生きる上では必要ないモノです。
また、人より努力してきたものは、極端な修行くらいで
これも、第六感をなくす為にしていただけで、仕方なくしてきただけ。

ようするに、社会を強く否定した結果、社会の流れから外れてゆき
たまたま、社会の枠から外れた世界が楽に稼げる所だっただけで
そして社会の枠から外れた世界に興味のある人に先生と呼ばれていたに過ぎなかった。

まぁ~これが私自身の正しい評価なんでしょう。



10年ほど前から楽して稼げない業界で仕事をしているのですが
そんな業界では、頭脳明晰な人がゴロゴロしているわけです。
そして高卒の私は、東大卒の頭脳に感嘆するわけです。

世の中や社会自体を否定して生きてきた私と
そんな社会でもしっかり受け入れて生きてきた人が
同じ世界など見えるわけもなく、とても刺激的です。

あぁ~こんな人たちが、日本という国を支えているんだなぁ~
と思いながら、私自身も諦めずにそこに近づけるように努力しなければ!
と、そう思うようになりました。

意外にも、己の未熟さを悟ってからは
日々有意義に過ごせるようになり、毎日が楽しいのです。

心理学で言う、自己認識の甘さや歪みが
自分の周りの環境を悪化させているという考え方に納得です。

真実は、現実が悪化しているのではなく
悪化しているように見えてしまい
そう受け止めてしまっているだけなんでしょうけどね。



やはり人生
自分を平均以上などと驕ってみるより
低い立ち位置で、上を向いて歩いた方が楽しいですわ。