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修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

徳がないだけで、嫌な出来事、辛い出来事、理不尽な出来事が起こり続ける理由

昔の人は、『よく徳を積みなさい』と言いますが
徳を積む・・と言っても何をどうしたら良いのか?
私は、よくそう思いました。

寺の住職さんや、神社の神主さんに徳を積むってどうすればいいの?と聞けば
『他人に尽くしなさい、世の中に尽くしなさい』・・と
そんな事をよく言われたものです。
具体的にどうすればいいのか?と再度伺ってみると
『それは、自分で考えて自分にできる事から始めればいい』・・と。

正直、そんな話をいくら聞いても
私は徳を積もうなどとは、思いもしませんでした。

そんな事をして何になるんだ!
自分が幸せじゃなきゃ他人につくせないじゃん!
そんな気持ちにどうしたってなれないよ・・
憑依体質だし逆に迷惑かけちゃうから絶対に無理だよ!
などなど・・
まぁ~色々と徳を積もうとしない理由をいっぱい見つけましたね。

そして、自分の事で精一杯だから!という理由の元で
何もせずに、過ごしていました。

その頃の私は、目前の現実が改善するどころか
どんどん悪化していたように記憶しています。



しかし私の場合、心霊相談というボランティア活動をはじめて
少しずつ、徳を積むようになったのです。

そして、誰かの為に何かをしようとする行為は
至らぬ自分に気づきを与えてくれるものだと知りました。

目の前にいる人を理解しようとするだけで
改善しなければならない自分自身を見つける事ができるのです。

ボランティア活動を続ければ続けるほど
ダメな自分をたくさん見つけて、その度に愕然とする自分がありました。

『人のふり見て我がふり直せ』とは、良く言ったものです。
他人を見ようとせず、自分の事ばかり見ていれば
『我がふり』も直せない事を学びました。


徳を積もうとする以前の私は、自己の正論を他人に押し付け
他人を理解しようとした事などありませんでした。
自分が正義そのものなので、そんな必要は全くないとさえ思っていたのです。
だって私の中では自分が間違っている事など何一つ言っていないわけですからね。

今思えば、そんな思い込みの中にある、私の正義のおかげで
多くの人を傷つけてきたのだと、そう思っています。
私が生きているだけで、多くの人を傷つけ、迷惑をかけている事さえ
気づけなかったのです。

すなわち私は、生きているだけで不徳を積み続けていたわけです。


愚かな私は、ほんと馬鹿馬鹿しい事を沢山してきたのですが
『私の正義』は『私に都合の良い言い訳』だという事実に気づけなかったのです。

それもそのはずで誰かの為、何かの為と考えて行動した事などなかったからです。
自分の為にしか生きてこなかった私に、そんな事を知るすべなど何処にもなかったのです。


私は、心霊相談時に相談者のエネルギーを読み取る手法を取るのですが
その手法で、その人の今までの経験値を読み取る事ができます。
即ち、今までどんな体験をしてきたのか?が血肉に刻まれ
エネルギー化しているわけです。

そんな多くの経験の中から、長年多くの人を傷つけ苦しめ迷惑をかけて
生きてきた私自身ぼ経験値は自らの血肉に刻まれ、エネルギー化して
強烈に放出し続けている事も知りました。


私に刻まれた、怒りや憎しみ、悲しみ・苛立ちや否定・批判のエネルギーは
怒りや憎しみ、悲しみ・苛立ちや否定・批判を生み出す現実を私自身に突き付けていたのです。

要するに私の生き様が生み出したエネルギーが、私にとって嫌な出来事を生み出していたのです。

そんな大自然の法則に気づけなかった為、理不尽な社会に怒り、苛立ち続けていたわけです。
どうして、自分ばかりにこんな理不尽な出来事が立て続けに起こるのか?と
自分自身の運命を呪った事もありましたが、今思えば、自分で生み出していたに過ぎなかったわけです。




長年、カウンセリングのボランティアをしていると
色々な事で、悩み苦しんでいる人の殆どが徳がないだけの事だと
そう思うようになりました。私自身もそうでしたしね。

ただ、自分が無意識に積み続けた不徳の量はなかなか気づけないもので
自らが積んだ不徳の量によって、徳を積まなければならない量も違ってきます。

私の経験上、2~3年もボランティア活動をして行けば
自分の不徳の量に気づけると思います。

確かに先祖から受け継いだ因縁や暦、方位の影響もありますが
もし、目前にある現実を改善したいのであれば
そんなモノを気にするより一日も早く徳を積む日々を過ごす事をおすすめします。

『徳』が生み出すエネルギーは、ありとあらゆる禍を浄化してくれますし
よき縁を生み出し、強運を身につける事ができます。

小手先の、除霊や祈祷、方位や暦など気にする必要もなく
先祖供養や祈願などしなくとも、自分の未来は明るい方向へと
導かれてゆきます。

即ち、我欲を満たす事だけを目的として生きるから
人は、迷い苦しむだけなのでしょう。

私は、徳を積む事により、多くの人が自らを犠牲にしてまで
世の中の為に、尽力している事を知りました。
我欲を満たす為に生きている頃は、そんな方々との縁もなく
みんな私と同じだとさえ思っていたのです。
『類は類を呼ぶ』とは、よく言ったものです。

とても狭くて小さな世界しか見えてい自分に痛感した事を記憶しています。



日本神道では、神棚拝詞という、日々神棚に向かって唱える祝詞があります。


此れの神床に坐す 掛けまくも畏き天照大神 
産土大神等 諸々の大神等の大前に
恐み恐みも白さく
大神達の広き厚き御恵みを辱み奉り 
高き尊き神教のまにまに
直き正しき真心持ちて 誠の道に違ふことなく 
負ひ持つ業に励ましめ給ひ 家門高く 身健に 
世の為人の為に尽くさしめ給へ
恐み恐みも白す

どうでしょう?
素晴らしい!祝詞だと思いませんか?

徳を積めと言われてもなかなかできるものでない事を
我々日本人のご先祖様は、よく知っていたのでしょうね。