修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

滝修行について

滝修行について意見を聞かせてほしいと
リクエストを頂いたので
ここに記しておきます。

あくまでも私の考え方なので、ご容赦ください。




まず、私は山で修行するようになって
20年ほと経ってしまいました・・
早いもので、もうジジイですわw

滝修行も頻繁にするようになって
同じくらいの月日が流れました・・・
まぁ~修行経験が長いという事は
それだけ、足らん事が多いんでしょうね・・・^^;)

でも、経験だけは豊富です。






まず、滝修行とは何なのか?


はっきり言って・・よくわかりません。
経験だけは豊富ですが・・w


一つ言える事は、目的によって結果が異なるという事です。
何のために滝に打たれるのか?という目的によって
その後の自分が大きく変わりますし
滝修行の先達によっても変わるでしょうね~

言動の動機によって、その結果が異なるという
大自然の法則があるように
滝行もその動機によって結果が異なるんです。

一人でただ滝に打たれて死ぬ人もたくさんいますし
先達に恵まれず、死ぬこともあるでしょう。

大切なのは、何のために滝に打たれるのか?
という心構えなのですが・・
まぁ~とりあえず打たれてみるのもいいかもしれません。
死ぬかもしれませんが・・w


私の場合、初めは霊的苦痛から解放されたくて滝修行をしていました。
禊の効果があったので、週に2~3回打たれていましたね~
目的が霊的感覚をなくすためだったのですが
結局、なくなる事はありませんでした。

霊的苦痛から解放された後も
修行が習慣になっていたので、今でも続けています。


今の私の目的は、自分の状態を知る為です。

滝修行と言っても色々あります。
禊として滝に打たれる場合が殆どですが
修行として滝に打たれる場合もあります。

滝に打たれるという行為自体は同じでも
禊と修行では、目的が違うので結果も大きく異なります。
修行の目的によっても異なりますし
呪術的な目的で滝を利用する事もあります。

先達する側の私の立場からすれば
目的によってする事は全く異なりますし
滝に入る人のそれを見極める事ができなければ
本当に危険な行為かもしれません。

だって、滝の上から岩が落ちてくれば
即死ですしね。

行場として整備されている場所は
石が落ちてこないように
滝口にネットが張ってあるので安全ですが
そうでない場所は、本当に危険な場所だと言う事を
理解しておく必要があるとも思います。




また、滝に打たれる行為は
強い自然エネルギーを全身で受け止める事になるので
自然に逆らった生き方をしている人は
滝に入ると苦しくてたまらないでしょう~

自然体で生きている人は
ひょうひょうと入っていられます。

自然体とはなんぞや?という事になりますが
私の言う自然体は、一歩一歩自分を成長させる事が出来ている人です。


否定批判が多く何でもかんでも人のせい
また、自己主張ばかりで
他人を理解しようとしない人は
確実に具合が悪くなります。

まぁ~先達がその辺を理解して
エネルギーコントロールしていれば
そうでもないので
先達次第と言う事にもなりますが
私なら危険度の高い人は
滝に入れる事はしません。


自然界のエネルギーを全身で受ける事になるので
常日頃から自然と調和できていない人は
体内のエネルギーバランスがグチャグチャになって
具合が悪くなるのです。

要するに自分以外の存在と
調和しようとしない人は、具合が悪くなるのです。


よく滝に打たれると霊道が出来て危険だと
言う人が居ますが、上記の通り
他人と調和出来ない人は危険でしょうね~

何か月も寝込んだりする人もたくさんいます。

ただ、滝修行で具合が悪くなるという事は
それだけ自分が至らないという証なので
自分自身を改善させる必要があると教えてくれているのだと
そう受け止める事も出来ます。

あぁ~そう言えば
私のところに10年以上修行に来ていて
滝修行で気持ちいいと思った経験がない・・って
言ってるやついたっけなぁ~w

禊する滝行なら
サッパリ・スッキリ気持ちいいものなんですが
修行の滝は、そうでもないんです。


具合が悪くなり
その苦痛から解放されるために
自己改善するべき所を探して
それなりに大きな気づきを得た人もたくさんいます。

気づけないと、毎日眠れずのたうち回る事になりますしね。
そりゃ誰でも、必死に自分探ししますよ・・w

まぁ~私も体験しましたが
発狂したくなるほど肉体的・精神的に苦しいですし・・w
一日も早く解放されたくて、必死に自分探ししました。
気づけば、気づくだけ体が軽くなり
とりあえず、一通りの試練が終わると
新たな価値観を得る事が出来ます。
肉体も軽くなり、清々しい心身になれます。
(次の試練までの間ですが・・w)

霊道ができるから危険だとか
具合が悪くなるからやめた方がいいと
そんなレベルでの考え方なら
滝行をしても何も得るものはないでしょう~





私の場合は、ボランティアで相談を受けているので
どうしても自分の状態を知る必要があるんです。

自分で自分がおかしい事に気づけないまま
相談者の方におかしな事を告げてしまうかもしれませんしね~


内観を目的としているので
夜中に滝に打たれます。
昼間は太陽エネルギーがいっぱいで
自然界のエネルギーも
自分のエネルギーを打ち消されてしまうからです。


気休めで、自己満足かもしれませんが
滝に打たれながら、自然界との一体感を得られない時は
自分の中で何かがおかしい・と判断します。
考え方の方向性がおかしいのか?
傲り慢心はないか?
慈愛の心が欠如していないか?
都合の悪い自分を見ないようにしていないか?
嫌な事を避けていないか?
などなど
一体感を得られるまで、内観するんです。


で、自分で納得できればOKという感じです。
まぁ~自己満足なんですけどw



滝修行は、ほんと色々な修行法があります。
昔の人は、夏越しと師走の年に二回滝場で禊したそうです。

滝場によってエネルギーも違いますし
水量よりも、水の持つエネルギーや
その場のエネルギーが重要のような気もします。
また、行場として使用できる滝とそうでない滝がありますし
滝ならどこでも修行できるというものでもないでしょう。


滝修行について書き出したら
心構えとか、作法とか、エネルギーの読み方とか
自然界の呼吸とか・・
書き出したらきりがない事に気づきました・・・w


とりあえず、今回はこの辺にしておきます。^^;)


ただ、大自然の中で修行し続けると
自然界は常々多くを我々に語り掛けている事が
理解できるようになると、私はそう思っています。

ただただ自然の中に身を置く行為は
時に五感を研ぎ澄ませ、時に五感を自身で打ち消し
自分以外を理解する努力につながります。
自分が何も知らない、何も知ろうとしていない
事に気づく事が出来るのです。

また、求める心が大きければ
大自然に身を置く行為に耐えられなくなるでしょう。

なかなかどして楽しいものです。^^)

私が修行で得たかけがえのないものは
目先の出来事に囚われない自分自身です。

たったこれだけの事に気づけるだけで
人間、誰でも幸せになれると私はそう思っています(^^)