修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

血肉に刻まれた経験値を甘く見ない方がいい~

人は誰しも自分に都合よく物事を解釈する生き物です。
私たちは、そう創られて生まれてくる。

極端なマイナス思考は
そうじゃないでしょ?
なんて言われたこともありますが
マイナスに判断する事が
自分にとって都合の良い人もいるという事です。

だって、自分をダメな人間だと
決めつければ、努力しなくていいですしね~
自分を責め続けて
心を壊す人は、恐怖心や怠惰の心に
蝕まれている事が多いですね。
まぁ~結局は
利己的な我欲がそうさせてしまうわけです。



この「自分都合判断思考」は
自己防衛本能なんでしょうが
私たちがご先祖様から受け継いだ
経験値の蓄積であるとも思うのです。


とは言え、価値観の異なる人が
集団で生活するのが我々の社会なので
自分が関わる相手が
自分勝手な言動を繰り返すと
とても不快な気持ちになります。

不快な気持ちを抱き続ける生活は
幸せな生活とは言えないでしょう。

なので、多くの人に
利他的な思考が必要になるのですが
なかなかどおして、それが難しい~w

まぁ~難しいから人生が面白くなるんですが
気づけば、人生のどん底に堕ちることがあるので
気をつけなければならないわけです。




私のように他人との協調性が欠如していると
嫌な出来事は増え続け
失敗を繰り返す事になる。
心は、幼稚なままですしね~
心が幼稚なままだと
社会とは、嫌な奴ばかりの集団で成り立ち
世の中とは、嫌な出来事ばかり起きる世界だと
そう思ってしまうけです。
自分を信じる!という言葉に溺れ
自分を省みることが出来なくなるんですよね~
そもそも視野の狭い自分を信じても
ろくなことにならないですしね。w


なので、人生の中で出来事から学び
心を成長させないと
嫌な出来事が増え続ける。
失敗もしまくるのです。


失敗をすると嫌な気持ちになるのは
求めているモノが得られないからでしょう。
ようするに我欲が満たされないわけです。
失う事でも嫌な気持ちになるでしょう。
また、自己の過ちを認め受け入れられないが為に
嫌な気持ちになったりもします。

なので、誰しも失敗したくなく
一発で成功を決めたい!のです。w

自己顕示欲が強すぎて
失敗を誰か何かのせいにして
不快感を和らげようとする人もたくさんいます。

『あいつのせいで失敗したんだ!』
あの時、『あいつがあんな事言うから
間違った判断をしてしまったんだ!』
とか・・w

あとは、『運が悪かった』
『たまたま失敗したんだ』
とか・・


失敗による不快感を
自分以外に『悪』をつくり
こじつけて、なすりつけて
無意識に自己の心を緩和させようとする。



言葉の上では
いくらでも、自分都合の解釈が成り立ちますしね。
その自分に都合の良い言葉を
真実として、自分に言い聞かせ記憶させ
それを繰り返すと
肉体がそんな思考へと促すようになり
ちょっと、面倒なことになります。w


会社で嫌がらせを受けている!
隣人に監視されている!
常に盗撮盗聴されている!
霊的な攻撃を受けている!

なんでも自分に都合よく物事解釈していると
その経験値が血肉に刻まれ
こんな状態になってしまいます。

加害者扱いされた人は
たまったもんじゃないですよね~
でも、当の本人は事実を捻じ曲げて
記憶する事が、平常運転なので
自分を省みることは絶対に出来ないのです。

肉体が自分を省みることを
拒絶してしまうんですよね~
だって今までの自分の言動を
否定しなければならなくなりますし
自分を否定する事は、不快な出来ごとなので
思考とは別に機能している肉体が
その行為を拒絶するのは当然です。



こんな最悪な状態にならないように
やはり、失敗と向き合う事が大切でしょう。
嫌な出来事は、自分の嫌悪感が原因なので
その嫌悪感を抱かない自分になれば
目前から嫌な出来事が消えてなくなります。
何が正しくて、何が間違っているかではなく
自分がどう感じ、どう思い
どう判断するかに過ぎないのです。

なので、自分を省みて自己改善を続けることが
人生ではとても大切なのですが
そんなに簡単にできる事ではないでしょう。

私もたいがい事実を捻じ曲げて
記憶する人間だったのですが
とことん、己の過ちを
受け入れたくない性格だったのでしょう。

事実を捻じ曲げた上で
己を正当化して記憶に刻み込むんです。

いや~最低な人間ですよね。w
でも、自分では捻じ曲げた事実が
真実だと思っているので
全く気にならないんです。

子供がいたずらがバレて言い訳しますよね?
大人になって、そのスケールが大きくなった感じでしょうか?w
そんな言い訳を続けてしまうのです。
自分はもう大人なんで
言い訳を叱ってくれる人がいなくなり
言い訳を事実だと記憶してしまうんです。

その結果、事実を直視できなくなってしまうので
色々と失敗を繰り返すのですが
さすがに、何をしても物事がうまく進まなくなると
私の場合、自分を省みるようになりました。

失敗する度に、至らぬ己を知り
自己の器が広がる事を
体感できるようになり
最終的に自分の愚かさに愕然とした事を記憶してます。w

なので、嫌な出来事は
全て、己に原因があると
そう思うべきだ!と告げているんですが

こんな話をすると
私のように心が強くない!
出来ないものはできないんだ!
なんて言われるんですが
心の強さは、残念ながら
自分が傷ついた分強くなるんですよね~

傷つくのが嫌だと思っている以上
己の心は弱いままなのが
大自然の法則なので
どうしようもないんです。
まぁ~傷つくのは嫌ですけどね。w

でも心に負った傷をしっかり見つめ
その原因を自分の中に見つけるしかないのです。
トラウマを忘れようとするなんて
超勿体ない事だと思いますし
そんな事をすれば
肉体は、トラウマになる出来事を
しっかり記憶しているので
思考と言動がちぐはぐになり
結果として、うまく自分をコントロールできず
嫌な出来事も増え続けるでしょう。

自分自身を省みることをせず
嫌な出来事を誰か何かのせいにし続けると
その経験値は血肉にしっかり刻まれて
逃げ癖が出来てしまいます。

己の意識とは別に
己の肉体が現実から目を背けさせてしまうので
自分では、その事実に全く気づけないまま
無意識に逃げ逃げの人生を過ごすようになる。



血肉に刻まれた肉体の記憶とは
とても恐ろしいものなんですよね~

例えば、会社で業務に失敗し
上司からしっかり叱られてしまい
とても不快な気分になったとします。

不快だ!で終わらせ
上司の愚痴を言いまくり
己を省みることをしまいまま
それを繰り返すと
その上司が嫌いになります。
そして、その上司が嫌いという
経験値が蓄積されるのです。

その結果、思考とは別に肉体が
その上司の悪い部分を探すように
思考に指示をするようになります。

己の失敗をなかった事にするために
無意識にその上司を『悪』とするのです。


その上司は、自分の事を『悪』認定して
己を正当化する相手とは関わりたくないので
業務を失敗をしないよう
アドバイスする事もしなくなります。
自分の過ちを指摘してくれる相手を
失う事になるのです。

そして、自分は
何度も失敗を繰り返し
上司から『使えない奴』認定される。

そうなってしまうと
悪いのは上司であって
自分ではない!
とする理由を探しまくる・・

会社でいじめを受けている!
パワハラだ!モラハラだ!と
騒ぎ出す・・
業務の失敗をなかった事にする為の
最高の切り札ですよね。w

精神を病む人の多くは
このパターンが多いですね。
自己を省みることが出来ないので
心が幼いまま
『悪』を生み出し続け
自分が生み出した『悪』に
心身を蝕まれてしまうのです。





そもそも、同じミスを繰り返し
何度も上司に叱られ
何度も嫌な気分になるのは
自己改善をしていないからです。

逆に業務でミスをし
上司に叱られた時に
自分の中の何が原因だったのか?
自分はどうしていれば、失敗をしなかったのか?
と、しっかり己を振り返り
自分以外をよく観察し
反省点を見つけ、改善する事ができれば
同じミスはしなくなるでしょう。

嫌な気分になるのも
その時だけなんです。


そんな事解ってるけどできない!
っていう方も結構しらっしゃるでしょう。

それは、血肉に刻まれた経験値に
振り回されている事も原因ですし
何より、自分を省みる経験をしないので
負の感情が増幅し
自分が常時負のエネルギーを
まき散らしている事も原因です。
そのエネルギーは無意識に誰しもが感じているので
相手の自分の評価が、初めから低いんです。
会った瞬間から、好感を抱けない人間に
成り下がっているって事です。


この話をすると
酷い言葉を向ける人だ!なんて
思われてしまいますし
心が傷ついている人に
傷口をえぐるような事を言うなんて酷い!
と、マジでよく言われます。w

でも、私はその事実を相手が
傷つくから言わないなんて事は
絶対にしたくないですね~

優しく接して
その苦悩から脱却できた人なんて
私の場合、一人もいなかったんです。
優しく接して、心が癒され
一時的に改善する事はありましたが
あくまでも、一時的な改善だったのです。

私に言わせれば、優しく接するだけの人は
血に刻まれた経験値を
甘く見ているようにしか思えない・・
自分自身が、相手に『良い人』と思われたい
だけなんじゃないのか?とか、思ってしまうのです。
私は、愛情をもって、相手の傷をえぐる方が
早く改善すると思ってしまうんですよね~


私は、多くの相談を受けてきましたが
嫌な出来事ばかり起きる人は
今の所、100%強烈な
負のエネルギーを放っていましたしね。



普通は、初対面で相手を判断できませんが
強烈な負のエネルギーを放っている人の場合
思考では判断できなくても
肉体がそのエネルギーを拒絶し
その人を拒絶するよう肉体が思考に
危険信号を送っているんです。


自分が他人と接するだけで
その相手は、無意識に自分を拒絶してしまう状態で
嫌な出来事が起きないはずがないですよね?

なので、そこを改善する必要があると
私は、そう思っていますし
実際にそこを改善して
現実が好転した人がたくさんいるんです。

なので相手を傷つける
酷い言葉だとは理解していますが
告げないわけに行かないと
私は、そう判断しています。







私は、人生は経験や体験が全てだ!
と思っているんですが
マジで経験・体験を甘く見ない方がよいと思います。

自分の意識を改善する事は容易いですが
肉体に流れる『血』を改善する事は
とても難しいのです。

なので、人は「わかっていても出来ない」んです。

誰しも自分にムカつく事をする人は
関わり合いたくないでしょう。
しかし、ムカつく相手を
ムカつく奴だ!
最低な奴だ!
嫌いだ!
で、終わらせていると
その度に、その経験値が肉体に蓄積され続け
無意識に「ムカつく奴探し」をするようになってしまうんです。w

特に今の時代、ネット上で
ムカつく奴を探しやすいですからね~
ネットニュースの記事のコメ欄に
ムカつくぞ!コメしだしたら要注意です。w

自覚症状のない人は
あくまでも自分の価値観を記しているだけだ!
なんて思うので、そこも要注意です。w
自分に不快感があるか?ないか?が重要です。



また、自分を正当化する為に
言い訳を繰り返していると
その経験値が血肉に刻まれ蓄積され
肉体がその思考を促すように
信号を送ります。
無意識にそうしているので
自分が言い訳ばかりしている事に
全く気づけないのです。

他人からそれを指摘されても
何言ってんだこいつ?
そんな訳ないじゃないか!
こいつ自分の思い通りにしない奴全員に
そんな事言ってるんじゃないか?とか
初めから自分都合MAXで思考がスタートし
その中でしか判断できなくなるんですよね~

まぁ~無意識な行動なので
自分の記憶に残りませんし
仕方ないとは思いますが
仕方ない事で終わらせるなんて
考えれば考えるほど
恐ろしい事ですよね。


私は、たまたま
強烈な経験値が血肉に刻まれていると
自負していて、その改善方法を
模索し続けてきたので気づけましたが
普通は、性格は変えられないとか
無理なものは無理だとか
人それぞれだから・・とか
諦めモードで終わらせますよね。

なので、ほとんどの人が
血肉に刻まれた経験値を甘く見てるんです。
と言うか、考えていないでしょうね。


なので、あえて言いますが
「わかっていても出来ない」のは
過去からの己の言動による
経験値の蓄積が原因なのです。

また、無意識に不徳を積み続けてしまうのも
肉体の記憶がそうさせてしまうからであり
無意識に不徳を積み続けている事さえ気づけないのも
意識しないまま、不徳と積んでいるので
記憶に残らないからだと思っています。



では、どうすればよいか?ですが

私の経験では
自分自身を知る努力を続け
至らぬ己を見つけ改善する事で
現実が少しずつ改善しました。


特に自分の不快感に注目しましたね。
理由は、不快感を抱く経験値を蓄積すると
どんどん嫌な出来事が増え続ける事に
気づいたからです。
そこを改善しない限り
現実は、絶対に好転しないと
そう思っていましたし
実際に不快感を抱く経験が減れば減るほど
現実が好転していきました。

あとは、毎度記している
他人に尽くそうとする行動が
最終的に自分を知る事につながり
自分が無意識にしている不徳に
気づけるようになりました。

そもそも自分で自分を知らないから
自分をコントロールできないわけなので
自分を知る事が出来なければ
あとは、自分を改善すればいいだけなんですよね。

その改善手段として
自己の言動の主導権を
出来る限り、自己意識に握らせる事です。

流されて生きると
煩悩の赴くままに過ごしてしまいますし
その経験を繰り返せば繰り返すほど
肉体の主導権が強くなり
自己改善が厳しいものになるでしょう。

まぁ~自己改善がしんどくなるだけで
改善できないわけではないので
問題ないんですけどね。

自己改善が出来なくて
諦めてしまえば
嫌な出来事が繰り返されるだけで
どちらを選択するかは自分次第でしょう。

誰しも、自己の言動は
自分の意識によるものだと
思っている人が殆どですが
私は、血肉に刻まれた経験の蓄積が
自己の言動の主導権を握っていると
そう思っています。

血肉に刻まれ続けている経験値を
甘く見ない方がいいですよ~~!w


私がボランティア活動をお勧めしていますが
あくまでも、苦悩から脱却するためなんです。

毎日幸せならば、無意識に多くの人に
尽くしているでしょうから
無理に時間をつくりそんな事する必要はないでしょう。

でも、苦悩の渦中から脱却できていないのに
周りに尽くす気持ちになれないのは
血肉に刻まれた経験値が原因なんです。

利己的な言動を繰り返し
利他的な行動を全くした事がなければ
ボランティア活動をしようと思っても
肉体が拒否して、自分の意識に
拒否信号を送るわけです。

どうしても行動できない人は
友人知人を巻き込んでみるのも良いでしょうね。
自分一人で、血に刻まれた経験値に抗うのは
結構、難しいんですよね~