修行バカの懺悔道

自分の過去の生き様に反省し、死ぬまで懺悔して生きようと心に決めたら、そこに幸せがあった。 なんだか懺悔しきれないのである。

堅苦しい日本は、美しく素晴らしい!

私は、日本に生まれて良かった。
日本人で良かった。
と、心からそう思っているのですが
一体、何がそう思わせるのか?
なんて、考えたりすると
やっぱ、日本の思想や文化ですかね~
漬物やみそ汁や白米なんて大好きですし。w

それと、やはり日本神道の思想が
素晴らしすぎると思っています。
2000年もの間
世界中の人々の幸福を祈り続ける天皇家
我々日本人の誇りといっても良いでしょう。


恐らく海外から見た日本は
堅苦しい文化のように感じるでしょうね。

言いたい事も言わない
耐え忍ぶ民族のように思えるかもしれませんが
でも、そこが素晴らしいと思ってしまうのです。

もともと日本人は
「全ての出来事は神々がしている事」
という考え方が根底にあり
出来事に対して己を見つめる習慣があったと
そう思っています。
武道にしても、工芸にしても、料理にしても、農業にしても
あらゆる面で、その日本的思想が根本にあるように感じます。

時と共に物が朽ちる様や汚れでさえも
「美徳」とする「わび・さび」なんて
考え方をするのは日本人くらいでしょう。

取引先の庭師の親方から聞いた話ですが
庭師の仕事も、どんな庭にすれば四季を楽しめるか?
10年後、20年後、30年後に
樹々がどう成長し、石がどう汚れ
苔がどう生えるか
花がどう咲き、葉がどう枯れ、落ちるのか
取り付けた銅板は、どう錆びてゆくのか
立った時、座った時、何を感じどう映るか
物が老朽化する様をも
想像しながら創り上げるそうです。


神の国、日本なんて言いますが
「自然」を「神」とする事は
自然現象すべてが「神」となるので
出来事全てが「神」がしている事となり
八百万の神という言い回しになる。

特に物が朽ちる様子や
汚れでさえ、自然現象なので
それすらも美しいとする考え方が
私は、好きですね。

私はガキの頃、美術研究所に
通っていた事があるのですが
「この世で一番美しいものは自然だ!」と学びました。
当時は、その意味が良くわからず
俺の作品が一番美しい!なんて思ってましたがw
今では、良くわかります。
人が嫌悪し不快に感じるものは
人の「欲」が原因で
自然界には、「欲」が無い。

ただ、全てが神々がしている事なので
人が嫌悪するものであれ「美徳」となる。

人が嫌悪するものでさえ本来は美しいとする
その自然の姿を学ぼうとする文化が
日本には、至る所にたくさんあるんです。

人の本質は欲まみれなので
我欲と真逆であるそう言った文化が
窮屈に感じるのは当然でしょう。
私もガキの頃は
堅苦しい考え方をする大人に対して
嫌気がしたものです。
もう時代は変わっているんだ!
くらいに思っていましたが
時代と言う解釈は人間の都合であり
自然の法則に時代などないですからね~


和食を学ぼうと弟子入りすると
何年も下積みがあり
師の姿から学ぶしかない。
「見て学べ!」と言われる。

今の時代からすれば
何と効率の悪い事をしているんだ!
なんて思うでしょうが
目的がお金儲けをするために
弟子入りしているわけじゃなく
自分という人間を磨く為だとすれば
見て感じて学ぶ方法は
自分自身で試行錯誤するしかなく
また、自己の欲求との葛藤があり
何度も挫折と向き合う事になるでしょう。
結果として己の精神はかなり鍛えられると思います。
その経験は人生において
とても大切な事のように思えます。


日本神道では「御魂磨き」と言って
自分自身の心を磨くことを人生とし
その為に必要なのが
「感謝」であり「世に、人に尽くす」事です。

この考え方が根底にあるので
利益重視の今の時代からすれば
日本の文化は、無駄!無駄!無駄!・・となりますし
とても窮屈に感じる人も多いでしょう。
それは、「生きる目的」が
大きく異なるからだと
私は、そう感じています。

今の時代は、人々の快楽を満たす事が良い事であり
人々の苦悩をなくす事が良い事ですしね。
その結果、心を磨く人が減ってしまったのですが
これもまた、日本的解釈をすれば
神々がしている事となります。


私は、「感謝」を忘れないように
毎日、祝詞を唱えるのですが
ご神体に鏡を置く神道のスタイルも
素晴らしい~ですよね。

己を見よ!どんな現実も結局は自分次第なのだと
毎日、そう言われている気分になるのですが
でも実際にその通りで
目前の現実は、自分次第でどうとでも解釈できる。
自己改善を繰り返す事で
毎日見ている風景も見え方が移り変わり
以前と同じことをしても、その結果の出来事も変わる
人生とはなんと楽しいものなのだ!なんて思います。


今、自分は幸せだ!と思う事が出来れば
その瞬間から幸せになれるわけで
そう思えないのは、ただ自分が未熟なだけなのです。




トヨタ自動車の社長が以前
日本が本当に誇れるのは人材だ!と
そんな事を言ってました。
日本人は他国にない感覚を持っていると
私もそう感じています。


言いたい事を言わずに耐え忍ぶなんて
外国人からすれば、わけのわからない感覚でしょう。
自分の思いを相手に伝えなければ
自分の思いどおりにならないではないか!
と、そう思うはずです。

しかし、目前の現実はすべて自己の心の成長の為に存在する。
その為、相手を変えるのではなく
まずは、自分が変わる事が必要だという考え方なので
耐え忍ぶように見えてしまうのでしょう。


その感覚の違いの根底には
自己の欲望を満たそうとする外国人と
自己の心を成長させようとする日本人の違いだと
私はそう思っています。

言動の動機が根本的に違うのです。
「生きる動機」が違うと言っても良いでしょう。

戦時中亡くなった我々のご先祖様の遺書を
たくさん読んだのですが
生きる目的が、根本的に違っていると
私は、そう感じました。


そもそも自然界は
私たちの心を成長させようと
出来事を引き越しているので
自然現象に重きを置く日本は
なんだかんだと、豊でいられるのです。

だって人の社会は自然界に存在していますしね。
自然界の法則に相反する
人間の我欲を優先したまま
過ごせるわけがないのです。

なので日本的思想が失われてゆけば
やはり、国が衰退してしまうのも
致し方ないのでしょう。

円高で物価が上がり大変だ!
なんて、言われていますが
海外に比べれば、微々たる不況です。
これも、日本人がもともと持っている
思想が生み出した結果のような気がしています。

我欲に忠実に過ごすと
どうしても辛く苦しい現実が突きつけられる。
ならば、我欲を満たす事を優先するのではなく
辛く苦しい出来事から多くを学び
自分自身を高めていった方が良いでしょう。

私たち日本人のご先祖様は
この大自然の法則を熟知していたんでしょうね。




私は、令和の時代は、まだまだ
辛く苦しい社会が続くと思っています。
でも、そんな時だからこそ多くを学ぶことが出来る。
日本人独特の思想を忘れると
毎日が辛くなるかもしれません。

でも、古き日本の思想を思い出せば
それなりに、楽しく過ごす事ができると
私は、そう思っています。
令和の厳しい時代は
そんな事を学ぶ機会を与えられたのかもしれません。




もうすぐ2022年も終わりますが
年明けの初詣は、是非とも
日本人の本質を思い出しながら
日々の生活に感謝を捧げ、新しい年も
多くに貢献できる人でいられるよう
そんな願いを込めながら、参拝して欲しいです。




我欲を満たす為に
先祖からの因縁を消滅させるとう思想もありますが
私は、真逆の考え方です。
先祖から受け継いだ因縁を大切にすべきだと
そう思うようになってから
目前の現実が好転し
毎日が過ごしやすくなりました。

恐らく、私たち日本人には
我々のご先祖様が築き上げた
日本的思想が血肉に刻まれているからでしょう。

この大切な思想を忘れないようにしたいものです。






皆さま、良いお年をお迎えください。
来年もよろしくお願いいたします。