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修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

どんな人も、何でもできる・・・そして、やりきる為の条件がある

今まで、多くの人に
私に○○はできるだろうか?
私には、何が向いていますか?
私に、できる事は何がありますか?
などと、そんな事をよく聞かれるのですが
私は、どんな人も、何でもできるとそう思っています。


やろうとするか?しないか?だけの問題でしょう。


自分が得意とするものは、先祖から受け継いだ経験値なだけなので、たとえ
不得意な物事でも、そこに向かう努力次第で何とでもなるような気がします。
人並み以下の能力は、人並み以上の努力で補えるという事です。

繰り返された経験は、血肉に刻まれ思考とは別の所で記憶され続けている。
気がついたら、不得意だった事が得意になっている事だってあるはずです。

結局は、何を思いどう行動するか?だけなのでしょう。



ただ、どんな事でも、その行動における動機によって
結果が左右されるようにも感じています。

努力とは、『奴』(他人)を支える『力』と言われているように
自らの快楽を求める行為は、努力とは言えないのでしょう。

誰かの為にする行為は、人智を超えた何が働き
自らの力となるようにも思います。
努力できるのも他を思う心がそうさせるのでしょうし
快楽だけを求めて生きていれば、努力などできるわけもない。



私は、仕事の悩み相談を受ける事がよくあるのですが
仕事でも、同僚や上司、部下、お客様の為に何ができるのか?を考えて
行動に移すだけで、今までできなかった事ができるようになったり
不得意だった事柄が、そうでなくなったりする人たちを何人も見ています。

『できない=やりたくない』だった・・と、そうおっしゃる人もいました。

確かに、やりたくない事を『自分には出来ない』と
ふたをしてしまい、その事実を見ないフリをしている人も沢山いるでしょう。
『やりたくても、出来ないのだからしょうがない』で終わらせていれば
自分の事だけ考えていればいいという選択ができるので
周りに甘えて過ごす事ができるわけです。

その選択は、一時的な快楽を手にする事は出来ても
長期的な苦悩を同時に生み出してしまうのが、この世の仕組みだとも思います。


しかし、少しでも誰か、何かの為に・・と言う思いがあれば
何も出来ない自分に苛立ち、できない自分が許せなくなり
まずは、今出来ることから探すようになります。
そして、どんな人でも出来るように努力するようになります。

そう思えないと言う事は、誰か何かの役に立ちたいという思いが
欠如している証なのかもしれません。

そして、努力は必ず結果を生み出し裏切らないものなのです。


まぁ~あえて苦手な分野に進む必要もないのですが
どんな事でも、利他的な思いで、努力すれば何でも出来るようになるものです。

能力が他人より劣っているのであれば
他人より努力すればいいだけの事であり
それをしたくないので、『自分には出来ない』と決め付けてしまっている。
出来ないのではなく、そこに向かって努力などしたくない
自分に気づくべきでしょう。

出来ないのではなく、やりたくないのであれば、それはそれでOKですしね。


私の場合、『出来ないのではなくやりたくないんだ!』と、それに気づいた時
私の周りには、やりたくない事ばかりでした。
やりたくない事ばかりの中で、生きなければならないので
結果、やりたくない事ばかりの世の中を否定して生きる事になったのです。
自分の愚かさが凄すぎて笑えるのですが・・・

なぜ?やりたくないのか?と自らを振り返ると、その答えは簡単で・・・
その時、私は自分自身の快楽のみを求めて生きているだけの人間だったと
痛感した事を記憶しています。

当時は、霊的な苦痛に悩まされていた時だったので
苦悩とは、他を思う心がないと証明する為のものなのかも?と
そう思ったりもしました。

なかなかどおして・・人生とは面白いものです!