修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

霊能者と強い霊感の正体 その2

霊能者と強い霊感の正体 その1 - 修行バカの懺悔道

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霊的な存在は確かにいます。

ただ、人の想念が生み出したものに過ぎませんけどね。
なので、霊的世界は人の想像力から
生み出された世界に過ぎないと私はそう感じています。

人間のイメージ力は、かなり強力なので
強くイメージした想念は、物理的に存在してしまいます。
その想念をキャッチする力が霊感と言われているのでしょう。
人間が誰しも持つ、ただの感覚に過ぎないんですけどね。

それらの存在を、現実世界と混同し
一つの世界として受け止めてしまうので
スピ的中二病患者が多発するのですが
人の想念は、色々な存在に実際に影響を与えるので
どうしても、自分が中二病だと思えないわけです。

まぁ~自分が生み出した幻想世界にいると
なかなか楽しいですからね~
実際に観えるし、聞けるし、面白いのは認めます。
ただ、他人を巻き込んだらあかんよね?


経典や祝詞にもそれなりの力があります。
呪術や法術にもそれなりの力があります。
これらも、人の想念が生み出すエネルギーの法則を利用したものです。

そして霊感は誰にでもあります。
怒っている人の近くにいると不快感を感じるのも霊感と言えるしょう。
心地の良い場所、気持ちの悪い場所を感じ取るのも霊感ですしね。


ただ、そんな感覚は必要ないほど社会が発展したので
殆どの人が、その感覚を思考で認識しないだけなのです。
霊感のない人など、この世に存在してませんしね。
というか、普通の人は霊的存在など意識する必要がないので
意識していないだけなんです。

ただ、霊能者と言われる人たちは
もともと常に「悪」を探している人種なので
目に見えない想念まで、波長を合わせて
わざわざ「悪」認定するわけです。

そんなモノまで「悪」認定するから頻繁に具合が悪くなる。
そして自分ではどうにもならないので
すでに霊能者と言われている人に相談します。
そして、同類の人に助けてもらうので
心が癒され執心するわけです。
「この人こそ、私の理解者だ!」となってしまうんです。
まぁ~過去の私の事ですがw

具合が悪くなる度に、負の想念を肉体から取り除いていれば
どんどん霊感が強くなります。
誰でもそうなるんです。
だって、普通の人が意識を向けていない所に意識しまくるんですから
霊感が鍛えられるのは、当たり前ですよね。
そして、自分が執心する霊能者の人に言われるのです。
「貴方にもお役目があたのですね。
その力を使って世のため人の為に尽くしなさい!」と・・・
こうやって、スピリチュアルセラーというダメ人間が増えてゆくわけです。w


いや~
「霊感が強くなくても、世の為人の為に尽くせよ!」
って思えないのは、やっぱ心が幼稚なんでしょうね。





私は、霊能者は、心のレベルが低すぎる為
霊感が強くなっているだけだとそう思っています。

要するに、自分の価値観と違う相手を
「悪」とし続けてしまったが為に
強制的に人の想念を感じさせられる
大自然のルールが発動しているだけなのです。

なので、こんな文章を書いている私は
間違いなく「悪」認定されるでしょうね。w
まぁ~すでによく魔物扱いされるので
気にしてませんが。w


本来、霊感が強くなるという事は
自分の事ばかりではなく
他人をもっと良くみなさい!
貴方が「悪」としているモノは「悪」ではないですよ!
と教えられているわけですね。

霊感が強いという事は、人の感情も感じやすいのです。
なので、人の言動の動機もよくわかります。

即ち、一般の人に比べて
他人の事を分かりやすくしてもらっているのです。

まぁ~物事の考え方の基礎中の基礎を
自分が生まれる前の時代に戻ってやり直せ!
と言われている状態ですかね。

強い霊感は現実的物理的世界で他人の役に立つ為にはとても便利な感覚で
不徳の多い霊能者は、この感覚を活用して徳を積め!という事なんでしょう。

実際に、私は普段のボランティア活動で、とても役に立っていますしね。
スピ的世界を無視する使い方をしていれば、霊的苦痛は皆無なんですが
心のレベルが低すぎるので、その事実になかなか気づけないんです。
私も、かなり苦しみましたね~w

訳の分からない存在が自分を苦しめるので
強欲で傲慢な性格が、正反対のベクトルに
その感覚を使ってしまうのです。

正反対のベクトルで霊感を使うという愚かな行為が
結果として数々の苦しみを引き寄せてしまう。
自分だけではなく、自分に関わる人まで苦しめる・・
「霊能者に〇〇と言われた~泣」という
相談も後を絶ちませんしね。


霊的感覚も人間の感覚の一つなので
霊的世界と現実世界を分けて考える必要なんて
全くないのですが
霊能者は自分が特別だと思っているので
霊的世界を優先して現実世界を見てしまうのです。
そうしないと、自分は特別でいられませんからね~
現実世界を創り出しているのが
霊的世界だと勘違いしているわけです。
なので、因縁消滅とか
先祖供養を必死にやるんです。

当然、それでは苦悩の呪縛から逃れられません。

肉体的精神的苦痛もあり
現実世界でも絶望を与えられ
不慮の事故、身体の麻痺、原因不明の病気
破産、離婚、逮捕、有罪判決
などなど・・

これが、霊能者に与えられた不徳の代償だと思っています。
心が幼稚なまま、不徳が多すぎて
もう後はないよ~!状態なんです。

人として最低の生き方をすると行き着く先でしょう。
人として生きる為の最後通告が
身体の機能として現れた状態のようなものですね。

不治の病も同じで意味でしょうが
この霊的苦痛というものは
心身を自分の内側からジワジワ壊してくんですよね~
明確に病気だと言われればいいのですが
誰にも理解してもらえない苦痛は結構きついんです。
まぁ~誰一人理解しようとしてこなかった
自業自得という結末なんですがw



なので、自分自身が積み上げた不徳に気づくまで
永遠にわけのわからない嫌な出来事を突きつけられます。
これは、自分の心をしっかり見つめろ!というシグナルなんです。
現実世界でも、霊的な世界でも、苦痛を与えられ
自分の心を見つめるしかない状態にさせられてるわけです。

全く自分の不徳に気づけない霊能者で
今の苦悩は全て人に尽くした結果だと
言い切るアホな人も結構います。
他人の苦悩を自分が受け取った結果だと自画自賛するんです。
どこまで、愚かなのか?とか呆れちゃうんですが
そんな人は、不治の病を患ったり
交通事故にあって死んだりするんですよね~
人生の最後の最後まで、自己を正当化するって
なんか可哀そうになりますね。
実際に、私が昔、頼っていた霊能者の方で3人逝ってますし
悲惨な目に会っている人が殆どです。
まぁ~私が強烈だったんで強烈な人ばかりでしたけど。
狂気の世界から出られなくなり
精神病院に入院しっぱなしの人もいますね。

大自然から「もうお前は、ダメだ!」認定されるわけですが
自己の心の成長ができなければ、仕方のない事なのかもしれません。
それが大自然の掟ですからね。





スピ的行為で人と人との関りを逃げられなくさせられて
自分自身をしっかり見つめなさい!という事なんでしょう。
他人を知ろうとしなければ、自分の至らない所は見えませんからね~

即ち、この世は「愛」で満たされているって事なんでしょう。


徳がない為に、霊感を強くしてい頂いて
徳を積みやすくして貰っているのです。
ありがたい事ですよね~

自分が生み出した「悪」の量だけ苦しむのは
霊感があろうが、なかろうが関係ありません。
ただ、不徳が多い為に霊的苦痛に苛まれているだけなのです。

私も、昔は霊感が強いから霊的苦痛に悩むんだと
そう思って必死に霊感を無くそうとしましたが
そもそも、自分の心が幼いのと不徳が多いのが原因で
霊的苦痛があるだけだったのです。
もう、進むべき方向が最初から正反対だったんです。

霊感が強くても、心を成長させるか徳を積めば
霊的苦痛はなくなります。
どんな苦悩も自分が生み出したものですしね。

実際に今の私は、嘘のように霊的苦痛はありません。
強烈な心霊スポットに出向いても平気です。
そんな場所で毎晩寝泊りする事もできますよ。
仕組みが分かってしまえば、どおって事ないですしね。
もう20年以上風邪もひきませんし、病気すらしません。
ビックリする事に、頭痛腹痛すらありません。
昔は、入退院を繰り返し
ちょっとした事で高熱で魘され
数々の原因不明の病気?に苦しみましたが
今では、嘘のように健康です。

霊能者は、なんでも、かんでも誰かのせい
何かのせいにする性格なので
霊的苦痛は、霊感があるからだと
そう決めつけてしまうのです。
要するに自分自身を省みる事ができないのです。

実際に悪霊退散!なんてやってますよね。
なぜ?霊に取り憑かれるかなど考える事無く
人を苦しめる霊は、「悪霊」なんです。
自分に都合の悪いものは「悪」とする
霊能者の性格そのものだと思いません?






あと、神様事でお金を取る霊能者はニセモノだ!
なんて言われてますが
あながち間違いじゃないと私はそう思っています。

理由は、不徳が多い為に霊感が強くなり
徳を積みやすい身体にしてもらったのですから
強い霊感は、奉仕活動に利用すべきなんです。

そもそも、徳を積むための能力なのに
金儲けに使ってちゃ、いつまで経っても徳を積めませんよね。


実際に、自分のエネルギーが人の縁を創るので
自分を成長させる事の出来る相手を引き寄せます。
従って、霊的な相談に来る人達は
自分の成長を促してくれる相手なのです。

自分自身が気づかないといけない課題に対して
相談という形で、色々な角度から
ヒントを与えてくれてるんですよね。
自分を成長させてくれる先生のような相手なんです。

長年、霊能者として活動している人は
この事を経験していると思います。
気づくか気づかないかの個人差はあるでしょうけど。
まぁスピ的な相談に限らず人の縁とはそう言うものなんです。
自分の至らなさに気づき、心が成長するたびに
相談内容が移り変わってくるのが自然の法則です。

私も相談を始めたばかりの頃は
悪霊だの先祖の因縁だの守護霊守護神だの
そんな幼稚な相談ばかりでした。
もうヒーローモノのアニメや映画のような世界で
いい大人が中二病炸裂させてましたね~
実際に霊に憑かれて苦しんでいる人が
その場で、治るので、体験まで伴うから質が悪い。
そして、涙を流しながら感謝されるんです。
もう、神様あつかいされましたね~
私自身が自分を苦しめる相手は「悪」としていたので
そんな相談ばかりになってしまったのです。

除霊や加持祈祷をやればやるほど
霊的苦痛の強い相談が増えましたね~
どんどん強くなるので
どんどん激しく修行しました。
全く持ってアホの極みです。w

しかし、私の場合は、無料相談をしていたので
少しは徳を積めていたようです。
そのおかげで、定期的に自分を疑うような出来事もあり
続ければ続けるほど、疑問を抱くようになりました。

結果として、霊的存在をしっかり観察し続け
また、その存在がこの世界で
どのような役割を担っているか?を考え
色々と検証してみると
この世の中の理が少しずつ見えてくるようになったのです。


恐らくお金を貰ってやっていたら
徳が積めていなかったので
いまだに霊的苦痛を味わいながら
先生!先生!と呼ばれ、いい気になって
偉そうな態度で霊的な事を続けていたでしょう。
ひょっとしたら中二病を患っている事にも気づけず
教祖になっていたかもしれません。w





まぁ~霊感があろうがなかろうが大自然の法則は全く変わる事無く
慈愛の心を育む為に、出来事を引き起こしているという事です。




私は、霊感が強い為に、色々と観えたり聞こえたりする事は
自然の法則上、そんな仕組みがあるだけだと思っています。
神秘現象でもなんでもなく
その現実を証明する術がないだけだと、そう思うのです。

例えば、家族全員で言葉と文章を使わずに共同生活を続ければ
誰でも、相手の心のエネルギーを察知できるようになります。
相手が考えている事がよく解るようになるでしょうね。
そして、霊能者のように不徳が多くなければ
その感覚に苦しむ事はありません。

霊能者と言われる人たちは、不徳や負の感情が多いので
負の感情のエネルギーが溜まっている場所に
その感覚が繋がってしまうだけなんです。
そもそも自分の不徳のせいで変な所と波長があっているだけなのに
自己顕示欲が、「特別な事」認定してしまうのです。
それを神の言葉とか守護神守護霊の言葉として伝えるから
おかしなことになり、依存する人が出てきてしまう・・

そんな言葉を受け止める人の立場を考える必要があるでしょう。
何も感じない人の事を思って伝えているのか?を
深く考えるべきだと思っています。
自分の一言で、その人の人生に強い影響を与える事があるからです。

だって神様の言葉だと受け止めたら
怖くて無視できない人も多いですしね。
実際に今の信仰をやめる事が怖いという相談もたくさん受けています。
無視すると祟りがあるんじゃないか?ってそう思う人が結構多いんです。
いい大人がわんわん泣きながら恐怖に怯えて
相談に来る人もいます。
「私の下を離れたら禍が起きる!」
「〇〇をしなければ禍が起きる!」
「裏切りは、破滅に等しい!」
なんて言われると、どうしたらいいのか分からなくなるようです。
マジで多いんです。

そんな相談は「禍が起きたら全ての責任を私が負う」と言って
私が強引にやめさせるんですが
それで、抜け出す事ができた人もかなりの数います。
もう、祠やご神体の焚き上げなんて何回やったかって感じです。
そんな人は、般若心経禁止、神社仏閣参拝禁止、墓参り禁止、毎日ゴミ拾い指令!です。w
でも皆さん、そこから離れたおかげで、現実が改善しているのも確かなんです。

にっちもさっちも行かなかったお店が
スピ的集団から抜け出してから順調になり
5年後に自社ビルを購入した人もいます。
ちなみにその方が祀っていたご神体は、私が本人の目の前で踏みつぶしました。
別にスピ的団体がいけないわけではなく
そこに依存していた本人に問題があっただけですけどね。


スピ的行為の言霊なんてものは
何の根拠もないただの「勘」に頼った言葉に
「神」とか「守護神」「守護霊」とか乗っけてるだけなんですよね~
自分の言葉でなければ、自分には何の責任もないわけですし
深く考えずに、色々伝えて過去に逮捕された霊能者もたくさんいます。








強い霊感は、奉仕活動にはかなり便利な感覚です。
この世は、与えた分しか手に入りませんし
与えようとしても、相手が何を望んでいるか
分からなければ与える事はできません。
しかし、強い霊感はそれを察する事ができるので
徳を積む為に、フル活用できるのです。

そもそも、その為の感覚ですしね。
スピリチュアル的な活動なんかより
現実世界の方がかなり活かせる場所が多いです。

私の経験では、この強い霊感は
お金儲けに結び付けると正常に機能しません。
「欲を捨てる」事が出来るまで
永遠に霊感に惑わされる事になると思います。
自分のエネルギーが邪魔をして
霊感のチューニングの幅が狭いまま広がらず
限られてた場所としか、波長を合わせられないからです。
中二病から抜けだせない状態と言う事です。

恐らく、仕組みとしては、自分で見えるモノ感じるモノ
全てに自分のエネルギーが覆いかぶさっているからでしょう。


なので、目前の現実は自分自身が創り出している事や
霊的な感覚とは、何なのか?を知る必要があるのでしょうね。


私自身、まだまだ学んでいる最中ですが
目前に起きる現実の意味を知る努力する事で
毎日が楽しく過ごせるようになりました。

また、昔より霊的感覚の幅は膨大に広がりました。
ホント昔の私は心が幼稚園児だったという事を痛感しましたね~
これも、スピ的な世界にどっぷり浸かって
結構苦しんだおかでなのですが
ここまで、しんどい思いをしないと
気づけなかった自分は、かなりの重症だったのでしょう。
自覚もありますし・・w









宗教が、悉く否定される現代社会の理由は
その活動が、社会に貢献していないからだと思います。
私ごときに寺の住職をやらないか?とお誘いがあるくらいなので
廃寺寸前の寺が多いのも、社会に貢献していない寺が
増えて来たんでしょうね。

いくら綺麗な言葉を並べた所で
それに伴った行動を自分自身の言動で示し
結果を出さないとダメなんでしょう。

やっぱ、現実社会でしっかり生きて
社会にちゃんと貢献しないと
どんな世界にいようが
まともな人生を歩めないって事でしょう。


だって、私たちは社会の為に必死に働いている人達の
恩恵を受けて毎日生活できるわけですしね。
受け取るばかりで、いいわけないですから。

強い霊感は、心から社会や他人の為に尽くしたいと
そう思った時、初めて活かされる感覚だと
私は、そう体感しました。
物理的にどう過ごせば良いのか?
自分はどう生きるべきかを学べるのです。

というか、それを学ぶ為の感覚だったのでしょうね。
要するに、始めから自分を知る為に使う感覚だったのです。

霊感は心の成長と共に観える範囲が広がりますし
因縁霊とが守護神守護霊とか動物霊、稲荷や蛇など
巷で言われている霊的存在とは
心が磨かれれば磨かれるほど
強く意識しないと自分の感覚と繋がらなくなります。
自分が見て感じる事が全てだと
そう思っている人の世界がスピ的世界なのでしょう。
なので、それが見えなくて、感じない人の方が多いわけです。

即ち、心の成長に伴って
観える世界、感じる世界が異なるという事です。

昔の私は「誰か私を殺してくれ!」と
毎日そう思っていたのですが
今の私は、毎日楽しく幸せいっぱいです。
目の前に広がる世界は、その頃から何ひとつ変わっておらず
身の回りの環境は、昔に比べれば数倍悪化しているのにです。

心の状態に合わせて現実の受け止め方も変わるので
霊感に限らず、人の感性全てが心の状態に比例しているんでしょうね。






私の考え方は、こんな感じです。

人それぞれ、自分が創りだした世界を見ているので
どんな考え方があってもいいと思いってます。
なんだかんだと、経験が全てですしね。

私は、上記考え方に至ってから
毎日が、とても有意義で楽しく過ごせるようになりました。

どんな現実も自分の受け止め方次第なんでしょうね。