修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

優しさとは、何だ?と考えてみるべきである。

長年、相談事のボランティアをしていると
相手の為に自分が出来る事を
毎回真剣に考えるようになります。

そして、考えれば考えるほど
「優しさ」とは、なんだ?
と、思いいたるのです。


相談者は、なんらかの問題を抱えているわけで
そこに至るべき原因を知る事が大切なのですが
私は、私自身が経験して
出来上がった価値観に基づいてしか判断できません。

当然、相談者の価値観とは異なり
憶測でしか、対応できないのですが
何が正しく、何が間違っている、とかではなく
私の場合は、心の成長に伴うアドバイス
するようにしています。

人生とは、己の心を成長させる為にあると
そう思っていますし
結果として、その方が報われる。



なので、私の価値観では
単に苦悩から解放させる事だけではなく
心の成長を促す事が「優しさ」だと思っています。


従って、一般的なカウンセラーの方々と
大きく違うのは
相談者を突き放し、その上で見守る
という事をよくするんです。
寄り添う事で、依存され
いつまで経っても苦悩の呪縛から
抜け出せなくなる事が多々あるからです。

カウンセラーの仕事をしている方から
よく依存される方の相談を受けますが
お金をもらってカウンセリングをしていると
相談者を突き放す事は、なかなかできない事ですよね。

依存されれば、それだけお金になるので
そこに悩まない方も多いんですけど。

幸いにも私の場合は、ボランティアなんで
その辺は、問題いないんです。



一般的には、優しさとは
相手に対して思いやりのある心持ちで
接する事だと思うのですが
困っている人に手を差し伸べる事や
他人を傷つけないようにする事などが
優しく接する事とされているので
私のように相手を突き放すように
接すると「ひどい!」とか「優しくない!」
なんて言われますね~

でも、相談から2~3年経ってから
酷い言葉を向けられたおかげで
今は、幸せに過ごす事ができるようになりました・・
なんて、お礼を言われる事もあるんです。

そんな経験を何度もしているので
手を差し伸べるだけが、優しさではないのだと
私は、そう思っております。
優しく接する言動の動機が重要なんでしょうね。

他人に手を差し伸べる時
その動機が、どこにあるか?で
その結果が大きく異なるのでしょう。



恋焦がれている異性と
晴れてお付き合いする事になると
恋人は自分にとって特別な相手なので
優しく接するでしょう。
その優しさは、「嫌われたくない」という
気持ちが大きい人は
あくまでも自分主体の優しさなので
相手を尊重しているわけではないのです。


この自分主体の優しさは
結構頻繁に見受けられます。
ボランティア活動をしている方なんかは
よく見かけるんじゃないでしょうか?

私自身のボランティア活動も
ただの趣味ですしね。


恋人でなくても
相手に好かれたい!気に入られたい!
そんな思いで、接する人もいます。
会社や組織なんかで言えば
イエスマンのような人です。


相手に尽くし
相手を傷つけないように
なんでもかんでも受け入れる・・
そんな事が必要な時もあるのですが
その行為に、相手を思いやる心が全くなくても
「優しい人」と認識されたりします。


他にも、下心いっぱいの優しさもあります。
困っている人に手を差し伸べる事で
相手に見返りを求めている場合です。
そんな人は、見返りが得られないと
「今までこんなにしてやったのに!」
なんて言いますよね。
感謝の言葉もなく
見返りのない事に怒ったり
裏切られた!なんて言い出したりします。
恩着せがましいと思うのですが
優しさを履き違えている事に
気づけない事もよくあるのです。


相手によって態度を変える人もいますよね。
取引先で、平社員には横柄な態度で接し
決済権のある幹部社員には
一生懸命尽くしたりする・・
営業マンなどは、よく見る光景です。

まぁ~損得勘定が働いてしまう
人間の性のようなものかもしれません。



私は、他人から優しくない人とか
冷たい人とか良く言われるんですが
一般的な「優しい人」という枠で考えると
確かにそうかもしれません。

他人からどう思われようが
あまり気にならないからなんでしょうかね?
それは「価値観の相違」だと
そう思ってしますし
上辺だけの優しさはウザい
と思ってしまうからなのかもしれません。



私の場合、精神を病んでいる人と
沢山接してきたので
「思いやり」や「優しさ」は、相手を知る事から
始まると思っているんです。



精神を病んでいる人に
優しく?接するのは
相手がどんな行動をするかわからないから
という理由の場合が多く
要するに自己防衛だったりします。

ただ、精神が病んでいる人は
その動機に敏感に反応するんですよね~

自己防衛で優しくされても精神を病んでいる方は
それが解るのでぶちキレる。
でも、自分が自己防衛で優しく接している事を
認識していなければ、精神を病んでいる人に
どう接していいか分からなくなる・・

どう接していいか分からないので
薬を飲ませて落ち着かせる・・

精神病の薬が身体に良くないのは分かっていても
自宅で発狂される家族にとっては
救いの品なので、飲ませ続けるわけです。
薬漬けで廃人のようになってしまう人もいます。
発狂して苦しむくらいなら
薬を飲ませて楽にさせてやりたい・・と
そう思ってしまうのですが
これってよくよく考えると
ただの自己防衛だったりするんですよね~

でも、己の我欲が自分に都合の悪い部分を
打ち消してしまうので、なかなか気づけない・・
「貴方の為」という絶好の素材が
真実を打ち消してしまうのです。


とは言え、私のように突き放す優しさなんて言うと
自分都合で突き放しておいて
それも優しさの一つなんて言って
嫌な現実から逃げてしまう人もいるでしょう。

なかなか難しいんですが
私の中では、どこまで相手を知り
その為に自分は何ができるか?と考え
行動する事が大切だとそう思っています。

例え、その行動で自分の望む結果が
得られなかったとしても
それは、ひとつの学びだと思えば良いだけですしね。

私も長年、精神を病んでいる方と接しているので
なんども、失敗を重ねましたね~
特に統合失調症の方を数人抱えると
瞬時にしっかり向き合えないのです。
私は、仕事もしていますし
相手は、毎日時間があるわけですから
「時間」の価値観が大きく違うので
その辺を忘れて発する一言が
相手を傷つけたりします。

「ごめん、今ちょとと忙しいから・・」
それだけ言って、電話を切ると
自分は避けられている!
やっぱ、この人も皆と同じだ!
なんて、判断されてしまう事もあり
そのまま、失踪してしまった人もいます。
(後日、連絡がありましたが・・)


その一言を振り返ると
自分の忙しさを優先してた事に気づき
反省しましたね~
「ごめん、いまちょっと忙しいから・・」と
たった、この一言で相手に絶望を
感じさせてしまう事もあるのだと学びました。





我々の社会では
優しい人は良い人とされていますが
「優しさ」とは、何か?を
今一度考えてみるのも良いでしょう。

私自身、考えて考えて
結局、優しさも私のエゴだなぁ~
なんて思うようになりました。

結局、人生はエゴで成り立っており
そのエゴによって、周りにどんな影響を与えるか?で
自分の人生が決まるんでしょうね。

なので、利己的なエゴより
利他的なエゴの方が、日々が過ごしやすくなるわけです。

自分一人では生きて行けませんからね~