修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

瞑想で大自然と一体になる方法

瞑想についての質問が続いたので
私なりの瞑想法について記してみたいと思います。
あくまで私の体験から、そう思っているだけの内容になりますのでご容赦下さい。



まず、頂いた質問についてざっくりお応えしておきます。

①瞑想をすると具合が悪くなるのですが、何がいけないのでしょうか?

A、どんな場でどんな所方法で瞑想をしているのか?によりますが
どうしても集中できない人や具合が悪くなる人の場合
体内に穢れを多く取り込んでいる事があります。
普段から負の感情を多く抱いたり
どうしてもゆるせない憎しみの感情が根付いている人に
多い現象だと思っています。(私がそうでしたからw)
また、感が鋭い人が、瞑想している場所のエネルギーの
影響を受けたりもする事もあるでしょう。

古神道に「息吹/いぶき」という呼吸法があるので
そこから始めてみてはいかがでしょうか?
「息吹/いぶき」も流派によって色々あるので
色々と試してみるのも良いかもしれません。
日本古来の空手や柔道、剣道、剣術、武術にも「息吹」があります。
太極拳もいいと思います。
一時期流行ったロングブレスダイエット法でも、大丈夫です。


②一人で瞑想をすると危険だと聞きます。教えてください。

エネルギーコントロールをする瞑想法などは
一人ですると危険なのかも?しれません。
滝修行などでは、強大な滝のエネルギーを身体に一気に受ける為
修行者の体内エネルギーバランスが崩れないように
仏教でいう先達、神道で言う道彦のような人がついて
修行者のエネルギーバランスを整えながら行います。
そのような瞑想法であれば、一人で行うのは危険かもしれませんが
何がどう危険なのか?どうなると危険なにか?という所が
解らないと何とも言えない所です。
指導者の立場からすると下手に死なれたら
教えた側の責任になりますしね。

ちなみに、私は一人で瞑想するようになってから
色々と学ぶ事ができました。
指導を受けている時は、マジでよく解りませんでした。
心霊スポットに丑三つ時に出向いて瞑想したりしましたしね。
何度も、死ぬかと思いましたよ。
周りからは、ついに妖怪化してしまった!くらいに言われましたね~。
でも、その経験で生きる上で大切な事を学びました。





③瞑想法を学ぶ集まりに参加しているのですが
その集まりで瞑想する時に限って具合が悪くなります。
参加しない方が良いのでしょうか?

どうなんでしょう?
他人の持つエネルギーに感化しやすい方の場合、複数人で行う瞑想は
他人のエネルギーを受けてしまい具合が悪くなる事があると思います。
一般的に言われる霊媒体質の方の場合です。
そんな方は、自分と同調するの負のエネルギーを
持つ方の近くにいるだけで具合が悪くなるはずなので
瞑想法以前の問題かもしれません。

もし、そうであれば「息吹/いぶき」を行う習慣をつけてから
瞑想をする事をお勧めします。





④5年ほどヨガの瞑想をしていますが、自然との一体感が得られません。
何かコツがあれば教えてください。

正直、何かコツがあるのか?よく解りませんが
私自身が、体験した経緯を下に記しておきます。






「瞑想により自然との一体感を得る」
この定義は、人それぞれだと思います。
自分が自然と一体になっている!と
そう思えば、そうなんでしょうし、それを確認する方法を知りません。
なので、これから記す内容はあくまでも私が
そう感じているだけの事に過ぎませんので、ご了承ください。

まず、自然との一体感を得る為には
自然の法則を知る事が、大前提にあると
私は、そう思っています。
自然の法則を何一つ知らないのに
一体感を得られる事などありえないでしょう。

一体になりたい自然の事を知らないのに
どうやって一体感を感じられるのか?
と、考えて見るとわかると思います。

フォアグラを食べた事のない人がフォアグラが美味しい
というイメージをいくら頑張って抱いても
それはただの妄想に過ぎないという事です。

従って、自然の法則を何一つ知らないまま
いくら瞑想に励んでも、一体感は得られないと
私は、そう考えています。


なので、私が言う大自然の一体感というものも
ただの妄想かもしれません。w



私が言う瞑想による大自然との一体感とは
自然界と、一体になった感覚を得た時であり
普段自分と絶対的に違うのは、お腹が減らないという点です。
何と言うか、大自然からエネルギーを吸収している感覚があります。


世捨て人ではないので、試したことはありませんが
恐らく、食事をしないまま何日でも続けられるような気がします。
即身成仏は、こうやってするのかなぁ?なんて思ったりします。


やった事はありませんが、3~4日なら
全く問題なく、断食瞑想後も顔色よく
終える事ができるような気がします。
数日の断食直後に見えない姿で、終える事ができるはずです。

昔、よく仕事をしながら断食をしたのですが
水だけで耐えらるのは4日くらいなのに
呪法の記述には、21日間断食してから行う事・・とか
9日間断食を3回行う事とか書いてありました。
当時の私は4日の断食が限界だったので
ありえない!くらいに思っていました。

が、瞑想で自然との一体感を得られる人たちが
記した事だったんだと、今ではそう思えます。







◎私の瞑想歴

私が瞑想を始めたのは、霊的苦痛から解放されたかったからです。
当時私は、霊的な苦痛がひどく
色々な霊能者という方に相談をしたのですが
「貴方に憑いてモノを取り除く事はできない」
と、言われ続け
お金を払って何ともならないと言われ続けるのが
バカらしくなり、修行の道を選んだのです。

そして修行の一環として色々な方に瞑想法を学びましたし
瞑想法や呼吸法関連の本も沢山読みました。

「無」になれ!と言われても・・・???
「月」に行け!と言われても・・・???
「雑念がある!」と言われても・・・???

という感じでしたね~
でも修行は私にとってとても楽しいモノでした。
なので、長年何の収穫もなく続けていました。

続けられた理由は、
どうしても、霊感をなくしたかったからです。
それと、後々気づいたのですが
現実逃避できる時間だったからでしょう。w



瞑想以外にも様々な修行をしていたのですが
激しく修行をするようになって1~2年たった頃の事です。
とにかく、霊がうざくて、うざくて
苛立ち、ムカつき、腹が立ちまくってた時
全くの偶然で、除霊する方法を身に着けました。
簡単に言えば、エネルギーをコントロールする方法です。


なので、その除霊方法は、全くの我流なのです。
普段なんだかなぁ~と思いながらやっている
呼吸法の中に我流のエネルギーコントロールを取り込んで
毎日瞑想しながら、自身の体内を浄化する習慣が身に付きました。

最初は、かなりの効果が肉体に表れたので
瞑想とは素晴らしい!と、そう思いましたね。
マジ単純、マジ単細胞な思考です。w


ですが、自身の心の成長がないまま
強制的に除霊を続けていたので
どんどんと感が鋭くなり
そして、どんどんと強烈な霊に取り憑かれるように
なってしまったのです。

アホですよね~
まぁ~我流なので仕方のない事ですが・・


しばらくして瞑想などで浄化できるレベルの霊など
私に取り憑いてくれなくなり
瞑想など全く出来ない状態に陥ってしまいました。
意識を緩めると霊に肉体を乗っ取られてしまうからです。
まともに眠る事が、できなくなってしまったのです。
眠る度に発狂していましたね。w

結果として、更に強力な除霊する力を身に着ける為に
さらに激しく修行する事になるのですが

強力な霊に取り憑かれる

激しく修行する

更に強力な霊に取り憑かれる

更に激しく修行する

更に更に強力な霊に取り憑かれる

更に更に激しく修行する

と、こんな事を繰り返したのです。

いや~当時の私は狂ってましたね~
台風が来たり大雨洪水警報なんかあると
山へ修行に直行していましたし
凍り付いた滝場の氷をぶっ壊して修行するので
凍傷で足が爛れた事もしばしば・・
滝に打たれすぎて、上半身が内出血で紫になったり・・

怒りは力なり!とか言いますが
自分に取り憑く霊がムカついて仕方なかったんです。
愚かでお恥ずかしい話ですが、当時は
絶対に後悔させてやる!くらいに思って修行していました。


最終的に、取り返しの付かない事を
繰り返してしまったと後になって気づきました。
元々、霊感を無くしたくて始めた修行なのに
どんどんと霊感に磨きをかけてしまったんですから・・
愚かとしか言いようがないです。w







当時、激しく修行している時に学んだ呼吸法が「息吹」です。
ヘロヘロになるまで、全身を使って深い呼吸をし続けるのですが
これがまた、スッキリするわけです!


それまで、色々な呼吸法を学びましたが
この「息吹」は、私に強い影響を与えました。
だって、一時的にでも霊的苦痛から解放されるわけですから!

古神道は色々な流派があるので
一言で「息吹」と言っても様々な方法があります。

それまで学んだ、瞑想法、呼吸法は
どちらかと言えば、「静」に徹するものでしたが
この「息吹」は「静」と「動」の呼吸法で
生きている自分を強烈に実感できるものでした。

それまでの私は、自分が生きている事に
全く気づいていなかった事を学びました。
自分が生きている事に実感がないので
大自然に生かされている事にも気づけない。
当然、大自然の恵みに感謝する事など全くなかったわけです。
「いただきます」と言葉を口にして食事をしても
「食前感謝」を言葉を口にして食事をしても
心無い言葉だった事に気づかされたのです。




私が「息吹」を学んだ中で強い影響を受けたのは
「この世の全ての存在が呼吸をしている!」
という言葉です。


その言葉を聞いてから
全てのモノの呼吸を意識するようになりました。

私の場合、異常な感覚が身についていますし
滝修行なので、先達をしていたので
全てのモノが呼吸をしている事は、すぐに理解できました。

目前にある全ての存在の呼吸を同時に感じると
世の中のエネルギーの流れを感じる事が出来るようになりました。
何と言うか、このエネルギーの流れが
全ての出来事を引き起こしているとそう思いました。

それ以降、私のエネルギーフェチが
始まったわけです。w







そんなこんなで激しく修行する中で
私の中で転機がありました。

ある日突然、霊的苦痛がなくなったのです。
今まで、無くなって欲しいと願いに願いまくった
霊的苦痛が、嘘のようにふわ~っと消えてしまったのです。

喜んだ?というより驚いた?と言うより、この先
何か、恐ろしい事が起きるのでないか?と
不安でいっぱいでしたね~w

でも、次の日も、その次の日も
嘘のように体が軽いのです!

試しに、修行もサボってみました。
でも、身体が軽いのです!

で、実際恐ろしい事は起きたのですがw
そのおかげで、自分の中にある
大きな執着がなくなりました。

愚かな自分が手に入れ
腐った心が手放せなくしていたモノを
強制的に手放されたって感じですかね?






霊的苦痛が消えた瞬間の事もハッキリと覚えています。
その頃の私は、感謝できない自分自身が情けなくて情けなくて・・
感謝できるようになる為の修行をしていた頃です。
どうしたら自分は感謝できるようになれるんだ?と
そんな事ばかり考えて修行をしていましたね~

そんな中、自分自身が生み出した現実しか起きない事に気づき
今までの自分の言動が、どれだけ愚かだったかを知り
心に衝撃を受け、懺悔の心でいっぱになった瞬間
ふわ~っと身体から得体のしれないモノが
たくさん抜け出してゆきました。

昔、除霊を受けると身も心もスッキリ!って感じになって
喜んでいた事もあったのですが、その比じゃないくらい
身体が軽くなったのです。
体重が半分になった感覚?ってところでしょうか?

その時、思ったのは
今まで、この事に気づかせようと、霊障というかたちで
私を鍛えてくれてたんだなぁ~と思いましたね。
と同時に、もっと他のやりかたなかったのかなぁ~
痛めつけるなんて、あんまりだ!なんて思いました。w


それ以降、惑わされるような感覚がスッキリなくなり
私のエネルギーフェチに拍車がかかるわけです。

それも、これも様々なモノの呼吸を感じる所から始まったのですが
様々なモノの呼吸によるエネルギーの流れが
様々な出来事を引き起こしている現象を
何度も目のあたりにしました。
もう、色々なエネルギーが存在しているこの世は
私にとって、興味が尽きない世界になってしまったのです。
そして、今でも学び続けています。




私は修行の中で、全ての現実は
自分が引き起こしている事を学んだわけですが
全ての現実は自分が引き起こしているので
例え、愛する愛娘が通り魔に殺されても
通り魔を赦せるわけです。
だって、自分が現実を創り出しているんですから。

この話をすると、頭のおかしいヤツ的な
視線を向けられますがw

私は、これが理解できない間は
大自然と一体になる瞑想などできないと思っています。

私自身もまだまだほんの一部しか
この世の理を理解していませんが
ある程度の大自然の法則を理解できると
瞑想の中で徐々に一体感が増してくると思います。

大自然と一体になる為には
大自然の法則を深く知る必要があるという事です。
よくよく考えると当たり前の事なんですけど
未熟なうちは、そんな事すら気づけないんです。


私が、瞑想で大自然との一体感を感じ得るまで
色々な気づきの過程がありました。
沢山あるのですが、大まかに記しておきます。


①自分は何も知らなかった。
誰しも煩悩に忠実に生きてしまうので
自分にメリットのあるものにしか興味を抱きません。
即ち、自分が興味のない物事は何も知らないのです。

昨日、出かけた場所で座った椅子の色は、何色だったか覚えていますか?
部屋にある観葉植物の葉っぱを噛むとどんな味がしますか?
昨日、立ち寄ったコンビニの駐車場には、〒ポストはありましたか?

よくよく考えると、私たちは、自分都合での知識しかないのです。
私たちが知ろうとしていない存在が
私たちにとても大きな影響を与えているのですが
それを知ろうとしないから、人は悩み苦しんでいるに過ぎないのです。
自分が興味を抱かない物事を知ろうとし続ける事で
この世界の壮大さを感じられると思います。
誰でも、この世の理に一歩近づけます。

実際に体験するとわかると思いますし
だけでもやろうと思えば簡単にできる事です。
しかし、やろうと思えないんですよね~
人の心は、煩悩満載だからです。
煩悩に心が支配されている以上、狭い世界で生きる事になり
悩みや苦悩がなくならないのも大自然の法則でしょう。




②自分が変わらなければ現実は変わらない。
人の心が生み出すエネルギーは、壮大で強力であり
また、出来事を引き起こす中心にあると言っても過言ではありません。
従って、自分の心が変われば、目前の現実は必ず変わり
また、自分の心の成長がなければ
穢れと共に大地に吸い寄せられてゆきます。
即ち、日々流されて過ごしていると
時を重ねてゆくにつれ身も心も身動きが取れなくなってゆくのです。

言葉を変えれば、自分の心次第で未来は大きく変わります。
しかし、目前の現実から逃避する為に心を変えようとしても
心身が分離してしまい、虚像の中に埋もれてしまうので
今起きている現実から学ぶ事が大切です。
現実逃避は、逃避という質のエネルギーを生み出すからです。
現実逃避による心身の分離を回避する方法は現実逃避と理解した上で
現実逃避する為に心を変えようとする事です。
「理解」が心身をつなぎとめてくれます。






③与える喜びを身をもって知る。

大自然の中に身を置くと、心身がとても癒されます。
それは、大自然は私たち人間に求める事はせず
ただひたすら与え続けてくれるからです。

瞑想で大自然と一体になる為には
その感覚を身をもって知る必要があります。
ただひたすら、与え続ける経験が必要不可欠だと、そう思います。

私の場合、自らの時間と、お金と、労力を赤の他人の為に使い続けました。
かなりのお金を使いましたね~今でも使い続けています。
それをし続けると、自分の本性が見えてくるでしょう。
それをしてみると解る事ですが、相手の為にしている事なのに
その相手から、怒りをぶつけられたり、バカにされたり、蔑まれたりするのです。
その現実を突きつけられて、自分の心に大きな葛藤が渦巻くでしょう。

しかし、本当に相手の為にしている事であれば
そんな事で腹立しく感じる事はありません。
だって、初めから自分の為ではなく相手の為にしている事ですからね。
相手のそんな態度に気分を悪くするという事は
相手に何かを求めている証なのです。
大自然ならどうでしょう?どんな出来事も100%で受け止めてくれるはずです。
なので、私たちは大自然の環境に癒されるのです。

その葛藤の壁を乗り越えると、目の前の現実がいきなり広がります。
今まで、自分がどれだけ愚かだったのかにも気づけるでしょう。

私は、この体験後、今までの自分がとても恥ずかしくなりました。
それと、同時に怒りの感情と欲が薄れている事にも気づきました。
この世界は、質素に生きる事で
初めて幸せな毎日を過ごす事ができると知りました。
煩悩を知る為には、自分の本心を認めた上で、その本心に逆らい続け
自己の煩悩を自分の外から見る経験が必要不可欠だと、そう学びました。
その経験がなければ、煩悩に振り回されたまま一生を終えるんだと・・



④心の闇を深く知る。
強い憎しみを抱くと、自らを破滅に導くのがこの世の理です。
しかし、どんな人にも、心の闇は存在しています。

私は、何度も心の闇に堕ち、この世界に絶望を感じました。
仮に、私が自殺しても
傍から見れば、なぜ?自殺するのか全く解らない状態でです。

怒りの感情を抱き続けると、その感情が生み出したエネルギーが
自らの心身を蝕んでゆきます。自分で自分を壊し続けて行くのです。

では、なぜ?そんな仕組みがこの世に必要なのでしょう?

私は、心の闇に飲まれながら、その理由を探し続けました。
探し続けていると、ギリギリの所で、留まる事が出来たからです。

人は、なぜ?争い、いがみ合い、怒りや憎しみを抱き
多くを崩壊へと導くのでしょう。
戦争すれば、多くの悲しみを生む事など誰しもが知っています。
ほとんどの人は、戦争なんてしたくないのです。
でも、したくなくても戦争してしまいます。

他人との喧嘩も同じです。
好き好んで相手を傷つけたい人など、いないでしょう。
心が壊れて、何かに憑依されていない限り・・
でも、怒りや憎しみの感情が込み上げてきて
他人と傷つけあってしまうのです。


その理由を説明するには、体験が伴わないとなんとも説明できないのですが
闇は闇だけでは存在できず、私たち人間にとって
必要不可欠なものだという事だけ伝えておきます。
凶悪な犯罪者も働かない浮浪者も、なくてはならない存在なのです。







⑤すべての存在の呼吸を感じ取る
全ての存在は、呼吸をし、そのリズムがあります。
モノによって、呼吸のリズムは違うのですが、調和し合ったり拒絶しあったりする性質があります。
また、人の心が生み出すエネルギーは強大で、周りの存在に強い影響を与えます。
そして、複数のエネルギーが影響し合い、そのエネルギーが流れとなり
出来事を引き起こしています。

この呼吸のリズムを感じ取る事で
社会とは、多くの人の心が創り出しているモノだという事が実感できます。
私たちは、一個人では、どうにもならない世界で過ごしている為
良い悪い、正しい間違いではなく「他を理解する」事でしか
幸せを掴めないという事です。

また、思考や言動が自分の未来を創り出しているのではなく
思考や言動に基づく、自分の「心」が、自分の未来を創りだしているのです。
しかも、多くの人の「心」の状態の影響を受けながらです。

即ち一人ひとりの「心」が集まった状態で、社会が創られているという事です。

世の中にある全ての存在の呼吸を感じ取ろうとすると
私たちは、この世という壮大で素晴らしい循環の中に
生れ落ちている事が理解できます。

私は、文才がないので適切な文章が思いつきませんが
私たちは、感激して涙が流れるほど、素晴らしい世界に
すでに存在しているという事です。






⑥自分は生きているという事を知る
どんな人も、自己中な思考をもって生まれてくるので
自己の欲望を阻害する存在を、自分にとって都合の良い存在に変えようとするか
もしくは悪として、排除しようとしてしまいます。
即ち、無意識に自分以外の存在に注目している為に
自分が今、生きているという実感を得ようとしないのです。

この点は、瞑想の呼吸法によりなんとなく生きているんだと
思えるようになるでしょうが
自分が今生きている事を実感すると、生きる為に必要不可欠なモノがある事を知ります。
その必要なモノは、全てこの世界から得ているモノであり
そして、それを知る事で、この世の全てが自分に必要不可欠なモノだと理解できます。

そして、その事実に深く感謝できるでしょう。

この世界に感謝すると、この世界に報いたいという感情が込み上げてきます。
そして、その瞬間から言動がガラっと変わり「生きる」という事は
こういう事だったんだと思えるようになるでしょう。

逆を言えば、この世界に報いたいと言う感情がなく行動できない人は
自分が今生きている事すら実感できていないという事になります。






まだまだ色々あるのですが
これらの学びが、私を大きく変えたきっかけであり
学ぶにつれ、瞑想時の深さが移り変わって行きました。

私の場合は、たまたま普通じゃない
先祖からの経験値を背負い生まれてきたために
普通じゃない生き方をするしかなく
そのおかげで、たまたま知り得た事だと思っています。

私が霊障なく過ごす事ができていれば
恐らく今頃は煩悩まみれで過ごしていると思います。
ちょっと、憧れているのも事実です。w

結局は、全ての人が平等なんです。
格差があるのは、快楽を満たす事が出来るか否かであって
快楽をいくら満たしても、幸せになれないので
「幸せ」という基準で人生を見れば
全ての人が100%平等に生まれてきています。

私は、格差社会において、底辺にいる人の方が
幸せに近い位置にいると思っています。
問題は、本人が、それに気付けるかどうかですが・・





瞑想は自分の感情を一時的にリセットする訓練になるので
呼吸を整える事は、習慣にした方がいいと思います。
イライラしていても、深呼吸すると一旦、落ち着くでしょ?



私が、昔から私の所に修行に来る連中に言い続けている事は
一番の修行は、朝起きてから寝るまでの生活であり
人生においてのヒントは、毎日の出来事の中にある

という事です。

瞑想を極めたいのであれば、毎日の生活の中に
無限の答えが存在している事を忘れない事だと私はそう思っています。


別に私は、自分で瞑想を極めた!と思っていませんし
この先の人生で、瞑想を極めたいとも思いませんが
ただ、瞑想は私の中で習慣になっていて
していないと落ち着かないものになっています。
修行も同じで、やっていないと自分を見失ってしまうのです。

まだまだ、心を磨き足りないという事でしょうね。
でも、その過程がとても楽しいのです。



昔の私は、強力な霊に取り憑かれて死ぬ思いをしながら
心の中でワクワクしていました。w
当時の私にとって唯一自分の怒りを向けられる矛先であり
切磋琢磨できる相手だったのです。
取り憑かれる度に、「ファイト!カ~ン!」と
ゴングが心の中で鳴ってしました。
心霊スポットに赴いて瞑想したのも
自分に強力な霊を取り憑かせる為でしたしね。w


もう物理的に霊に憑かれない身体になってしまいましたが
今思えば、なんだかんだと心身ともに辛く苦しい現実を楽しんでいたと思います。


なので、瞑想も楽しむ事がいいでしょうね。
自然の法則を紐解く事も、楽しい事だと思います。
知れば知るほど、深い瞑想が出来るようになりますし
なにより、自分自身が成長している事を実感できます。


また、瞑想法や呼吸法の仕方のみでなく
日々の生活の中にたくさんのヒントがある事を
忘れないようにした方がいいかもしれません。