修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

心が闇の世界に飲み込まれた時、そこから抜け出す方法

年を重ねると、精神が後退すると言われていますが
最近、よく自分の子供の頃を思い出すので
私も老人化が始まったということでしょうかね?w

特に重度の精神障害を患っている人と接見すると
昔の自分を思い出してしまいます。



鬱病を長らく患うとどんどん症状が悪化し
統合失調症と診断されるようになると思います。
その統合失調症を長く患うと、何が現実なのかも?解らなくなるでしょう。
自分が何処にいるのか?生きているのか?さえ
解らなくなる事も多々あるかと思います。

定期的に狂気の世界に堕とされて何が何だかわからない・・
心が何かに圧し潰され、全身の力が抜けてゆく・・
真っ暗な闇の世界に堕とされて、全てが恐怖に包まれて行く。
そんな事が繰り返されるようになるでしょう。

そこから脱するために薬を飲み続けた結果、効果が無くなり
どんどん強い薬を飲むようになる・・
それでも治まらないので、大量に飲んでしまう・・
そんな気持ちになるのも理解できますが
薬を飲み続けて、その現実から逃げ続けると
麻薬中毒患者のような廃人になってしまうので、ご注意ください。


薬を飲まなくても大丈夫です。
自分の精神が、闇の世界に飲み込まれたとしても
その闇の世界が、自分の心が堕とされる終着点です。
もう、そこから更に堕ちる事はないので安心してください。
あとは、そこから這い上がれば良いだけです!


私は、なんとかその闇の世界から抜け出す事ができました。
結構、大変でしたが、今ではその経験が人生の糧となっています。
恐らく私は、一般の方より恐怖する事が少ないと思います。
理由は、闇の世界に堕とされた経験があるからです。
恐怖心が少ないという事は、生きる事が楽になるという事です。
目の前がどんな現実に成ろうと、その闇の世界に堕ちる事に
比べれば大したことはないですからね。


私の場合、ちょっと特殊なので参考になるか?解りませんが
共通する部分がいくつかあると思いますので
私の体験談を記しておきます。

何かの役に立てれば、幸いに思います。
















昔の私は、世の中を憎んでいました。
それは、「どうして自分だけが・・・」という
思いが心の根底にあったからです。



昔の私は・・

自分に善意を向けてくる人がとてもウザかった。
自分の価値観を押し付けられているように感じたから・・


有名な神社やお寺で
世界平和の祈りを捧げてる集団を見ると吐き気がした。
自分たちは良い事をしていると心酔している集団に感じたから・・


正義が憎かった。
自分が悪とされていたから・・


神仏が憎かった。
自分を支配し苦悩を与えている存在だと思っていたから・・


愛と慈悲という言葉が嫌いだった。
愛と慈悲など自分を良く魅せる為のツールのようにしか思えなかったから・・


正しい事が嫌いだった。
正しさなど相手の自分都合で、いくらでも変わって行き
間違っているのは、いつも自分だから・・


常識が嫌いだった。当たり前が嫌いだった。
常識を疑問に思う事を咎められてばかりいたから・・
常識を味方につけて、威張り散らす奴がムカついたから・・


人が汚いとする物が好きだった。
そこに自分の居場所があると思っていたから・・


下を向いて生きるのが好きだった。
上には、自分の居場所がないとそう思っていたから・・


堕落した生活が好きだった。
そこにしか、自分の居場所がないと思っていたから・・


不健康な空間が好きだった。
唯一、自分が癒される場所だったから・・


何かを否定し批判しなければ、日々を過ごす事が出来なくなった。
そうする事でしか、自分の存在意義を保てなかったから・・


自殺する人が羨ましかった。
自殺したくても死のうとする気持ちを抱くだけで
全身に激痛が走り呼吸困難陥ったから・・


晴天が嫌いだった。
そんな日は、自分の居場所がなくなると思っていたから・・


雨が好きだった。台風は特に好きだった。
自分の嫌いなモノを全て水が流してくれる気がしたから・・
汚物と一緒に自分も流してほしいと、よくそう思った。


夏が嫌いだった。
太陽に責められている気持ちになったから・・


冬が好きだった。
自分を責める太陽が遠くにある気がしたから・・





ある日、普通に眠る事が出来なくなった。
眠ると闇に支配されて苦しくなるから・・


普通に食事をする事が出来なくなった。
食べてもすぐに吐いてしまうから・・


睡眠や食事がままならなくなり、衰弱し
このまま、死ねるならそれでもいいと思った。
でも、そう思うたびに「死ぬ事はゆさない」と頭の中で命令され
高熱に魘されたり、全身に激痛が走ったり、呼吸困難に陥った。


何が現実なのか?よく解らなくなった。
現実とは、何か?よく解らなくなった。
毎日、幻覚幻聴の中で過ごすようになった。
頭に響く沢山の声に罵声を浴びせられながら生活するようになった。
他人の言葉が聞き取れなくなった。
定期的に発狂するようになった。
定期的に気絶するようになった。
毎日嘔吐するようになった。
自分が何処にいるのかよく解らなくなった。
どんどん自我を保てなくなってきた。

真っ暗な闇の世界に、よく落とされるようになった。
気付くと悲鳴や怒鳴り声、あざ笑う声が聞こえる場所にいた。

毎日、その闇に落とされるようになり
この場所が何処なのかよくわかならいのに
この場所より、下の世界はないのだと悟った。

闇の世界に堕とされる事が増えていった。

死ぬ事も出来ず、この闇の中に居続けるのは嫌だと思った。

今まで、全てを拒絶して過ごしてきたけど
この闇の世界は、拒絶できない場所だった。

・・なんとかしなければと思うようになった。

そう、私が初めて逃げるのを止めたのがこの時です。



密教修験道古神道を修行するようになり
闇の世界に落とされる事が少し減った。
もっと修行しなければと思うようになった。

気付けば修行している時が、自分の居場所になっていた。
肉体に支障を与える修行でも、闇の世界にいるより楽だった。

自分の居場所を広げるために修行ばかりするようになった。
毎日毎日、狂ったように修行するようになった。

このまま自分は一生激しく修行し続けるのか?と疑問に思い
試しに修行を止めてみたら、案の定、闇に落とされた。


そんな事を繰り返しているうちに
自分がまた、逃げている事に気が付いた。

修行は、私の逃げ場所に過ぎなかったと気づかされたのです。


私は、闇の世界と向き合う事を決めた。

この闇の世界を知らなければならない。
堕とされるのではなく、自分から闇の世界へ行くようになった。

修行など比較にならないほど、苦しかった。
でも、もう逃げたらダメだとそう思った。
逃げ続けた結果が、今なのだとそう思うようにした。
何度も高熱にうなされ、とても苦しかった。

何度も何度も闇の世界へ自分の意思で行くようになり
この闇の世界への繋がりは自分が作っていた事に気が付いた。


この闇の世界にある、怒り、罵声、憎しみ、狂気など
多くの感情や声は、私自身の心の叫びと全く同じだった。

私自身の負の心の叫びを無くさない限り
この闇の世界への繋がりは、無くせないのだと知った。


そこから、自分を見つめる作業を始めた。
自分の狂った感情は、どこから来るのか?
何が原因なのか?を知る事ができなければ
どうにもならないとそう思った。


そこから長い間、自分と向き合う作業を続けた。
自分の中で答えを見つけ、闇の世界へ出向いて答え合わせをする。
何度も何度も、闇の世界へ自分で出向き
何度も何度も答え合わせをした。

自分に都合よく解釈していないか?自分の本心を試したのです。
自分の心は自分でつくった嘘偽りで塗りつぶされている事を思い知らされた。


負の感情を抱く出来事に注視し
どうして、今自分は負の感情を抱いたのか?
どうなっていれば負の感情を抱かなかったのか?
毎回、振り返った。


とても下らない事を求めている自分に気が付いた。
そんな下らない事の為に、苦しんでいた自分が
バカらしく思える事が多かった。
でも、そのくだらない事を求めてしまう・・


自分は、世の中に居場所が欲しかったんだと知った。
自分が拒絶している世の中に居場所を求めていたんだと知った。
自分は、自分で周りを拒絶しておきながら、受け入れて欲しかったんだと知った。

周りに自分を理解して欲しかったのだと知った。
自分は、周りを何一つ理解しようとせず、自分ばかりが理解して欲しかったと知った。

結局、自分の欲が自分自身を苦しめているのだと知った。



欲を捨てるにはどうしたらいいのか?を考えた。
考えて、考えて、考えても解らなかった。

欲がなくならなければ負の感情はなくならない。
負の感情がなくならなければ、辛く苦しい現実から逃れられない。

どうすればいいのか?を考えた。
考えて、考えて、考えても解らなかった。

とりあえず、嫌だと思う事、したくない事をたくさんした。
嫌いな食べ物をたくさん食べた。
嫌いな人と進んで接し、よく観察した。
嫌いな音楽を沢山聞いた。
行きたくない所にも行った。
自分は、何が嫌なのか?を確認し続けた。


「求める」以上、嫌な事はなくならないとそう思った。


ならば、「与える」をしてみようとそう思った。

「愛と慈悲」「世の為、人の為に」・・歯の浮くような言葉で大嫌いな言葉・・
偽善者なんて嫌いだ!いつもそう思った。
ここでも、なぜ?それが嫌いな言葉なのか?を考えた。

あぁ~そうか!自分がしたくない事だから
自分が否定されている気持ちになるんだ・・と気づいた。

「愛と慈悲」知ろうとした事など一度もない事にも気付いた。



「与える」事を実践してみた。
「与える」為には「知る」事が必要だった。
そして、自分の途方もない無知さに衝撃をうけた。

私は、何も知らなかったのです。

何も知らずに、一人いじけて
何も知らないのに、全てを知っている気持ちになって
自分の幼稚な価値観のみで周りを否定し、批判していた。
無知な自分に誰か何かを否定する事などできるわけがないのに・・

「知らない」という罪を知ったのです。


それから「知る」努力をした。
すればするほど、何も知らない自分に気づかされた。

自分は求める事しかしていなかったので
自分の興味のあるものしか知ろうとしていなかった事に気付いた。
ようするに常に自分にメリットのある物事しか知ろうとしていなかったのです。

とてもちっぽけな世界で毎日を過ごしていたという事です。



「誰かの役に立つ事」「社会の役に立つ事」
これを、するのはとても難しい事だと知った。


自分以外の人の立場になって色々と考えた。
出会う人、出会う人、それぞれの人の立場になって考えた。
考えて、考えて、その度に悩んで、また考えた。

社会の存在意義、社会の構造、社会の役割・・
一生懸命知ろうと頑張った。
そして、社会の恩恵をたくさん受けながら生活をしているのに
社会を拒絶し続けていた事に気付いた。
受け取るモノだけ受け取って、知らんぷり・・
そんな毎日を過ごしてきた事に気付いた。


自分は、自分の好きなように過ごしたかっただけだと知った。
同じ事でも、自分は良くて、自分以外はダメ・・
そんな考え方をしている事に全く気付いていなかった。
周りの事を何も考えず、ただ自分勝手に過ごしたかっただけだと知った。


相手の立場になって色々と考えると
自分の至らない所に気付ける仕組みがある事を知った。
そして、相手の立場になって考えないと
永遠に自分を知る事ができない仕組みがある事を知った。




自分の至らない所に気づくと
目の前の出来事が自然に改善して行く事を体験した。


自分が変われば、目の前の出来事も変わる事を知り
同時に、今まで自分を省みず、周りを変えようとしていた事を反省した。


変われば変わるほど、目前の現実が好転して行くので
至らない自分を探す事が楽しくなった。


毎日毎日、至らない自分を探すようになったら
毎日の出来事は、全て自分の心を成長させる為に起きている事に気付いた。

と、言う事は、自分次第で現実は、どうにでもなる・・
と、言う事は、目前の現実は自分自身が創り出しているのだ・・と知った。


自分の苦しみは、自分の心を成長させる為にあるのでは?と思うようになった。
心が成長する度に、辛く苦しい出来事が消えて行くから・・


闇の世界も自分が創り出しているのでは?と思い行ってみたら
もう、苦しくなる事はなくなった。でも、その世界は、なくなっていなかった。


こんな仕組みがある世界で過ごしていれば
目前の現実を拒絶すればするほど、苦しくなるのは当たり前だと思った。

ならば、全ての出来事を受け入れるしかないとそう思った。
受け入れる為には、どうすればいい?と考えた。
考えて、考えて、考えた。

人には欲求があり求めなければ死んでしまう。
欲深い人間も受け入れべきだとそう思った。
でも、欲深く生きれば辛く苦しい出来事が起きる・・
嫌な出来事は、どうしても嫌だった。


考えても解らないので、行動した。
「求めるから苦しい、ならば与えてみる。」
これをやり続けた。

その結果、求める事が少なくなり
嫌な出来事がどんどん減った。

気付けば、「与える事を求める」ようになった。

利己的な欲求より、利他的な欲求が増えて来た・・・

以前の自分より、嫌な出来事が極端に減ったと感じた。
以前の自分より、健康になってきたと感じた。
以前の自分より、毎日が楽しくなったと実感した。
以前の自分より、物事をみる視野が凄く広くなったと感じた。

視野が広くなった事で、自分のやりたい事がたくさん見つかった。
あれも、これも、それも、やりたくなった。

気付けば、辛く苦しい出来事が全くなくなっていた・・


どんな出来事も自分の受け止め方次第で
未来は大きく変わるのだと知った・・
自分の未来は、自分自身が創り出しているだけだった・・

自分の未来を変えたいなら
自分自身が変われば良いだけだった・・

生まれた環境など全く関係なかった。
生まれ持った才能など全く関係なかった。


幸せは、いつも自分の中にあり
それに気付いた瞬間に誰でも幸せになれると知った。