修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

誰しも、自分勝手で自己中に生きている事に気づくべきだ!

このブログに何度も記してきましたが
誰しも人間であれば、煩悩を刻み込まれて生まれてきます。
自己中満載でオギャー!と生まれてくるわけです。
そして、同時に慈愛の心も持ち合わせている。

陰陽交わりて万物を生ず、悉くみな神性なり!

なので、両極の心をもって葛藤する事で
人は、進化成長できるわけです。

誰しも社会的に良い人でも悪い人でもなく
時に良い人で、時に悪い人なのが人間でしょう。
人間なんて、そんなものだと思います。


そして、自分勝手で自己中でスタートするのが
人生なので、まずは、それを自覚する事が大切だと
そう思ってしまうわけです。



私は、もう20年越えで
相談ボランティアをしているのですが
お金を頂かないのは、自己中な自分を忘れない為にそうしています。

人が生きる上で奉仕の心というものはとても大切だと思っています。
快楽を求めるだけでは、決して見る事の出来ない世界がそこにあるからです。


自分自身のお金や時間、労力を赤の他人の為に使い続けていると
良かれと思ってしている相手に、罵られたり
裏切られたり、蔑まれたりと・・色々と嫌な思いを必ずします。

また、色々とやってもらって当たり前という態度の人もいますし
感謝など微塵もしてくれない人も沢山います。
とことん、自分を惨めに追い込んでくれるのです。w

私は、そんな経験の中で気づかされました。
「あぁ~私は、相手の為にという思いが足らないから心が苦しいんだ。」と。


この体験をすると、人の本質を今以上に
深く観る事ができるようになります。
要するに見ている世界が広がるわけです。



他人の相談を受ける立場の私にはとても大切な経験でした。
この経験がなければ、上辺だけで他人の相談を受け続けていたでしょう。
キレイ事ばかり並べたエセ・カウンセリングをしていたと思います。
なので、今でもボランティアというスタイルを続けているわけです。




私は、この経験から、人間は基本的に自己中に
生きるモノなんだと確信しています。

どれだけ綺麗な言葉を並べようが
人間の本質は自己中なんです。
本質というより本能でしょうね。

どんな人も、自己中にしか生きる事が出来ず
自分の人生は自分のエゴの上でしか成り立たない。
誰かの為に、何かの為に、平和の為にといくら思っても
それ自体が、エゴの塊だという事です。

昔の僧侶が出家して
全ての人間関係を切り捨てた意味がよく解ります。
そうしなければ、仏教の真理にたどり着けませんし
他人の幸せをいくら願っても浅い心でしか祈願できない・・
浅い心の祈願であれば、僧侶でなくても出来ますしね。



社会では
自分勝手で自己中な人は「悪」とされていますが
私にとっては、自分は良い人だと
思っている人の方が「極悪人」なんです。w

困っている人に無条件で手を差し伸べるなんて
あってはならないとさえ思ってしまいます。

困っている原因を突き止めて
改善させる事に尽力したほうが
その人の為になると思うのです。

「少しの寄付で、一人の命が救われます。」
という広告を目にしますが
これも同じですよね。
人の善意で商売するな!くらいに思ってしまうのです。

だって、私が子供の頃から、ずーっと寄付を募っていいますしね。
無策なまま、永遠に寄付を募り続けているのが事実じゃないの?
目先の事しか見ていないから、同じことをやり続けているんでしょう?
と、そう思ってしまうわけです。


こんなこと言うと、「最低な奴だ!」と言われますが
私からすれば、そのままその言葉を返したいですね~w
無条件に手を差し伸べる行為が
どれだけ残酷な結果を導くか?をしっかりと考えるべきだと思うのです。
善意が人や社会を堕落させる事だってありますしね。


人の善意を利用すれば結構な商売になるんです。

前日の台風で、被災地への義援金を募るのに
チャリティーコンサートを行うので
チケットを買ってくれと頼まれました。
この手の勧誘は結構ありますね~
利益は全額寄付するそうで、しかも赤字になる可能性がある・・
と、そんな事を言っているのです。

普通の人なら
チケットを買わない=被災者なんてどうなってもいい
という、罪悪感に苛まれ
ついつい行かないコンサートのチケットを
買ってしまう人もいるでしょう。


しかし、私にそんな事を頼んだが最後・・
「そのままコンサートにかかる費用を寄付した方がいいだろ。
人の善意を利用するなんて、最低な奴だな。」
と、私に言われて、本人は固まっていましたね~

自分では、良い事をしていると思っていたんでしょうね。
というか、自分の本心を全く見ようとせずに過ごしてきたんでしょう。



私たちは
「良い人でいなければならない」と
社会に洗脳されています。

その為、無意識に「悪人にされたくない」と
自分の本心を隠し続けるのです。

そしてそして、都合の悪い所は
全部、見ないようにしている。

正直に生きると自分の快楽が削られてゆくので
ひたすら隠そうとするのが人の性であり
隠し続けて見ないふりをする事で
自分の思考から真実を削除してしまう。

ようするに真実を知らないまま
過ごしているので
あえれやこれやと空回りするんです。

思考と現実がバラバラでは
物事をちゃんとこなす事なんてできないのは
当然なんですけどね~


私の所に相談に見える方の殆どが
真実が見えなくなっている為に
色々と嫌な出来事が起きている。
また、その真実を告げても拒絶する人が多く
なかなか改善できないわけです。

これも、洗脳のせいでしょうか?
「悪人」になりたくないと思ってしまうんです。

善も悪もないんですけどね~・・





人を傷つける事はいけない!
不倫はいけない!
パワハラモラハラ
その言葉が、どれだけ多くの人の心を
壊しているか、気づくべきでしょう。

他人に善意を向けて相手が
傷つく事だってたくさんあるんですからね~



私からすれば
ホント馬鹿馬鹿しい事だと思ってしまいます。
だって、人間の本質はエゴの塊なんですからね。
自分のエゴを善意で上塗りできるわけないのですが
皆が皆、上塗りできていると思い込んでしまう。

どんな人も、自分のエゴに気づく事で
他人に優しくなれるし、尽くせるようになれるのです。

自分のエゴを隠していれば
上辺だけの優しか他人に向ける事はできませんし
いつまで経っても迷惑かけ放題のままです。

自分のエゴに気づけないから
他人を否定批判してしまうんです。

やたらと、善意を傘に他人を攻撃する人は
全く自分が見えていない証でしょう。

自分のエゴに気づけたら
どんな人にだって優しくなれます。

自分が自分勝手な人間だと知ったら
自己中な人をゆるせません?
善意や正義を語る事などできるはずないんです。


そもそも、自己中でない人なんて、いないんだから
自分も自己中だと気づいた方がいいでしょう?


自分のエゴを認めた上で
他人に尽力して行けばいいんです。

そうすれば、今の自分に出来る事と
出来ない事が明確になります。

出来ない事を乗り越えるために
どうしたらよいのか?も考えられ
そこに向かって努力も出来ます。



至らない自分を知る事が出来れば
少しでも、改善しようと努力できます。
その過程で多くを学び
一歩ずつ、幸せに近づく事が出来ます。


いつまで経ってもダメダメな自分は嫌ですからね~
ダメダメだと知らないから
ダメダメなままで居座るんです。

無知とは罪であり愚かな事ですね。







もう一度言いましょう!

陰陽交わりて万物を生ず、悉くみな神性なり!

即ち、自己中な自分を認めない限り
何も生み出せないんです。



自分の未来を明るいものにしたいのであれば
まずは、自分は自分勝手で自己中な生き物だと気づくべきでしょうね。

そこから、でしか自分の人生は始まらないのです!