修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

児童虐待について・・・

児童虐待についてリクエストを頂いたので
私なりの考え方を記してみたいと思います。
あくまでも普通ではない視点での解釈なので
何卒ご容赦ください。^^;)




まず、大前提として・・
この世は人の負の感情が生み出すエネルギーが
人々に対して様々な苦悩を創り出している。
と、私はそう感じています。
不幸の多い人は、それなりのエネルギーを纏っているわけです。

自分の周りをよくよく見渡すと
怒ってばかりいる人
いつも不平不満、否定批判ばかり口にしている人に限って
色々な嫌な出来事が起こっているはずです。

しかし、誰しも怒ったりムカついたりするもので
その感情を無くす事は出来ないのですが
感謝する『ありがとう』という思いや
反省する『ごめんなさい』という思いが生み出すエネルギーが
人の負の感情から創り出されるエネルギーを相殺して行きます。

いっぱい怒ってムカついても
いっぱい感謝して、いっぱい反省する事ができれば
そうそう嫌な出来事は起きないものです。




我々が過ごす日本の社会は
どんどんと豊かになり
色々と便利になり続けています。

生活が豊かになればなるほど
人の感情から感謝の気持ちが薄れ続けるのが
この世の流れのようなものでしょうね。

今日の食事に困っていれば
食事できるだけで感謝できるのですが
いつでも、食べるものが手に入る時代に
食事ができる事に対して心深く感謝する事など
なかなか出来ないでしょう。


ようするに今の社会は
物質的に豊かになり続けている反面で
負の感情が生み出すエネルギーが
増え続け、辛く苦しい出来事が
同時に増え続けている・・と言う事になります。

この恵まれた社会で
感謝しようとしても、なかなか難しい~
だって、当り前のように恵まれているんですからね。

だから、大自然は強制的に
感謝させようと、辛く苦しい出来事引き起こして
バランスを保とうとするわけです。


児童虐待事件が増え続けているのも
負のエネルギーが増え続けてきる事も原因の一つでしょう。
精神病や癌、認知症などを患う人が増え続けるのも
同じような出来事の一つだと思っています。

辛く苦しい事が起きると
今までの平穏に感謝できますからね~





そんな背景がある中で質問を頂きました。

”自分自身の過去からの言動の積み重ねが
目前の現実を創っているのであれば
幼い子供が辛く苦しい思いをするのはどうしてでしょう?”

と・・
この質問はとてもよく頂くので
私なりの回答を記しておきます。



まず、幼い子供は両親の影響を強く受けており
言うなれば、幼い子供の現実は両親の現実であって
子供の自身の現実ではないと思った方が良いかもしれません。

幼い子供は目前の現実に強い影響を与えるほど
経験を積んでいませんしね。
ただ、感情の起伏はあるので
それらの影響を受ける事はあるでしょう。


だいたい12歳くらいまでは
両親の影響をモロに受けています。
両親の今までの言動の積み重ねが
我が子の現実となって現れるわけです。

子供がケガをした・・
病気になった・・
いじめられた・・
その度に、両親自身が自分を振り返り
自己改善すれば良いのです。
それが、出来れば我が子は辛い思いをしなくなるわけです。


中学生頃からそれまでの経験値が
現実に影響を与え始めます。
なので、幼い頃の教育が我が子の未来に
強い影響を与えるのかもしれません。


よく障害をもって生まれた子供はどうなんだ?
と、言われる事がありますが
過去に障害を持った子供の相談を受けてきた限りでは
本人は、自分が不幸だなどと思っていませんでした。
要するに、不幸なのは両親の方なのです。


では、虐待を受ける子供はどうなんだろうか?

私自身、893な父親に常々暴力を振るわれていました。
ボコボコに殴られ蹴られ、畳が血で汚れるからという理由で
殴る蹴るを止める・・・
そんな事を繰り返しているうちに
素っ裸にされ庭に引きずり出され
真冬にホースで水をかけられながら木刀で叩かれる・・
血を洗い流す為に、ホースで水をかけられるわけです。
また、殴ると自分の手が痛いから木刀を使う・・
そう言った理由からです。

今の時代なら、100%刑務所行きの犯罪行為ですが
昔は、教育的指導で通用しましたから
動けなくなるほど、ボコボコにされていました。w

父親に殴られる時は
足音がうるさい。声が気に障る・・
また、私は父親の言う事を聞かなかった時や
父親に言い訳したり反抗した時でした。

ただ、親の言う事は絶対でしたし
悪いのは自分だといつも思っていましたね~
暴力を振るう父親は、怖かったですし
痛いのはとても、嫌だったのですが
怨んでも憎んでもいませんでした。

子供なので善悪の判断も出来ませんし
常に両親の言う事が正しいわけです。
親に捨てられる方が恐怖でしたし
例え父親に自分が殴り殺されてもです。
『ごめんなさい!ゆるしてください!』
そんな気持ちでいっぱいなのです。

暴力をふるう父でしたが
親なので優しい一面もあるのです。
子供の頃のそんな記憶は、一生ものなんですよね~


中学生頃から、色々と
自分で考える事が出来るようになるので
私の場合は、殴られる前に家出しました。w
学校にも行かず、不登校児だったのですが
昼間フラフラしていると
警察に補導され捕まるので
結局ボコボコにされるんですけどね~
そう言えば、当時は警官の目の前で殴られても
あの頃は、犯罪じゃなかったですね。


こんな家庭を第三者の目で見れば
家庭環境が悪いから
息子がグレたんだと思うでしょうが
私自身は、自分の性格に問題があると自覚していました。
まぁ~こんな体質なので、社会の枠に
どうしてもハマらなかったのもありますけどね。

そんな風に思っていたので
自分の事を親のせいにされる事が
とても気に入らなかった・・w
私の素行が悪い事で親を責める教師には
教育放棄だと思ってましたし
私をかばって親を責める
教師や警察にも殴りかかっていましたね~
親のせいにされるのが、なぜか?とっても嫌だったんです。
すぐに殴りかかる所は、同じ血が流れてるからでしょう。^^;)


先日ニュースで小4児虐待事件の
児童相談所の会見を見ましたが
児童相談書の方が酷く責めらる質問ばかりで
とても気の毒に思いました。^^;)



自分の幼少時代に置き換えて考えてみると
まず、児童相談書の言う事を聞く時点でアウトなんです。
父親は絶対的君主ですから
児童相談書に保護される=親を裏切った子供
なので、私にとって、児童相談書に
保護される事はとても恐ろしい事です。
自分が警察に逮捕された方がましです。
保護された後で、言われるがまま自宅に帰されたら
どうして、そんな奴の言う事を聞くんだ!と
ボコボコ確定なので
保護された状態=恐怖でいっぱい、だったでしょう。
戻ったら殺されるかも?と思ったでしょうね。
私なら、恐らく保護されても逃げ出して自宅に帰り
父親に褒めてくれ!くらいに言ったでしょう。
そうしないとマジで殺されかねませんからね。

なかなか理解できないかもしれませんが
幼少時代の私にとって両親は、生きる糧なんです。
衣食住を与えてくれる存在なので
絶対に裏切れないわけです。
児童相談書に保護される事を受け入れれば
『家族』という国を裏切った裏切者なので
死刑確定なんです。
解りやすく言えば
北朝鮮の国民が、日本に亡命し
一度、受け入れてから
北朝鮮に戻されるようなものです。

まぁ~私の場合ですけど。




酷い暴力を振るう親を持つ子供の気持ちは
色々なのかもしれません。
みんながみんな、私と同じだとは思っていませんが
父方と母方のどちらの血を多く受け継いでいるか?でも
受け止め方は違うでしょう。

私には、兄がいますが
兄は理不尽な父の命令を素直に聞いて
殴られる事は、あまりありませんした。
兄だから弟に見本を見せないといけないと
教育されていたのもあるでしょうが
そもそも私とは性格が全く違うのです。

ただ、父の言う事を聞いていた兄は
父を嫌っていましたね。
父が亡くなって、ホッとしてる感じがしました。

逆に、いつもボコボコにされていた
私は、父を嫌いだと思う事はありませんでした。
キレると暴れる迷惑な父親というだけです。
兄が父を嫌っていたので少年時代から
両親の面倒を見るのは自分だと思ってましたしね。

児童虐待という問題は、血族の経験値が大きく左右されるので
簡単に解決できる問題ではないでしょうが
ハッキリ言えるのは、幼少の頃、虐待を受ける子供は
暴力を振るう親を憎んだりする判断力がないと言う事です。

『親の暴力から子供を保護する事が良い事』
と言う安易な気持ちで
暴力を振るう親から子供を保護する行為は
今回の事件のように、子供の死に繋がると
私は、そう思っています。

まぁ~自分に当てはめての考え方に過ぎませんが。







では、虐待する親側は、どうなんだろうか?

私の父は、私にしたように
絶対君主の父親に育てられ
反発すれば、同じように暴力を振るわれて育ったと
母から聞きました。
私と違い父は祖父を憎んでいると言ってうたようですが
父が亡くなった後、自分の骨を祖父の墓に入れてくれと
私の枕元に立ってお願いされました。
父は、実家から絶縁状態でしたからね~
・・まぁ~メチャクチャな人だったのでw
結局、父は何だかんだと強がっていても
寂しかったんだなぁ~と思いましたね。



父も私も先祖代々の経験値が
血に刻まれて受け継がれてきたのでしょう。

私は、私の代で終わらせようと必死だったので
同じ事は繰り返しませんでしたが
血族の誰かが、繰り返しているかも?しれません。


私も父の血が濃いので
少年時代は、暴力事件ばかり起こしていました。
自分の視界を遮っただけで
その相手に殴りかかっていましたね~^^;)
理屈じゃないんです。
いけない事だと解っていても
勝手に身体が動くんです。
いくら我慢しても血がフツフツと沸騰する感じで
我を忘れて爆発してしまうのです。
キレるツボは、色々でしたけどね~

まぁ~徳がないだけなのですが
そんな事だれも教えてくれないので
ただのキチガイでしたね~^^;)






文頭に記したように
今の時代、負のエネルギーが充満している時代なので
現代社会は、自分の負の感情に拍車がかかりやすい時代でしょうね。
ストレスが溜りやすいので、わがまま放題の我が子に対し
無意識に暴力を振るってしまう人も増え続けると思っています。


私の知人で、我が子に暴力を振るってしまう人に
『大丈夫だよ』って言ってあげたいと、そんな事を言っている人がいます。
その方は、15年務めた大企業を辞めて
保育士の資格をとり、現在、市の保育園で働いています。
『子供を育てる親の力になりたい!』
という動機だそうです。

それまでの過程の話しをお伺いすると
産後は、産休扱いで仕事を休み
会社に復帰後は、子供がいるので夕方5時で帰宅する・・
仕事も中途半端、家事も中途半端、育児も中途半端で
そんな自分が情けなくストレスがピークに達し
気付けは我が子に手を挙げるようになってしまったと
そんな事をおっしゃっていました。

仕事を辞めようとしても
夫に家を建てる頭金が出来るまで我慢してくれと頼まれ
我慢し続けたそうです。
結局、我慢し続け、気が狂いそうになり
離婚して、現在は保母さんをしています。
今でも、小さな我が子といつも一緒に入れなかった事が
トラウマになっているそうです。

その方がおっしゃるには
『子供はいつも親を許してくれる』だそうです。
言う事を聞かない我が子に酷い事を言い、手をあげて
酷く自己嫌悪に陥り、次の日『ごめんね』と謝ると
必ず『いいよ!』とゆるしてくれる・・
社会では犯罪でも、子供は必ず許してくれる・・と。

だから、我が子に暴力を振るって
何度でもやり直せるから『大丈夫だよ』と
言ってあげたいんだそうです。




話しがちょっと反れてしまいましたが
児童虐待に限らず、社会で起き続けている
様々な辛く苦しい出来事を無くすには
『悪』を生み出す事を減らす必要があると感じています。
多くを『ゆるし』そのゆるしを糧にして行く事ができれば
自らの心は成長し、目前の現実も移り変わるはずです。

だって、ゆるす事を学ぶ為にゆるせない出来事が起きますしね。

度々起きる児童虐待の事件も
物事を深く考え、ゆるす事を学ぶ為に起きており
物事の判断を善悪で終わらせないように!というメッセージなのかも?しれませんね。


辛いにユースを見聞きするだけで
自分も悲しくなりますし
なかなか難しい事ですけどね。^^;)

クンダリーニ症候群の治し方/対処法(霊障として解釈してみる。)

巷では、ヨガスタジオなるものを
頻繁に見かけるようになり・・・
それに伴って、クンダリーニ症候群の相談が増えてきましたので
それについて記しておきます。

まず先立って、私はヨガの素人と言う事をご理解下さい。w
プロの方々からすれば、『コイツ何言ってんだ!怒!』
と、なる内容のような気がしています・^^;)
でも、ヨガの素人の私に、ヨガの先生からも相談があるで
私個人の視点で記したいと思います。
ご容赦下さい~







私も昔、ヨガを学んだ事はあるんですけどね~

私の場合、実際にエネルギーを感じる取る事ができるので
(ヨガを学んでいる過程で)チャクラの説明を受けた内容と
実際に見て感じ取れるエネルギーと
辻褄が合わないので、なかなか納得できませんでした。
(私個人の問題なんですけど・・^^;)

例えば『第1チャクラのクンダリーニは生命エネルギーです。』
と、説明を受けても
何をもって生命エネルギーとするのか?
と、思ってしまいますし
体内どころか、身外の周りにも感じるし
もっと言えば、道端やそこら中に同質のエネルギーを感じるんです。
確かに性器のあたりは濃度が濃いですが
ただ、それだけに過ぎない・・・
別にその場所を元にしているようには感じない・・
私にっとっては、当り前のように何処にでも
存在するエネルギーを覚醒させるって何よ??
って、なってしまうわけです。
ただ単に、生命エネルギーをキャッチできていないだけ?
とも思ってしばらく続けてみたのですが
ダメでしたね~^^;)


怪しいカウンセリングボランティアなどを
長年していると、ヨガ教室の先生と言われる方からも相談もあります。
ヨガマスターと呼ばれて、弟子がたくさん居る方から
難病の相談を受けたり
インド政府認定のヨガマスターを取得している有名な先生から
癌の相談を受けた事もあります。
そんな体験を経て、私が求めているヨガとは違うのでは?
と思うようになり続きませんでした。^^;)


私の場合、性格が屈折しているせいか?
陰陽五行でさえ、納得できないので
何をやってもこうなってしまい
結果として、ひとりで修行し続けているわけです。^^;)
で、瞑想も結局は我流で続けています。


私は身体が固いのでヨガのポーズは上手くできませんが^^;)
瞑想も長年やっていると
大自然と一体感を得られるようになりました。
その体験から自分自身の心の成長がなければ
深い瞑想は出来ないのだと思うようになったのです。

私が一体感を得られるようになったのは
『ゆるす心』を学んでからです。
仮に、私の大切な家族を惨殺されたとします。
私は、その犯人をゆるす事ができます。
ゆるせる理由は、そんな事件が起きる仕組みを知ったからです。
嫌な事、辛く苦しい事、それらが起きる仕組みを知れば
だれでも、わたしと同じように思えるはずです。

瞑想による大宇宙との一体感というのも
心の成長と共に、得られるモノのはずで
それこそ『愛と慈悲』をどこまで深く理解できるか?
によるものなので、心の成長を伴わない修行で
身に付くものだとは思えませんし
心の成長は、修行より普段の生活態度の方が重要だと思います。
修行はあくまでも、至らない己を知る為に行うものなのでしょうね。

そんな大自然の法則があるのだと
私は身をもって体験する事で、そう思うようになりました。



私が勝手にそう思っているだけですが
怒りや否定批判の感情が日々生み出されている以上
自分自身を覚醒させる事などありえない・・
いや、そんな事が起きる仕組みなどこの世にない・・
と、そう思っています。


前回のエントリーにも記しましたが
結局は、私たち人間の基本概念に囚われている以上
自らを覚醒させるなんて所詮は無理なのでしょう。



私はエネルギーフェチなので
長年、色々なエネルギーを観察し続けてきました。
結局は、この世に存在しているモノは全て繋がっているようなので
どれだけ広い視野で物事を解釈できるか?だけのような気がしてます。

ただ、自分の身近な生活に一番大きな影響を与えているのは
自分の感情が生み出すエネルギーで
目前の現実をどう受け止め、どう感じているかで
誰しも、未来はとても大きく変わると思います。







で、前置きが長くなりましたが
クンダリーニ症候群・・・

まず、一般に言われているクンダリーニ症候群ですが
相談者を霊視すると、ただの霊障としか思えませんでした。
まぁ~私がクンダリーニ症候群というモノを良く知らないというか
クンダリーニって何?って感じなんでね~^^;)

なので、ここでは
クンダリーニ症候群=ただの霊障として説明してみます。





この症状は、普段から怒りや、否定批判
不平不満の感情が多い人に限って起こります。

また、ヨガもそうですがヒーリングやレイキや気功などを
スピ系の行為をしていても起きやすい現象だと思います。


原理は、誰でも五感以外の感覚を使い続けると
五感で感じられない存在と繋がりやすくなり
何処にでも存在する負のエネルギーと同調し
体内に取り込んでしまう為
体内のエネルギーバランスを崩してしまう状態です。

その結果、体内や頭の中をぐちゃぐちゃにされた感覚になったり
嘔吐、頭痛、痺れ、高温の発熱、神経の痛みなどの体調不良を引き起こします。
幻覚や幻聴もあるでしょうし、眠る事もままならない・・

高熱を出して神様を見た!という人もいたり
神々しい世界を見せられる人もいるのではないでしょうか?

病院に行けば、原因不明と言われるので
摩訶不思議な現象だと思いがちですが
ただの霊障なので、不思議な力に目覚める前触れだ!
なんて思わない方が良いでしょう。
ただ単に、自分の不徳が多いのだと思った方が
この先の未来の人生は明るいモノになると思います。


これと同じ現象は、滝行でもよく起きます。
しっかりとした先達エネルギーコントロールをしてもらわずに
いきなり滝に打たれれば、似たような体験をする人もいるでしょう。
まぁ~不徳が多く業が深い人は、先達しても無理なので
似たような体験をした事がある人もいるのではないでしょうか?



ヨガの場合は、クンダリーニを覚醒しようと
股関節辺りに、集中しながら、視覚や聴覚を遮断するので
股間あたりに霊の通り道を作ってしまう事があります。
思う、考える、イメージする・・
これらの行為は、強いエネルギーを創り出しており
意識を向けている場所に放出し強い影響を与えています。
思いのエネルギーは呪術などにも利用されていますし
宗教的な祈りという行為にも利用されています。
生霊と呼ばれる存在も同じ仕組みで生まれます。


人体は、常に大地とエネルギー交換(呼吸)をしています。
座る行為は、股間を大地に向けているので
股間の辺りは特に霊道が作りやすい場所です。
体内のエネルギーを体外に放出する排泄も
股間あたりからするので、外部のエネルギーを取り込みやすい場所なんです。
実際に封魔という術式をかける場合は
魔が入り込まないように肛門にぎゅっと力を入れてから行います。
それくらい股間は、霊的影響を受けやすい場所なのです。
肛門→脳→全身、という流れの気の道もありますし
肛門や性器近辺にはツボもいっぱいあります。
まぁ~大地と接する場所なんで、当然なんですが。


また、背骨は神経が集中している場所で
人の脳と太く繋がっているので、股間から入り込む邪気は
一気に脳まで届きます。
どちらかと言えば、気の道とでも言うのでしょうか?
経絡とか腺とか呼ばれているようなモノが太く繋がっているので
(この辺は、説明すると長くなるので、神経と言う表現にしておきます。)
そこを伝って上がってくるわけです。

負の感情が生み出す邪気や穢れは蛇の姿になりやすいので
蛇が背骨を伝って上がってくる感覚になる人もいるでしょうね。
脳に邪気が入り込むと、なんとも表現しがたい頭痛に襲われますし
脳波が乱れれば、人体はまともに動かないのは当たり前ですし
神経が集中している背骨は全身に強い影響を与えるはずです。

毎日、目隠しと耳栓をして、第一チャクラと呼ばれている場所に
集中しながら1時間くらい過ごす事を続ければ
怒りや否定批判の感情の多い人は、だれでも体験できると思います。
自分は気が短いほうだと思う人は、簡単に体験できると思います。


おそらく、自分自身の過去の言動に伴って
人それぞれ起きる現象が若干違うと思うのです。
持っているエネルギーは人それぞれ違うので
苦痛の種類も人それぞれのはずです。

正直、自分自身で引き起こす霊障
パターンを調査したみたいんですよね~
どんな感情の蓄積がどんなタイプの霊障を引き起こすのか?
興味津々です!(☆_-)







で、クンダリーニ症候群の治し方は
霊障の治し方と同じなので
こちらをご覧ください。

自分で除霊する方法(霊的苦痛を根本から解決する!) - 修行バカの懺悔道


実際にこの方法で、良くなってきたという
おっしゃっている方もいるので
試してみる価値はあるのではないでしょうか?


相談を頂いた方の中には
『”クンダリーニ症候群は、クンダリーニが覚醒しようとしているので
しばらくは辛抱しなさい”と、言われたのですが、どうしてもそうは思えないのです。』
と言われる方もいましたので
そう思えない方の為に、私の持論をば記しておきます。



まず最初に、私はクンダリーニの覚醒なるものを
よく理解していない事を前置きしておきます。w
その上で、お読みください。





強烈な霊障をいきなり引き起こすと
2~3ヶ月、普通に生活する事ができなくなる事があります。
いきなり厳しい修行をすると
同じような状態になる人が稀にいるので
私は、ヨガに限っての現象ではないと思っています。

また、一度その状態になると
ちょっとした事で体調不良を引き起こしてしまう
体質になる事が多々あります。
病院に行っても治らないので
摩訶不思議な現象だと思ってしまいがちですが
ただ単に、現代医学には
感情や心が生み出すエネルギーを
測定する手段がないだけなので
摩訶不思議でも、神秘的な現象でもないと思います。


強烈な霊的苦痛が一度起きると
人体の何処かに霊道を作っているので
その為、強烈な霊的苦痛が治まっても
霊感なるものが身に付いてしまうでしょう。

霊感が鋭くなると
人の感情を読み取る感覚が身に付いてしまいますが
他人の感情と同調しやすくもなります。

辛く悲しい思いをしている人と同調すれば下痢になったり
怒っている人と同調すれば、頭痛がしたり
と、頻繁に体調不良を引き起こす原因にもなります。


そして、同調自体は、
自分自身が持っているエネルギーと同調しているので
同じ一面を自分が持っている事を理解し
その部分を省みると良いでしょう。

例えば、だれかを憎んでいれば
恨みを持つ霊体と同調し、高熱に魘されたりするので
人を憎んでいないか?を振り返り
ゆるす事を学ぶ必要があると教えてもらっていると言う事です。

幻覚や幻聴に悩まされる人もしますし
神々しく表れて神を名乗る存在から
言葉を告げられる事もあると思います。

自分がそんな体験に憧れていれば
そんなエネルギーを放出しているので
自分のエネルギーがそんな存在を生み出してしまう事もあるでしょう。
ファンタジーな世界が大好きな人に
起きやすい現象なので、ご注意を。


自分自身を省みる事を怠ると
憑依現象に悩まされる事になります。
何かに憑依されて自殺してしまうって事も
無きにしも非ずです。






霊感が強くなると
摩訶不思議現象と思ってしまう出来事が多々起こるでしょう。
すごい!神秘的現象!と自分は覚醒したんだ!己惚れると
後々痛い思いをしまいすし
家族や知人に多大なる迷惑をかけるので
特に快楽が満たされるような出来事は疑うべきだと思います。
どんな出来事が起きても
全てをゆるせるようになるまで、自重する事です。

大自然は、慈愛の心を学ばせようと出来事を引き起こすので
全てをゆるせるようになるまで
そうそう神がかった事は起きないと思っています。

私自身、大金が舞い込んでくるような事が多々ありましたが
その代償は、半端ないものでした・・・^^;)

また、常に自分のエネルギーは
全方向に放っているので
自分だけの世界しか観えていない事を理解する事が大切だと思います。
自分の価値観を他人に当てはめて判断している間は
嘘偽りを沢山魅せられます。
まぁ~魅せられると言うよりは
自分で創り出しているんですけどね。w



あとは、霊感が強いと言う事は
多くの人に常日頃から迷惑をかけてしまう事を自負してください。

ぞろぞろと霊体を連れてきやすくなりますしね~
他人の感情と同調しやすくなると言う事は
霊的存在と同調しやすくなると言う事なので
そんな存在を身に纏いやすくなるのです。
また、自分自身のエネルギーは常に
全方向に放出されているので
自分で自分を知る事がなかなかできない為
その事実にも簡単に気づけない事を
自覚していた方が良いでしょう。


人ゴミにいれば、しんどいし
邪気や穢れの多い場所に行けば
具合が悪くなるので、集団行動すれば
間違いなく、周りに迷惑をかけてしまうのです。

まぁ~往々にして
私のように自分勝手な人が霊感が強いのでw
他人に迷惑をかけている事すら自覚なく
『具合悪いんだから仕方ないじゃん!』
くらいに思って終わりなのですが
そもそも、他人の気持ちを理解しようとしないから
具合が悪くなっているので
それで終わらせてしまうのは本末転倒な事なんです。

霊感が強いまま何年も過ごすと解ると思うのですが
徳の高い人の近くにいるだけで
癒されますし、自分が纏う邪気が離れて行きます。

ただ、残念ながら
自分の邪気が多い間は
同等の人たちとの縁が多く
人間関係に悩まされたりします。


己を磨く事を怠ると
同じ類の人たちと傷を舐め合うか
人恋しいのに、孤独を楽しむしかなくなるでしょうね。
霊感のない人たちを理解する事をせず
自分の体質を理解して欲しいという
身勝手な思いが、そうさせてしまう事もあるでしょう。


霊感を無くす方法は
霊的感覚を無視し続け
五感のみで生活する事を心がければ
次第に治まる事もあります。
また、スピリチュアル的な事以外で
何か楽しみを見つけ
その事に集中するようにするのも良いでしょう。

五感の世界でしっかり過ごすようにすれば
自然に治まる事もあると思います。

逆に、霊感をもっともっと発達させたいと
思ってスピリチュアル行為にどっぷりハマれば
元に戻す事ができなくなります。
私のように霊感を無くす為に修行を積んでも
全身が霊道のようになってしまうので、ご注意ください。^^;)


ただ、霊障はある意味
心を磨く基準となりますので
しんどいですが、役に立つとは思います。
まぁ~そんなモノに頼らず徳を積めるようになるのが
理想ですけどね~w


霊的苦痛は、自分の心が幼い状態のみ起こるので
霊感がいくら強くても
己を磨き続ければ、霊的苦痛は消えてなくなります。

霊感が強いから、辛く苦しいのではなく
己の心が幼いから、霊的苦痛があると
そう思っていれば、間違いいなく自己の成長に役立つと思います。



この世に悪は存在せず
悪は自分が創り出す物なので
クンダリニーに症候群と言われる苦痛も
己を磨くために起きていると
捉えてみれば、自分に活かせると思います。

個人的には、自己の覚醒の前触れとして
終われせているよりは、良いと思っています。

まぁ~病気もそうですし
どんな苦悩も同じなんですけどね。



ではでは~

そもそも、私たちの世界は、私たちの概念で回っていると勘違いするから、色々と空回りするのではないだろうか?

私たちは、知らず知らずのうちに
固定概念のようなモノを植え付けられていて
知らず知らずのうちに、その概念に基づいて
物事を判断しているような・・・・
そんな気がしています。



私は、長年カウンセリング(という名の心霊相談)の
ボランティアをしているのですが
はじめた当初は、どうしても私の話がオカルトチックになりがちで
なかなか話が通じず、悩んだ時期がありました。

誰しも思考と心はまったく別もので
自分の本心を伏せているので
心を観て話しても、伝わらない事が多いのです。
伝わらないと言うか、認めたくないんでしょうけどね。
私もそんな時期がありましたし
まだまだ、そんな気持ちもどこかにあるはずなので
その事については、とてもよく理解できます。

とは言え、どんな現実も
心が生み出すエネルギーが創り出しているので
自己の心を直視しなければ
目前の現実は改善されないので
ほとほと困り果ててしまい
心理学の本を読み漁ったりしましたね~
セミナーや勉強会に参加した事もありました。

それらは色々と勉強にはなりましたし
学んでみて良かったとも思います。

ただ、私が求めていたモノとは
ちょっと違いましたけど。^^;)

まぁ~私がおかしいのは自覚しているので
仕方ないんですけどね。w







勉強をして行く上でちょっと自己嫌悪に陥った事があります。w

よく自己啓発などのセミナーで行われているようですが
他人と自分の違いを理解する為に行う手法を学んでいた時の事です。

「あなたの大切にしている思いを3つ選んでください」
と用紙を渡され、それを見て、自分に合った内容を3つ選択して
他人と比較し、自分とに違いをディスカッションンするというものです。
やった事がある人も多いのではないでしょうか?

書いてある内容は
正直
思いやり
楽しみ
親切
勇気
努力
共感
お金
行動力
自信


などなど
ずらっと150くらいの単語が記されていました。


当時の私は、自分が選択する言葉が一つもなかった事に愕然としました。
かなりショックを受けましたね~^^;)

自分の感覚は一般とズレズレなんだと
認識し、そこから改善しなければ!
くらいに思ったのですが
よくよく考えれば
「人の苦悩がない事は良い事」という
大前提の中で、誰しもが物事を捉えている事に気づいたのです。


占星術などを学んだ時もそう思いました。
苦悩が無くなる事が良い事とする大前提で占い
占星術や風水なども
良い事=煩悩を満たす事
悪い事=苦悩・苦痛
とした上での話ばかりなのです。


当然、何を学んでもしっくりくるわけもなく
殆どが、中途半端に学んで終わりでした。
とは言え、学んだ事が無駄だとは思ってませんし
とても、勉強になったとも思っています。


ただ、私の思考がちょっとズレているんでしょう。^^)
ちなみに、私が150の言葉から選びたかったのは
「苦悩」「絶望」「堕落」というような言葉です。
「怒り」「憎しみ」とかでもいいですけどね。

なぜ?これらの思いや感情を大切にしているか?というと
それらを直視し、深く理解しようと努力した結果
私の場合、人生でかけがえのないモノを学ぶ事が出来たからです。


私たちは、自然界に生を受け
自然界の中で日々を過ごしているわけです。
そして、人の苦悩も自然現象の一つであれば
その意味を知る事ができなければ
自然界で生活する上で、どうしても物事が空回りするはずなんです。

苦悩を無くしたいのであれば
その意味を知る事が大切なのですが
我々の社会では苦悩=悪い事とし
排除の対象となっているので
永遠に苦悩の呪縛から逃れられないわけです。





占術を学んでいる時に思ったのですが
「来年は、禍が多い年なので、東北の吉報に出向くようにしなさい」
なんて言われたとします。
仮に、東北の吉報に出向くようにして
何事もなく一年を過ごす事が出来れば
それはそれで良い事・・とするのが、一般的でしょう。

私の場合、何故?禍が多いのか?
そして、その禍から何を学ぶ必要があるのか?の方が気になるわけです。
禍を人為的に排除してしまえば
更なる大きな、禍を引き起こしてしまうのが大自然の法則だと
そう思っていますし、それは、それで嫌なんです。w

自分自身の不徳の致す所で、降りかかる苦悩は
仕方がないと思うのですが
禍から逃げた結果、更に苦しむなんて最低だ!と
そう思ってしまうわけです。

そもそも、苦悩がなければ我々は進化成長できないので
それを排除する事は、自らの成長を止めている事になる・・・
私にとっては、そんな人生は、最悪なんです。

では、毎月絶望を感じるような出来事が起きてもいいのか!
くらいに、言われるのですがw
仮に、そんな出来事が起きるのであれば
かなりの不徳を積んだ事になりますし
そこまで、不徳を積める人もいないと思うのです。
その現象に、ちょっと興味ありますけどねw

誰しも、一度でも絶望を味わえば
それなりに成長できるものなんです。
ちなみに、私の場合、2度ほど絶望を経験しているので
おかげさまで、結構タフな精神をしていると自負しております。w

まぁ~絶望と一緒に朽ち果てる人もいますけどね~
冷たいようですが、それはそれで、その人の選択であり
私自身が嫌だと感じるからと言うエゴで
その行為を否定するつもりはありません。


誰しも、辛くしんどいのは嫌ですよね~
私も、嫌は嫌なんですが、適度に嫌な事が起きないと不安になります。w
なんだかんだと順調に物事が進んでいる時に
自分自身を振り返ると、全く成長していない自分に気づけますしね~
もっともっと自分を高めて行きたい!と
そう思っているので、苦悩は必須なんです。w





「そんな風に思えない!辛いのは嫌だ!」
と、殆どの人にそんな事を言われるのですがw
私自身も、社会の常識で物事を判断している時はそう思っていました。

私の場合、社会の常識から脱することで
苦悩から解放されましたし
また、苦悩の意味を知ろうとする事で
大きく成長できたので
それらの体験・経験が今の価値観を創り出したのだと思います。


なので、似たような体験をしない限り
私と同じような考えにはならない事をよく理解しています。


でも、今目前の現実が空回りしているのであれば
我々の社会は、我々が物質的に満たされる為の仕組みばかりであり
我々の心が成長する事で満たされる仕組みで、創られては、いないと言う事です。
大自然は、我々の心を成長させようと、出来事を引き起こしているのにです。
しかも!我々は、大自然の法則の中で生活しているにのです。

私に言わせれば、心の病が蔓延するのも当然の事です。
ただ、そんな苦悩にも、色々な意味があるのでしょう。



昔、何かの経営セミナーに出席した時に
広い視野で物事を見なさい!という言葉を耳にした事があります。

当時は『広い視野ね~』くらいに思っていたのですが
自分の心の成長と共にどんどんと視野が広くなる
体験をして、広い視野ってこういう事かぁ~と思うようになり
今では、人の身勝手な常識という枠の中で回っているのが
人間社会というモノなんだ!と、思うようになったわけです。

お陰様で、色々と物事の捉え方が変わり
毎日を楽しく過ごせるようになりました。

逆を言えば、視野が狭いと、結構しんどい毎日になるんだな~
という事もよくわかりました。






何度も私のブログに記してきた事ですが
大自然の法則を、学べば色々と心が軽くなります。

だって、私たちの社会は、自然界の中にあるにもかかわらず
社会のルールは、自然界のルールを無視していますからね~

私たちの社会のルールはとても大切ですが
所詮は、我々のエゴで創らたルールなので
それはそれで踏まえた上で、大自然のルールを大切にしなければならない。
そうする事で目前の苦悩は、次第に消えてなくなって行くと
私は、そう確信しています。

そもそも、私たちが生活する世界は
人間社会を創り出す前から存在しており
その仕組みは、私たち社会のルールなど無関係で
私たちに働きかけているわけです。

そんな視点で物事を感じ取って行くと
理不尽な出来事など、どこにも存在せず
全ては、完璧な循環で回っているのだと
そう思えてならないのです。



時に、物事を見る視点を変えてみると
意外な発見があるかもしれません。^^)