修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

自分に都合の悪い事は見ようとしないのが人間である

私は、ガキの頃
大人の言葉と思いの違いに
ムカつき、腹が立ち
よくブチ切れていました。w
言っている事と思っている事が違うのが
ゆるせなかったのです。


正しいことをしなければいけないと
道徳を強要する大人が
道徳など上の空の言動を繰り返すので
自分が出来ない事を人に強要するな!
くらいに思ってました。

嘘つき!
卑怯だ!
ふざけるな!
ゆるせない!ゆるせない!

と、そんな怒りの感情を
ぶちまけて
よく暴れておりました。w

で、大人の言う事をきかない私はよく
殴られ蹴られとボコボコにされ
理不尽だ!と更に反抗する。
当然、そんなひねくれた子供なので
何か問題が起きると私のせいになる・・
そして、そのうち不登校になった。



当然、どんどんと性格が歪んで行き
大人が手に負えない少年に
成り下がって行ったのですが
そんな少年を受け入れてくれる
社会など何処にもなく
社会の枠から外れて
世の中の底辺で過ごすようになるわけです。

枠から外れた社会で過ごし
しばらくして大人になり
自分もそんな大人たちと同じだったと
気づかされるわけです。

自分に都合の悪い事は
知らんぷり・・
気づかないふり・・
見て見ぬふり・・
と・・
大人になっても最低な人間でした。

まだ、暴れまわっていた
少年時代の方が純粋だったなぁ~
なんて思いますね。

まぁ~今、同じ事を
やったら刑務所行きですがw






コロナ騒動の中で
ギリギリの生活をしている人
毎日の日払い給与で
子供を養っている人が
私が知っているだけでもたくさんいます。
生活保護を受けても税金の未払いや借金で
そのお金でさえ消えてしまう人もいる。
コロナ騒動で食費も
ままならなくなっており
キャッシングも出来ない人は
自粛後どうやって生活しているんだろう~
と、他人事ながら心配になってしまいます。



そんな中
自粛しない人を責め立てる事が出来るのは
やはり、常日頃から
自分に都合の悪い所を
見ないようにしている行動が
心身に染みついているからなんでしょうね。

コロナ自粛で窮地に追い込まれるのは
どんな人達だろう?と
軽く考えるだけで
誰しもが簡単に想像できる事だと
私はそう思うのですが
考えようとしない事で
気づかなかった、知らなかったで
済まそうとするのが人の性。
知らなければ罪じゃないという
人間ルールを有効活用する。

自然界では、そんなルールは
通用しないんですけどね~

そして、社会全体が
その事実と向き合う事はなく
皆が皆、知らんぷり・・

その理由は、至って簡単です。
自粛をやめれば
自分がコロナに感染してしまうかもしれない・・
無意識に、そんな思いが働いてしまい
自粛で生活できなくなる人達を
社会からいなかった事にする。

いや~見事な無視っぷりですよね。w


なので、私が子供の頃に観ていた感覚が
最近よく蘇るわけです。
そんなエネルギーが増えまくってますしね。

それが民主主義社会であり
何処まで行っても利己的に生きるのが
人間なんでしょう。

どれだけ綺麗な言葉を並べた所で
人間なんてそんな生き物なんです。




自分の思い通りにならない事に
腹を立て、怒り、責める・・
これが人間と言う生き物なので
自粛しない人を不謹慎狩りして
偽りの道徳を押し付ける・・

利己的な思考は
物事を自分都合でしか見ようとせず
自分以外の価値観を受け入れる事をしない。

だって、他人の目線で物事を見て
他人の価値観を受け入れてしまえば
自分の快楽は満たされなくなりますからね~

なので、利他的な思いで行動しない限り
極端に狭い視野でしか
物事を見る事が出来ない。
そして、視野が狭いので
やたら腹が立つ・・w


人間とは醜い心を隠しながら
キレイ事を並べまくる事で
自らを霊長類と自称し
地球の支配者となり過ごしている。
そんな偽りだらけの最低な生き物なのだと
私は、そう思ったりするのですが
それはそれで、仕方のない事でしょうし
この機会に、それが我々人間の真の姿だ
と知るべだと思うのです。

100人を救うためには
10人を犠牲にしなければならない。
それが、集団生活における
大自然の法則だと私はそう思っています。

そして、自分の人生は
その犠牲の上で成り立っている事を
私たちは知るべきでしょう。






そんな真の人間の姿を知る事で
多くを「ゆるす心」が芽生えるのです。
まぁ~私がそうだっただけですけど・・

真の優しさとは、「ゆるす」事でしょう。
自分が傷つきたくないから
他人を傷つけない事なんて
どう考えても優しさなんかじゃないと
私は、そう思っているんです。

困っている人に手を差し伸べるのが
人の正しい姿ならば
今、生きる事に困っている人に
手を差し伸べるべきでしょうが
実際の我々の社会では、そこを完全無視して
似非道徳の押し付けをしまくっている。
それが、人の正しい姿だと思うのです。

そして、軽々しくキレイ事を語り
嘘をつきまくるのも
我々人間の真の姿だという事です。


人が生み出すエネルギーに
嘘は付けないんですよね~

大自然は、我々の真の姿のエネルギーに
反応して、我々に現実を突きつけるわけなので
慈愛の心に反した、我々の真の姿に対して
様々な苦悩が与え続けるのも
致し方のない事でしょう。

まぁ~それはそれで
乗り越える度に感動が生まれるので
素晴らしい事だとも思います。


善悪に囚われてしまうと
自分自身の本当の姿を「悪」としてしまうので
気を付けた方がよいと思います。
我々のエゴ満載な心は
人であれば当たり前の事であり
しいて言えば、正しく、正常な姿なのです。


私は、この真の姿を認めて
受け入れる事が出来ない限り
どんな人も幸せになる事が
できないとそう思っています。

だって、自分を偽っていれば
偽りの幸せしか、得られませんからね~
真の幸せを手にするには
どうしても、真の自分の姿を
知る必要があるわけです。




社会に感染症のウイルスが拡散されてゆくと
人間の真の姿が露わになるようですね。
私が、普段見ている世界は
今のコロナ騒動のような状態なんです。

心で思っているだけでなく
言動に表れているので
ちょっとエネルギーが強いですけどね。










私が奉仕で関わっている企業は
もともと厳しい状況に追い込まれた為に
関わっている会社が多いので
このままコロナ自粛が状態が続くと
来月には、人件費が払えなくなる会社が
いくつもあります。

国や銀行に融資の申し込みをしても
報道されているような支援は受けられません。
借りたお金を返す為の嘘の返済計画書が
必要になるからです。
コロナの先行きが全く解らないのに
返済計画なんて立てられる人なんて
この世の中に存在しないでしょう。

なので、平気で嘘をつける人は借りられて
真面目な人は、借りる事ができません。

まぁ~今に始まった事ではないですけどね。




私には、この窮地を乗り越える為に
今できる事を粛々とやるお手伝いしか
できないのですが
それでも、やるべき事は沢山ある。
否が応でも新しい事に
チャレンジしなければならなくなり
そのチャレンジで新たな発見もある。
売上を追いかけられない状態は
経営における価値観を
大きく変えるきっかけにもなり
経営視点が「お金」から「社会」へと移り変わる。


また、自粛するとお客様が困るので
営業を続けている会社もあります。
周りからは、非難され
従業員の身内からも非難され
でも、お客様からは感謝される。

私は「スーパーだって
お客様が困るから営業しているのに
閉店する必要はないでしょ?」
と、自粛ムードを無視する提案をしました。

お客様の救済措置のみの営業は
大した売上にはならないので
お店的には、赤字が増えるだけですが
競合他店のお客様が流れてきて
自粛しない事に感謝される。
「お客の事をちゃんと考えてくれているお店」
と、認識される事で
コロナを怖がっていた従業員の士気も高まり
自分の事しか考えていなかったと
深く反省する従業員もいる。




これらの出来事は
自分に都合の悪い事を見ようとしていなかった
自分があったからこその気づきによる感動でしょう。


人間の本性は醜いものだと知っていれば
自分自身の改善すべき所を沢山見つけられます。
誰だって改善すべき所ばかりです!w
気づきを繰り返していると
来年の自分は、別人になっているでしょう~ね。
ちなみに私は母親から
「自分の子供じゃないみたい」と言われます。w

人間の本性を知り、受け入れる事が出来れば
どうしても、そこを改善したい!という欲求が生まれるのが
人間と言う生き物の性だと思います。
逆を言えば、自分を正当化している以上
成長できないのが人間なのでしょう。

従って、自分の本性を知る事が出来れば
日々、気づきによる感動を繰り返す事が出来るわけです。
それはそれは、素晴らしい毎日を過ごす事ができるでしょうね。