修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

社会において、嘘、偽り、誤魔化しは、なくてはならないものだが、その嘘、偽りが自分を壊してゆく・・・

私たちは、子供のころから嘘はダメだと教えられて育ちます。

私の場合、こんな体質なので
人の嘘が良くわかるのですが
そのおかげで、子供の頃から難儀な思いをしました・・・

要するに、嘘をつくなと教えた相手が
常日頃から嘘を言うのでムカつくわけです。w
学校の教師も、両親も・・・
全く信じる事が出来なくなっていましたね~

教師や両親を信用していないので
いう事を聞かない子供になるわけで・・
そんな子供は超問題児なわけです。

当然、しょっちゅう叱りつけられるわけですが
そんな言葉など届くわけもないのです。
だって、信用していないんですもの・・w

問題児に向かって面倒だと思うのは当然なんですが
そんな本心を隠して
お前の為だ!と叱りつける教師に向かって
よく暴言を吐いたものです。w

『面倒なら、面倒って言えよ!』
って反抗するのですが
人間って、本心を指摘されると
それを隠そうとして逆上するんですよね~
で、ボコボコに殴られるわけです。^^;)


学校で問題を起こせば
当然両親に伝わるわけで・・・
家に帰れば、893な親父に
再度ボコボコにされるわけです。

こんな事を繰り返すと
学校の教師は
『先生に言いつけてやるからな~!』
と、同じレベルで
私の両親に言いつけているような
感じに思えてくるわけです。w

大人なら子供か!とか思うのでしょうが
本人が子供なので
教師のくせに!とか思って
更に信用できなくなるわけです。

もう学校の授業でさえ
信用できなくなっているので
気付けば不登校児でした・・^^;)

良いウソ、悪いウソなんて事を言う人がいますが
それは、ウソを感じ取れない人に限って
通用する事であり
私の場合はウソはウソでしかなく
嘘=悪と教育されたままだったんです。




この状態は少年期を過ぎても続きました。

『嘘』というエネルギーを感じ取れる私は
自分が嘘を言うと確実にバレると思い込んでいたのですが
そうではない事に、なんとなく気づき始め
自分も嘘をつく事を憶えるのです。w

気付けば、嘘や偽り、誤魔化しの世界に
ドップリ浸かっていましたね~w
もう、こうなると真実なんでどうでもよくなるわけです。w

が、しかし!
嘘や偽りで固めた生活をすると
どんどんと自分が壊れて行きます・・・

何が真実なのか?わからないので
自己改善ができなくなってしまうのです。

気付けば、世界を否定していましたね~^^;)






まぁ~ここから脱する為に
色々と修行を重ねるわけですが
嘘や偽りや、誤魔化しは
相手を思いやる心を育む為に
必要不可欠なモノだと思うようになるわけです。


ようするに
煩悩を植え付けられた私たちが皆が皆
本心で向き合う事など初めからできないのです。







例えば、自宅に3人のお客様が来ました。
で、後で食べようと楽しみにしているショートケーキが3つあります。
茶菓子がないので
そのケーキをお客様に出す事にしました。

本心では、自分が食べたいので、仕方なく出すわけですが
『後で食べようと楽しみにしていたケーキだけど
茶菓子がないんで、我慢します!どうぞ!』
などと言われれば、出された方も
食べて良いものなのか?考えてしまいますよね。w

ここで、嘘が役に立つわけです。w
心は泣きながら、ニッコリ笑顔で
『ちょうど、貰い物のケーキがあったのでどうぞ!
貰い物ですみませんね~』
くらいに言っておけば、いいわけです。


こんな感じで、誰しもが常日頃から
嘘をつきながら生活をしているので
なかなか自分の本心を知る事ができなくなってしまいます。

ケーキを我慢してお客様に出す事は
お客様に気を使ったと取れますが
相手に不快な思いをさせたくないと言う
単なる自分のエゴだったりします。W

私がお客様なら、我慢しているのがわかるし
作り笑顔に対して困りますしね~w



まぁ~こんな感じで、嘘や誤魔化しを続けていると
真実が見えなくなってしまうわけですが
スムーズに物事を進む為には
嘘や偽り、誤魔化しを飲み込むしかないわけです。

そもそも自分の利益しか考えないもの同士が
本音で分かち合う事しか出来る世界など
どこにもないですしね~
一つしか存在しないモノを
二人同時に手に入れる事など
どうしたってできないわけですし。


ふっと我に返って周りを見渡すと
世の中は、嘘ばっかりだ!と言う事がわかります。w

そうです!嘘ばっかりなんです!w



嘘も方便なのですが
しっかりと真実を見ながら
上手に嘘を使わないと
嘘合戦となり、何一つ改善できなくなる・・
TVの討論会などでも、お互いが
自分の本音に気づけないまま
空中議論が白熱したりしますしね~

自分バカにされた怒りという本音で議論し
すでに、議題は何処かに消えていたりもします。w



目前の現実は
自分自身の本心が生み出すエネルギーが
創り出しているので
嘘合戦で、物事がスムーズに進むわけがないのです。

常に否定批判をしていなければ
いられなくなっている人も
要するに物事がうまく行かない事に
対しての不満が溜っているだけなのですが
その本心を隠して
〇〇がわるい!
〇〇のせいだ!
○○はだからゆるせない!
周りを攻撃して自分のストレスを発散する・・
ようするに嘘の否定批判なんです。w
本心は、自分が満たされない事に
イラだっているだけだったりします。w


私自身もこの呪縛にはまっていた時期があるのですが
その事実に気づくまで、かなり時間を要した記憶があります。

そもそも善悪でしか物事を判断しないので
自分や他人の言動は正しいのか?間違っているのか?でしか
物事を判断する事が出来ないわけです。
出来ないと言うか?それしかしてこなかったので
ちっぽけな視野で物事を判断している自分に気づけないのです。

例えば
『貴方の為にしている事』と自分では思っていても
本当は、それをする事で自分にメリットがあるからであり
そのメリットなければ、しないのであれば
『貴方の為にしている事』ではないわけです。

よくあるケースが
『贈り物をしたのにお礼を言われなかった。失礼なやつだ!』
と思ったりする人がいます。
感謝される事を目的に贈り物をすれば、そこに不満を抱きます。
〇〇してあげたのに・・とか思う場合は殆どが
見返りを期待しての行動なので
その人の為にしている事ではないわけですが
なかなかそこに気づく事はできなかったりします。

だれしも言動には動機があるのですが
自分の思考は、常に自分に都合よく判断している事に気づけないので
なかなか、真実にいきつかない・・・
私自身も言動の動機に着目するまでは
なかなかこの事実に気づけませんでした。^^;)



往々にして、嘘に真実を混ぜて、嘘を前面に出しているんですが
隠した嘘を忘れてしまうので、目前の現実が空回りする。


お店の店員が、自分好みの素敵な異性だから
そのお店に通っている事も
その好みの店員が辞めて、店に行かなくなる自分がいて
はじめて、その店員が目的だった事に気づけたり・・w

複数の目的が絡み合うと
自分の本心には、なかなか気づけませんし
複数の目的の中に『綺麗ごと』が一つでもあれば
無意識にその『綺麗ごと』を前面に押し出したりします。w
一番の目的を隠して、それをするので
なんだかんだと、物事が空回りしたりするわけです。
『綺麗ごと』は、自分を良く見せてくれるので
周りの人に認められたいという欲望が強ければ強いほど
よく利用されています。
これを利用するのは宗教家や政治家の方に多いですかね~

その『綺麗ごと』大して
どこまで自分自身を犠牲にできるか?試してみると
自分の本心に気づけたりもします。

私も自分で試してみましたが
まぁ~煩悩まみれな自分に気づけて
ショックを受けた記憶があります。w



私の場合、自分自身の言動の動機に着目し続けて
本心を隠して嘘ばっかりついている事に気づけたわけですがw
自分の本心を知る事が出来ると
自分の本心に準じて、目前の現実が起きている事に気付けたのです。

嫌な出来事が多いと言う事は、自分の本心を見ようとせず
自分に都合の良い現実だけを見ているはずです。
偽りの現実しか見えなければ、嫌な出来事が起きるのは当然ですし
誰しも心が壊れてしまいますよね。

なので、私は自分に都合の悪い思いを見るようにしたのですが
結構しんどかったですね~w
でも、そのおかげでゆるす事がどんどん増えてきたように思います。

誰しも、自分を誤魔化しながら生きるのが人であり
自分を誤魔化している事にも気づけないのも人なんでしょう。

ただ、自分を誤魔化しすぎると辛い出来事が増え続けるのも
この世の仕組みなんでしょうね。


『この世に善も悪もない』
『この世は、感謝すべき出来事しか起きていない』
などと言われても、昔は???な感じでしたが
それを何となくでも理解し始めて善悪の判断を止めると
嘘で自分をかばう必要がなくなるので心に余裕ができたりします。

嘘偽りは、必要だと思いますが自分の本心を打ち消し続けると
辛く苦しい現実を、先祖の因縁や悪霊のせいにしたりしてしまうのでご注意を。w