修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

受け入れるという素直さが、人生のカギだと思う

私たちは、人間である。
目があり
鼻があり
口がある。

手が二本
指が片手五本づつ
足も二本の生き物である。

そんな肉体は一つである。

私は、時に
もう一人、自分がいればなぁ~
なんて、思ったりするんですが
やはり、私は一人です。

分身できたらなぁ~と、
いくら思ったところで
自分は一人しかいないという事を
受け入れるしかない・・

これは、大自然の法則の一つです。





私たちは
大自然の中で生活しているので
なんだかんだと大自然の法則を
受け入れながら過ごしています。

そして、大自然の法則を
知れば知るほど
受け入れる事が増えていきます。






私が、今まで生きてきて
心がどんどん軽くなって行く過程を振り返ると
「受け入れる」事が増える度に
心が楽になっていったように思います。

自分の思い通りにしたいのに
思い通りにならない仕組みに気づき
そして、それを受け入れるからなんでしょう。

分身出来ない事を知れば
分身出来ない事にムカついたりしないのです。


最終的に
結局、人生は
色々と受け入れるしかないんだよなぁ~
なんて思うようになりました。




でも、人である以上
自分の思い通りにしたいと
そう思ってしまうため
自分の思い通りにならない事に対して
不快になり、怒り、憤り
ムカついてしまう。


受け入れる事が出来ないのです。


で、その時に生まれる
負の感情のエネルギーが
自分自身を蝕み
様々な苦悩を生み出しているのも
大自然の法則なのでしょう。

受け入れられない出来事が
多ければ多いほど
苦悩も増えてゆくのです。

また、自分の思い通りにしたいと
思えば思うほど
受け入れられない出来事が増えるので
同時に苦悩も増えるという事になります。

なので、我欲が多ければ
苦悩も増えるという
大自然の法則があるわけです。




とは言え、私たちは
我欲を植え付けられて
生まれてくるので
人生の中で色々な苦悩と
向き合う事になる。



なので・・
負の感情が苦悩を引き起こす事も
我欲が苦悩を引き起こす事も
我欲が、なくならない事も
受け入れる必要があるのです。

負の感情を抱いてはいけない
欲深く生きてはいけない
苦悩は排除すべき・・
と、考えるのではなく

負の感情を抱くのが人であり
我欲を貪るのも人であり
人生で苦悩はつきものである・・
と、これらを受け入れた上で
自分は、どうすべきか?考え行動するようにすれば
人生とは、なかなか楽しいものになるはずです。





誰しも「自分の思い通りにしたい!」
と、そう思ってしまうのですが
実際には「自分一人では生きてゆけない」
社会で過ごしています。

他人と関わらないと生きて行けないのです。
パソコンも携帯電話も
自動車も家電製品も
色々な人たちが力を合わせて作っていて
他人が作った製品を利用しながら
私たちは生活しています。

いくら「他人と関わり合いたくない!」
「一人で過ごしていたい!」と
そう思ったところで
今の自分の生活に他人は欠かせないのです。

他人が汗水流して作りだした製品を
利用しまくって生きているのに
「自分は他人と関わりたくない!」
と言うのは、無理があり
「自分は他人と関わりたくない!」
が、通用するほど大自然の法則は甘くないので
そんな過ごし方をしている人たちは
平等に苦悩に直面するでしょう。


なので「自分一人では生きて行けない」
これも、受け入れるべき事でしょう。



要するに、他人の関りを無くせない以上
いくら「自分の思い通りにしたい!」と思っても
出来ないんですよね~w

出来ない事に対して
ストレスを溜めるのは愚かな事ですよね。


誰しも自分の好きな事をしながら
生きて行きたいでしょうが
そもそも、私たちは
そんな事が許される社会で
生活していないんです。

なぜならば、常に他人と関りを持ち
価値観の違う人たちが
支え合いながら生きているからです。

これも、受け入れるべき事でしょう。





こうやって考えると
受け入れられない事が多ければ多いほど
不幸な出来事が増えて行くように思えるのです。



例えば、コロナワクチン接種に対しても
受け入れる事が出来なければ
社会で白い目で見られるでしょう。
反社扱いされるかもしれません。

なぜならば
ワクチン接種をしている人たちも
社会で生活している以上
仕方なく摂取しているからです。

頑なに拒否していれば
社会の一員として、非難されるのも仕方ない。
なので、拒否するのであれば
周りから非難される事を
受け入れるしかないのです。

受け入れられなければ
ワクチン接種を強要する人に対して
不快に感じ、憤りを感じ、ムカついてしまう。

社会の一員として多くの
恩恵をうけながら過ごしているにも関わらずです。

とても身勝手な行動なのですが
身勝手な行動をする人は
往々にして自分が身勝手で傲慢だと
思っていなので
ワクチンを打つ奴の方がおかしい!
くらいに思ってしまうのです。w


ワクチンを拒否するのであれば
社会から非難されることを受け入れた上で
ワクチン接種が嫌な人は
摂取しなくて良い社会にする為には
どうすればいいのか?を考え
行動に移すしかないでしょう。


社会から非難される事・・
即ち、自分が不快に感じる事に対して
何もせず、ただ不快感をまき散らすだけの
人になってしまうのは
やはり、不幸な事だと
そう思ってしまうのです。


だって、多くの社会の恩恵を受けながら
過ごしているのに、その事実を無視して
社会に対して不快感をまき散らす存在は
社会からすれば、ゴミ虫のようなモノなんですよね~





ちなみに私は
長い間、ゴミ虫のような
人間でしたね~w

社会を否定し
世界を否定し
不平不満をまき散らしていました。

社会の恩恵を受けながら
文句ばかり口にして・・
何一つ社会貢献していない人間でした。

まぁ~感謝できないから
そうなってしまうんですが
それにしても、「与えられている」事に
気づけないという事は
とても不幸な事ですよね。

今思えば、私は社会にとって
迷惑極まりない存在だったように思います。

でも、当時は
自分正義満載人間だったので
自分以外の奴らが狂っている!
と、そう思っていました。

他人の立場など全く考えず
ただ、自分の価値観=正義を
巻き散らす人間なんて
他人からすれば、不快な存在であり
社会からすればゴミ虫のような生き物でしょう。


それでも、社会は私が生活できる
環境を与え続けてくれるので
自分で全く、その事に気づけないのです。

誰しも、そんな人に
関わり合いたくないので
教えてくれる人もいない・・
と言うか、教えてもらっても
理解すらできなかったでしょう。
だって、感謝できない人間でしたし・・

社会に貢献する生活をしていないので
自分が生活できる環境があるのは
当たり前の事でした。
自分以外の人たちが
自分の生活を支えてくれている事を
全く知らないわけですから
スタート時点でアウトだったんです。w



結局、関わり合える人たちは
同じゴミ虫的価値観を
もった人たちくらいです。

自己の苦悩を先祖の因縁のせいするような
全く感謝できない人達と
意気投合するわけです!w


そして、そんな中にいるので
いつまで経っても
自分がゴミ虫人間になっている事に気づけない・・
それどころか、神に選ばれた人くらいに思っている。

いやはや、悲しい事です。w


幸いにも私は、なんとか
ゴミ溜めの中から脱することが出来ましたが
抜け出すだけでも、なかなか大変でしたね~
プーチン氏ではないですが
裏切者扱いされますし・・


で、私は自分がゴミ虫人間だった過去があるので
現在は、迷惑極まりない人たちを
一般の方々より簡単に受け入れる事が出来ます。w


だって、迷惑極まりない人たちに対して
不平不満を抱き続けると
自分自身もゴミ虫人間になってしまう過程を
自ら体験しましたしね。w


なので「受け入れられない」という事は
不幸な事であり、一歩間違えば
恐ろしい事だと、そう思ったりしています。



逆を言えば
色々と不快に感じる出来事でも
一旦は、受け入れ
自分の中で消化し
同じ出来事を繰り返さない為に
自分は、どう行動するべきか?を考え
行動するようにすれば良いのでしょう。

受け入れるという素直さが
自分の人生を豊かにしてくれるという事です。


自分が死ぬ瞬間
自分の人生を振り返り
不平不満ばかりの人生だったな~
なんて、思いたくないですよね?

私は、一歩間違えば
そんな人生を歩む所でした。w


皆様も、お気を付けください~