修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

己の我欲を知る事で、必ず未来が切り開く仕組み

どんな人も、我欲に忠実に生きるのが
人間という生き物である。
人と我欲は切り離すことができないと
私は、そう思っています。

なので、自分勝手で傲慢に生きるもの
人の性であり、人として間違っているわけでもない。
no problem なのでしょう。

木下都議が雲隠れして
国中からバッシングを受けていましたが
人を責めている以上
また、似たような事が起きるんでしょうね。
仕組みに問題があるわけで
木下議員は、そのきっかけを作った人であり
感謝すべき対象ともいえる。

でも、自分の思い通りならない人に対して
ムカつき腹を立てるのも人間なので
国中で、批判する・・
これは『虐め』と
同じ事をしているのですが
専属弁護士が虐め発言をすれば
今度は、逆切れだと批判する・・w


社会問題となっている虐めと
まったく同じ状態なのに
そんな指摘がされていない事に
ちょっと興味を抱きました。

人間の我欲とは
悉く自分都合で物事を
判断させてしまうものなんでしょうね。

私も気をつけなければ・・
と、思った次第です。



私は、自分や他人の言動の動機を
知る事が大切だと、常々言っているんですが
その理由は、それを知る事で
自分自身の心が軽くなるからです。


多くの人が
いじめをする側の動機をよく知っていれば
木下議員への口撃も
ここまで酷くなかったように思うのですが
まぁ~社会の空気が異様に感じますしね~
癌でいえば、今の日本はステージ3くらいでしょうか?
そんなエネルギーに感化されてしまうのも
あるんでしょうね。



で、そんなエネルギーから己を守るためにも
己の我欲を知る努力をお勧めするわけです。




我欲にも色々あるわけですが
周りを不快にする我欲は
苦悩を引き寄せてしまうでしょう。
不快にした人が多ければ多いほど
その負の感情のエネルギーが自分に降りかかります。

木下議員しかり・・
虐め被害者しかし・・

そして、どんな理由があれ
周りを不快にし続ければ
自分と関わった人にも悪影響を及ぼすので
自分の周りで嫌なことばかりが起きるようになります。

なので、利己的な我欲ではなく
利他的な我欲を強く持った方が
楽しい人生を過ごすことが出来るでしょう。

とはいえ、利己的な我欲満載で
生まれてくるのが人なんですよね~w


無理やり、利他的な心を持とうとしても
そんな心など、微塵も生まれないでしょう~

よく他人に尽くしすぎて自滅する人がいますが
これは『尽くす』という行動の動機が
利己的な強い我欲だったりするからです。
『他人に認められたい』
『他人に賞賛されたい』
『他人から嫌われたくない』
と、そんな感じの人が多いですかね?

色々自分に尽くしてくれても『気持ち悪い』と
感じる人っていますよね?
行動だけ見れば、善意に基づいているように見えても
心が別の所にあるから、そのギャップのエネルギーを感じ取り
気持ち悪い、と感じてしまうんです。

始末に負えないのは、本人はその事実に気づけないところです。
『これだけ、多くの人に尽くしてきたのに!
どうして、こんな嫌なことばかり起きるんだ!』
『こんなに尽くしてきたのに
どうして、こんな嫌なことをされるんだ!』
と、そんな結果になってしまう。

これは、自分自身の『尽くす』という言動の動機を
しらないが為に起きる現象なのです。


仮に、自分は他人に認められたいから尽くすんだ!
と、知っていて行動していれば
自分が善意の押し付けをしている事も自覚できます。
当然、押し付けた相手が嫌な思いをしていれば
自分に嫌なことをするのも当然だと思えるわけです。


自己の言動の動機を知っているだけで
目前に起きる出来事のとらえ方が大きく変わります。


『他人に嫌われたくない』
そんな我欲が強い人は、自己の行動が常に制限されます。
自分がしたい事を、進んでしなくなるのです。
周りの目を気にして、やりたい事もせず
言いたい事も言わないで過ごす事になるでしょう。
ストレスを溜め続けて、いつか爆発する・・
精神が病んで当然の過ごし方を自分で選択しているんです。


仮に、周りの目を気にしないで
やりたい事をして、言いたい事を言う人と比べると
どちらが早く心が成長できるでしょうか?
まぁ~嫌な思いをするかもしれませんが
心が成長した分、未来は切り開かれるんですよね~

人生において、この二人には大きな差が生まれるんです。

往々にして、偉業を成した人は
他人の目を気にすることもなく
ひたすら利他的な我欲を満たそうとし
世間から白い目で見られてきましたしね。w




利己的な我欲は、自己の思考を自分都合で働かせるので
己の我欲を知る努力が必要だと思うのです。
自分では、なかなか気づけないんです。


私は、どんな人も、利他的な心は
そう簡単に芽生えないと、そう思っています。
というか、利他的な心の因子が
利己的な心に包まれている感じでしょうか?
なので、利己的な心を削りながら生きるのが
人生のような気がしています。


本能として利己的に生きるように
創られているのに
利他的に生きようとする事は
表向き自分自身を否定する事にもなります。

私の場合、この自分自身を否定する行為を
徹底的にやりました。
自分で自分の我欲を一つ一つ殺していくんです。


一時期、自分でも気持ち悪いと
感じる人間になりましたね~
虚無感に包まれ、廃人のような偽善人間です。w

やってみて解ったのは
私自身が、私自身を全く知らなかったという事です。
自分で自分を知らないので
そりゃ~うまく人生を過ごせる訳がないですよね。

そして、ほとんどの人が
そんな状態で、日々を過ごしている事も知りました。

自分の事を、自分が一番知らないので
他人とトラブルを引き起こしたり
人間関係が拗れたりする。
自分の事を、自分が知らないので
当然、自分をコントロールする事もできず
ひたすら我欲を満たすための
言い訳を繰り返す人生となる。

政治家のダブスタ
自分都合で物事を判断している結果ですし
ブーメラン発言も、同じです。
自分で、自分を知ろうとしていないので
当然の結果だと思うわけです。

そして、ダブスタやブーメラン発言を
責めるという愚かな行為も
自分で自分を知らないが為にしてしまうんです。


人間とは、かなり愚かで可愛い生き物ですよね。w



という訳で
自分で自分を知るためには
自分自身の言動の動機に直視すべきであり
その動機のほどんどが
利己的な我欲である事も知るべきでしょう。


そして利己的な我欲は、しっかり肯定しましょう。
それが人間ですからね。
自分自身の言動の動機=我欲を
一つ一つ掘り起こしていくと
目前の出来事との辻褄が合っている事に気づけます。


要するに、嫌な出来事と
自分自身の言動の動機が
紐づいている事に気づけるんです。

これって、とても凄い事で
嫌な出来事と直結している己の我欲と向き合い
改善できれば、その嫌な出来事は今後起こらなくなるんです。

これを、1回でも体験できれば
色々と起きる不快な出来事が
己の人生を好転させるシグナルだと
そう思えるようになるでしょう。


そして、そう思えるようになると
私のような変態が出来上がります!w

嫌な出来事に直面すると
自分を昇華させるチャンスがきた!
と、ワクワクするんですよね~



まぁ~私の場合は
もともと、他人と価値観を
共有できない生き方をしているので
周りから頭のいかれた奴だと言われようが
変態だ!と言われようが
家族から冷めた目で見られようが
全く気になりませんが
普通は、承認欲求があるので
自分の心に秘めて、楽しんだ方がよいでしょうね。w


という訳で
己の我欲を知る努力をして行くと
自分の未来が大きく切り開いていくのです。

























ちょっと異様さを感じているので